商業ギルド
カーディナルの地に夕日が沈む。茜色を射した空は、徐々に群青の色へと変わって行く。そんな、人々が活動から休みの時間へと変化する時合、シャルロットの執務室にノックの音が響く。
「どうぞ」
何時もの様に、明るい声で入室を許可する。そして、ドアを開け入って来た者は、約束通りの男だった。
「姫様、マチダ御言葉通り参上致しました」
ゆっくりと腰を折り、決して失礼の無い様に気を使いながら名乗りを上げる。
その生真面目な態度にシャルロットはクスリと笑みを漏らし言葉を掛けた。
「そんなに緊張しなくても良いわよ。ただの小娘の前でしょ」
シャルロットはそう言うが、マチダに取っては自身の親と同じ座布団に座る人物なのだ。緊張するなと言う方が間違っている。
「まだ少し時間が早いわね。マチダ、朝の事もう一度聞かせてくれる?」
情報の精査の為に、シャルロットは再びの報告をマチダに求めた。
マチダは、執務室のソファーに深く腰掛けた後、口を開く。
「はい。昨夜、宿屋の盛り場に出向きまして、顔見知りの行商人に声を掛けアイオン、ヴァスカビルの噂を探りました」
「そう」
「知っていた人数は多くはありませんでしたが、やはり二つの領内でも、子供が行方不明になったと言う話が出ていたそうです」
マチダの言葉に、シャルロットは眉を八の字にし、疑問を顕にする。
「行方不明…………ホントに?」
「いや、行方不明、と言うのは大げさですね。俺の印象です。実際には、顔を見せなくなったので心配している、と言う話です」
「うん、そうよね。そこはタムラ達の報告と合致するわね」
「はい。昼にアニキ達と擦り合わせをしましたが、姫様の仰る通りです」
ここで一旦言葉を止め、シャルロットは窓の外へと視線を向ける。そこは、すでに日が落ち、闇が支配する世界であった。
「頃合いね。出かけましょうか」
「はい」
言葉を交わし、二人は執務室を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ヴァネッサの操る馬車は、静に街の路地に停車する。
イレーネはすぐに御者席を降り、馬の顔を撫で呼吸を落ち着かせた。
それと同時にヴァネッサが馬車の扉を開ける。
「姫様、到着いたしました」
言葉と共に小さく頭を下げる。
「ありがと、ヴァネッサ」
「ありがとう御座います」
感謝の言葉と共に、車内から二人の人物が音を立てない様に静かに顔を出した。
その人物とは、シャルロットとマチダである。
二人は少しだけ歩き、T字路となっている路地から僅かに顔を覗かせる。視線の先には、光が漏れる建物があった。
「あれがそうなの?」
「はい。光が漏れている建物が、商業ギルドの建物です」
「どうやって侵入する?」
シャルロットの問いかけに、マチダは少しだけ沈黙し
「裏に緊急用の出入口があります。そこは事務所がある二階に繋がっていますので、そこから」
「施錠は?」
「そこは俺が」
怪しげな笑みを湛えながら、マチダは問題無いと言う。
一方そのマチダからも、疑問の声が上がる。
「姫様、どうやって近付きますか? それに、捜索中の音も――」
下に居る宿直の者に気付かれはしないか? そう言葉を続けようとした。
しかし、それはシャルロットの黒い微笑みで止められる。
首を傾げるマチダだが、それを意にも解せずシャルロットは艶やかな唇を開いた。
「ニトクリス、来なさい」
シャルロットが言葉を紡いだ瞬間、空間から淡い桜色の球体が現れ、シャルロットの胸に吸い込まれて行った。
それと同時に、その愛らしい耳に水晶の様な多角形をトップとするイヤリングが出現する。イヤリングは、発光体と同じ淡い桜色をしていた。
シャルロットは左のイヤリングを軽く弾き
「空間閉鎖。除外者固定。対象者マチダ。ニトクリス、やりなさい」
粛々と何かに命令を下した。
瞬間、マチダの視界がグニャリと歪む。だが、その歪みは一瞬の事で、すぐに歪みは収まった。
しかし、驚きは別にあった。
自分とシャルロットを除く、世界の全てが色を失っていたのだ。全てが灰色で塗りつぶされていたのだった。
「こ、これは…………魔道の力、ですか?」
驚きからか、声を詰まらせながら、マチダは何とか言葉を絞り出した。それに対して、シャルロットは何でも無いと言わんばかりに正解を口にする。
「そうよ。この子の、ニトクリスの力。認識阻害と結界の構築。そして、幻影の供覧。それがニトクリスの使う魔道。今、私達は誰からも認識されてはいない。むろん、結界によって音も遮断されているわ。さあ、行きましょうか」
そう言って、まるで散歩に出かける様な足取りでシャルロットはギルドの裏口へと歩き出した。
音が漏れないと言っても、心情的には隠密行動であるために、二人は慎重にギルド本部の裏口に立つ。そして、裏に備え付けられた剥き出しの階段を上る。
目の前に現れたドアは、やはりと言うか、案の定施錠されていた。
大きめの南京錠で止められたドアを前に、マチダの頬が緩む。そして、懐から布に包まれた何かを取り出す。
興味深げにシャルロットが覗きこむ。
布の拘束が解かれ、姿を現した物は、数本の細い先端が鉤状になった棒である。
マチダは一度シャルロットへと振り向き、視線を合わせると再び南京錠と向き合う。
南京錠の下側。その鍵穴に棒の一本を差し込み上下させる。そして、何か手ごたえがあったのか、二本目を差し込みぐるりと回す。
それを合図に南京錠は硬い口を開けた。
これにはシャルロットもポカンと口を開けざるを得ない。その表情が楽しかったのか、マチダは僅かに表情を緩め口を開く。
「さあ、姫様」
「う、うん」
ドアを開けシャルロット達が足を踏み入れた先は廊下であった。
幾つかの扉が見える。
その中で、事務所、と書かれたドアを抜ける。
その部屋には、幾つもの机と椅子が、そして机の上に置かれた大量の羊皮紙達。
シャルロットは、部屋の中央へと行こうとするマチダを手で制止しイヤリングを弾いた。
「ニトクリス、範囲拡大、大きさはこの部屋全部」
言ってシャルロットは満足げに頷いた。しかし、マチダの目には何も変わっていない様に見えた。
「さあ、マチダ! バリバリ片付けるわよ!」
そんな不思議そうな表情のマチダを無視するかの如く、シャルロットは机の上をひっくり返し始める。
こうなったらやる他選択肢は無い。
マチダは諦めた様に、シャルロットと同様に羊皮紙を手に取った。
時間ばかりが過ぎ、不発に終わるかも、と言う思いが頭にチラつき始めた頃、マチダから声が掛る。
「姫様、これを」
言われ、マチダが手に持つ羊皮紙を受け取る。
書き損じと思われる羊皮紙。そこに書かれた文言は?
「なになに? ザックとイシュバールの買い取り要請書? なにこれ?」
シャルロットは首を傾げる。
「ザックとイシュバールは、街の東と西に陣取っていた野党の頭だった奴ですよ」
マチダが補足を入れる。
「じゃあ何? みかじめ料の取り立ても、ギルド絡みだったって事?」
「ええ。そして資金はコーネリア商会へと」
「それで。下手な人間に買われ、裏の情報が出るのを恐れての買い取り依頼ねぇ。バッカじゃ無いの! 盗人猛々しいとは此の事よ」
プンプンと怒りを顕わにしながら、その書類を持参した鞄に詰め込む。
その時、シャルロットの瞳に妙な物が映る。
机の下だ。
今は夜であり、暗いのは当たり前だ。そして、暗かろうが明るかろうが当然机の下は影が出来る。
しかし、暗すぎるのだ。
一つの机の下だけが異常に暗い。いや、黒かった。
「マチダ」
シャルロットが声を掛ける。
言葉を受け取ったマチダも、視線を手繰り同様の位置を見つめる。
そして、椅子を移動させるとそれは現れた。
机の下には、隠す様に、いや、実際に金庫が隠されていたのだ。
「開けられる?」
問うシャルロットに対し、当然とマチダは金庫に手を伸ばす。
小さなショットグラスの様な物から延びる管を両耳に当て、グラスを金庫に密着させる。
そして、ダイヤルを回し始めた。右に、左に、また右に。数回繰り返された動作は、金庫の持ち手を捻る事で終わりを告げる。
その中にあった物は?
何かの革に包まれた十枚程の羊皮紙。
シャルロット、マチダはそれに目を通して行く。
そして、その表情は硬く変化して行った。
「あたり、みたいね」
「ええ。ですが……」
「そうね。ですが、よね」
この言葉を最後に、二人はギルドを後にした。




