盃
「あなた達が、身体を張ればいいのよぉ」
「お、お嬢! あんた何言ってんだ?!」
槐の言葉に、タムラは疑問を呈する。だが、当の槐は涼しい物だ。
「だってぇ、お金は払えないんでしょう。それなら、労働で払うしかないじゃなーい」
「それは、そうかもしれませんが――」
まっとうな言葉に、ヒムロであっても言葉を失う。
ヒムロを一先ず黙らせた槐は、改めてシャルロットへと視線を向ける。
「えーとぉ、シャルロットちゃん、だったかしらぁ?」
「ええ」
「あなたはぁ、領主館の関係者、で良いのよねぇ?」
「ええ、そうよ」
槐の問いかけに、シャルロットは笑顔で答える。実際には関係者どころか、領主その人なのだが、嘘は言ってはいない。
「そう。あなたの様なぁ、小さな女の子が徴税人の代わりをしているって事はぁ、領主館は人材不足って事でいいかしらぁ?」
「その通りよ。領主が変わったばかりでねぇ」
「そこなんだけどぉ……」
「そこ?」
槐の言葉に、シャルロットは首を傾げる。
話が見えてこない、と。
「コイツらを雇って貰えないかしらぁ」
そう言ってタムラを親指で指し示す。
「お、俺ですかぁ!?」
「そうよぉ。あなた以下の博徒達全員」
「ほんで? 槐、コイツらに何させる気や」
槐とタムラの会話に、サカモトが低い声で割りこんだ。槐はニッコリとほほ笑むと、持論を開示する。
「私達の得意分野でぇ、協力するのよぉ」
「「得意分野?」」
タムラとヒムロの声が重なる。
「しかしのぅ、槐。わしらの得意分野言うたら、荒事やで」
「そうよぉ。あ・ら・ご・と。あなた達は…………憲兵をやりなさいなぁ」
「「憲兵!」」
場の全員が驚きの声を上げた。無論、シャルロットとイレーネもだ。
「ちょ、ちょっと待って下さい、お嬢。じゃ、じゃあ、何ですか? 俺達に、捕まる側から、捕まえる側へと鞍替えしろと?」
「そうよぉ」
タムラの抗議に、槐は柳の葉の様に言葉を返す。
それと同時に、艶を秘めた表情は邪悪に変わる。
「犯罪者が一番知ってるじゃなーい。犯罪者の手口を。その捕まえ方を。ねぇ」
そう言って槐の視線はサカモトへ。
話を投げられたサカモトは、うつむき目を閉じると
「そうやな。わしらが一番知っとるやろうな。そう言うこった。シャルロットはん」
「は、はい?」
「この提案、領主様に伝えてくれるか?」
サカモトの言葉に、シャルロットはすぐに答える事が出来なかった。
無頼の輩を憲兵として雇う。
それは一先ず良しとする。
腕が立つ事はなんとなく分かる。
だが、一番の懸案は彼らが信用に足る人物かどうかだった。
そして、二番目の懸案は、彼らが自分に従うか否かだ。
「考慮しましょう。答えは後日に」
シャルロットは一時保留に留める。
「ほな、この場は解散やな」
「そうね」
サカモトとシャルロットの言葉で、場は解散となる。
皆が去った広間には、サカモト、槐、そしてヒムロが残っていた。
「槐。お前知っとったんか?」
「何がぁ?」
低い声でサカモトは問うが、槐はやはり涼しい物。
「何がやあらへん。あの嬢ちゃんが領主様やと言う事や」
「え? オ、オヤジ?」
「何や、ヒムロは知らんかったんか」
シャルロットの正体を知らなかったヒムロの態度を楽しむ様に、サカモトは問いかけた。
「は、はい。オヤジやお嬢はどこで?」
尤もな質問だ。
サカモトは僅かに表情を崩し、槐はその美貌に半月を貼り付けこう告げた。
"先日のお馬鹿さん一掃事件の折"
「あ、あの馬鹿騒ぎを見に行ったんですか!?」
「おう。まさか槐まで見に行ってるとは知らなんだがの」
ヒムロは頭を抱える。
「巻き込まれたらどうするんですか!」
正論だった。
一歩間違えれば、槐はともかく、サカモトは捕縛されていただろう。
どんな言い訳をしても、一瞬で嘘と断罪されながら。
しかし、サカモトは笑うだけで答えはしなかった。
代わりに新たな議題を提示する。
「そんでや。お前らとしてはどうや?」
「どうって、憲兵の件ですか?」
「おお」
ヒムロは僅かに黙りこみ考えをまとめる。
「……やれと言われればやりますが」
「何や、歯切れが悪いのう」
サカモトの問いにヒムロは口を噤むが、観念したのか本音を口にする。
「俺は良いのですが、リュウト達がオヤジ以外の人に従うとは……」
「そうやのう。ほんなら、手を打っとくか。わし自身もあの嬢ちゃんの威勢の良さは気に入ったからのう」
「そうねぇ。パパの好きそうな娘よねぇ、シャルロットちゃんって」
そう言ってサカモト、槐の親子は意地の悪い笑みを漏らした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
サカモト達との邂逅から三日、シャルロットは何時もと同様に事務仕事に追われていたが、その執務室のドアがノックされた。
「どうぞー」
シャルロットの呑気な言葉に呼応して、扉を開けたのはイレーネであった。
「どうしたの? ごはん……には早いわね」
「はい。姫様にお客様です」
シャルロットの的外れな言葉にも、イレーネは行儀正しく対処する。出来たメイドである。
「お客? わたしに?」
「はい。領主様に会いたいと」
「だれが? 知ってる人?」
「はい。よーく」
イレーネの言葉は的を得ないが、客が来たのなら会わねばならない。
シャルロットは良い領主様なのだ。
シャルロットは重い腰を上げ、応接室へと足を向ける。
そして、ドアを開けた室内にソイツはいた。
「おーう。まっとったで」
厳つい顔に笑顔を浮かべたサカモトが。
「も、もっさん!?」
「おう、元気でやっとるか、嬢ちゃん」
何事も無いかの様に、普通に挨拶をするサカモトに、シャルロットは一つ舌打ちを漏らしながらも対面のソファーに腰を降ろす。
「それで、何の用なの」
「そっけないのう。先日の件や。どうなっとるかのう」
「先日? ああ、憲兵の?」
「そうや」
サカモトは身を乗り出し、興味深げに問いかける。
だが、シャルロットの方はと言うと、僅かに顔をしかめる。
「良い提案だとは思うんだけど……問題もあるのよね」
「問題?」
今度はサカモトが顔をしかめる。
「タムラ達が、わたしに従うかどうかよ」
言いながらシャルロットは盛大に溜息を吐いた。
だが、サカモトは、そんな事は織り込み済みであると笑顔を見せる。
そして、持参した物をテーブルに置いた。
それは、透明な液体が入ったボトルである。
「何よ、コレ」
目を細め、シャルロットが問う。
「おう、これか? ホントは酒でやるもんなんやけどなー、嬢ちゃんに飲ませる訳にも行かんやろ?」
「まあね」
「せやから、これは水や」
「ふーん」
相槌を打つシャルロットだが、サカモトが何をしようとしているのかまでは見抜けない。
黙って見つめていると、サカモトが胸元から紙に包まれた何かを取り出しテーブルに置く。
「それは?」
問いかけるシャルロットに、サカモトは紙を開く事で答えとする。
姿を現したソレは、シャルロットから見ると只の皿に見えた。小さな皿である。
「これはのう、東方で杯と呼ばれとる物や」
「……杯」
呟く様にシャルロットは皿の名を口にする。
サカモトはその鈴の鳴る様な声を聞きながら、ボトルの水を盃に移す。
「ほな嬢ちゃん、盃の水を半分飲んでくれんか」
「半分?」
「せや。何やったら、わしが先に飲んでもええで」
意味が解らない。
悪意ある行動では無いのは解るのだが、行為の意味が解らない。
シャルロットは決意を決め、サカモトの言葉通りに盃の水を半分飲みこんだ。
そして、その杯は手を出して来たサカモトの手に渡す。
サカモトは残った水を躊躇無く飲み干す。
そして
「これで大丈夫や。兄妹の心配は、杞憂に終わるで」
「え? 兄妹?」
何が何だか解らない。
考えが顔に出て、変顔を繰り返すシャルロットに、サカモトは笑いながらある提案をする。
外に出て見ようか、と。
答えが解るならば、とシャルロットは承諾する。
ドアを開けると、そこにはヴァネッサとイレーネの姿があった。どうやら、何かあったらすぐに飛び込める様に待機していた様だ。
短い時間での退室に、不審がりながらヴァネッサが問うが、シャルロットは首を横に振るに留まる。実際に説明出来ないのだ。
サカモト、シャルロット、ヴァネッサ、イレーネと大所帯になった一行は、領主館の外へと歩み出る。
そして、正門の外には…………サカモト一家の顔ぶれがあった。
ヒムロ、タムラ、サイトウ、シブヤ、様々な顔が。
サカモトは一家の連中の顔をぐるりと見渡すと
「終わったで」
一言だけ告げる。
「そ、それでオヤジ、首尾は?」
ヒムロが代表する様に口を開いた。
その言葉を受け、サカモトは笑顔を浮かべると
「上々や。挨拶せえ」
そう言って半歩身体を横にずらす。
その行動によって、シャルロットは一家の正面に立つ事になった。
全員がシャルロットを視界に納める。
その瞬間、膝に手を付き腰を折ると
「「よろしくお願いします、姐さん!」」
言葉と共に一斉に頭を下げたのだ。
そしてこの瞬間、シャルロットに意味不明な肩書が追加されたのだった。