亜麻色の髪の乙女
牧草地に囲まれた街。ちょっと行けば海が見える。
街の商店街の美容室。カウンターに寄り掛かる男、宮下誠はうしろ髪をゴムでまとめた。
「ほんとに切んの?」
シートで体を覆った少女はどかっと椅子に腰かけた。その少女は宮下の姪の坂田美千留、高校二年。宮下は美千留のうしろにまわった。
「ばっさりいっちゃって」
美千留の唾液が前に飛んだ。鏡に数的の唾が付着した。
「あとで拭いとけよ」
夕日が宮下の後頭部を照らしている。
「叔父さんオンザ唾。ウケる」
美千留は手を叩いて笑う。宮下は腰巻きのポーチからハサミを取り出した。
「坊主にしますか? お客さん」
「はいはい。拭いときますよ。新聞紙で」
「わかってんじゃん」
「はやく」
宮下が水平に構えるハサミに夕日が当たった。
「後悔すんなよ。な」
ジャキッ、ジャキッ、ジャキ。
一週間前。
「誠。お前、梅田行ってくれ」
「えっ。どうしてですか? 俺が大阪って」
宮下は美容室「ヘブンズストーリー」の代官山店の店長。宮下はオーナーの坂田茂の言葉に驚きを隠せない。室内に差し込む夕日を気にも留めなかった。
「ここは…… 本店は誰が仕切るんですか?」
二人のいる事務室に店内のBGMと忙しく動く美容師の音がかすかに聞こえる。
「三茶の哲夫をこっちに持ってくる」
「どうしてですか? 売り上げ落ちてませんよ」
「眩しいな」
坂田は宮下に背を向けてブラインドを下げた。宮下はシャカシャカと降りていくブラインドを目で追った。
「上がってもないけどな。売り上げ」と言って坂田は振り向いた。
「そういうことですか。新陳代謝ってことですか」宮下は語気を強めた。
「違うよ。浅はかだな相変わらずお前は」
ノックの音。二人は扉に目を向けた。
「三上です」
「入れよ。哲夫」
三上が事務室に入ってくると、一瞬、西野カナの歌声が大きくなった。
「オーナー。話ってなんすか?」
「まあ、とりあえず座れ」
「オーナーも。まこっさんも座ってないのに。座れませんよ」
「じゃあ立ってろ」
「はい」
三上は小さく頷いてから宮下に目を向けた。宮下は坂田に顔を近づけた。
「オーナー。梅田行きは確定ですか?」
「梅田? 誠さん梅田ですか。梅田」
三上は顔を壁側に向けて笑みを浮かべた。
「決定だ」
「そうですか」
宮下は前歯を下唇に押し付けた。前歯が徐々に唇にめり込んでいく。
「誠。お前、梅田行く前に実家帰れよ。親父さん入院したんだろ」
唇から歯が離れていく。その部分にはうっすらと出血がある。
「実家って、北海道でしたっけ。食べてきてくださいよ。美味しいもの」
「おい。毒突きが過ぎるぞ。哲夫」
「すいません。毒漏れしちゃいました。すいません。三上すいませんした」
三上は顔を縦に振った。笑みを浮かべて。
「姉ちゃんと母さんが見てるんで。俺は……」
「いいから行け。有休貯まってんだから」
「そうですよ」
「それ以上喋んなよ。哲夫」
「うっす。三上だまっときます」
宮下は大きく息を吐き出した。
「では、お言葉に甘えて」
「飛行機は手配するから、明日にでも帰れよな」
「はい」
宮下は自分の右手を強く握った。
「オーナー。予約はみんなに振り分けてください。今日は荷物まとめるんでこれで帰ります」
宮下は深く頭を下げた。
「お前らしいな。そういうとこ」
「では」
宮下は素早く反転して退室した。
「会いたくて会いたくて震えますね」
「お前にとって人の不幸は蜜の味だもんな」
「まあ、そうですね。あの人には色々と助けてもらったけど、オーナーの右手として華が無い。辛気臭い。そうでしょ? オーナー」
「おめえよりはあるだろ。華。あいつの方が。それに俺は辛気臭いのが好きだ」
「かわいい子も好きですよね」
「うっさいぞ」
「すいません。で、話って俺がここ治めるってことですよね?」
「どうしよっかな。原宿の熊でもいいんだよな。お前むかつくから」
「熊坂さんは器じゃないですよ。消します。消します。むかつくオーラ消します。滝行で。なので本店は三上で、お願いします」
「やれよ。言ったんだから」
坂田は笑みを浮かべた。
「やりますよ帝様。本店の城主ですから」
三上の指の先が小刻みに振動した。
「じゃあ、そういうことです。哲夫君」
「はい。では三茶に戻ります」
「お疲れした」
坂田は小さく手を振った。三上は軽く頭を下げてから扉に向かって歩き出した。「あーあ。また余計なことを言ってしまった」とぼそっと呟いて退室した。
「自業自得で震えるってか。バカだな。あいつ。バカも辛気臭いのも好きなんだよな。俺は」
坂田はブラインドの羽板の隙間に手を突っ込み窓の外をのぞいた。
「桜、だいぶ散ったな」
街路樹の桜の木。ひらひらと花びらが舞い落ちる。
ジョキッ。
「おー。長い長い。長いぞ。みち」
「あとは可愛く仕上げてね」
切り取った髪の長さは四〇数センチある。
「それ、捨てないでね」
「何で?」
「売るから」
「売るなよ。ヘアドネーショっていう社会貢献もあんだぞ」
「この長さで、私はカラーリングしたことないから二万円ぐらいだって」
「話聞け」
「ヘアゴムで留めて、ラップに巻いて」
「自分でやれ」
美容室の二階は宮下一家が暮らす。
「今日は麻婆豆腐か」
リビングのソファーに寝転ぶ宮下はテレビを見ている。キッチンから美千留が料理を運ぶ。
「叔父さんも手伝ってよ」
「やだ。だって明日から大黒柱だもん」
「みっちゃん。これもお願い」
キッチンから宮下の母・節子の声が聞こえた。
「はーい」
リビングの食卓テーブルを宮下、美千留、節子が囲む。
「うーん、マイルド。市販のもとじゃないのは旨いね。やっぱ。テンメンジャンと豆板醤のバランスは改良の余地があるけど」
「叔父さん。テレビの音、聞こえない」
「あんた、黙って食べなさい」
「評論されると嬉しいだろ。かあさん。改めためお婆ちゃんか。もともと麻婆豆腐も陳お婆ちゃんが作ったものでね」
階段をかけ上がるヒールの音がだんだんと大きくなる。
「あっ。お母さんだ」
「お母さんに怒ってもらわないとね。このうるさいおっさん。ねっ、みっちゃん」
「うん」
「俺は叔父さんだ。おっさんではない」
キッチン脇の玄関でハイヒールを脱ぐ美千留の母・亜季。
「おい。うるさい人。今日も行ってねえだろうよ。お見舞い」
亜季はキッチンからリビングにどかとかと入ってきた。
「今行こうという時に、みちが髪切ってっていうからさ」
亜季は美千留に目を向けた。
「あれっ。すずちゃんがいる」
「もうやめてよお母さん。髪型だけだから」
「目はくりんとしてるんだけど、他のパーツが洗練されてない。すすちゃんだな」
亜季は宮下を睨んだ。宮下は亜季に目線を合わせない。
「はっ。どう見てもすずちゃんだろうがよ」
「わかった。わかった。濁点をくれてやるよ。サービスで。ずずちゃん」
「はいはい」
節子が手拍きを打った。
「きょうだいげんかおしまい」
「あんた。お父さんの世話する名目でこっちに帰って来たんでしょ。店開けるのもいいけど、ちゃんと顔見せなよ」
「わかったよ。ねえちゃん」
亜季はテレビの前を通って自室へ入って行った。宮下は大きく息を吐き出した。
「叔父さん。ニンニク臭い」
翌日。宮下は釧路孝仁会病院にいた。右手に紙袋をぶら下げて。
宮下は入院病棟のナースステーションをのぞいた。
「すいません。宮下栄の病室は?」
「宮下さんは二一七。突き当たって右側ですね」
「ありがとうございます」
宮下は父・栄の病室に向かった。
「突き当たって右だから。あっ、ここか」
宮下は病室の部屋割り表に目を向けた。
「あった。あった。宮下栄」
宮下は「宮下栄」の札を中指で弾いてから病室に入った。
「元気?」
栄は窓側のベットにいた。
「元気じゃないわ。とりあえず閉めろ。周りに迷惑だから」
宮下はザー、ザー。と音を立て、カーテンを閉めた。
「なんだ?」
「着替え持って来たよ」
紙袋をテレビ台の上に置いた。
「お前、店やるの?」
「うん」
「まあいいけど。お得意様優先な」
「母さんから聞いたよ。あっ、ばあちゃんか」
「わかってればいいんだよ」
「オヤジの店だってことは自覚してる」
「やけにものわかりがいいじゃねえか」
「まあね。オヤジが倒れたって事で休んでるから、なんかやらなきゃまずいでしょ」
「まあ、せいぜいがんばれや」
「おっす」
宮下は午後から店の営業を再開させた。
「はーい。これで終わりですね」
カットを終え、宮下は中年男性の防髪シートを外した。
「おー。いいね。福山っぽいよ。さすが、カリスマ美容師」
「そんなたいしたもんじゃありませんよ」
中年男性は席を立ち、カウンターへ向かった。
「四二〇〇円だよね?」
「そうです。お願いします」
宮下はシートに付いた髪をホウキで払った。
「ここ置いておくよ」
「ありがとうございました」
シートを脇に挟んだ宮下は頭を下げた。
「じゃあ、親父さんによろしく」
「はーい」
中年男性が店を出ていくと、ドア上部のベルが鳴った。
「もう五人目かよ。意外に人が入るんだなうちの店」
またドアのベルが鳴った。
「はーい」
櫻井彰がドアの隙間から顔を出した。
「おー。いるいる」
「おう。あきら」
「よっ」
櫻井は右手を上げた。
「入れよ」
「うん」
櫻井は目をキョロキョロとうごかしながらカット席に座った。
「久しぶりだな。ここ」
「いつもどこ行ってんの?」
「中標津」
「へぇー」
「他の人に言うなよな。宮司が街の外で金落とすと、けっこう嫌味言われるんだから」
「切ったばっかに見えるけど、どうする?」
「シャンプーでいいや」
「シート巻く?」
「タオルだけでいいよ」
宮下はシートを壁に掛け、鏡を開いてタオルを取り出した。
「ジャンパー掛ける?」
「いいや。めんどくさい」
櫻井のうしろにまわった宮下はその首にタオルを巻き付けた。
「この髪型どう思う?」
「まあまあじゃない。シャギーがもうちょい入ったらカッコイイかもよ」
「へぇー」
「顔を前に倒してください」
櫻井は鏡の前にある洗面台の中に頭をつけた。
「育毛シャンプーとか色々あるけるど。なに使う?」
「ちょっと、キてるけどおまかせでいいよ」
「では失礼します」
宮下はシャワーを引っ張り出し、自分の手を使って水温調節をした。
「ちょいぬるめにしてます。冷たかったら手、あげてください」
「はい。はい」
櫻井はこもった声で返事をした。宮下は櫻井の髪を指でなでながら、温水をあてる。
「で、いつまでいんの?」
「一ヶ月ぐらい」
櫻井の濡れていく首筋、丁寧にさするその手。
「あー。きもちいい」
「カリスマは違うな」
「シャワーなんてしばらくしてなかったけど」
「助手の仕事か」
「そうだな」
「お前すげえよな。こんなさびれた街から東京の最前線で働いてるやつがでるんだから、ほんとすげえ」
宮下はシャワーを止めると、シャンプーを手につけた。
「お前の方がすごいと思うよ。神社の宮司様なんだから」
シャンプーまみれになっていく櫻井の髪。
「やめてくれよ。親父が死んで、にいちゃんが蒸発して、順番がまわってきただけなんだから」
「でもよ。俺の親父が言ってたぞ。あきらは氏子をちゃんとまとめてる宮司さんだって。お前も見習えって」
「かたちだけはね。氏子関係は難しいんだから」
「氏子関係か」
「ジェンガみたいなバランス。あの人にべったりだとこっちが崩れそうになるし、もう大変よ」
「どこも、おんなじなんだな」
「うん」
「シャンプー落とすよ」
宮下はシャワーを取り出し、温水にしてから櫻井の髪へ。その頭から落ちる泡と水が洗面台の中に流れていく。シャワーが陶器にあたる音が思いの外、響く。
「つうか、帰って来たなら連絡よこせよ。水臭い」
「はっ?」
「なんもだ」
再開初日を終えた宮下はソファーぐったりしていた。
「カリスマ。メシ」
テーブルに肘をついて座る美紀はティッシュペーパーを丸め、宮下に投げつけた。
「やめろよ。みちがまねすっから」
宮下は左のこめかみを手で押さえながら、もう片方の手でティッシュペーパーをごみ箱に捨てた。
「あっ、お醤油切らした」とキッチンから節子の聞こえた。
「行ってこいよカリスマ」
「えっ。餃子が冷える。冷えた餃子ほど残念なものはないでしょ」
「チンすれば」
「チンはダメだよ。パリッと感が損なわれる」
「チン、チンうるさい。早くいってきて。まこと」
節子がキッチンからリビングに餃子を運んできた。皿の上の餃子からは湯気が上がる。
「えっ、俺で確定なの?」
「早く行ってこいよ。チンチンついてるんだから」
吹き出す美千留。
「お母さんうける」
「じゃあ、行くよ」
「私も行く」
「美千留。ビール買ってきて」
「うん。お母さん、私ドーナツたべたい」
「全部カリスマがだしてくれるから。買いな。買いな」
「おい」
セブンイレンブン海岸通り店の駐車場は広い。優に三〇台はとめれる。
宮下は自動ドアの近くに車をとめた。先に降りた美千留を追う宮下。
「走るな。走るな。こけるぞ。この床あぶらぎってるから」
入店する美千留。
「あっ。どうも」
店を出る藤本淳とすれ違った美千留は軽く頭を下げた。藤本は美千留をよけながら右手を上げた。
「あつし」
店を出た藤本は宮下に目を向けた。
「まこと、か?」
「そうそう」
宮下は車のうしろをまわって藤本の前に出た。
「久しぶり。ずっといんの?」
「一ヶ月くらいかな」
「そうか。そういえば、おやじさあたったんだよな」
「そう。俗に言うあたった。またの名をくも膜下出血っていうやつ」
「そんな楽しげに言うなよ」
藤本は語尾を強めた。
「ごめんごめん。不謹慎だよな」
「うしろ。来てる」
宮下らは自動ドアから離れてごみ箱側に寄った。
「ずっとそこなの?」
宮下は藤本が着てる作業着の会社名「トナミ産業」を指差した。
「そう、トナミで大型の運転手やってる」
「やっぱ、舗装の砂利とか運ぶの?」
「そうだよ」
宮下は藤本のポニーテールに目を向けた。
「髪型おんなじだな」
「ああ……」
藤本は視線をアスファルトに落とした。
「イメチャンするなら、うちこいよな」
「……まだ伸ばしたいんだ」
「いやあ、あん時の三ミリ坊主の高校球児イメージが強いからさ。つい、あんなふうに切りたくなった。オシャレ坊主。つまり、職業病だな」
「まあ、そんときはまことに切ってもらうかな。じゃあ、俺帰るな」
「おう」
藤本がその場を去ると、美千留がレジ袋を両手で持って店から出てきた。
「あー。重い重い」
「ずいぶん買ったな」
「おいっしょ。おいっしょ」
美千留は宮下に近付く。
「みゆきのお父さんと知り合いなの?」
「まあな。あいつ。そんなでかい娘いるんだ」
「うん。同級生。私のマブダチ」
「へぇー」
宮下はレジ袋の中をぞいた。
「はっ?」
宮下は自分の上着、ズボンのポケットに慌ただしく触れた。
「これの事?」
美千留は袋の一番上に見える財布を取り出した。
「泥棒。歩いて帰れ」
宮下は車に向かった。
「待ってよ。重いんだから一リットルの醤油」
「重いのはみちママのビールと大量のドーナッツだろうがよ。まったくもう」
東京のカリスマ美容師という代名詞は絶大な集客力となった。
さびれた商店街の美容室「カットM」への客は絶えない。
少年をカットする宮下。待合の椅子はびっしりと客で埋まった。ドアのベルが鳴って二〇代女性が入ってきた。宮下はエントランスに目を向けた。
「真東にお住まいのかたですか?」
「根室からです」
「すいません。地元優先でやってて、今こんな状況なんで。ほんとすいません」
「えっ。そうなんですか」
女性が悲しげな表情を浮かべて店を出た。
平日でも、休む間もなくカットをこなす。田舎にカリスマ美容師というシチュエーシュンは地元マスコミにインパクトを与えた。
カット最中の宮下。ドアのベルが鳴った。ハサミを手に持ったまま、振り向く宮下。店に入る男性。カット席には櫻井が座る。
「日々日々根室です」
「わざわざ根室から、お疲れさまです。電話でいったとおりカットしながら対応させてくださいね」
宮下はカットを再開した。
「はい」
「あのう、顔取らないで下さいね。根室にも氏子いるんで」
「はい。気を付けます」
「神様怒るよ。仕事サボってたら」
「根室の氏子はうるさいんだ。これがまた」
「ああ。真東金比羅の」
「そうです」
「まこと。ハサミの事教えてやれよ」
「記者さんの用意してきた質問があるんだから、よけいなことを言うな」
「どうもすいません」
「ハサミですか?」
「食いついちゃいます? その話」
「その前に写真を一枚」
記者は首から下げたカメラのレンズカバーそっと外し、カシャカシャと写真を撮った。
「失礼しました。さっきのお話しお願いします」
男性記者はメモ取り出した。
「これはミズタニっていうメーカーで、美容師にとっていつかはミズタニっていうぐら格式高いハサミです。日本相撲協会の断髪式に使われてます。金色でもっとでかいやつ」
記者はペンを走らせた。
「ちなみにおいくら万円?」
「下世話な宮司だな」
「めんご、めんご」
「気になりますね」
記者は指で眼鏡を押し上げた。
「記者さん。下世話」
「動くな。俺のミズタニで耳が落ちる」
「おー。ハサミが名刀に見えてきました」
「お世辞ですか? 冷やかしですか?」
宮下は襟足にシャギーを入れた。
「ただの天然でしょ」
「はい。天然が入ってると、うちの若い子から言われます」
この後、ありきたりな質問にいくつか答え取材が終わり、三人の客をカットしてこの日の営業を終えて自宅に戻った宮下。
藤本の娘・みゆきと美千留がテレビを見ながら勉強する。
「おっ、みゆちゃん」
「お邪魔してます」
テーブルの上に教科書、ノートやスナック菓子類が雑然と置かれる。
「みち。母さんとみちママは?」
「三山たけしのコンサート。朝、言ってたでしょ」
「そうだっけ、でもさけん玉歌手をそんなにみたいものかね?」
「みたいんじゃない。有名人のけん玉」
「で、めしは?」
「お母さんがカリスママネーで食べてって」
みゆきは吹き出した。
「カリスマを認めてるんだね」とみゆきは美千留に耳打すると「もう、困ったもんだよ」と美千留はみゆきに耳打ちを返した。
「そこ、耳打ち禁止。美千留お前、ふざけんな。その金でドーナツ何個買ってやった」
「ジョークですよ。カリスマ」
「わかればいい」
「さあせんした」
美千留は軽く頭を下げた。
「まあ、みゆちゃんいることだしラーメンでもとるか」
「いいねえ」
「まずいラーメンだけど。ああ、西新宿行きてえ」
「真東バカにすんな。この西新宿狂い」
「私、帰ります。お父さんがごはんつくってまってるんで」
「そう。そうなんだ」
みゆきはテーブルの教科書類を慌ててまとめた。
「気、使わなくていいのに。みち。見習え」
「いや、そんなことないです」
みゆきは手提げバックに自分のものを入れて立ち上がった。
「みゆきちゃん。学校ではそれ、かぶってないよね?」
みゆきは人工毛・エナメル質のかつらをかぶっている。
「わかりますよね。やっぱり」
みゆきは俯いた。
「えっ」
美千留はみゆきを見上げた。
「お邪魔しました」
みゆきは美千留の視線を逸らし、勢いよくリビングから出ていった。
「叔父さん。どういうこと?」
ドン、ドン。
藤本は閉店した「カットM」のエントランス扉を叩いた。
数一〇秒して、宮下が降りてきた。
「自宅って言ったのに」
宮下は扉を開けた。
「まあ、座れよ。で、みゆちゃんは」
「ごはん食べてから風呂入って、今はたぶん勉強してる」
藤本は宮下に案内された待合椅子に腰掛けた。
「電気つけるわ」
「べつにいいよ。そういう気分じゃない」
「そっか」
美千留が店に降りてきた。
「私もいいかな?」
振り返る宮下ら。
「みっちゃん。座って」
「のりをとってからな」
「えっ」
美千留は右手の中指を歯に押し当てて、歯をなぞるようにしてのりをとった。
「まじだ」
宮下はため息をついた藤本を見下ろした。
「中三の夏休み明けぐらいかな。みゆが頭いたい頭いたいっていうから、とりあえず市販の痛み止め飲ませた。一時は効いたみたいだけど、それが効かなくなって街の診療所に連れてった」
「あそこはダメでしょ。奨学金ちゃらにするために来た地域医療の風上にも置けないやつらしかいないんだから、頭なら釧路の孝仁会にいかなきゃ」
「詳しいな」
「座れよ。美千留」
「いい。私も立ってる」
「あの医者、強い痛み止めしかださないからごまかしてるの悟って会社の社長に相談した。まこととおんなじこと言ってたわ」
「それからどうなったんだよ」
「脳腫瘍。即手術」
「あの時ですね。みゆ、学校やすんでたもん。詳しいことは聞けなかったな。お見舞いには行ったけど」
「手術はうまくいったってことか? 俺は今の姿のみゆちゃんしか知らんが」
「うまくいった。術後もうまくいった。でも、麻酔やらなんやらの薬。ああ、あんときは覚えてたのに薬の名前」
「いいよ。無理して思い出さなくても」
「髪がなくなったのはあの薬のせいだって言うのも正直複雑なところはある。それが効かなかったら……」
「わかった。わかったよ」
「学校の人は誰も気づいてなかったよ。髪質おかしいのは病気のせいだって。みんな思ってた。私も」
「……髪の事まで考えて治療してくださいなんて言えないよな」
「人工毛のかつら買ったとき、みゆ笑ったんだ。俺ら安心させるために。もう、いたたまれなかったよ。娘に気、使わせて無理に笑わせて。そのやり場のないきもち、ぶつけちゃったんだよ。おっかあに。そんなことしてたら別居だよ。今はちゃんと育てなかったらみゆをすぐにでも連れてくって脅されてる」
「そうか」
宮下は天井に目を向けた。
「天然の髪、本当の髪のかつらは高いんですか?」
「百万ぐらいする。会社、親戚中からかき集めたらなんとかなる。でも、みゆの進学のことも考えたらそっちにまわしたい。それにあいつ気、使いだから人工でいいって言い張ってる」
宮下は藤本に目線を戻した。
「NPOは? ヘアドネーションの」
「申し込んださ。順番待ちだ。小さな子を優先するから、いつになることやら。期待はしてない」
「俺が髪、集めるよ。植毛の金も俺が払う」
宮下は藤本に顔を近づけた。
「そういうのは、気持ちだけもらっとくよ」
宮下は藤本に背を向けると、洗面台脇のハサミの消毒器に向かった。
「まこと。どうした?」
「叔父さん?」
宮下は消毒器を開けるとハサミを取り出した。バタン。消毒器を閉めると、宮下はハサミをゴムでまとめたうしろ髪に当てる。
「やめろってまこと。そういうのいいから」
そして、宮下はハサミを入れた。ジョキ、ジョキ、ジャキ。
「あーあ、叔父さんのシンボルが」
「こういうのはのりでやるもんじゃないぞ。まこと」
「札幌の専門行って、資格とって。名の知れる美容師になるんだ。なんて言っちゃって。東京のでかい美容室入って、同期先輩を盗み見て身に付けた技術と人に媚びうるようないやらしい手段でとった指名数で身を立てた。そして、芸能人とかの髪切ってステータス高めて店まで任せてもらった。前向きになった。とか、これで気合いが入ってパフォーマンス上がるとか言われたけど。それが何のため、本当に人のためになるかと言われれば言葉につまる。美容師の果たさなければならない社会的責任って言うならば、おもいもよらない人生のアクシデントで髪の毛をなくなった人に率先して自分の無駄にながい髪の毛を差し出す。かつら作れるぐらいの人毛を集める。ため込んだ金で植毛の費用払うぐらいしかできない。だから俺は髪を切ったし。そういうことだと俺は思う」
「変わってないな。そういうところ」
「あつくるしい部分捨てたんだが、今になって顔にべっとり投げつけられて帰ってきた」
「おかえり、まこと」
「ただいま、あつし」
「ごめん。のりとか言った俺が恥ずかしい。頼むな。みゆきの髪」
藤本は立ち上がった。目から出る雫をを指で押さえながら店を出た。
「わたし疲れちゃった。上に戻る」
「おう。寝ろ」
目がとろんとした美千留は階段方向に向かった。宮下は切り取った髪をヘアゴムで結んだ。そして、はさみを消毒器に戻した。一方、階段のほうが騒がしい。
「けん玉最高」
「あんたうるさいって」
「テンション上がるじゃん。けん玉」
「はい。はい。上がって、寝るよ寝るよ」
「まことに絡んでから寝る」
亜季らは大きい音を立て階段を上った。
「うるせえな」
宮下はカット椅子にどかっと腰掛けると、ズボンポケットからスマホを取り出した。
「あんなでかいこと言って今できるのはブログで呼びかける。それしかできねえわ。情けない」
宮下は自身のブログにこう書き込んだ。
>ひさしぶり、ていうか一年振りの更新です。
>いきなりですが、みなさんにお願いがあります。
>私の知り合いで人毛のウイッグ(かつら)が必要な人がいます。
>長さは三〇から四〇センチ(できれば黒髪)
>その人に関する詳しいことはいえませんが二年前、突然髪を失いました。
>人工毛のウィッグだと不自然で、まわりの目におびえる毎日を送っています。
>まずは隗より始めよという事で
>私、髪切りました。
切り落とした髪と宮下の画像
>よろしくお願いします。
「よし、行け。ブログ更新」
宮下はスマホを顔に近づけた。
「えっ。お気に入り五人か。ずいぶん減ったな。まあ、しょうがねえよな」
ブログ記事がお気に入り登録者にお知らせオートメールが送信された。
事務仕事をこなす坂田はスマホに目を配った。
女性と食事する傍らその記事を読む男。
出番待ち、食い入るように読んだ女優。
男とのセックスを終え、スクロールしながら素早く記事を見た女。
食卓テーブルにスマホを置いた亜季はひじをついて息を吐いた。
翌朝。
「おはよう」
宮下はリビングで朝食をとる亜季らを見下ろした。
「日々日々根室の人来たわよ。記者の佐藤さん。新聞持って」
テーブルの上に折り畳んだ薄っぺらい新聞。
「カリスマに宜しくだって」
「カリスマとは言ってないよ。叔父さんの事」
節子は新聞を広げた。
「しかし、この見出し。幸せを切り取る、名器を携えて」
「はい。はい」
「あんた今日の休み何すんの? 私達は休みじゃないけど」
「お母さん。そういういつも働いてないみたいに言うの止めなよ」
宮下はさんまのいずしをつまんで口に運んだ。
「あれっ。美千留、カリスマにホレた?」
「違うし」
美千留の頬がうっすら桜色になった。もうひとついずしを口に運んだ宮下。
「あのさ、今日東京いってくる今から」
「はっ」
亜季らは声を出した。
「日帰りだから明日は店をやる」
「なんでまた、急過ぎない?」
「カリスマはカリスマの事情があるんでしょうよ。カリスマなんだら」
「気を付けて行って来てね。叔父さん」
「はいよ」
「買ってこいよ。ガッツし系のおかずになるお土産宜しく。バナナはいらんぞ」
「はい。はい」
「飛行機は何時なのさ。まこと」
「母さん、ガキの使いじゃあらへんで。心配すんな」
「占い九位かラッキーアイテムはハサミか、今日使わねえよ」
「カリスマ。テレビにつっこむ時間の余裕あるのか?」
「おっ。七時。逆算するとやばいな。とりあえず下で顔洗うか」
飛行機に飛び乗った宮下は釧路空港から東京へ向かった。
宮下は羽田に降り立った。その足で「ヘブンズストーリー」本店に向かった。
「お疲れさまです」
宮下はそっとエントランス扉を開けた。店内の美容師達がざわつく。三上がエントランスに駆け寄ってきた。
「なんすか?」
「オーナーに話があるんだけど」
「裏口から入って下さいよ。暫定的に代官山所属なんですから」
「そうだな」
「オーナー居ませんよ。視察っす。北陸行ってます」
「そっか」
「話ってなんすか? 伝えときますよ」
「あっちでさ。薬の副作用で髪の毛が抜け落ちた娘がいて、今は人工毛のウィッグつけてるんだけど、人毛集めてウィッグを作ってあげたいなと思ってさ」
「そういう慈善事業はナンバーツーの俺を通してくださいよ。わかりますよね。そういうルール」
「そうだよな」
「確かにその娘はかわいそうだし、そうしてあげたいけど。宮下さんの主観入り過ぎじゃないですか。苦しんでるのはその娘だけじゃないですよ。うちとしてはNPOのへアドに協力してるので宮下さんには協力できません。わざわざ遠いところから来てもらって申し訳ないですけど」
「店長。加藤さまカットお願いします」
三上は振り返った。
「おう」
「邪魔したな」
「いえいえ、ではこれで」
三上は手を振る女性客のもとに向かった。
「……宮下さんか」
美容師の赤城絢香が宮下に近づいて来た。
「宮下さん」
「どうした? あやか」
「うしろ、お客様が通られます」
宮下は振り返った。
「おっ。邪魔か」
望んだ結果を得られず、真東に戻った宮下。裏腹に土産物をたくさん抱え自宅に戻った。
「おかえり」
宮下は節子のうしろを通ってリビングに入った。
「おー。ナイスタイミング。夕飯どきに帰ってくるなんてあんたにしたら上出来じゃんよ」
ソファーに座る亜季は缶ビールを口に運ぶ。
「あー重い重い」
宮下は土産物をソファーの上に置いた。美千留が自室から顔を出して、リビングをのぞいた。
「おかえり」
「ただいま」
「ちょっと来て」
美千留は宮下を手招いた。
「何?」
宮下は美千留の部屋に入った。
「うちの娘、傷物にすんなよ」
亜季は土産物をあさった。
「牛タンラブ、牛タンラブ。あっ。あった、スモーク牛タン」
宮下はベットの上に腰を下ろした。
「ママ、うるせえな」
「いつもの事だろ」
美千留もベットの上に座ると、宮下は少し端に寄った。
「座っても怒んないの?」
「今日はね」
「お前香水変えたろ」
「彼氏か」
「テンションあがってんだ。久しぶりに女の子の部屋に入ったから。で、何?」
「私って何ができる?」
「売っちゃったからな。ベストな髪を」
「それ言わないでよ。何にも言えない」
「マブなんだろ。見守ってやれ、守ってやれ。何があっても。できるだろマブなんだから」
「うん。でも、叔父さんの手伝いもしたい。髪、集めたい。今日ダメだったんでしょ?」
「人の心、読みとんなよ。ねえちゃんみたいに」
「短い間だけど一緒にくらしてるもん。わかるよ」
「彼女か、お前は」
「付き合う?」
「おじさんを誘惑するんじゃない。それから、髪はお前が集めちゃダメ。そりゃ、友達の髪で作ったかつらは涙ぐましいよ。でもな、なかには面白くないっていうか邪魔したり、みゆちゃんに心ないこというやつは絶対出てくる。そんなおもいはさせない。俺が絶対集める」
「抱かれたい」
「いいからそういうの」
宮下は美千留の部屋から出ていった。
それから、一週間。髪は全く集まらなかった。
相変わらず、店は繁盛。午後四時になって宮下はやっと一息つけた。
カウンター奥で食事をとる。宮下は乾燥海苔をおにぎりに巻いた。
「あーあ。こんなに稼いでんのに。手作りおにぎりって切ないな」
宮下はおにぎりを頬張った。
「やまわさたらこ、うまっ」
ドアのベルがなった。
「まじかよ」
宮下は口に残りをほおりこんでエントランスに向かった。
「ふぁーい」
絢香がガラガラとスーツケースを引っ張って店に上がってきた。
「うぃっす」
宮下はおにぎりを飲み込み、むせこんだ。
「大丈夫?」
「あやか。なんで」
「来ちゃったよ。寒いね。北海道は」
「寒いじゃねえよ」
ドアのベルがなった。五〇代女性が扉を開けた。
「まこちゃん。今大丈夫?」
「はい。今準備するんで。待合席へどうぞ」
その女性は絢香に目を向けた。
「まこちゃん。こちらは、どちらさん」
「妻のあやかです」
「えっ」
「いやいや違います」
「すいません。冗談です」
「面白い娘ね」
「上着、お預かりします」
女性客は上着を脱いで絢香に差し出した。
「ありがとう」
この後、絢香は宮下の助手をした。
営業が終わり、絢香は宮下らと一緒に食卓を囲んだ。
「うわー。お魚おいしそう」
「何ていう魚か知ってんの?」
「知らない。教えて教えて」
美千留は鋭い目つきを絢香に向けた。
「コ、マ、イ」
「コマイ。ねえねえ、お骨取って」
「自分で取れよ」
美千留はぼそっと呟いた。
「気持ちいいほどのいちゃいちゃだね」
「気持ちよくない。私は不快」
「みっちゃん。お客さんに失礼」
「ごめん。おばあちゃん」
亜季は缶ビールをのどに流し込んだ。
「あーうめえ。いい肴だ」
その後、絢香は一週間、宮下家に居ついた。
営業前、そうじをする宮下と綾香。
「まことくん。私、帰るわ」
「いつ?」
「お昼には」
「じゃあ、昼前に閉めるよ店」
「大丈夫。バスで中標津にいくんで」
「そうか」
「そのまえに」
「うん。そのまえにやらせてくれんの。もうみんな出たし二〇分くれれば二回戦は終わる」
「バカだね。ほんとに。私の元彼」
「北海道弁使うなよ。ほんとに。似合わんぞ」
「髪、あげますよ私の」
「あっそちか」
「なに残念がってるんですか。あのブログの言葉は偽善ですか?」
「ちがうよ。ごめん。ほんとに」
絢香はほうきを壁に掛けて、カット席に座った。
「くれるんだ。ほんとに」
「早くやってよ。ほんとに」
シートに包まった絢香。宮下の右手にはさみ、左手に切った後ろ髪。
「あーすっきりした。もう不倫やめよ」
「不倫? お前、俺と別れたあと不倫してたの」
「まあね。テレビ局の次長クラスは金回りよくて、股を広げまくっちゃった」
「笑えねえ。言葉に詰まる」
「まことくんへの反抗もあった。だってナース着ても、制服着ても抱いてくれなくなったから」
「悪い。それは俺が悪い。いそがしさに託けて綾香を拒んでた」
「かっこかっこかっこかっこかっこかっこかっこばかり先ばしりってか」
「なぜにももえちゃん」
「仙台店の店長に応募したの。新しく出す店」
「実家だよな。仙台」
「うん。とりあえず、不倫で得た金目のもの。車とか、中古マンション清算して仕事する。一段落したら、夢追う若い子らに金ちらつかせてひとつまみふたつまみしようかな」
「あやか。お前を下種にしたのは俺だ。すまん」
「早く仕上げないと、結婚迫るぞ」
「ちょっと待って、髪にラップ巻かなきゃ」
笑みをうかべた絢香の表情にはどこか哀愁が漂う。
絢香が帰った。
この日の最後の客を送り出すと、すぐにドアベルがなった。
「今日はもう」
宮下はエントランスに目を向けた。
櫻井だった。
「なんだお前かよ」
「おーい。ここで一番金使う客ですよ。俺は」
「店閉まったら、たちの悪い友人だ」
「宮司はみんなたち悪いんです」
「おい。問題発言」
「そんなことより、まことの彼女は? ここ一週間忙しくて来てないうちに新展開だもんな。びっくりしたよ。ほんとに」
「いたかな? そんなの」
美千留が自宅口から店にやってきた。
「ただいま」
「おかえり」
「おっ。みっちゃんか」
「あやねえ、帰ったんでしょ?」
「うん」
「いたじゃんかよ。彼女」
「ああ。いいひとだったな。あのひと」
「もので手懐けられただけじゃん。香水とかチークとかで」
「いいや、教えてもらったよ。叔父さん喜ばせる方法」
「おー。エロいね」
櫻井はカット席に腰掛けた。
「こんな椅子であんなこととかこんなことか」
「まあ、そんな感じだよ。宮司さん。カリスマは変わったのがお好き、らしいよ」
美千留は横目で宮下を見た。
次の休業日。昼過ぎにエントランス扉を叩く音。
「だれだよ」
宮下は店に下りた。扉を開けると、坂田と女優の金山まどかがいた。
「おう」
「元気?」
「えっ。なんでまどかさん」
「綾瀬はるかのドラマのロケで根室に来たの。だから寄ってあげた」
「俺にも驚けよ」
「哲夫に内緒で集めてきたぞ。髪」
「私も。若手女優そそのかして何本かだけど持ってきたよ」
「ありがとうございます」
宮下は深く頭を下げた。
「ねえ。私も切ってよ」
まどかは上着を脱いで坂田に渡すと、カット席に座った。
「まことには色々無理言ったし押し付けた。それにアラフォー女優が髪バッサリ落としても記事にするメディアもいないしね」
宮下はまどかの後ろ髪を切った後、丁寧なショートボブに仕上げた。
「さすがね」
「ありがとうございます」
「俺の右腕なんでね。腕はありますよ。こいつ」
「右腕は大阪に飛ばされます。今度」
「かわいいこには旅だ。俺に何かあったら動ける人材、育てなきゃいけないの。経営者はそこまで考えてるんですよ。宮下くん」
「だってさ、まこと」
「まじすか。俺そんな器じゃないっす」
「まあ、まだまだ俺は元気だしすこしずつ憶えてくれればいいよ。経営」
「はい」
宮下はうつむいた。
自宅口から節子が店に入ってきた。
「えっ」
「あっどうも」
まどかが節子に向けて右手を上げた。
「俺の母さんです」
まどかと坂田は軽く頭を下げた。
「あのマネージャーさん。サインいいですか?」
「いや」
「母さん。こちらオーナー」
店のエントランスの壁、まどかのサインがあった。
二二本。
髪は集まった。藤本。坂田らのもの。亜季がママ友連中に上手く頼んで集めた。しかし、足りない。宮下はカット椅子でうなだれた。
「あーあ」
美千留がダンボール箱を抱えて店にやってきた。
「叔父さん。荷物。三上さん」
「哲夫?」
荷をあけた宮下は驚いた。十分な長さのラップに巻かれた髪の束が一〇本。手紙も入っていた。
>俺、三上ッス。
>正直こんなことしたくなかったス
>まあ、俺の美容師人生はあんたへの反発から始まりました。
>でも、情けいっぱいかけられました
>たくさんの貴方が陰でしてくれたフォローを相殺するため
>跡目戦争を心置きなくおっぱじめるために、これを送ります。
>以上、三上した
「文面からはバカっていう印象しか感じられないね。この人」
「そんなのいいから、みゆちゃんに電話。採寸すっぞ」
「あっ。スマホ上だ」
美千留は階段方向に走った。
「ありがとうしか言えねえな」
宮下は手紙をきれいに畳んだ。
みゆきがカット席に座る。
宮下はみゆきの頭にラップを巻いてマジックで印を付けた。
「はい。これでおわり。九月にはできるみたいだよ」
「やった。文化祭に間に合います」
「文化祭か。俺もいこうかな」
「来てくださいよ」
「美千留に怒られなければ。行く」
「あれっ。美千留はどこですか?」
「見れないらしい。泣くから」
「泣けばいいのに。あいつ」
「JK心はわかりません。女心も」
「宮下さん。ほんとうにありがとうございました」
みゆきはラップ頭を深く下げた。みゆきの目が潤んでいる。待合席にいる藤本はみゆきの姿をスマホで撮った。
「パパやめてよ」
「撮らせてやれよ。お父さんの髪もみゆちゃんの一部になるんだからさ」
「桜満開なのに、梅田にいくのか。なんだかな」
宮下が真東を去った。中標津空港に向かうバス。宮下がいた。
ヘブンズストーリー梅田店。
暦は九月、大阪勤務もすっかりなれた宮下。
若い女性をカットする宮下。
「短いのも似合うね」
「そうですか。結構勇気いりましたよ。ばっさりいくのは」
「そうだよね。髪は女の命だもんね。ご協力ありがとうございました。じゃあその髪、NPOに送っておくね」
カット台。ラップにくるんだ長い髪。
そして翌月、宮下は真東に戻った。
真東公民館。
真東南高校の文化祭、合唱コンクール。
美千留とみゆきのクラス。
宮下がホールの扉を開けると伴奏が始まった。
「こっち、こっち」
前の席で櫻井が手招く。
舞台には他の生徒とショートボブの美千留ときれいなロングヘアーのみゆき。
亜麻色の長い髪を
風がやさしくつつむ
乙女は胸に白い花束を
羽のように 丘をくだり
やさしい彼のもとへ
明るい歌声は恋をしてるから
亜麻色の長い髪を
風がやさしくつつむ
乙女は胸に白い花束を
羽のように 丘をくだり
やさしい彼のもとへ
明るい歌声は恋をしてるから
バラ色のほほえみ 青い空
幸せな二人はよりそう
亜麻色の長い髪を
風がやさしくつつむ
乙女は羽のように 丘をくだる
彼のもとへ
バラ色のほほえみ 青い空
幸せな二人はよりそう
亜麻色の長い髪を
風がやさしくつつむ
乙女は羽のように 丘をくだる
亜麻色の長い髪を
風がやさしくつつむ
乙女は羽のように 丘をくだる
彼のもとへ
彼のもとへ




