表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

牙をもつ天使の話

作者: 九都 奏



ここは天使の国。

みなが上品に口に手を添えて微笑み合う、平和の国。




その国の建物は白いレンガでできています。

みなが白い道をゆっくりと歩きます。

あるいは青い空にゆったりと羽ばたきます。

家のそばにはだいたい庭があって、緑の芝生があったり色とりどりの花が咲いていたりします。

その国の中で1番目立つ丘の上には、真っ白な教会が建っていました。

教会の鐘と屋根の上の十字架は、とてもきれいな金色をしていました。

天使たちはいつもその教会を見上げては、今日1日の平和に感謝しました。




天使たちはみなよく笑いました。

道で出会えば、ごきげんようと、お互いに笑いかけました。

お喋りするときも、口に手を添えて、上品に微笑みあいました。

その国にはいつも笑顔が満ちていました。

その中でも、特別よく笑う天使がいました。

彼女は他の天使たちにもとても好かれていました。

彼女はいつも明るく、素直で、何より笑顔がすてきでした。




ある日のことです。

彼女はいつものように、他の天使たちとお喋りをしていました。

彼女がとびきり明るく笑ったとき、うっかり口に手を添えるのを忘れてしまいました。

するとみな、彼女を見て顔色を変えました。

それは、何も彼女が上品さを忘れたからではありませんでした。

誰もが笑顔をひっこめて、彼女をじっと見つめ、怯えるようにそばを離れていきました。

彼女もはっと気づいて手で口を覆いました。

真っ青な顔で、しばらくみなが去った方向を見つめましたが、やがてとぼとぼと家に帰りました。

彼女は鏡を見て、ため息をつきました。

彼女の口の中には、小さいながらも鋭くて、真っ白な牙が2本、生えていたのです。




次の日の朝、彼女は目を覚ますと、真っ先に丘の教会に向かいました。

もしかしたら、ごきげんようという、いつものあいさつを交わせるかもしれない、と彼女は思っていました。

教会までの道のりがいつもより長く感じられました。

それが誰ともすれ違わなかったせいだと、彼女は認めたくありませんでした。

教会の近くには、何人かの天使がいました。

「ごきげんよう。」

彼女はいつもと同じように、明るい声で言いました。

もちろん口に手を添えて。

いつもと違ったのは、返ってきたのが沈黙だったということでした。

天使の数は少しずつ減り、教会の近くにいるのは、彼女だけになりました。

彼女は教会の上の十字架を見上げて言いました。

「今日1日、平和に過ごせますように……。」

彼女は初めて、感謝ではなく祈りを捧げました。




次の日、彼女はやはり、目が合った人に挨拶をしました。

「ごきげんよう。」

口に手を添えるのも、忘れませんでした。

しかし天使たちは目をそらします。

そうでなければ、彼女に怯えた目か、睨むような眼差しを向けました。

それでも彼女は、笑顔で挨拶を続けました。

ある時ふと、天使たちの囁きが耳に入りました。

「きっと悪魔の子よ……。」

彼女は振り返りましたが、みな目をそらしてしまって、声の主は分かりませんでした。

よくよく耳をすましていると、みな同じようなことを囁きあっていました。

そこに笑顔はありませんでした。

次の日から彼女は、誰かと目があっても、弱々しく微笑むだけになりました。




ある日のことです。

彼女が道を歩いていると、突然翼に痛みを感じました。

見てみると、翼に小さな穴が開いていました。

振り返ると、1人の子どもが、道に転がっている白い石を持って立っていました。

子どもはまた石を投げてきました。

彼女は避けようとしましたが、翼の端にまた穴が開きました。

子どもは彼女を見て、大きな声で言いました。

「悪魔っ!出ていけっ!」

そしてまた石を投げました。

近くにいた女の人が、子どもを止めました。

しかしその人は、彼女と目を合わせようとはしませんでした。

「石なんて、投げちゃだめでしょう。」

女の人はそれだけ言いました。

その後は、いつも通りでした。

誰も、さっきのことなんて見ていないみたいでした。

彼女はしばらくしてから、また歩き始めました。




次の日から、ときどき彼女は石を投げられるようになりました。

翼には穴が増えていきました。

彼女が避けるのをやめてからは、服も腕も、傷だらけになりました。

翼の穴が10を数えた頃、彼女は笑わなくなりました。

何日も、何日も、そんな日が続きました。




ある日のことです。

「あれ、なあに?」

誰かが言ったのをきっかけに、みなが上を見ました。

指さす場所は、この国で1番高い丘でした。

教会の屋根の上に、金色の十字架と太陽の光を背にして、1人の天使が立っていました。

翼の穴が光を通すので、誰もが彼女だとわかりました。

このときばかりは、誰も目をそらしませんでした。

彼女はボロボロの翼を風になびかせ、ときどき体を揺らしながら、それでも立っていました。

彼女は胸の前に手を組むと、目を閉じて一筋だけ涙を流しました。

彼女は手を組むのをやめました。

傷だらけの腕を力なく下げ、またユラユラと立っていました。

そして何も言わずに、十字架から飛び立ちました。

穴だらけの翼で羽ばたけるはずもなく、彼女はそのまま地面に落ちました。

動かなくなった横顔に浮かんでいたのは、悲しみの表情ではなく、本当に弱々しい笑顔でした。




動かなくなった彼女を見て、たくさんの天使たちが泣きました。

何しろここは平和の国ですから、泣くことなんて滅多にありません。

みな、自分や友人がこんなに大きな声で泣くのを見たのは、初めてのことでした。

涙を流しながら、誰かが隣で泣いている天使と顔を見合わせました。

すると、ふたりの天使はぱちくりとまばたきをして黙ってしまいました。

同じように、ひとり、またひとりと、泣き声をあげるのをやめていきました。

ついに、誰もが目を見開いて、黙ってしまいました。

誰かが、ポツリと言いました。

「……あなたもだったの?」

みなの口の中には、小さいながらも鋭くて、真っ白な牙が2本、生えていたのでした。




みなが笑うときに必ず口に手を添えたのは、それが上品だからではありませんでした。

彼女のことを「悪魔の子」と囁いたのは、牙を恐れたからではありませんでした。

彼女に石を投げつけたのは、彼女が憎いからではありませんでした。

ただ怖かったのです。

悪魔でも牙でもなく、自分と、この国の天使たちが、怖くて仕方なかったのです。

天使たちの誰もが、自分がこの世に1人だけの、“悪魔の子”だと思っていました。

彼女のことを知ってからは、天使たちの誰もが、彼女1人が“悪魔の子”であればいいと思っていました。

そして彼女は、自分1人だけが“悪魔の子”だと思ったまま、今日を迎えたのです。

彼女が本当のことを知ることは、永遠にありません。




誰もが黙っている中で、1人の天使が、彼女に歩み寄りました。

近くにいた誰も止めませんでした。

何もかもが傷ついた彼女の前に膝をつき、その天使は再び大声で泣き始めました。

その天使は、あの日彼女に、1番最初に石を投げた子どもでした。




みなが、何日も、何日も、涙を流しました。

彼女は教会の近くに埋められました。

その日から、天使たちは教会を見上げては、感謝するのではなく、許しを願うようになりました。

天使たちは笑うとき、口に手を添えるのをやめました。

しかし天使たちはみな、あまり笑わなくなりました。




ここは、天使の国。

みなが悲しい思い出を持つ、傷ついた国。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 切ないお話ですね(>_<) おもわず読みふけりました。 文も読みやすくて作品の雰囲気にぴったりです 面白かった!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ