3.城塞都市トータス
「なんで何も言われなかったんだろう……」
城塞都市トータスへと足を踏み入れた俺は、右手にプラスチック製の白い板、――学生証を持ちながら独りごちた。
検問所の係の人に中央広場に案内板があると教えられ、そこに向かっている最中、先ほどのことを思い出していた。
学生証を見ていた係の人は俺の名前を呼んだ。日本語で書かれたこれを読めたということか。
ちらり、と通りに並ぶ店の看板の文字を見る。パン屋と書かれたそれは、どう見ても日本語ではなかった。
なぜ学生証を係の人が読めたのかわからない。が、思い当たる節はあった。
ハイテンションな蒼髪の神様が脳裏に浮かぶ。どうせゴッデスパワーとかそんなところだろう。
「ま、いっか。思い悩んだってわかるわけでもなし。身分証として使えるってわかっただけで十分だ」
楽観的な考えに頭を切り替えた。
これから楽しい異世界ライフが始まるってのに済んだことを思い悩んだって意味はない。
過去より現在、現在より未来だ。
後ろを振り返らず前へと進む。
そんな決意をした俺は、やがて目的地である中央広場へと辿り着いた。
「でっかい噴水だなあ」
そして俺は、城壁に続いてまたもやあんぐりと口を開ける羽目になった。
目の前の噴水は、円形の貯水部分の直径が三十メートル程あり、円の中心にある噴水口自体は高さが五メートル程だが、そこから天に昇って噴出された水は、二十メートルは優に超えていた。
向かっている途中にも見えていて、定期的に何か噴き出ていると思っていたが、どうやらこれだったようだ。
中央広場には迷わず行けると係の人は言っていたが、確かにこれ以上目印として最適なものはないだろう。
周りを見渡すと円形の貯水部分に沿って何脚もの長椅子が置かれており、色々な人が思い思いに休んでいるのが見える。住人の憩いの場になっているようだ。
円形の噴水に沿う形で道も整備されており、広めに作られたその道を何台もの馬車がすれ違っている。
また、道と同様に色々な店も噴水を中心に円状に建ち並んでおり、そろそろ昼時なのか、食欲を刺激する暴力的な匂いに鼻孔がくすぐられる。
空腹になるのを感じつつ広場を歩きながら辺りを見回していると、噴水の向こう側に案内板を見つけた。ちょうど影になっていたようだ。
「あったあった」
案内板へと辿り着いた俺は、この都市の全容が載っているそれを見上げた。
都市が広いためなのか案内板も相応に大きい。
横五メートル、高さ七メートル程あるそれには、中央から伸びる五本の太い直線が描かれていた。
中央広場から南、南東、南西、北東、北西に伸びたそれは、どうやらこの都市のメインストリートを示しているもののようだ。
その五本のメインストリートに区切られる形で五つのエリアが形成されている。
都市の主要な施設がそのエリア毎に固まっていて、各エリアの説明が案内板の下部分に記載されていた。
冒険者ギルドや魔術師ギルドなど数多くのギルドが存在するギルドエリア。
武器屋や防具屋など様々な店舗が建ち並ぶ商業エリア。
この都市に暮らす人々の住居がある一般居住エリア。
教会が存在し信徒が住居を構える聖教エリア。
貴族が居を構える青静エリアの四つだ。
五つのエリアがあるこの都市が、どれくらいの大きさなのかは分からないが、中央広場の大きさと案内板でのそれの大きさとを比較するに、一都市とは到底思えないほどの広さということだけはわかる。
この都市だけで人生を全うする人とかもいそうなくらいだ。
そのエリアの一つ、冒険者ギルドなどが存在するギルドエリアを眺めながら、改めて異世界に来たのだと感じる。
冒険者、――依頼を受けて、成功すれば報酬をもらい、失敗すれば場合によっては最悪死が待っているハイリスクな職業。
よくある異世界転生だと主人公は大体が冒険者となり、チート能力を使って八面六臂な活躍をするのがトレンドだ。
しかし、俺が選んだのは攻撃スキルでも魔法スキルでもましてや経験値アップスキルでもない。
攻撃とは対極に位置する、すなわち回復スキル――ヒールだ。
魔物の軍勢を一人で殲滅なんてできないし、一国を亡ぼすほどのドラゴンなんて屠れはしない。
しかしこれさえあれば、例え攻撃を受けて傷を負ったとしてもすぐさま完治、痛みなんてへっちゃらだ。
傷薬や毒消し薬などの回復アイテムも使う必要がなく、とっても経済的、財布の紐が固くなる。
蘇生はできないみたいだが、そもそもパーティを組むことがあるか怪しいし、別に蘇生効果なんて必要ない。
そう、俺は今時の若者らしく安心安全安定志向をモットーに生きていくのだ!
危険なことなんてまっぴらごめんだ。
だったら冒険者なんて危険な職業を選ばなくてもいいんじゃないかとは思ったが、これはこれ、それはそれ、やはり手に入れられるものが目の前にあるのならば欲しくなってしまうのは人の性というものだ。つまり冒険者になってみたいのだ。
それに危険なクエストを片っ端から避けていけば問題ない。要は生きてさえいれば、それでオールオッケー。
色々と考えながら案内板を眺めていたが、目的の場所をしっかりと自分の頭に記憶すると、この場所を離れ歩き始めた。
期待と焦りからか、自然と足が速くなるのがわかる。
逸る気持ちを抑えながら、迷わないように先ほどまで確認していた案内板を脳裏に浮かべた。
――大丈夫だ、こっちであってる。
脳裏に浮かべた道のりと自分が進む方向が合っていることを確信し歩を進める。
道すがら幾人もの人を躱しながら抜き去り、一心不乱に足を動かす。
案内板の縮尺がどれくらいかは分からなかったが、それほど遠くはないはずだ。
やがて目的の場所へと辿りつき、建物の外に下がっている看板を確認する。
――よし、ここだ。
自分の脳内地図が合っていたことに安心しながら、開け放たれている建物の入り口をくぐり中へと進入する。
建物内にはいった俺が目に入ったのだろう、俺より少し年上に見える女性が近寄ってきた。
彼女は手慣れた所作で俺を案内し、近くの椅子へと座らされる。
最初が肝心だ。聞き返されると面倒だからはっきりと言おう。
そう思い、少し大きめの声で彼女に向かって俺の目的を告げた。
「グランドトータス定食、お願いします!」
城塞都市トータスが誇る名料理店『グランドトータス』に辿りついた俺は、この店のお勧め料理を声高らかに注文した。