誘拐の後
7
次に目を覚ますと、いつもの自宅のベッドだった。
ほっとする。
やっぱりあの時、お父様が助けに来でくださったのだろう。
そろそろと起き上がる。
ちょっとだるいのは寝過ぎかな。
最初にクリスを助けようとした時に蹴り飛ばされて打ちつけた顎は、床にすれて傷になってたみたいで、ガーゼが当たっているが、ほかに特に痛いところはない。
私ってば丈夫!
日が高いようなので、両親は店か工房だろう。とりあえずクリスかヨハンを探そう。
だが立とうとして、足がもつれた。
ベッドのすぐ横にへたりこんでしまった態だ。
元気は元気だけど、お腹はペコペコだし、まだあまり身体に力が入らないようだ。
「お姉ちゃん!」
クリスが部屋に飛び込んで来た。
かけよってきて、ぎゅっと抱きしめられる。弾力のある柔らかい身体。
温かい。
少し鼻の奥がツーンとする。
クリスが無事で本当に良かった。
「クリス」
やんわりと身体を離して、頬に手を滑らせる。やっぱり目の周りは少し青くなってるが、それほどではない。
「痛い?」
「大丈夫。あの後、すぐ冷やしてもらえたから。ちょうど水魔法を使う人がいて、お父様のハンカチを濡らしてくれたの。お父様が助けに来たの、覚えてる?」
「なんとなく。自警団を引き連れて来てくれたの?」
「うん。たぶん」
「私、どのくらい寝てたの?」
「3日くらいだよ」
通りでお腹が空いてるわけだ。
「お姉ちゃん、立てそう?」
「無理」
「じゃあ、僕、ヨセフ、呼んでくるね」
パタパタと小さな足音が遠ざかる。
それから、ヨセフがベッドに座り直させてくれて、オートミールを食べさせられた。
もっと、がっつりしたものがいいと主張したのに「胃がびっくりしてしまいますよ」と押し切られた。むむむ。
そうこうしてるうちに、お父様とお母様が来て、ぎゅーっと抱きしめられた。
「無事で良かった」
「お願いだから、もう、子供達だけで出歩かないでね」
涙目のお母様に言われたら、頷くしかなかった。
「心配かけてごめんなさい」
本当は少しだけ、この前は運が悪かっただけという思いもあったのだけど。
お父様に火の魔法が使えたことを報告して、ご先祖様の名前を聞いたら、ドローレス様だった。ドロシー様じゃなかった。
改めて、ドローレス様、感謝します。
翌朝、今度は、ちゃんと自分で起きられて、普通に朝食をいただいた。
ところが、食事の終わりに、お父様が爆弾を落とした。
「今日は、王城から使いの方がいらっしゃるから、そのつもりでいるように」
「え?私もクリスもこんな顔だけど」
お城に行ったり、お城から人を迎えたりなんて場合は、華美でなくても精一杯、身繕いするものかと思ってた。
「この前の誘拐のことと、魔法に関する今後のことの説明で、魔法庁のカールさんがいらっしゃる。あまり構えなくて大丈夫だろう」
ハゲの……もとい、ヒゲのカールさんか。まあ、どっちにしても傷がすぐに治るものでもなし、仕方ない。
ほどなくして、カールさんが現れた。今日は、ローブでもなく、普通にかしこまった服を着ている。シャツも衿つきの上品なものだ。
一通り、お見舞いの言葉を受け、浅慮に対する反省を述べる。いやもう、本当にごめんなさい。
誘拐犯については、王都を根城にしていた組織らしかった。富裕層の子らを狙って、身代金を要求し受け取り後、子供達は、他国に売り払う。
これまで、剣を習い始めの幼い6歳頃の男の子が狙われることが多かったらしい。それなのになんで今回クリスと私の2人かと言えば、私がつけていた髪飾りが目立った為らしかった。あーあ、宣伝もよしわるしかな。
あの場にいた誘拐の実行犯と直接指示をしていたメンバー数人の計10人ほどを捕らえることができたらしい。ただ、組織としては、もう少し大がかりなはずで、少し不安が残る状況らしかった。
それから、私たちの魔法について話した。
中からは、わからなかったクリスの魔法の効果ついても教えてもらった。
小屋からキラキラと淡い虹色をまとった光の柱が立ったらしい。外はすでに暗かったので、淡い光とはいえ、目立った。
それまで死に物狂いで自警団と街を探していたお父様にもよく見えて、すぐ助けに来ることができたそうだ。
そりゃ、誘拐犯達にしたら、たまったものじゃないわ。
クリス、えらい!
しかし、ふと疑問がわく。
「でも、私たち、宝石を持ってなかったの。クリス、宝石を食べずに魔法が出せたの?」
「ちがうの。僕、食いだめできたみたい」
「食いだめ?」
「うん。今朝も食べた」
首をかしげると、カールさんが補足してくれる。
「まだ、詳細は不明なのだが、宝石を食べると、その分が魔法を使うためのエネルギーとして、身体の中に溜められるようなのだよ。あの日は、朝からたくさんの客にキラキラ魔法をかけていて、都度、かけらを食べていたと聞いたので、余りが残っていたのだろう」
お父様も、クリスの頭を撫でながら、口を挟む。
「菓子ではないとはいえ、お客様の前で、物を食べるのは、あまり良いことではなかったから、朗報だな」
そうだろうか。クリスの幸せそうな美味しい〜って顔も、可愛くてお客様に評判だったのだが。
私は、クリスを助けたくて、身体が熱くなって、火の魔法が使えた話をした。
カールさんは頷いた。
「うむ。多くの魔法は、そういう火事場の馬鹿力的に、何かを守りたい、助けたいという思いと共に発現することが多い。もちろん、時には、生まれつきだったり、クリスのようにふとした日常に発現する場合もあるが、それらは珍しいケースですな」
カールさんは、優しい顔になった。
「アリスは、クリスがとても大切なのですな」
「はい!」
私は大きく頷いた。
「それで、魔法で、縄を解いて、クリスをいじめてたやつの腕を燃やして、後は……、外から誘拐犯の仲間がたくさん入って来たから、火で壁を作って、ナイフを溶かして、彼らの髪を燃やしました」
「ハゲ魔法!!お姉ちゃん、かっこよかったの」
クリスが無邪気に付け加えた。
私は目を剥く。
クリス、ふだんの気づかいはどうした?!
ハゲと聞くと、どうしても、カールさんのつるんとした頭に目がいってしまう。
おヒゲ、そうだ。おヒゲを見よう。
だが、予想に反して、カールさんは、深刻な顔をしていた。ハゲはスルーでいいの?
「アリス、縛られていたのは腕と足かな?」
「はい」
「では、失礼して、腕を見せてもらっても?」
よくわからないが、袖をまくって、両腕を差し出した。
腕には、縄が擦れて食い込んだ痕が赤く残っていた。かさぶたになってるところもある。
お父様が渋面を作る。私もあまり意識して見ていなかったが、結構ひどい。
だが、カールさんのポイントは、そこではなかったらしい。
「うーむ」
私の手を離すと、頭を抱えてしまった。
「どうかしましたか?」
お父様が尋ねた。
「アーサー殿、火というのは、熱いものなのです」
うん、知ってる。
深刻な顔で当たり前のことを言うカールさん。
「捕らえた誘拐犯からも、自警団からも報告を受けていましたが、信じがたくて。
通常、火の魔法で、特定のものだけを燃やしたり、その際、火傷をしない、つまり、熱くないというのは、ありえないのです」
「魔法なのにですか?」
「魔法であってもです」
カールさんが居住まいを正した。
小さな燭台とろうそくを取り出す。
「私の火魔法は、本当に微力なのですが」
言いながら、指先に小さな火を灯す。
「一般的な火の魔法の使い手が、ろうそくに火を点そうとして、自分の指先に火を生じさせる。この時、使い手本人は、熱さを感じません。
大丈夫なので、よく見てください。指先といえど、数mm程度の隙間があり、直接触れているわけではないのです。
しかし、この状態でも、第三者がその火に触れれば、火傷します。
クリス、触っちゃダメだよ」
ふらふらと火に手を伸ばしかけるクリスに鋭い一瞥を投げる。私は、慌ててクリスの手を掴んだ。
そして、ろうそくに火を点けて指先からは火が消える。
「ろうそくに火を点けたら、もうそれは、ただのろうそくの火になります。使い手が意識を失っても消えませんし、他に燃え移れば火事になります。
ふふっ。マッチ代わりですな」
カールさんは、燭台を父に向ける。
「アーサー殿、吹いてみてください。そう。このように、ろうそくは、普通に吹き消せますし、火事は水で鎮火できます。
だが、アリスの出した火は、根本的に何かが違うように思います」
しかも、とカールさんは続けた。
「髪くらいならともかく、大の男の腕、肘から先というのは、大変な質量があります。それを燃やし溶かすというのは、反動で3日間寝込んでいたとしても、並大抵の力ではない。8歳の少女にとっては、強過ぎるといっても過言ではないでしょう」
大人2人は、難しい顔で黙り込んだ。
クリスが心配そうに、私の手を握る。私は宥めるように、その手をトントンと撫でた。
カールさんが、私たちの様子を見て、ふっと息を吐いた。
「まあ、とりあえず、ふつうの火魔法を確認してみましょう。アリス、このろうそくに火を点けられるかい?」
カールさんが燭台を示す。
私は目を閉じた。
確かに、意識すれば身体の中に巡る力を感じる。
できるかできないかで言えば、できる。
だけど、--不安だ。
意識すればするほど、力が身体の中で暴れ出すような感じがする。慌てて頭を振り、意識を身体の外に向ける。
「あの……」
恐る恐る提案する。
「庭でもいいでしょうか?なんだか不安で」
ヨハネにバケツに水を用意してもらい、私は、庭で火を出してみることにした。
カールさんには、燭台を持って、少し離れた場所に立ってもらう。お父様とクリスも同様だ。
小さく、小さく。普通の火を小さく。
一生懸命念じながらやってみる。想像するのは、さっきのカールさんの指先。でもふっとかまどの火のイメージが湧く。
「おお?!」
お父様がのぞけった。
私は慌てて火をかき消した。
一瞬出した火は私の頭2つ分くらいの大きさだった。
誰かの息を呑む音がする。
落ち着いて。落ち着いて。
私は深呼吸してやり直す。
かまどはダメ。かまどは違う。
マッチ。そう、マッチの火。
小さく、小さく。普通の火。ろうそくの、マッチの火。
ぼんっと、今度は、私の顔くらいの大きさの火が出る。こう、指先というより、手のひらにボールのように乗ってる感じだ。
「カールさん、手を伸ばしてもらっても良いですか?」
カールさんが手を伸ばしてくれるが、火傷させそうでちょっと怖い。地面に置いてもらっでも良いけど、草が燃えたら、それはそれで嫌だ。
迷ってると、クリスが燭台に手を伸ばした。
「カールさん、貸してね」
そのまま私に近づく。思わず後退る。
クリスは、にっこりと微笑んで距離を詰めた。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんが、僕を傷つけるはずないよ。ほら、キラキラに火の大きさを合わせて」
クリスは言いながら、私の火と同じくらいの大きさのキラキラを出現させた。
明るい陽射しの中では、淡い輪郭だが、わからなくはない。
それが徐々に小さくなる。私は、その輪郭に合わせて、火を調節していく。
カールさんのほど小さくはないものの、なんとかクッキー1つ分くらいの大きさまで小さくなる。
私は、それをそっとクリスの手の上の燭台に近づけた。ふっとろうそくに火が灯る。
「やった」
クリスが燭台をカールさんに渡し、私は、自分の手から火を消す。
カールさんは、受け取ると、ふーっと火を吹き消した。
ちゃんと普通の火だったみたい。
「アリス、身体は大丈夫かな?」
カールさんに聞かれて考える。
「はい。胸が少しドキドキしてますけど、息もきれてないですし、大丈夫です」
「そうか」
カールさんは、束の間の黙考の後、吹っ切るように私に告げた。
「では、アリス。クリスとともに、来週から、午前中は城に勉強に来なさい。君達2人の魔法は強過ぎ、珍し過ぎなのでな。きちんと勉強した方がいい」
「ええ?!」
驚く私たちを尻目に、カールさんは、お父様と細かい話を進めていく。
わぁ、毎日家から城まで往復馬車に乗せてくれるんだ。なんて贅沢。でもそう。誘拐されかけたばかりだし、その方が安心よね。
え?!私が計算を苦手とか関係なくない?なんで、魔法だけでなく、一般的な勉強まで一緒に見てもらうことになってるの?!お城で読み書き計算とか本当、無理。しかも、クリスも一緒って。私、お姉ちゃんなのに困るよ。
もう、頭がいっぱいいっぱいで大混乱だ。
「お姉ちゃん、一緒にお勉強できるなんて、嬉しいねぇ」
クリスが金茶の瞳を細めて笑う。
わけがわからないけど、この笑顔を守れたのだから、良しとしよう。
クリスと一緒にいられる以上に、大事なことなんてない。
私は、クリスの柔らかい薄茶の髪を指で梳きながら撫でる。
「そうね。クリスと一緒ならきっと大丈夫」
帰り際、カールさんは、私に一枚のカードをくれた。
「魔法使い証明書(仮)
氏名: アリス=シャルル(屋号)
年齢: 8歳
魔法: 火魔法、炎の防壁、
対象物を燃やし溶かす
属性: 火、その他特殊
魔法の用途: 未定」