絡め捕られる蝶
「クソ爺! あんた、商会から幾ら引っ張って来たの!」
シャルロットから、いくら賄賂を貰っていたのかと言う事実を告げられても、ロックフェル伯爵の表情は崩れない。流石はシャルロットの師匠と言うべきか。
「実はのうシャル坊、このヘンリエッタと暮らす家が欲しくてのう。なにせ、この屋敷は広すぎるからな」
「なに? と言う事は、その家欲しさに特権与えてお金を引き出したの?」
「それと、老後の蓄えかのう」
そう言って「ふぉふぉふぉ」と笑いを浮かべる。
罪の意識の欠片も無い。盗人猛々しいとはこの事である。
シャルロットに出来る事は、溜息を吐く事だけであった。
それほどに呆れ返っていた。
だが、ロックフェル伯爵の懺悔はこれで終わらなかった。
「それでなシャル坊」
「まだあるの?」
「金をくれと言ったら、簡単にくれるのでなぁ、わしはつい調子にのってしまってな……」
シャルロットはがっくりと頭を垂れた。
もう解った、と。
「解ったわよ。全部解りました。クソ爺が多額の金を要求するもんだから、商会は苦肉の策として用意してた子供達の闇取引を始めた、でしょ」
「まあ、その通りじゃな」
シャルロットは再度溜息を吐いた。
隣を見れば、ヒムロもうんざりした表情を浮かべていた。
気持は同じなのだ。
どんな言葉を投げかけようと、暖簾に腕押し、糠に釘。これ以上の話合いは無駄。シャルロットがそう結論付けしようとした瞬間、ロックフェル伯爵の口が動いた。
「シャル坊。領地を大きくしたいとは思わんか?」
「はぁ?」
シャルロットは間抜けな声を漏らす。
それが可笑しかったのか、ロックフェル伯爵の表情は大きく愉悦に歪む。
「鈍いのう、シャル坊は。この地を併呑する気は無いか、と聞いておるのじゃがなぁ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃあ、なに? クソ爺は領主を降りるの?」
シャルロットの戸惑いながらの問いに、ロックフェル伯爵は大きく一度頷いた。
「そうじゃ。わしの余生も短い。この地をシャル坊に任せ、ヘンリエッタと隠居しようかと思っておる」
シャルロットは口を噤み、頭の中をフル回転させる。
この地を併呑する事のメリット、デメリット。
領地が大きくなる事でのメリット、デメリット。
そして、コーネリア商会の事。
「ねえ。わたしがこの地を併呑すれば、コーネリア商会の特例も解除出来るかしら?」
単純な確認事であった。
現在の領主が認めた特権を、新たな領主が取り消す。良くある事である。
しかし、ロックフェル伯爵の発した言葉は、全く正反対であった。
「それは無理じゃな。彼奴らに特権を与える書類に明記してある。未来永劫、ロックフェルでの特例を認める、とな」
「ぐ!」
シャルロットは苦虫を潰した様な表情を浮かべる。
だが、ロックフェル伯爵は涼しい表情だった。
この対立に、ヒムロは妙な違和感を覚えた。
落ち着き過ぎているのだ。ロックフェル伯爵が。
まるで、この先のストーリーを全て握っている様に。
それでいて、可愛い弟子が悩み思考する姿を楽しむ様に。
「シャル坊や、わしの言った事を復唱してみるがよい」
「はあ?」
「復唱じゃ」
ロックフェル伯爵の瞳が鋭い物へと変わる。
これには、いかにシャルロットと言えど逆らえなかった。
この瞳は、戦術を操る戦鬼と呼ばれた男の目だったのである。
「えーと、まずは併呑、でしょ」
この言葉に対しロックフェル伯爵は頷きで返す。
「そんでもって、ジジイが領主を降りるって話でしょ」
「うむ」
「それで最後に、コーネリア商会の特権を解除出来ない………………このクソ爺いがぁ!」
抑え込まれていたシャルロットの感情が爆発した。
しかし、その瞬間
「ぎゃふっ!」
ロックフェル伯爵の持っていたステッキが、シャルロットの脳天目がけて振り下ろされた。
「落ち着け、シャル坊。全くお前は、昔から大事な所を見過ごす癖がある。そこの若いの、解るかの」
ロックフェル伯爵の顔に半月が張り付く。
ヒムロへ向けての挑発である。
可愛い弟子を任せるに足るか、と言う。
ヒムロは顎に手を置き、伯爵の言った言葉を一言一句思い出す。そして行きあたった。今回の騒動の終わりを。
「姫様」
「なによ」
ヒムロの呼びかけに、シャルロットは不機嫌そうに答える。まだ、ご機嫌斜めの様である。
「このロックフェルが、ロックフェルで無くなったら、どうです?」
「ロックフェルが無くなる……そう言う事。ジジイ! アンタ、わたしがカーディナルに来るのを知っていて、引き出す金額上げたでしょ!」
そう。ロックフェル伯爵は、自身の隣、カーディナルの領主がシャルロットである事を事前に知っていた。
シャルロットの母であるエリザベス王妃が心配し、かつての師に娘の事を頼んだのである。
この一報を聞いたロックフェル伯爵は、以前から計画していた作戦を実行に移す決意を固めた。それは、自身の引退とコーネリア商会との繋がりのもみ消しである。
その為にロックフェル伯爵は、月に上納されるコーネリア商会からの賄賂を値上げした。
それによって、現金の不足に陥ったコーネリア商会は最後の切り札である子供達の売買に手を出したのだ。
当然その余波はロックフェル領だけに留まらず、カーディナルなどの隣接地に飛び火する。
そして、自身の弟子であるシャルロットならば、細い糸を辿り必ず本丸へと到着するであろうと確信していた。
その為の教育はして来たのだから。
そして、最後の詰めである。
ロックフェル伯爵は、この地ロックフェルをカーディナルへと併呑させる。
これによって、ロックフェル領と言う領地は、歴史から姿を消す事になるのだ。
そして…………コーネリア商会が保持していたロックフェル領内での特権は消滅する。
「ほれシャル坊、これにサインと押印をせんか」
そう言ってロックフェル伯爵は、一枚の羊皮紙をテーブルに置いた。
シャルロットはヒムロと共に、その内容に目を通す。
それは、領地の譲渡書であった。
二人がサイン、押印し、王が認めれば、晴れてこの地はカーディナル領へと姿を変える。
シャルロットは羽ペンを手に取ると、自身の名を示し、左の中指にはめていた指輪で判を押した。
それからのロックフェル伯爵の行動は早かった。羊皮紙を数回振り、インクが渇いたのを確認すると丸め封蠟で封印を施す。そして、執事長を呼び寄せると早馬を飛ばす様命令を下した。
「ふぉっふぉっ。これで明日の夜には、この土地はシャル坊の管理する土地になるのう」
「よく言うわよ、このクソ爺が」
「そう言うな。シャル坊ー」
甘えた声を出すロックフェル伯爵を余所に、シャルロットは立ち上がり部屋を出ようと歩き出す。
「なんじゃシャル坊、もう帰るのか?」
「そうよ。ヴァネッサとイレーネが待っているからね。あすの夜また来るわ。それじゃ」
後ろ手で手を振りながら、シャルロットとヒムロは屋敷を後にした。
ロックフェル伯爵は、その後姿を見送ると
「ヘンリエッタ」
「はい。旦那様」
「シャル坊を手伝ってやってはくれぬか?」
ヘンリエッタはそう言うロックフェル伯爵を見つめると
「畏まりました、旦那様」
簡潔に返事を返すのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
白塗りの馬車は、ロックフェル伯爵邸の門を抜ける。
しかしその馬車は、車軸から来る振動とは別のリズムを刻んでいた。そして室内からは、ゴツン、ゴツン、と言う何かを打ち付ける様な音が漏れていた。
「姫様、ちょっと、止めて下さい」
ヒムロが慌てた様にシャルロットを制止する。
何が起こっているのか? それは、馬車に乗った直後に、シャルロットが柱に頭突きを始めたのだった。それと同時に「やられたわ、やられたわ、やられたわ………………」まるで呪詛の様に同じ言葉を呟き続けていた。
「姫様、止めて下さい!」
ヒムロはシャルロットの華奢な身体を抱きしめる。
打ち付けていた形の良いおでこは、僅かに赤みがさしていた。
そして、ヒムロはシャルロットと視線を合わし
「一体、どうしたんですか?」
率直に疑問を口にした。
それに対し、シャルロットは目尻に僅かに涙を浮かべ
「あのクソ爺の掌で踊っていたのが悔しいの! いつか、ぎゃふんと言わせてやるんだから! ばかーー!」
シャルロットの怒声が馬車内に鳴り響いた。
そして、ヒムロは思う。どんな状況であっても、姫様は姫様なのだと。




