槐
「ほんで? お嬢ちゃん……シャルロットやな。何の用やろうか?」
無頼の大将、サカモトは、静かに告げた。普通の庶民であったならば、この一声で竦み上がり視線を外していた事だろう。
だが、シャルロットは物怖じせずハッキリと用件を口にした。
「お金を下さい!」
それはもう元気一杯で。
「はあ? あんさんは何を言うてますんや」
「ますんやも何も、言った通りよ! お金を下さい!」
シャルロットの言葉に、サカモトは目を瞑り僅かに考えると、再び口を開く。
「つまりはな? お嬢ちゃんは、わしに小遣いをせびりに来たっちゅう訳やな」
自分なりの結論を提示した。
次の瞬間、シャルロットの手がテーブルを叩く。
「そんな訳があるかー! つべこべ言わずに、金出せやー!」
シャルロットの感情がヒートアップして行く。
「嬢ちゃん。わしらを甘もう見とると、痛い目に合うで」
サカモトが睨みを利かせる。
だが、感情爆発中のシャルロットに、そんな脅しは通用しない。正に、火に油を注ぐ様な物だ。
「見せられる物なら、見せてみなさいよ! お返しに、ここら一体焦土にするわよ!」
口喧嘩が熱を上げて行く。
一体何故こうなったのか、ヒムロもタムラも口出し出来ずにいた。
しかし、ここには空気を全く読まない者が一人だけ居た。
世界の全ての事象よりも、たった一人の少女を優先する者が。
「姫様。姫様。ひーめっさま!」
声に引かれて、シャルロットは後を振り向く。
そこには、ちょこんと手を上げたイレーネが居た
「なに? 今忙しいんだけど」
「はい。なかなかの啖呵。イレーネは聴き惚れました。しかし姫様」
「なによ」
「私が口を挟むのも失礼かと思いますが」
「なに? 早く言いなさいよ」
「はい。姫様は、お金が何かを説明しておりません。姫様の言い方ですと、追剥か恐喝です」
シャルロットの表情が固まる。言われてみればその通り。何と言う失念。シャルロットは大いに自分を恥じた。
だが、シャルロットは強い娘だ。そう、後を振り向かず進むのだ。
シャルロットはコホンと咳を一つすると、畳に座り直し
「税金を払いなさい」
改めて宣言するのだった。
「「はあ?」」
無頼の男達の声が重なる。
「ちょっと待ちいな。ほな何でっか、嬢ちゃんはわしらに税金の催促に来たと」
「そうよ! 払いなさい!」
サカモトの問いに、シャルロットは自信満々に答える。
だが、サカモトの表情は複雑だ。
「しかしのう嬢ちゃん。わしらは無頼の徒やで。そんな連中が、税をきっちり納めとるなんぞ、聞いた事がおまへんで」
確かにその通りである。
賊や博打を旨とする裏の者達が、きっちり税を申告しているなど聞いた事が無い。
だが、シャルロットも引き下がる事は出来ない。
なぜならば、貧乏だからである。
「聞いた事が有ろうが無かろうが、払いなさい。払わないのなら、差し押さえします。全て、全部、一切合財」
「ほーう。おもろいやないかい。わしら相手に喧嘩売るちゅうことやな」
「喧嘩? バカ言いなさいよ。わたし達がするのは………………蹂躙よ!」
言葉と共に、再びシャルロットの手は机を叩いた。
シャルロットとサカモト。その視線が三度重なり合う。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。オヤジもお嬢さんも落ち着いて」
火急の事態にヒムロが動く。
「オヤジ。お嬢さんの言う事も、一理あると思うんですが」
「何やヒムロ。お前はお嬢さんの味方か?」
「い、いえ。そう言う訳では無いです。只、俺達は、此処に居を構えている訳ですし、街の皆さんとの関係を考えれば、税を払わないと言う訳にも行かないかと」
「ま、まあ、そうやな」
ヒムロの正論に、サカモトは渋々理解を示す。
だが、無頼の徒として、引けないのも事実。
「しかしのぅ、ヒムロ。わしらは、舐められたら終いやぞ」
尤もな言葉であった。
「お嬢さん。いや、シャルロットさんでしたか? 何とか折り合いを付ける事は出来ませんか?」
「おり合いって…………税を安くしろとか? それは無理よ。街の人達みたいに、明確な理由でもあれば別だけど」
「ほう。明確な理由かいな?」
シャルロットの言った理由と言う言葉に、サカモトが食いついて来る。そこに、何か突破口があるかの様に。
「シャルロットさん。その明確な理由と言うヤツを、教えては頂けませんか?」
ヒムロの問いに、シャルロットは渋々ながら、先のお馬鹿さん達との経緯を説明した。
「ほう。そんな事があったんかい」
サカモトは天井を見つめながらそう呟いた。
しかし、これは真っ赤な嘘である事は、誰の目にも解る。
あれだけの騒ぎであったのだ、知らないはずが無いのである。
「……白々しい」
ポツリとシャルロットが呟く。
だが、相手は無頼の徒。幾つもの修羅場を渡って来た者なのだ。
「何言うてますのん。わしは何にも知りまへんで」
言いながら、サカモトは万弁の笑みを浮かべる。
「ほんっとに。好い加減にしないと怒るわよ。もっさん」
「はあ? もっさんってのは、わしの事か? 嬢ちゃん」
「そうよ! サカモトのおっさん。略してもっさん!」
「……ほう」
四度視線が交錯する。
その瞬間、テーブルが大きな音を立てる。
ヒムロが、その掌で叩いたのだ。
「好い加減にして下さい! オヤジも何ですか! 小さな女の子と同じ目線で喧嘩して! あなたもあなただ! 目上の人に対する礼儀と言う物があるでしょうに!」
「お、おう」
「ごめんなさい。……ほら、もっさんも謝りなさいよ」
「うん? わしもか?」
「そうよ!」
「申し訳無い」
言ってサカモトは頭を下げる。
しかし、この行動に戸惑うのはヒムロ。
慌てて身を乗り出すと
「ちょ、止めて下さいよオヤジ。そんな事をされたら困りますよ」
やんわりと止める様に言葉を綴る。
しかし、相手が悪かった。
いじめっこ気質のシャルロットに、子供と本気の口喧嘩を繰り返すおっさん。有る意味、二人は似た者同士なのであった。だからこそ、おもちゃが目の前に有るのならば、徹底的に遊ぶのだ。
シャルロットは姿勢を正し、書物で学んだ和の国の謝罪を試みる。
「ご迷惑をかけ、深く反省しております」
言葉と共に、頭を下げる。
いわゆる土下座と言う物だ。
そして、これに同調するのが大人子供のサカモトである。
「わしも調子に乗り過ぎてもうた。ヒムロ、すまん」
言って同様の姿勢で頭を下げる。
しかし、こんな事をされて、一番困るのが生真面目なヒムロなのである。
「止めてくださいよ、オヤジもシャルロットさんも! どうか頭を上げてください!」
必死に懇願するが、二人の頭は上がらない。
「リュウトもあなたも止めて下さいよ!」
ヒムロは自分の限界を知り、タムラとイレーネに助けを求める。
だが、この行為は失敗に終わる。
「はあ? いいんじゃねぇか? オヤジが謝りてぇって言うんだから」
「はぁ。謝罪する姫様……かわいい」
タムラは無責任な発言をし、イレーネはシャルロットに見惚れていた。
つまりは、今この部屋の中で常識人は、ヒムロ一人のみなのである。
だが、天は真面目なヒムロを見捨て無かった。
非常識な面々が遊びを繰り広げる中、おもむろに障子が引かれ、新たな人物が顔を出す。
「なぁに騒いでんのよぉ。おちおちお酒も飲んでられないじゃなぁい」
年齢は二十代半ば、ヴァネッサやイレーネと同じくらいだろうか。
艶やかな茶色の髪に、はちきれんばかりの色香を纏った体つき。それを東方の浴衣と言う衣装で包みこんでいる。
そして、一番の特徴は、頭頂部から延びる三角を形作る耳と、油の乗った臀部から下がる膨らんだ尻尾が揺れる。月狐族、と呼ばれる狐の様な特徴を持つ種族の女性である。
愚痴をこぼしながら座敷に足を踏み入れた月狐族の女性は、目の前で展開される光景に目を見張る。
「何をやっているのかしら? パパァ」
「パパァ?!」
シャルロットが勢い良く頭を上げる。
そして、その視界に映る物は……
「おっぱいだ!」
ヴァネッサと同等か、それよりも大きいおっぱいの姿が。
「あらぁ?」
「おっぱいがしゃべった!」
「おっぱい、おっぱい、失礼ねぇ」
言葉とは裏腹に、月狐族の女性の表情は穏やかだった。
この言葉で僅かに正気に戻ったのか、シャルロットは顔を上げ女性の姿を瞳に映す。
「あれ? だれ?」
「こんにちはぁ」
シャルロットの間抜けな言葉に、女性は気にするでも無く挨拶の言葉を口にした。
「あっ! あの、こんにちは」
慌ててシャルロットも挨拶を返す。
同時に、穏やかな空気が流れる。
しかし、謎は残ったままだが。
「お姉さんは誰? もっさんの愛人さん? amant?」
「ひ、姫様!」
シャルロットの大胆な発言に、イレーネが注意を促す。
だが、女性の反応は思いもよらぬ物であった。
「愛人? 私が? あははっ、面白い事を言う娘ねぇ」
女性はケラケラと楽しそうな笑い声を上げる。
このほんわかとした空間に、ドスの利いた低い声が割り込んだ。
「コイツは槐。わしの娘や」
「「娘!」」
シャルロットとイレーネの声が重なる。
「おう」
その驚きも、サカモトは一声で払拭させる。
しかし、そこは年頃の娘さん達。面白そうな事には、興味津々なのだ。
「うそよ!」
「嘘ですよ」
「「こんな怖い顔から、こんな美人が? ねぇー」」
シャルロットとイレーネは顔を見合わせ断言する。
その瞬間、タムラが補足を入れる様に口を開いた。
「まぁな。槐のお嬢は、養子だしよ、顔は似てねぇわな」
「そうねぇ。良かったわよぉ、養子でぇ。ねぇ、パパァ」
言葉を受けた槐も、同意の旨を告げる。
しかし、それと同時に注意喚起の声も。
「お、おい! お嬢さんもリュウトも、それぐらいにしておけ!」
「「?」」
槐とタムラの首が横に傾く。
ヒムロが何を言っているのかが解らないと。
それを感じ取ったヒムロは、顎を僅かにしゃくる。
その方向には………………もの凄く落ち込んだサカモトがいた。
「わ、私ぁ、パパに拾われて良かったわよぉ!」
「そ、そうですよ、オヤジ! お嬢、幸せそうじゃないですか!」
「おお。……そうか」
少し機嫌が持ち直した様だ。
「それでぇ、何を話していたのぉ?」
場に突如乱入し、話が見えて無い槐が問う。
「おお、それかぁ。あんな、このお嬢ちゃんが、税を払えいうてな……」
「払えばいいじゃない」
サカモトの説明に、槐がバッサリと答えを出す。
「払ってええんかのう」
「払わなきゃだめでしょうぅ。パパァ」
うーむとサカモトは頭を抱える。
「何か問題でもぉ?」
事情を知らない槐は、さらにサカモトを追い詰める発言を口にする。
「いやの、わしらの様な無頼の者が、税を払うっちゅうのも面子的にのう」
「ああ、そう言うことぉ。それなら簡単よぉ」
「お嬢、何か案が?!」
槐の言葉に、ヒムロは身を乗り出す。
「ええ。あなた達が、身体を張ればいいのよぉ」




