冬 ~約束の時~
少年ティムは必死に走っていた。村と村を隔てる山の中を。愛しい人を納めた骨壺を抱えながら。
灰色の寒空は今にも雪が降りそうであり、切らす息は白く染まる。最低限に装備した防寒着に熱気がこもり、汗が垂れる。
「待てこのガキぃ!」
「金目の物置いてけー!」
少年ティムの走った軌跡を追う2つの影がある。どちらも髭面で毛皮の服を着用し、伐採用の斧をそれぞれ持っている。いかにもわかりやすい山賊だ。
「その壺をよこせ!」
少年ティムは何度も捕まりそうになったが、意地でも捕まらんとし、山の地理を利用して引き離した。当たり前だ。捕まってなるものか。愛しのリンカを奴らに渡してなるものか。
逃げているうちに目的とは別のルートへ出てしまった。山賊はしつこく追いかけてくる。少年ティムはどこへ続くのかわからぬ道をひたすらに走った。迷い道を一気に駆け抜ける。
後ろを確認するが、奴らはまだ追ってくる。どれくらい鬼ごっこをしているだろうか。そのうち少年ティムは体力が無くなり、減速してしまった。
──ドンッ!
背後を気にしていた少年ティムは前方の人影に気がつくことが出来なかった。反応出来ず、衝撃を受け、そのまま弾き飛ばされる。しりもちをつき、素早い行動をとれなくなってしまった。そして、奴らも迫ってくる。
「ボッちゃん、大丈夫かい?」
少年ティムは地べたにしりもちをつき、息を切らし、声の主を見上げる。
刺々しいソフトモヒカンに顎髭。目はキリッとつり目で黒いスーツを着ている。ぶつかった事など気にしないかのような余裕の表情。その手には壺を持っていた。
「──! 壺がない!」
少年ティムは大いに焦った。何よりも大切なリンカの骨壺はぶつかった拍子に少年ティムの腕を離れ、男の腕に転がりこんだのだ。
「さあ観念しろ! このガキ!」
少年ティムを追っていた山賊の2人が背後から少年ティムを羽交い締めにし、捕らえる。少年ティムはジタバタと抵抗するが、その太い腕からは逃れる事は出来なかった。
少年ティムは最悪な状況に陥った。リンカの骨壺は見知らぬ黒スーツの腕の中、自分は山賊たちに羽交い締め。もう、どうにもならない。自分はどうなってもいい。せめて、リンカの骨壺だけは守らなくては。その思いでいっぱいだったが、どう足掻いても、無駄な抵抗にしかならなかった。リンカが遠退いて行くのを感じる。フッと涙が零れた。
その時、一発の渇いた銃声が山奥に響く。
「その子をどうするつもりだ! 放せ!」
煙を噴く銃口は山賊に向けられていた。
「う……うぅ……」
少年ティムを羽交い締めにしていた山賊の1人はその力をゆるめ、力なく倒れこんだ。少年ティムはその隙に山賊の太い腕から脱出し、銃の主のもとへと逃げ込んだ。
銃の主は黒スーツの男だった。情け無用と言わんばかり、いきなり射撃し、山賊を倒す。鋭い目付きは誰かに似ている、少年ティムはそう感じた。右手にはけん銃を左手には骨壺を持ち、残りの盗賊を威嚇する。
「ま、待てよ……。落ち着けって。威嚇射撃なしに撃つことはないだろ!?」
黒スーツの男はまた誰かに似たような、ニヤリとした笑みを浮かべ、
「どうせお前ら、言うこと聞かないだろ?」
そう言って、無慈悲に弾丸をお見舞いし、2人目のの山賊は倒れた。
「大丈夫か? ボッちゃん?」
「あ、ありがとうございます。あの……その壺を」
「あっ、悪い悪い。さあ、どうぞ」
黒スーツの男は懐に銃をしまい、少年ティムに壺をやさしく返すと得意の笑みで自己紹介を始めた。男の礼儀正しい振る舞いと、リンカの骨壺が返ってきた事に少年ティムは安堵の息を洩らす。
「俺はアツシ! 殺し屋だ」
良い奴なのか悪い奴なのかわからない。この男は信用できるのだろうか。しかし、この男の目付きと笑み、殺し屋というワードから少年ティムはあることを尋ねてみた。
「あの……ノブヒロさんはご存知ですか」
「ん? ノブヒロ?」
殺し屋を名乗る男はハッと気づいたような表情を浮かべ、少年ティムの肩を掴んで興奮したように揺さぶった。
「お前かぁ! 兄者が言ってたムッシューってのは! はじめましてだムッシュー! よろしくな!」
「兄者って……ノブヒロさんの弟!?」
アツシの成すままにガクガクと揺さぶられる少年ティム。しっかりと骨壺を抱き抱え、次の質問をする。
「ノブヒロさんは……無事なんですか!?」
アツシはやっと揺さぶるのを止め、笑顔で答える。
「ああ、もちろん! ピンピンしてるぜ!」
しかし、次第に笑みは消え、真剣な眼差しに変わる。その表情もノブヒロにそっくりだ。
「この前、世話になったやつの仇を討ちに行ったのさ。一緒にね」
アツシは真剣な表情のまま、少年ティムが抱き抱える骨壺に目をやる。
「その壺、中は友達かい? 兄者から聞いたよ。兄者があそこまで真剣だったこと、久しぶりだったぜ。お前のためにもって、頑張ってたんだ」
アツシの真剣さに圧倒され、少年ティムは黙りこんだ。ノブヒロの意外な義理深さを知り、それも黙りこむ要因の1つになった。
あの人はこんなにも僕たちのことを……。
「そうですか……」
「そうだ! うちに来いよ! 兄者が聞いたら喜ぶぜ!」
アツシは再び笑顔に戻り、少年ティムの背をそっと押して隠れ家へと招待した。かつての家族というべきノブヒロに会えると思うと、少年ティムは嬉しくてたまらなかった。
「兄者! 客人だぜ!」
バタンッと勢いよく戸を開ける。埃っぽい内に風が入り込み、埃が舞い上がり、不潔さを感じさせる。
隠れ家はすぐ近くにあった。山の中にポツンと建っている。貧相だが、冬の寒さにも耐えられるしっかりとした造りの小屋だ。
しばらくすると2階から足音が聞こえ、階段を降り、スーツの男が現れた。跳ね上がった襟足、濃い色のサングラス。ノブヒロだ。
「ムッシュー……ムッシューじゃねえか!」
「ノブヒロさん!」
「久しぶりだなムッシュー! 会いたかったぜ、へへっ」
1季節ぶりに再開したノブヒロは変わらず元気そうだった。感動と入り交じって元気どころか騒がしい。少年ティムも輝玉の表情である。
「紹介しよう。こいつはアツシ。俺の弟だ」
ノブヒロに紹介を預り、再び自己紹介をし始めるアツシ。ノブヒロは続けて言う。
「村の皆にはすまないと思っている。作った物作りっぱなしで、収穫には顔出せずに……」
「収穫って……兄者、畑いじってたわけ?」
「ああ、そうだ。アツシもやってみろ。意外に楽しいぜ」
ノブヒロの推しにイヤイヤと首を振るアツシ。兄弟で楽しそうに会話を交わす。少年ティムには兄弟はいない。家族すらも。なので、その光景を羨ましく思った。微笑ましい。やはり、家族は良いな。
「しかし、引きこもりのムッシューがよく山まで来たものだ。どうだ外の世界は? 素晴らしいだろ?」
「兄者、ムッシューは今まで山賊に追われてたんだぜ。まだ恐ろしさしか知らない」
そうか、と言ってノブヒロは頬を掻く。久しぶりの再開でテンションが上がりっぱなしのノブヒロ。少年ティムはその雰囲気についていけず、目を回す。
「そうだムッシュー。良い知らせだ」
ノブヒロが仕切り直す。急に冷めたような沈黙が訪れる。
「良い知らせ……って言っていいかわからないが、この近くの村に一人娘を亡くした家族がいるって話だ。埋葬もせずにこの山に捨てたらしい。酷ぇ話だ」
「それって……もしかして」
「ああ。リンカだぜ。たぶん」
そう言いうとノブヒロは地図を取り出し、腐蝕し、埃だらけの机の上に広げた。手描きでボロボロ、傷やシミが目立つ汚い地図だった。
「こいつは山賊からパクったモノだ。付近の地理が詳細に描かれてる。いいか? 俺たちはココ。村はココ。近いな。今からでも日没前には辿り着ける」
ノブヒロは地図を指差して説明する。この先、山を下っていくだけだ。
「そこに行ってリンカを埋葬しよう!」
急な決断ではあったが、少年ティムは決心した。リンカも故郷に帰りたがっているだろう。一刻も早く、リンカを埋葬し、転生を迎えさせたい。それは少年ティム一番願いだった。もしも、そこにリンカの親がいるなら言って聞かせてやりたい。リンカがどんなにいい娘であったか、どんなに強い娘であったか、どんなに苦労をしたかを。自然と手に力が入る。
「ムッシュー、さっき山賊に追われて疲れてるんじゃないか? 少し休んでからの方が良いんじゃねぇか?」
アツシが配慮し、少年ティムを労る。しかし、少年ティムは労りをはね除け、強気で言った。
「アツシさん、僕はリンカを早く埋葬したいんです。そして、転生を迎えさせ、またこの世に生まれてきてもらいたい。それが、身体を張って僕を助けてくれたリンカに僕が出来る最大の善行。僕は行きますよ。危険でも」
鋼の決心に圧されるアツシ。ノブヒロはそれを見てニヤリと笑い、
「よく言ったティム! 男になったな!」
と言って表へ出た。
気がつけば「ムッシュー」の皮肉は消え去り、「ティム」へと変化していた。少年ティムは成長した。リンカの死により、強く。
「こりゃ壮景だな」
3人は難なく目的の村に到着することができた。
「確かに、壮景だ」
「………………」
ノブヒロとアツシが壮景と言うように、そこには素晴らしい世界が広がっていた。
黒々とした土地、墨へと還った家屋、荒れ放題の畑、枯れた井戸、人っ子一人もいない。村は完全に死んでいたのだ。「壮景」というのはやはり遠回しに物を言う皮肉だった。
「どうする? 家々まわってリンカの情報集めるか?」
「そうしましょう。危険も無さそうなので手分けして探しましょう」
少年ティムは1人、灰色の世界を歩き始めた。
踏み心地の悪い黒々しい土地は歩き方を間違えてしまえば、底に沈んでしまうほど腐りきっていた。強い風が吹けば、焦げた木材の禍々しいにおいが鼻を突く。一体何が起きたというのだろうか。
家々をまわる少年ティムはあることに気づき始めていた。民家の一つ一つの庭に、墓が建っているのだ。風化し、寂れた相貌で少年ティムをじっと見つめる。
「なんだか気味が悪い」
少年ティムは次第に不安になり、ノブヒロとアツシを探し始めた。しかし、呼ぶ名に応える声はない。さらに不安になる少年ティム。はち切れそうな心臓とリンカの骨壺を抱え、村を駆ける。だが、少年ティムはなんとも言えぬ違和感を感じ、立ち止まった。なんだか、リンカに引き留められた。そう感じたのだ。不思議なことに、激しく高鳴っていた胸がポウッと鎮まった。
目前には立派な墓があった。他の墓と同様、蔦に絡まれ、風化の進んだ墓だ。ただし、1つだけ変わった箇所があった。小さな家族写真だ。それが、墓石の前に置かれていた。少年ティムは文鎮代わりに置かれた小さな石をどかし、写真を手に取った。一部掠れて見えない箇所があったが、少年ティムは重要な情報を手に入れた。
「これは……リンカ?」
リンカが写った写真だった。長くも短くもない髪、薄い体色、微笑むリンカだ。その笑顔は今でも覚えている。
「君が呼んだのか」
少年ティムは端に骨壺を置き、夢中で穴を掘り始めた。何も考えず、一心不乱に剥き出しの腕で掘り進める。爪が割れようが、鋭石で傷つこうが、必死で。やがて十分な穴ができた。リンカの墓穴だ。少年ティムは操られたように骨壺を底に納め、呟いた。
「お待たせ。やっと約束を果たせるよ。おやすみリンカ」
少年ティムは約束を果たした。優しい時間が2人を包む。それは、過去に置き去りにされたリンカとの時間を慈しむ時でもあった。
──ワタシを埋葬して下さい。
今でも覚えている、リンカの声。リンカは僕の中で生きている。ずっとそばにいる。そう思うと不敵になり、恐怖などなくなる。少年ティムは強くなる。
──転生を迎えたら、会いに行きます。暖かな、生命の春に。
「約束だよ。リンカ」
少年ティムはそっと土を戻した。そっと嬉し涙が零れた。約束の冬の日の出来事だった。