落日
「ロックフェルってどこだよ?」
エンデマンにとっては、思いもかけない言葉だった。
それは何故か?
当たり前である。ロックフェルとは、今自分が居る領地の名前なのだから。
しかし目の前の男は、ロックフェル領を知らないと言う。
エンデマンは混乱の中に居た。
「き、君……いや、オマエは自分の所属している領地の名も知らぬほど愚かなのか?」
こんな、僅かにタムラを罵倒する言葉しか出てこない程に。
だが、タムラは口角を上げると
「はぁ? テメェは馬鹿、か? 知っているに決まっているだろうが」
挑発とも言える言葉を繰り返す。
それは、すこぶる楽しそうに。
しかし、こんなやり取りを繰り返していれば、相手が焦れて来るのが自然の理である。
エンデマンから、徐々に商会長と言う仮面が剝がれ落ちて行くのが見てとれた。
それを感じたのか、タムラはさらに挑発の言葉を並べ立てる。まるで薄皮を剥がし、エンデマンと言う男の本性を顕にする様に。
実際にそうなのかも知れない。
タムラはそれを望んでいるのだ。
商会長と言う仮面を剥ぎ取り感情をむき出しにする、自身が敵と定めた相手と戦う為に。
「オマエは何が言いたいんだ! 俺を馬鹿にするのもいい加減にしろ! この領地はどこか知っている! だが、ロックフェルは知らない! 何が言いたいんだ!」
目を見開き、エンデマンはタムラに詰め寄った。
怒りを顕わにしたエンデマンに対し、タムラは最上級の笑みを見せる。
そして
「ああ? 此処はカーディナルだって言ってんだよ!」
「な、なに?」
タムラの言葉に、エンデマンは口を噤むしか無かった。
理由は一つ。理解が出来ないからだ。
一瞬にして、足元の床が抜けた様な錯覚さえ覚えた。
「そ、それはどう言う……」
エンデマンは、必死に声を絞り出した。
それを嘲うかの様にタムラは言葉を返す。
「だから言ってるだろ。ここはカーディナル領だってよぉ」
笑いながら、馬鹿にする様に、何も知らない幼子に言い聞かせる様に。
「な、何を言って……。カーディナルは隣の……」
そう呟きながら、エンデマンの膝はガクガクと震え出す。
ロックフェル伯爵とシャルロットの計略に、まんまと踊らされたとは言え、エンデマンは一流の商人である。
父親の地盤を引き継いだとは言っても、僅かな支店止まりであったコーネリア商会を、ここまで大きくしたのは、エンデマンの力量なのである
だからこそタムラの言葉から、幾つかの回答を導きだそうと試みたのだ。
そして、その全てが商会の終わりを告げていた。
その事態に止めを刺すかの様に、エンデマンの耳元にナカジマが顔を寄せた。
そして……
「何や、知りまへんでしか? 今朝から此処は、カーディナル領になりましたん。残念ですなー、築いて来たもろもろの特権、全部わやですわ」
静かに、真実のみを告げた。
その瞬間、エンデマンはがっくりと膝を付いた。
だが、取り巻きの外から状況を見ていたヒムロの視線は、エンデマンの瞳を捉えて離さなかった。
理由は一つ。エンデマンの瞳には、まだ力が残っていたからだ。言うなれば、完全に敗北した者の目では無いと言う事だ。その事に、ヒムロは一抹の不安を感じざるを得なかった。
タムラ達が、エンデマン商会長に対応している時、シャルロットは書類の精査に追われていた。
だがその表情は暗く、酷く落ち込んでいる。
その理由は、結構な時間が経過しているにも関わらず、目当ての書類が見つからない事にあった。
カーディナルの商業ギルドからの、借受けの書類。お馬鹿さん首脳人の、奴隷買付け依頼の書類。そして、ロックフェル伯爵への上納金の内訳に関する書類。
それらは発見出来た。
だが、子供達の奴隷誓約書だけが、どうしても見つからないのだ。
マンティコア隊の面子を使い、至所を探させた。床板の一枚一枚に至るまで。だが、見つからないのである。
シャルロットが「ぐぬぬ」と眉間に皺を寄せた時、まさにその時、女神は降臨した。
大量のフリルで飾られたドレスを纏って。
「シャルロット様、お困りですか?」
そんな呑気な言葉と、温かな陽だまりの様な声と共に。
「………………ヘンリエッタ!」
場違いな訪問者は、ロックフェル伯爵の奥方であり、シルキーのヘンリエッタであった。
「はい。ご機嫌麗しゅう、シャルロット様。それで…………探し物は見つかりましたか?」
ヘンリエッタのこの言葉に、シャルロットは背筋が寒くなる思いだった。
ヘンリエッタの登場は、疑う事無くロックフェル伯爵の采配である。
シャルロット達が踏み込む時間から算出して、エンデマンの出社の時間を加味して、そして捜索に掛る時間を逆算した。冷静に、冷徹に、事実だけを積み重ねた結果。その時間に、ヘンリエッタを送り込んで来たのだ。
コーネリア商会の喉元を掻き切る短刀として。
それがありありとと解るがゆえに、シャルロットは首を横に振る。まだ見つかってはいない、と。
ヘンリエッタは、このジェスチャーを理解し、にっこりと少女の様な笑みを浮かべると、ゆっくりと天井を指差した。
指に釣られる猫の様に、シャルロットはヘンリエッタの指を視線で追った。
そして、目を見開いた。そう、探していない場所がまだあったのである。
「梯子を持ってきて! 天井ブチ抜くわよ!」
目標を見定めたシャルロットの行動は早かった。
そして、指示を受けたマンティコア隊の面々も。
梯子など要らぬとばかりに、隊員同士肩車をし、天井を拳でブチ抜いて行く。
僅かな時間の後
「姫様、有りました!」
隊員の一人が声を上げた。
シャルロットは急ぎその書類を確認する。
そして、その顔に邪悪な半月を浮かばせた。
その凶悪とも見て取れる表情を視界に収めたタムラは、再びエンデマンと視線を交わす。
「オイ、見つかったってよ。オメェも、もう終わりだな」
最上の笑みを浮かべ、終了の言葉を献上した。
だがこの言葉は、エンデマンの精神に火をくべる結果となる。
エンデマンは、おもむろにタムラの襟を掴み自身に引きよせ
「ガキの! 小汚ねぇガキのせいで、俺の栄光が潰えると言うのか! そんな! そんな、馬鹿な事があって良い訳が無い!」
感情を爆発させた。
「栄光なんか、知らねぇよ! テメェのケツは、テメェで拭くんだな!」
タムラは、呆れた様に言葉を返す。
しかし、エンデマンの感情の爆発は収まらない。
いや、暴発と言った方が正しいだろう。
「あ、あんな、親も居ない、ゴミを拾って暮らしている様な、何の価値も無いガキ共に、俺は価値を付けてやったんだ! それなのに何故、俺が破滅しなければならないんだ! 俺はゴミを……そうだ! 俺は街を奇麗にしてやったんだ! 感謝される事があっても、非難され! ヒィッ!!」
エンデマンの独り善がりの言葉は、強制的に終らされた。
終了させたのは、タムラでは無い。
鬼の様な形相で、立て掛けてあった槍をその手に取ったシャルロットであった。
その槍を、エンデマンの首数センチの所に突き付けたのだ。
「感謝? なにバカな事言ってるの? あの子達の未来を、これから紡ぐ夢を……あんたなんかの汚い足で踏みにじっているんじゃないわよ!」
「き、汚い足だと?! あ、あいつらに何の未来があると言うんだ! お、俺は此処までこの商会を大きくして来たんだ! そんな事を言われる筋合いは――」
「わかってるわよ! あんたが頑張って来たって! でも、ダメなのよ! あんたは、超えちゃあいけない一線を超えちゃったの! どんな人にも未来はあるの! あなたにもあった様に! でも、あなたはそれを! 自分の未来も踏みにじったの! 嘘と言う卑劣な行為で、人を落しいれて!」
シャルロットの言葉に、エンデマンは膝から崩れ落ちた。
解ってしまったから。この結末を導いたのは、自分自身の行いであると言う事に。
その姿を見つめていたシャルロットは、槍を捨て視界からエンデマンを消した。
マンティコア隊の面々は、シャルロットの激情に少し面食らった様だったが、ヒムロとタムラは静かに口角を上げこう言った。
「「流石は姫様」」




