オールドマン
夜の帳が街を覆い、月が静かにカーディナルを照らす頃、領主邸にある領主執務室のドアが静かにノックされた。
コンコン、と言う硬い音に反応し、シャルロットがその鈴の音の様な声で入室を許可する。
「どうぞ」
カチャリと金属が鳴る音と共に、男が一人無遠慮に入室して来た。
マンティコア隊副隊長、タムラ リュウトである。
タムラは無言でソファーに腰を降ろす。
シャルロットも向かい合う様に対面に座る。
そして執務室に居たもう一人の人物、マチダがタムラの隣に腰を降ろした。
「アニキ、どうでした?」
口火を切ったのはマチダである。
三人の中で、一番座布団、地位が低いのがマチダである為、自分が最初に問い掛けるのが良策と思っての行動であった。
「ああ、終わったよ。ベラベラとこっちの質問に答えてくれたぜ」
タムラは表情を変えずに事実だけ口にする。
「それで、どうだったの?」
シャルロットから経緯の説明を求める言葉が発せられた。
「真っ黒だよ。中核は三人、あの男と、二人の副ギルドマスターだ。そんでもって黒幕は、商会の商会長だったわ」
「副ギルドマスターと言うと、スガルとマシューですね」
「おお。そいつらだ」
言いながら、タムラは詰まらなさそうに天井を仰ぎ見る。
そして
「なあ姫様よぉ、なんで世の中には、馬鹿と嫌な奴しかいないんだろうな」
心の内を呟いた。
それを聞いたシャルロットは目を見開いた。
まさか、あの豪胆なタムラが、泣事の様な愚痴をこぼすとは思わなかったからだ。しかし驚きの表情は一瞬で影を潜め、年齢に反した優しい母の様な笑みを浮かべる。
「馬鹿と嫌な奴しかいないのなら、あなたが変えれば良いじゃない。その為に仲間がいるんでしょ?」
「そうは言うけどよぉ」
「今まであなたが、馬鹿と嫌な奴しか見えなかったのは、あなた自身が馬鹿で嫌な奴に染まっていたから。違う?」
「……ひ、姫様」
シャルロットのあまりにもの言葉に、マチダが言葉少なく注意を促す。流石にそれは言い過ぎだと。
しかし、シャルロットの話は終わらない。ここからが重要なのだと言葉を続ける。
「でも、誰かの為にそこまで怒る事が出来るタムラは、馬鹿で嫌な奴では無いわ。それに、わたしが見せてあげる。本当の世界を。本当の人達を。だから、力を貸して」
そう言ってお茶菓子のクッキーをポリポリとほおばった。
「姫様―」
タムラがだるそうに呼びかける。
「なに?」
シャルロットは何事も無かった様に返事を返す。
「台無しだ」
そう言ったタムラの言葉に、執務室は笑いに包まれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
朝三つの鐘、正確な時計があれば朝十時頃、シャルロットは二人のメイドとヒムロを伴い商業ギルドに顔を出した。
扉を開けた瞬間、飛びこんで来たのは凄まじいまでの喧騒であった。カウンターを挟み、現ギルド職員と元ギルド職員(お年寄り達)が言い合っていたのだ。
「なに? コレ」
シャルロットがポツリと呟く。
御供の者達は首を傾げるが、カウンターの内側にいたお年寄りの一人が気付き近寄って来た。
「これは、これは、領主様。騒がしくてすみませんねぇ」
七十過ぎの女性である。つまりはお婆ちゃん。
「どうなっているの?」
シャルロットは素直に疑問を口にする。すると、目の前の老婆は深い溜息を吐いた。
「次から次へと、可笑しな書類が出て来まして」
申し訳なさそうに、手の持つ羊皮紙をシャルロットに渡す。
それに目を通すシャルロットだが、不思議そうに首を傾げる。コーネリア商会への貸付の書類なのだが、可笑しな所は無いのである。
「おばあちゃん、どこが変なの? 可笑しな所は、見られないんだけど」
シャルロットは素直な感想を口にする。
この言葉に対して、老婆は困った様な笑みを浮かべると、書類の一点を指差す。
「ん? 返済日? 二年前よね。これが?」
シャルロットの問いに、老婆は事実を告げる。
「貸付の書類は有るのだけどね、返済の書類が無いの」
「え? お金返して貰ってないの?」
「ええ。書類上はそうなっていますねぇ」
不思議そうに首を傾げるシャルロットの下に、指揮をとっていたマチダが近付いて来た。
「皆さん、お疲れ様です」
この声に一番早く反応したのはヒムロであった。ヒムロは一度シャルロットに視線を向けると、手にあった借用書を受け取り、マチダを視界に映す。
「マチダ、どう言う事だ?」
簡潔に疑問の言葉だけを口にした。
マチダは書類を受け取ると、ざっと目を通しギルドの中央、現ギルド職員の居る側へと移動した。そして、何時もの静かな声を僅かに上げシャルロット達へと言葉を返す。
「恐らくですが、コーネリア商会への上納金の証拠と思われます」
「「上納金?」」
シャルロット達が言葉を返す。
「ええ。ただ金を渡すと、色々と厄介な事が起きます。四半期に一度の決算などに」
「そうね。支出が合わない物ね」
「ええ。下手をすれば、誰かが贈収賄で疑われますから」
マチダの言葉に、シャルロット、ヒムロが補足をする。
「ですからギルドは金を貸す、と言う手段で上納金を納めていたのでしょう」
「なるほど。返済期日を過ぎても、催促しているって嘘をついて」
シャルロットの言葉に、マチダは頷きで返す。その通り、だと。
「それで、貸し付けをしたのは誰なの?」
「最終的に判を押したのは、副ギルドマスターの二人です」
「担当者は?」
思いもよらなかった問いかけに、マチダは再度書類に目を通す。
「シュゲル、となっていますね」
「ふーん」
シャルロットは現ギルド職員達を見渡す。
「シュゲルって誰」
ポツリと呟く。
その呟きによって、現ギルド職員達の視線が、一人の男に注がれた。
その人物がシュゲルであった。
そこからは怒涛の展開となる。
先程シャルロット達を出迎えた老婆が、シュゲルに向かって走り出したのだそして、シュゲルの腰に抱きつくと
「シュゲル! あんた何て事を! みんなが頑張って集めたお金を、裏金になんて! 嘘だよね、あんたは昔から良い子だったもんね」
涙を流し問いかける。
「……ば、婆ちゃん」
どうやらシュゲルは、あの老婆の孫の様だ。
しかし、そんな場面に一人の男が割り込んだ。
「ほな、話を聞かせてもらいましょか?」
ナカジマであった。
シュゲルの右腕を掴み、商談え使用する小部屋へと連行して行く。
そして残された老婆は……
「シュゲル! シュゲルー!」
必死に孫の名前を呼んでい居た。
そして、ドアが閉ざされた。
その瞬間、老婆は誰にも気づかれない様に、小さくシャルロットに向けサムズアップのポーズを取る。
シャルロットも同様の仕草で返す。
どう言う事か? つまりは、最初から老婆の仕組んだ茶番なのだった。
恐ろしい老婆、いや、恐ろしいババアである。
この一連の行動が波を生み、至所で同様の茶番が繰り広げられる。
泣き崩れるお年寄り。
信じていたのにと、絶望を顕にする老人。
どうか孫を救ってくれと言い、シャルロットに頭を下げる老人。
全てが自発的に行われた演技である。
だが、それを知らない現職員達はたまった物では無かった。
これが親であったならば、反抗心から来る物である程度冷静になれたかも知れない。
しかし、目の前で自分の為に泣き、叫び、懇願している者達は、幼い頃から自分を甘やかし、どんな時でも一番の味方になってくれていた祖父や祖母なのだ。
後から解った事なのだが、小部屋に連行された現職員達は、自発的にギルドの悪事を話したそうだ。
嘘、偽り、一切無く。
これを行ったのは、シャルロットでは無い。
無論、ヒムロでもマチダでも無い。
この地、カーディナルに住まう老人達なのだ。
真に恐ろしいのはジジイ、ババア共であったとシャルロットは語る。




