跳躍少女は、東京の空にとびらを見つける。
新品のスニーカーを空に向かって放り投げた。
赤いナイキの一足だ。水色の中に放たれた彼は、太陽の光を一気に浴びて光りかがやく。
東京の下町に、広大な夏の青空が広がっている。このマンションは六階建てだったか、七階建てだったか、とにかくこの屋上からは、ずっと遠くまで見渡せる。彼女は落ちてきたスニーカーを両手で受け止めた。
うん、今日は飛べる。
彼女は風を受ける。
大きくて分厚くて、生暖かい風を受ける。
青い葉っぱのにおいと、焼けたアスファルトのにおいが半々くらいの割合で混じっている。
スニーカーの紐をぎゅっと強く結ぶ。
大きめのパーカーをぴっと伸ばして、彼女は屋上のフェンスに足をかける。
彼女は風を受ける。さっきよりも強い風を、さっきよりも高い場所で、風を受ける。
スニーカーは風をける。
二回、三回と風をけっていくと、町はぐんぐん遠のく。
四回、五回とけっていくと、ずっとしたの方に、遠のく。
町と雲のちょうど真ん中で、彼女は思いっきり両手を広げた。
こうして空気の流れに身を任せているとき、彼女の悩みは全部逃げだしていく。いっせいに、彼女の中から逃げだしていく。ふだんの生活で関わっている、家族も学校の同級生も、そのほか出会ってきた大勢の顔も、ぜんぶぜんぶ、彼女よりしたの世界に生きている。
はいつくばって、生きている。
彼女は笑った。
こんどは両手をパーカーのポケットにぎゅっと突っ込む。
そのまま両足でプロペラのように回ってみる。
髪の毛が吹き乱れて、顔にまとわりつく。
それでも回る。彼女が回ると、空も回る。町も回る。
高いところの風はつめたかった。顔に吹きつけて、涙がでる。
彼女は一点を見つめて、叫んだ。
「言われたとおり! わたしはここにきた! 風を蹴ってきた!」
大きな透明のとびらが、音もたてずに開き始めた。
空の色であり、風の色であり、太陽の色をしているとびらが、開き始めた。
「今行く」
唐突に彼女は空に消える。
とびらはしまっており、しばらくのあいだ開くことはない。
東京の下町には、広大な夏の青空が広がっている。