7.薬草採取
「さーて、聞いた話だとここら辺なんだが……」
鳥のさえずりが聞こえ、地面に青々と茂る草むらを踏みしめる中、俺は右手にもった茶色の紙を見つつ周囲の木々を見渡した。
冒険者ギルドで初依頼として『薬草採取』を受けた俺は、その薬草のイラストが描かれた紙を片手に城塞都市トータスの北東に位置する森へと足を運んでいた。
採取対象の薬草はトータスの北東の森に自生しており、また自衛騎士団が都市の防衛と訓練を兼ねて森の魔物を定期的に狩っているため魔物の数は少ないらしい。
また、この薬草は傷薬の調合に用いらいれる物であるため、薬草師ギルドから冒険者ギルドに対し恒常的に採取依頼が出されている。
しかもこの薬草は生命力が強く、採取しても一週間もすればその部分に新たな薬草が生えてくるらしい。
この生命力の強さが傷薬としてよく効くんだとか。
薬草なんて全部同じに見えるんじゃないかと思ったのだが受付のお姉さん曰く、その薬草は初心者であっても見間違えることはない、とのことだった。
一応、薬草採取の他にも、迷い猫の捜索だとか荷運びの手伝いとか魔物の討伐とかあったのだが、なんというか前二つは冒険者って感じがしなかったし、魔物の討伐は危険そうと判断し、比較的安全そうなこの『薬草採取』を選んだ。
ちなみに薬草一枚で銅貨二枚、納品は十枚から受け付けるとのことだ。つまり最低十枚は取らないといけないわけだ。
「これか? これだな。これは確かに見間違えるわけがないな。」
森に入ってから小一時間程歩き回り、イラストと同じ薬草を見つけた。
右手にもったイラストと見比べながら、合っていることを確認する。
目的の物を見つけた俺はリュックサックを下ろし、いざ採取しようと目の前の植物を見上げた。
「ていうかこれ竹だろ……」
目の前には、幹の直径が三十センチ程の青々とした竹が一本そびえ立っていた。
最初イラストを借りたとき竹っぽいなとか、注釈に『木の幹は緑色になってます』とか記載されていて、まさかなと思ってはいたのだが。
周りの木々と違い、緑色のこれは確かに見分けやすい。
見分けやすいけども、傍から見ると竹だった。
その目の前の極太の竹は、節の部分から枝が伸びており、先に大葉に似た葉っぱ幾枚か生えていた。
この大葉に似た葉を傷薬の調合として用いるらしい。
どういう生態系をしてたら竹から薬草が生えてくるんだ。
いや、これが地球でいうところの竹って決まったわけじゃないけども。
ていうかこれ草じゃなくて葉だよね。もしかして脳内翻訳がバグってるのか?
そんな疑問を持ちつつも、目の前に薬草の一枚に手を伸ばした。
生えている薬草を一枚一枚丁寧に手折り、ひとまず手が届く範囲の薬草をすべて取り終えると、リュックサックに入れ――る前に、アイテムポケットを試してみることにした。
使い方は『アイテムポケット』と念じて入れたいアイテムをポケットの入口に当てるだけでいい、とお姉さんは言っていた。
もしかしたらヒールも同じように念じるだけで出来たりするのかもしれない。
傷を負ってないので発動したかどうかわからないだろうが。
試しに『アイテムポケット』と念じてみた。
すると布製の巾着袋が右手の掌にポンと現れた。
お、なんか小さい袋が出てきたな。
すべすべとした手触りが良い巾着袋の、入り口を閉じている紐をほどき口を開ける。
興味本位で袋の中を覗いてみるが、そこには暗闇だけが広がっており、さながら異次元を彷彿とさせた。
その光景に若干身震いはしたものの、気を取り直し先ほど採取した薬草を一枚、入り口へと軽く押し当ててみる。
すると、ヒュッと小さな音を伴って、手に持っていた薬草が忽然と姿を消してしまった。
これでアイテムポケットの中に入ったということなんだろうか。
アイテムポケットの中身を見る場合は、中身を見たい、と念じるだけでいいとも聞いていたので、念じてみる。
すると袋の中に入っているアイテムが頭の中に情報として浮かび上がった。
【アイテムポケット】薬草一個。
なるほど、こんな感じになるのか。
アイテムポケットの仕様をなんとなく把握した俺は、物は試しと更にもう一枚入り口に押し当てた。
すると、先ほどと同じくヒュッっと小さな音を伴って、手に持っていた薬草が袋へと吸い込まれた。
あれ、一種類一個じゃなかったのか?
と思ったが、その仕様は自分で勝手にそう思っていただけだと思い出し、お姉さんも種類と個数は増えるといったが初期値がいくつとか、どういった増え方をするとかは言っていなかった。
細かいところを確認しないのは自分の悪い癖だな、と苦笑しつつ何枚まで入るか試してみた。
「十枚まで入ったか」
十一枚目を手に持ち入り口に当ててみるものの、うんともすんとも言わず、薬草は俺の右手に残り続けた。
つまりは、レベル一で十個ということなのだろう。
となると、レベル二だと二十個なのだろうか。いや十一個かもしれないな。
アイテムポケットの入り口の紐を縛り、アイテムポケットが消えるように念じる。
すると出てきたときとは違い、すぅっと背景に溶けるように巾着袋は消えていった。
中身が消えていないか確認するため、改めてアイテムポケットを出してみると、そこにはちゃんと薬草が十個入っていた。
アイテムポケットを再度消しつつ、とりあえず入れられるアイテムの個数はギルドに戻ってから受付で確認しようと思い、入りきらなかった薬草をリュックサックに入れ、それを背負い直した。
――ガササ。
唐突に、背後で木々が擦れる音が聞こえた。
バッと背後を振り返る、と五メートル程離れた場所にある腰の高さくらいある灌木が目に入った。
何かがいる?
野生の獣か、とも思ったが、そこではたと気づいた。
この森では自衛騎士団が魔物を定期的に狩りを行っているとは聞いていた。
しかし前回の狩りは一体いつ頃だったのかは聞いていない。
もし、万が一、今の時期がちょうど定期的な狩りを行う直前だとしたら……。
一滴の汗が頬を伝い、顎へと流れるのを自覚する。
呼吸も浅く短くなっている。自分の心臓が鳴らす音が異常に大きい。
左腰に差してある剣の柄に右手を伸ばす。少し腰を落とし、目の前の灌木から目を離さないよう意識を集中する。
野生の動物であればまだなんとかなるかもしれない。
しかしそうでなければ……。
ガサッと灌木が再び音を短く立てた。
ごくり、と喉が鳴ったのが分かった。
――瞬間、何かが灌木の隙間から素早い動きでその姿を現した。
それは、見た者の脳裏に焼き付くような白い体毛に包まれ、獲物が発するわずかな音すら聞き逃さない大きく長い耳を持ち、血の様に赤い目には死角など無く、鋭く強靭な歯はいかなる硬い獲物をも容易に齧り取る。
親愛と慈愛に満ちた心で人々はそれをこう呼んだ。
ウサギ、と。
ウサギかよ!
予想だにしなかった白い小動物の姿に心の中でツッコミをいれつつ、剣の柄に伸ばしていた右手を下げた。
魔物が現れたかと肝を冷やしたが、まさかの愛玩動物の登場に肩の力が自然と抜けるのが分かった。
なんで白いウサギが比較的温暖なここにいるのかは分からないが、まあ異世界だしそこらへんは地球と生態系が違うのだろう。
竹に薬草が生えるくらいだし。
そう思いながらも、唐突に現れた耳も尾も白い小動物に手を伸ばしながら近づいた。
何のことはない、単純に撫でたかったからだ。生前も道半ばで猫や犬を見ると撫でたくなる性分だった。
後にして思えばこのとき油断していると観られたのだろう、俺の前にいた小動物の姿がサッと掻き消えたように見えた次の瞬間、鉄球を投げつけられたかのような硬く強烈な衝撃が、俺の腹部を襲った。
「ぐふぉっ」
腹に捻り込まれた小さいが硬く白い弾丸に、肺に溜まっていた空気が押し出され、意図しない奇妙な音が喉から発せられた。
体はくの字に曲げられ、地面にしっかりついていたはずの足がたたらを踏み、後ろへとよろめいた。
俺の腹に体当たり――というか頭突きを繰り出した赤目の小動物が、地面へと着地すると器用に後方へと跳び、再び着地するのを視界に捉える。
鈍く強い痛みが波のように押し寄せる腹を両手で抑え、痛みから身体が痙攣する。
肺に酸素を送り込もうと必死に空気を吸い込もうとするも、それすらままならず、額に汗がにじみ、両の目尻に涙が溜まり始める。
今まで味わったことがない痛みに混乱する中、特典として選んだ唯一の回復手段を必死の思いで引っ張り出す。
――ひ、ヒール!
「ぶはあっ!」
すると、今まで呼吸の障害となっていた腹部の強烈な痛みが嘘の様に引き、肺の中へ新鮮な空気が送られてくるのを感じる。と同時にアイテムポケットと同様に念じるだけで発動できたことに安堵した。
短く浅い呼吸を繰り返しながらも、痙攣が収まった足でしっかりと地面に立つ。
少し離れた場所には、赤い瞳でこちらをじぃっと観ている白い獣がいた。
まるで、獲物を弱らせて確実に仕留める狩人の目つきのようだ。
弱っていると判断すれば、即座に息の根を止めにかかってきそうだ。
口をもごもごと蠢かしているのは、いつでも捕食できる準備をしているのだろうか。
俺は視線を白い獣から離さず、剣を右手で抜き放ち、白ウサギへ牽制のため向ける。
特典としてヒールを選んでおいてよかった。
他を選んでいたら今頃二発目も食らって、下手したらもう一回あのズボラ女神に会うところだった。
今は痛みは引いて意識もはっきりしている。
ただ、少し身体が重くなっているのがわかる。傷は癒しても、ダメージを受けて奪われたスタミナまでは回復してくれないということか。
「どうする……、どうしたらいい……」
耳をひくひくとさせている敵と対峙しつつ、思案する。
先ほどの頭突きは注視していれば避けられなくはないとは思うが、背中を見せて逃げれば確実に当たってしまう。
なら、目を背けずそのまま後ろ歩きで逃げるか?
熊に遭遇した時、そういった対処法が有効だとどこかで聞いたことはあった。
しかしここは森の中だ。
ここに来る途中、木の根が地面から飛び出していた場所が何か所もあったし、何に足を取られるか分からない。
転んでしまったら、こいつの攻撃を避けられる自信がない。
じゃあヒールをかけ続けながら走って逃げるというのはどうだ、と思ったがすぐに考え直した。
あの速さと衝撃だ。さっきは腹だったが、頭や顔、ましてや男の急所に当たったらと思うとぞっとする。
ヒールがあるから怪我なんて大丈夫とかいう問題じゃない。
傷は治るが、痛みは絶対にあるのだ。
その痛みで意識がトンでしまったらヒールすら発動できなくなる。
それにダメージを受ければ、その分スタミナは減る。運動部に所属していなかった身で森の外まで持つとは思えない。
逃げるのは難しい、しかしよく見ていれば当たらない気はする。
となると、残された選択肢は――。
「異世界ライフ二日目にしていきなりクライマックスだな……」
俺は剣を両手で構え直した。