誓約書
シャルロット達が帰宅した領主館には、ヒムロとタムラが待っていた。簡単な言葉を交わし、一同は応接室へと場所を変える。
「それでよぉ、首尾はどうだったんだ?」
楽しむ様にタムラが口を開く。
それに対してシャルロット、マチダは冷たい視線を送る。
「……タムラ」
「おう、何だよ」
「アンタ、これを見ても笑っていられる?」
そう言ってシャルロットは一枚の羊皮紙を提示する。
タムラは首を傾げながら、その羊皮紙を手に取り内容に目を通す。視線が文字を追って行く。それにつれ、タムラの表情は色を無くして行った。
「何だよこれは!」
言葉と共に羊皮紙を机に叩きつける。
その行動に慌てたのはヒムロだった。
「お、おい、リュウト! 一体何が……」
言い淀むヒムロに、タムラは羊皮紙を押し付ける。
そして、読み進めるヒムロの表情は、タムラ同様冷たい物に変化した。
「姫様。これは奴隷の売買成約書、ですか?」
ヒムロの問いに、シャルロットは無言で頷く。
羊皮紙の内容は理解出来た。
だが、この誓約書には妙な所が幾つか目に付いた。まずは、名前が記入されていないのだ。
買い取り人の欄には、しっかりとコーネリア商会の名がある。
しかし、売主の欄には名前が無かった。小さな拇印が押してあるだけである。
そして二つ目には、羊皮紙の右上。
そこに小さく “マーシュ” とだけ書かれている。きっとこれが売主の名前なのだろう。
最後に一番奇妙な事柄は…………この書類によれば、自分自身をコーネリア商会に奴隷として差し出すと書かれている事だ。
それも、無償で。
“数々の恩義に報いる為、自分自身をコーネリア商会に無償で差し出します”
全文を要約するとこうなっていた。
理解が出来ない。
拇印の大きさを見ると、この指紋の主は子供と思われる。
そうであるならば、一体何が起きて自身を差し出すなどと言う書類に判を押したのだろうか?
そして、どんな恩義があれば無償で奴隷の身分に落ちる事を了承するのだろうか?
同じ事柄を思い、ヒムロは困惑し、タムラは激昂する。
二人の行動を、ヴァネッサ、イレーネ、そしてマチダは冷静な瞳で見つめていた。いや居られた、と言う方が正しいのだろう。
その理由は、事前にシャルロットの推測を聞いていた為であった。
「ヒムロもタムラも慌てないの」
そんなシャルロットの言葉に、二人の視線は重なった。そして、同時に首を傾げる様な仕草と共に疑問を覚える。
自分達二人以外、何故にこうも落ち着いているのだろうか? と。
「なあ、姫様。慌てるなってどう言う事だよ」
「そうですよ。拇印のみで書類が簡潔するなんて、可笑しいでしょ?」
タムラやヒムロが言う事は、尤もな事であった。尤もであるからこそ、シャルロットは丁寧に言葉を口にする。
「マチダから聞いた話だけど、和の国、ヤマトは身近に文字を教えてくれる場所があるんだって?」
「はい。私塾とか……」
「近所の寺の住職が教えていたな」
シャルロットの問いに、ヒムロ、タムラの順で答える。
その答えを受け取り、大陸での事情をシャルロットは語る。
「そうよね。わたしも初めて知ったわ。ヤマトでは無償でそう言う事をしている人が居るのよね」
「ええ。そうですが」
ヒムロは相槌を打ちながらも言い淀む。話が見えてこない、と。
「大陸ではね、特にその国の中央から遠ざかった辺境なんかでは特にだけど、識字率が低いのよ」
「はぁ? 何でだよ」
タムラが呆れる様に言葉を漏らす。
「それは簡単よ。農業や林業、それに畜産業に従事するのに、学問はいらないからよ」
「い、いや。待って下さい。そう言う職業の方でも読み書きは必要でしょう? 出荷などもありますし」
ヒムロが疑問を挟む。
確かにヒムロの言う事は正論である。だが、シャルロットは別の見解を示す。
「その為に商業ギルドがあるんでしょうが」
「「その為?」」
ヒムロとタムラの声が重なる。
「読み書きや、書類の製作。売買による物価の変動から来る収益増減を回避する為の生産管理。それらの情報の流布から対応策の話し合い。それを司るのが商業ギルド、でしょ」
そう言うシャルロットに、ヒムロ、タムラは頷くしか無い。何故ならば、シャルロットが言っている事に間違いが無いからだ。
しかし、それならばそれで疑問が出て来る。
何故子供達は自ら奴隷に落ちようとするのか? と言う事である。
「しかし、姫様。商業ギルドがそう言う組織である事は、俺も解っています。しかし、そうであるならば、何故こんな事になるんですか?」
少し息を上げながらヒムロが問う。
その勢いを嘲う様にシャルロットは返事を返す。
「ふふん。ヒムロの言う事は最もだと思うけど、私が指揮すれば、一週間で後百人くらい奴隷志願のお子様を集められるわよ」
シャルロットの言葉に、ヒムロの目つきが鋭い物へと変わる。今の言葉は許せない、と。
だが、シャルロットの表情は涼しいまま変化しない。
そして、ヒムロ、タムラが欲していた言葉をようやく口にした。
「ギルド全てがグルなのよ。文字の読めない子供に、嘘の内容を代読して拇印を押させた。わたしはそう推察するわ」
「「!」」
二人の口から言葉は出ない。それほどまでにシャルロットの語った言葉は醜い物だった。
「そんな事が……」
ヒムロがやっと絞り出した言葉は、これだけであった。
そして、タムラの怒りは頂点を超える。
「それじゃあよぉ! こんな書類は無効じゃねぇかよ! 知らずに判を押した物なんてなぁ!」
「バカな事言わないで! 誰が証明出来ると言うの! 彼らが騙されたって!」
タムラの言葉にシャルロットの怒りが爆発する。
「はぁ? そんな物、騙されたガキ共が言えるだろう!」
「それを誰が信じるの! 証文は存在するのよ! 少しは頭を冷やしなさい!」
御互いに怒声の応酬となる。
「ちょ、ちょっと待って下さい! お互い落ち着いて!」
この事態に我先にと動いたのはマチダであった。
両者の間に割って入る。
「姫様の言う事も解りますが、タムラのアニキの言っている事も尤もだと思うんですよ」
やんわりと現状の整理を促す。
それに対してシャルロットは
「わかっているわよ!」
ぶっきら棒に言い放ち、そっぽを向く。どうやら気恥ずかしかった様だ。
そしてタムラも同様に視線を外していた。
応接室は、一瞬の静寂に覆われる。
誰もが言葉を発せず、この困難な条件をクリアできるヒントを頭の中で組み立てる。だが、現状を打破するアイデアを生み出す事は誰にも出来なかった。
その中で、一人窓の外を眺めていたシャルロットが口を開いた。
「現状打破も必要だけど、もう一つ現状確認がいるわ。タムラ、あの娘を連れて来てくれる?」
しっかりとタムラの目を見て言葉を示す
「あの娘? 誰だそりゃ?」
いきなりの言葉に、タムラはイラ付きを顕にする。
方やシャルロットは落ち着きを取り戻す様に紅茶を口に含み喉を濡らすと
「水車小屋の娘、確か……マリアベルだったかしら」
少女の名を口にした。
一体マリアベルに何の用があるのだろうか?
タムラは一瞬そう思ったが、シャルロットの瞳を見て考えを捨てる。
それほどにシャルロットの瞳は真剣だった。
「分かった。すぐ行って来る」
そう言い残し、急ぎ領主館を後にした。
そして、タムラが件の少女、マリアベルを連れ戻って来るまでにそう時間は掛からなかった。
「あ、あの……わたし」
いきなり領主館に連れてこられたマリアベルは、明らかに動揺していた。それを察しシャルロットは笑みを湛えて言葉を紡ぐ。
「お久しぶり、マリアベル。わたしが領主のシャルロット・デュ・カーディナルよ」
「え? 領主、様?」
「ええ。今日はあなたに聞きたい事があるの」
「わ、わたしにですか?」
脅えを前面に出した様に、マリアベルは答える。
だがシャルロットは、そんな事は織り込み済みとでも言う様に、淡々と話を進める。
「マリアベル。これに見覚えはあるかしら?」
言葉と共に、奴隷売買誓約書をテーブルの上に開示する。
それを目の前にしたマリアベルは、恥じる様に瞳を閉じ、その擦り切れ汚れたたワンピースを両手で硬く握り
「わ、私、その、文字が……読めなくて」
やっとの事でそれだけを口にした。
しかし、シャルロットの態度は変わらない。何の感情も表さない、まるで機械仕掛けの人形の如く言葉を紡ぐ。
「では質問を変えるわ。あなた、今の仕事、水車小屋で働く際、何かの書類に判を押さなかった?」
シャルロットの言葉に、マリアベルの顔が上がる。
「何か、有ったわね」
「は、はい。しゅ、守秘義務を守ると言う誓約書に、指で判を……」
「守秘義務?」
タムラがポツリと言葉を漏らす。
「は、はい。何でも、小麦の量は、その商人さんの秘密で、それが他の商人さんに知られると、その商人さんの全財産がばれてしまうので、水車小屋で粉引きをする子は、その守秘義務の用紙に指で判を……」
「そう。でもあなたは、文字が読めないわ。どうやって書類の内容を確認したのかしら?」
シャルロットの問いかけに、マリアベルは一瞬肩を震わせるが、意を決した様に口を開いた。
「あ、あの。ギルドの方が代わりに読んでくれて……」
マリアベルの言葉で、場の全員が理解する。やはり、ギルド全てがグルなのだと。
世界説明
奴隷商は、国に許可を得る必要がある
そして、徴税請負い人としての一面もある職業である




