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わたし、楽してやせたいんですの……!

作者: 藤村 ルノ
掲載日:2026/09/14

 うっそうとした森の中は、昼間でも薄暗い。木々の隙間から一筋の光が差し込み、1軒の古びた家を浮かび上がらせている。



「ごめんくださいませ、ここは魔女のミミ・ベネフィカさんのお店ですの?」


 1人の令嬢が、ドアを開け、入り口の外側に立っている。


「そうですじゃ。そんな所におらんで、どうぞお入りくだされ」


 ミミと呼ばれる老婆は、カウンター越しに声をかけた。


「狭い入り口ですわね……ちょっと、引っ張っていただけます?」


 よく見ると、令嬢は体の幅がドアとちょうど同じサイズで、中に入れずにいた。ミミはやれやれと立ち上がると、カウンターを回って入り口に行き、令嬢の手を引っ張った。


「もっと……強く引っ張ってくださいな……わっ!」


 ミミに手を引っ張られた令嬢が、勢いよく中に入った……というより、飛び込んだというべきか。そのはずみでミミは令嬢の下敷きになっていた。


「は、早くどいてくだされ。つぶれてしまいますじゃ……」


 令嬢の下でもがくミミ。令嬢はよいしょと踏ん張って立ち上がった。


 ──


 令嬢はカウンターの椅子に掛けると、大きく息をついた。


「はあ~、助かりましたわ、ミミさん」


「……ただでさえ残り少ない寿命が縮まりましたじゃ。はい、それじゃお名前は?」


「ステラ・ウォラスです。伯爵令嬢ですわ」


「で、どんなご用で?」


「はい、私、ご覧の通りの体ですの。だから、痩せたいんです」


 ステラは自分の腹を両手に抱えて揺らしてみせた。


「ほう。じゃあ、まず、食事を減らして、それから運動を……」


「違います……!」


「へ?」


「私は、楽してやせたいんですの!」


「はあ? 楽してやせたい?」


「そうですわ。ミミさん、何とかしてくださいな」


 ステラの言葉に、ミミは呆れて口を開けた。


「なんともはや……ちょっとお待ちを……」


 気を取り直すと、ミミは奥に引っ込み、何かを手にして戻ってきた。


「はい、これですじゃ。これを1日1粒飲めば痩せられますじゃ」


 ミミはテーブルに袋を置くと、中から豆のような薬を取りだし、つまんでステラに見せた。


「これこれ、これを待っていましたわ。おいくらですの?」


「金貨1枚ですじゃ」


「あら、意外とお安いですわね。それなら、私のお小遣いでなんとかなりますわ」


 ポーチを取りだすステラ。だがミミは首を振った。


「1粒で金貨1枚ですじゃ」


「ええ!? た、高いですわね……」


「その金額に見合う効果はありますじゃよ。どうします?」


「ら、楽してやせるには、それくらいの代償は必要ですわね。買いますわ」


「じゃあ、説明しますじゃ。1日1回、薬を1粒飲んでくだされ。ただし、ひとたび飲み始めたら、ずっと飲み続けないといけませんのじゃ」


「え? え? 飲まないとどうなりますの?」


「もし、飲んでから24時間を超えると、それまでの反動が来ますのじゃ」


「じゃあリバウンドしてしまいますの?」


 ステラの問いに、ミミは静かに首を振った。


「いいや、それどころか、薬で抑えていた分、体が元の何倍にもふくれてしまうのじゃ。そうなると、もう薬も効かんのじゃ」


「そ、そんな……そしたら、どうすればいいんですの?」


「そうなると、いかなるダイエットも効きはせん。一生、そのままの姿なのじゃ」


「で、でも……最悪、絶食すればいいのでは?」


「そんなことをしても、太ったまま餓死するだけじゃ」


 副作用のあまりの凄惨さに、ステラは言葉を失った。


「そういうわけじゃから、この薬はリスクも大きい。やめるなら今ですじゃよ」


「で、でも、それじゃあやせられませんわ」


「いえいえ、食事を減らして、運動をしていれば……」


「いいえ、私は楽してやせたいんです!」


 ステラはカウンターに両手をついて立ち上がった。木製のカウンターがミシミシときしる。


「そうですか……。まあ好きなようにしなされ……」


 さんざん迷ったが、ついにステラは、手持ちの金貨の全部をカウンターに置いた。


「……買いますわ、その薬」


「まいど。それじゃあ、薬がなくなる前に、また来なされ。くれぐれも薬を切らさないように」


 ミミは薬の入った袋を手渡した。


「はい。ごきげんよう、ミミさん」


 ぶるんと体を翻すと、ステラはドアまで歩き、立ち止まった。


「……どうなさった? ステラさん。やはり……迷っておられるのか?」


 ミミは、ドアの前に立ち尽くしているステラにたずねた。


「……あの……ミミさん、すみませんけど、背中を押してくださらない?」


「ふむ。その薬を使うかどうかはあなた次第じゃ、しかし……」


 ステラは首を振った。


「……いえ、その背中じゃなくて。押してもらわないと、ここから出られませんわ……」



 ◇  ◇  ◇



 ──ウォラス伯爵邸



 午後、ステラは自室で例の薬を見つめていた。魔女の話に、飲むのをためらっていたのだった。


「トド姉さま、珍しくどこに行ってらしたの?」


 ふいに声をかけられ、ステラはどきりとして、とっさに薬を隠した。部屋に入ってきたのは、妹のリオンだった。


「リオン、あなた、ノックくらいしなさいよ」


「あ~、ごめんなさい。で、どこへ行ってたんですか?」


「どこでもいいでしょ。私の勝手じゃない」


「でも、お姉さま。あんまり人目に付くところに行かないでいただきたいわ」


「な……どうしてよ」


「こんなトドみたいなのがお姉さまだと知られたくないんです」


「あ、あんたね、姉に向かって……」


 ステラの返事を無視して、リオンは部屋を出て行った。廊下を遠ざかる足音が聞こえる。


 妹の気配が完全に消えてから、ステラは再び薬を取りだした。


「これを飲むには覚悟がいるわ……。でも……」


 やせさえすれば、妹にも、誰にもバカにされずにすむ……。薬を1粒つまみ、目の高さにかかげた。


「そうよ。飲まなきゃあ何にもならないわ……」


 意を決して1粒飲み込んだ。ごくりとのどを通る感覚がする。ミミの説明によれば、1か月から遅くとも3か月で理想の体型になれるとか。


 飲んだ直後、さすがにまだ効果は表れない。しかし、なんとなく薬が効いている感覚があった。



 ──1か月後



 あれ以来、薬を飲み続けたステラは、以前からは見違えるほどスリムになっていた。家族をはじめ、周りの見る目があからさまに変わった。


「ステラ、あなたいったいどうしたの?」


「お嬢さま、綺麗になられましたな」


「お姉さま……! すっかりスリムになられて」


 みんな調子がいい、とステラは思った。しかし、そんなことはどうでもよかった。体形が変わると心も広くなったかのようだ。


 太っていた時のドレスは処分し、新しいドレスを1枚また1枚と仕立てた。

 友人の令嬢たちからは質問攻めにされる。ダイエット法を教えろというのだ。


「やっぱり、食事制限と運動ね」


 ステラは薬の存在は隠した。しかし、まるっきりウソでもない。なぜなら、ピーク(・・・)のときより食事の量はかなり減っていたからだ。


(ああ、体が軽い……)


 生まれてこのかたやせたことのなかったステラは、体の軽さに驚いた。まるで、天使の羽が生えているのかと思うほどだ。


(きれい……私って奇麗だったのね)


 毎日鏡を見るのが苦痛でなくなった。それどころか楽しみになっていた。


 社交界での他の令嬢や令息たちの態度も、あきらかに変わった。令嬢たちは、ある者は羨望の、ある者は嫉妬のまなざしでステラを見た。


 すでに、何人かの令息からアプローチを受けていた。しかし、すべて断っていた。ステラは知っていたからだ。その令息たちは、かつてステラのことを『トド』と陰口を叩いていたのを。



 ──ステラは待っていた。『あのお方』を……。



「ステラ、いいかな? 話があるんだ」


 話しかけてきたのは、侯爵令息のファシールだった。


(き、来た……。ファシール様!)


 ステラは心の中で叫んだ。しかし、気のない態度で返事をした。


「あ、ファシール様、なんですの?」


「ステラ、突然だが、僕と婚約を前提に付き合ってくれないか……」


(はい、よろこんで!)


 と、言いたいところだったが、ステラは考えるそぶりをした。彼は、唯一、ステラが太っていた時も分け隔てなく接してくれた人だったのだ。


「ファシール様は、やせた女がお好きですか?」


「いや、僕はステラが好きなんだ。前からね」


「そうですか? もっとやせた方は他にいますよ?」


「僕は知っている、ステラ。君が飢えた庶民に自分のおやつを与えているのを見たことがあるんだ」


 ──数か月前のことだった。出先で、飢えに苦しんでいる領民がいたのだ。ステラは腹が鳴るのをこらえて自分の食べ物を与えたのだった。


「ぐうぜん見ていたんだ。僕は知っている。君の心根を。見た目は関係ない。だから、よければ僕と付き合ってくれ」



 ──こうして、ステラはファシールと付き合うようになった。もちろん、その間も1日1回、薬は飲み続けるのだった。



 ◇  ◇  ◇



 ──そんなある日、ステラはファシールとデート中だった。ファシールの領内の庭園を歩きまわる。以前ならそれだけで息は切れ膝が痛んだが、今は平気だった。


 やせたことで動き回れる、そうすればさらに体力がつく。いいことずくめだった。むしろ先にファシールのほうが疲れて、2人とも東屋で一息ついた。


「……でね、ステラ。その歌手の口の中に、カナブンが飛び込んだんだ」


「まあ、ファシール様ったら、ホホホ……」


 ステラはファシールと談笑していた。楽しさのあまり、つい、時間が経つのを忘れていた。


「……あっ!」


「どっ、どうしたんだ、ステラ!?」


(薬を飲む時間だわ……どうしましょう)


「びっくりしたな。急に大声を出して」


「ホホホ、なんでもありませんわ……」


 ファシールの前で飲むわけにもいかない、ステラは、トイレにでも行くふりをして席を外そうと考えた。


 ……が。


(……言い出せない。トイレに行きたいなんて、ファシール様に言えないわ……!)


 しかし時間は迫る。あと5分だ。もし時間を過ぎれば……。


「ファシール様。突然ですけど、私、ランニングをしとうございます」


「え? どうしたんだ、急に」


「実は、体形を維持するためにランニングをしているのです。今、急に走りたくなりましたの」


「は、はあ……、別にいいけど……」


 ファシールが言うが早いか、ステラは全力疾走を始めた。庭園は広い。東屋から数百メートル離れれば姿は見えない。


(か、軽い。体が軽い……! こんなに速く走れるなんて)


 初めての経験だった。だが、感動している場合ではない。振り返ると、ファシールは豆粒のように小さく見える。これなら、薬を飲んでも見えはしない。


 ステラは薬を入れたポーチの口を開けようとした……。


「あ゛あ゛っ! ポーチを置いてきた!」


 あわてたせいで、東屋にポーチを忘れてきてしまったのだ。即座にダッシュでとんぼ返りし、東屋にもどってきた。


「ファシール様、ポ、ポーチを!」


 ファシールが差し出したポーチをひったくると、ステラはまたダッシュしていく。

 風のようにやってきたステラは、風と共に去っていった。


「……はあ、はあ、危なかった」


 じゅうぶん離れてから、ステラは薬を飲み込んだ。


「これからは気を付けないといけないわ」


 ──息をつきながら東屋に戻ると、ファシールが微笑んだ。


「いい運動になったかい? ステラ」



 ◇  ◇  ◇


 

 ──数日後、ステラは、令嬢友達に誘われて茶会に参加していた。令嬢の1人の邸宅のテラスに並んだテーブルに着き、みな他愛もないおしゃべりを楽しんでいる。


「ジーラ子爵令嬢が、婚約破棄されたそうよ」


「ウッソー!? でも、あの子ならありそうだわ」


「ところがね、別の殿方と知り合ったらしいのよ」


「え、え? どんなお方なの?」


 ステラも、みんなと一緒についおしゃべりに夢中になっていた。


「……あっ!!」


「なによ、どうしたの!? ステラ、大きな声を出して」


 驚いた令嬢たちが、いっせいにステラに目を向けた。


(薬の時間だわ……)


 しかし、ステラは考えた。令嬢たちの前で薬を飲めばどうなるだろう?


(なに飲んでるの? ステラ)


(薬なの? それ)


(ひょっとして、やせたのと関係あるの?)


 ……と、聞かれるに違いない。彼女らのダイエットに対する関心は並々ならないからだ。


「……私、ちょっとトイレにいってくるわ」


 ステラは立ち上がった。彼女らの前で飲むのは避けたほうがいい。


「あ、私も行くわ」


「私も」


「私も」


 他の令嬢もぞろぞろと後をついてくる。


(な、なんでついてくるの!? ……こうなったら、しかたないわね)


 ステラはいきなりダッシュした。令嬢たちが離れていく。


「あっ、ステラ、どこ行くのよー!?」


「あ、あなたたち、ついてこないで!」


「ステラー! 待ってよー」


(くく、いやがらせなの、このコたちは……)


 結局、令嬢たちから十分な距離を取るまでに、ステラはかなりの距離を走るはめになった。だが、なんとか無事に薬を飲むことができた。


「はあ、はあ……。まったく、いい運動になったわ。やれやれですわ、せっかく楽してやせられたのに」


 ──こうして、何もかも順調なステラだったが、出先で人目を忍んで薬を飲むさいに、たびたび焦ることもあった。

 しかし、そのつどダッシュしていると、みんなすぐに慣れて、「あ、またステラが走ってる」くらいにしか思わなくなった。



 ◆  ◆  ◆



 ──ある夜



 静かな夜だった。ステラは自室のベッドで寝息を立てている。窓のカーテンの隙間からわずかに月光が差し込んでいた。


(……ステラ、僕と結婚してくれ)


(はい、ファシール様)


(じゃあ、誓いの口づけを……)


(あ、ファシール様、薬を飲みませんと)


(何をしているんだ、ステラ。こんな大事な時に)


(い、いえ、その……)


(ステラ、どうしたの? なに飲んでるのぉ?)


(何よ、あんたたちには関係ないでしょ)


(ステラ)


(ねえ、ステラァ)


(ちょ、ちょっと、ジャマしないで。薬が飲めないでしょ……!)


(お姉さまぁ。どうなさったの?)


(ああ、間に合わない。ダ、ダメ……体が、私の体がどんどん、大きくなる……!)


(うわ~!)


(なんだ!? こいつは)


(なんて醜いんだ!)


(叩き出してしまえ!)


(や、やめて……! 私……違うの……違うのよ……!!)



「きゃあっ!」


 ステラは飛び起きた。まだ真夜中だ。すぐに自分の体を触った……スリムなままだった。


「はぁ~っ、夢かあ。でも、薬を飲み忘れると、ああなってしまうの……?」


 魔女の薬は、実際に効果があったのだ。なら、薬が切れたときの反動で、体が元の何倍にも太ってしまうというのも本当なのだろう。

 額の汗をぬぐい、ふたたび横になる。だが、なかなか寝付けなかった。



 ◇  ◇  ◇



 ──数日後、ステラは身支度をしていた。これから、ファシールとデートだからだ。ふと、誰かが部屋のドアをノックした。


「お姉さま」


 入ってきたのは、ステラの妹、リオンだった。


「お姉さま、見て見て。このポーチ、可愛いでしょ?」


「あら、いいポーチね……って、うん?」


 ポーチはステラのものにそっくりなデザインだった。


「お姉さまとお揃いのポーチ、買ったの」


 ステラがやせて以来、リオンの態度はすっかり変わった。かつて姉を『お屋敷トド』などと呼んでいた時とは180度ちがう。


 このポーチにしても、ステラとよく似たものをわざわざ選んでいる。媚びているのか対抗しているのか、よくはわからないが、今のステラにとってはささいなことだった。


「あーら、いいポーチじゃない、リオン」


 適当に褒めておく。こっちはデートの準備で忙しいのだ。


「あ、いけない。遅れちゃうわ」


 ステラはあわてて準備を済ませ、出かけて行った。



 ◇  ◇  ◇



「今日はいい天気になったね。ステラ」


「そうですわね。すっかり雨もあがっていますわ」


 ステラとファシールは、ウォラス邸から数キロ離れた湖畔に出かけていた。

 楽しく過ごす2人だが、今日のステラは抜け目がない。話をしながらも、懐中時計をチラ見してちゃんと残り時間の計算をしていた。


(ぼちぼち用意しましょうっと)


 じゅうぶん時間に余裕をもって、薬の用意をする。そしてなんとか口実を作って席を外す。この前のように慌ててダッシュする必要がないように。



 ──だが、ポーチの中に手を入れたステラは、凍り付いた。



 ない。薬が入っていないのだ。そんなバカな。もう一度、ポーチの中をまさぐり、覗き込み、ひっくり返す。ファシールの目を気にしている余裕もない。


 だが、やはり薬はない。ポーチからばらばらと小物が落ちる。その中に1冊の小冊子があった。ステラは拾って開いてみる。


 そこには、『この夏一番のモテアイテム。身近な人と同じポーチを持とう』と書かれていた。


「……なにこれ? ……あっ……あああ!!」


 それは、妹のリオンのポーチだった。ついあわてて、間違えて持ってきてしまったのだった。


「そそそそんな……! どうしたらいいの……!?」


 考えた。ステラの頭がフル回転する。残り時間はおよそ30分。屋敷までダッシュで帰れば、ギリギリ間に合うかもしれない。



(くっ……結局またダッシュするのね!)



 もはや愚痴を言うヒマなどなかった。もし1秒でも過ぎたら……考えるのもおぞましい人生が待っているのだ。

 せっかく手に入れた美しさを失うくらいなら、死んだほうがましだ、とさえ思った。


 ステラはダッシュした。ファシールが何か言ったような気もするが、かまっている暇はない。遅れればどのみちすべてがパアなのだ。


 いまだかつてない速さで草原を走り、林を抜ける。息が切れる。苦しい。だが、運命は自分の両脚にかかっている。


(走れ、ステラ……走るのよ!)


 3人の農民とすれ違った。ステラは彼らの間を、すさまじい速度で通り抜ける。あまりの速さに農民は口を利くこともできない。


 さらに走ると川が現れた。この川を渡らねば屋敷には帰れない。昨日の雨で、川は増水している。だが、さいわい橋は無事だ。なんなく渡れるだろう。


 この調子なら、ぎりぎりで間に合いそうだ。


 ──だが、そのとき、悲鳴が聞こえた。ステラが声の方向に目をやると、子供が川の中でおぼれているではないか。


 川辺で遊んでいて、深みにはまってしまったのだろうか。ステラは立ち止まった。だが、時間は刻一刻と過ぎていく。立ち止まる時間も惜しいのだ。


 今の彼女の運動能力なら、子供を助けられるだろう。だが、すでにタイムリミットが迫っているのだ。助けていれば、確実に時間をオーバーする。


 もしそうなれば、ステラはすべてを失ってしまう。積み上げたものも、美しさも失い、元よりもひどくなってしまう。そうなったら、いくらファシールでも心変わりするに違いない。ステラにとっては、それが何よりも辛かった。


(……ゆるして!)


 ステラは顔をそむけ、走り去った。


 子供はもがく。だが、だんだん弱っていき、徐々に水の中に沈んでいく。とうとう、その手だけが流れる川面かわもに突き出るのみになってしまった。



 ──その手を、誰かがしっかりと握った。



 ステラだった。


 そのまま、渾身の力を込めて、その手を引っ張った。ステラ自身も信じられないくらいの力が出た。なんとか子供を川辺まで引っ張り上げた。


 しばらくの間、2人とも荒い息をつき、口が利けなかった。やがて、子供が口を開いた。


「あ、ありがとう……お姉ちゃん。助けてくれて」


 だが、ステラの表情は沈んでいた。


「もう……いいのよ、もう」


「……お姉ちゃん?」


「もう間に合わないの……。もう私はおしまいだわ」


 残り時間はあと1分ほどだった。それで薬の効果は切れる。


「……でもよかった。あなたを助けなきゃ、私、一生後悔したでしょうから」


 ステラは懐中時計を出して時間を見た。


「ああ、あと10秒。……5……4……3……」


 醜くなってしまう自分。その変化に備えて思わず身を硬くした。



 ──が、体に何も変化はない。



「…………あれ?」


「お姉ちゃん、どうしたの?」


「……何も起こらない? 確かに時間は過ぎているはずなのに……?」


 体を触っても、どこも変わっていない。


「……でも、どうして!?」


 答えはあの魔女が知っているに違いない。理由が気になって居ても立っても居られなくなり、ステラはミミの店に向けて走った。



 ◇  ◇  ◇



 ──魔女ミミの店



「ミミさん、あなた私をだましたのですか?」


 ステラはドアを開けるなりたずねた。


「なんですじゃ、いきなり」


 ミミは、顔も上げずに、右手の瓶の中の赤い液体を、左手の青い液体の入った瓶に注いでいる。


「薬を飲むのを忘れたのに、なにも起きませんわ」


「ああ、なるほど……」


 ミミは瓶を置くと顔を上げた。


「……それはな。あんた、薬でやせてから生活習慣が変わったじゃろ?」


「え? ええ、たしかに。でも、それがなんですの?」


「食事を減らして、運動をした。じゃから、薬がなくともやせた体を維持できるようになっていたんですじゃよ」


「どういうことですの?」


「つまり、そのやせた体は、薬の力ではなくもうあんた自身のものなんじゃよ。だから薬が切れても反動がなかったんじゃ」


「じゃ、じゃあミミさんは、この数か月、私の体の変化に気づいていたんですか?」


「まあね。でも、確実に体が定着するまでは薬をやめろとは言えんでしょうが。ま、なんにせよタイミングがよかったですじゃな。もう薬はいらんし、残りの薬も払い戻しして引き取りましょうぞ」


「はい……。屋敷にあります。持ってきますわ」


 ステラは立ち上がり、ドアに向かった。


「でもですじゃよ、お嬢さん」


 ミミの声にステラが振り向く。


「リバウンドには気を付けてくだされ」


 ミミはフードの下でニヤリと笑った。



 ◇  ◇  ◇



 ──ウォラス伯爵邸



 ステラは部屋に戻り、中を見渡すが、ポーチがない。


「もしかして……!」


 すぐさまリオンの部屋に向かった。


「リオン、私のポーチあるかしら?」


 部屋にいたリオンは、予想通りステラのポーチを持っている。


「はい、これ。お姉さまったら、私のポーチを間違えて持って行くんだから」


「あんたが紛らわしいのを買うからでしょ」


 ステラはポーチを開けて中身を確認した。薬をミミに渡して払い戻してもらわないといけない。

 ……が。


「……薬がない。……ちょっと、リオン!」


「なあに? お姉さま」


「あなた、ポーチの中身をどうしたのよ?」


「これですか?」


 リオンは手のひらの上で薬の入った小袋をゆらした。


「それよ、それ。返しなさい」


 ステラが手を伸ばすが、リオンはひっこめる。


「この薬で、お姉さまはスリムになったんじゃなくて?」


「……う。そ、それは……」


「ズルいですわ、お姉さま。私だってスリムになりたいですもの」


 リオンは小袋から薬を1粒とり出した。


「ダ、ダメよ! それを飲んじゃダメ!」


「どうして?」


「その薬には、副作用があるのよ! 危険だから、飲んじゃダメ!」


「またまたぁ。お姉さま、私に飲ませたくないもんだから、そんなこと言って……」


「飲まなくても、あなたは太ってないわよ!」


「みんなそう言うの。でも、私もやせたいんです。やせて、お姉さまみたいに奇麗になりたいの……」


 リオンは薬をつまむと口を開けた。


「ダメェーーーーーーーッ!!」


 ──ゴクリ。


 リオンが薬を飲み込む音が、静かな部屋に響いた。


「あ……ああ、飲んじゃった……」


「なんか、飲んだばかりだけど、薬が効いてきたような気がしますわ、お姉さま」


「バカッ! リオン、ちょっと来なさい!」


 ステラはリオンの腕を引っ張った。


「ええ、なんですの? お姉さま」



 ◇  ◇  ◇



 ──ミミの店



「……と、いうわけで、妹が薬を飲んでしまったんです」


 青い顔をしたステラと、きょとんとしたリオンがカウンターに並んでいる。


「あ~、やっちまいましたね。で、どうしますんじゃ?」


「ミミさん……この薬って、ようするに、普通にやせられるくらいダイエットにはげめば、飲まなくても大丈夫なんでしょう?」


「その通りですじゃ。あなたと同じようにな」


「……と、いうわけよ、リオン」


 ステラはリオンに顔を向けた。


「え? え? どういうわけですの? お姉さま」


「だからあ、これからあんたは頑張ってダイエットするしかないのよ!」


「ええ? いやですわ、そんなの」


「つべこべ言わないで、さあ、まずは家までダッシュよ」


「いやですぅ~!」


 嫌がるリオンを引きずるようにして、ステラたちは店を後にした。


 ──


「ハア、ハア……、し、死ぬ、死んじゃいますわ、お姉さま」


「ガマンしなさい。やせるためよ」


 リオンに付きあって、ステラも共に帰り道をダッシュする。


「そんなあ。だって、私は、楽してやせたい(・・・・・・・)んです……お姉さま~」


「楽してやせられるわけないでしょ! なに言ってるの、もう」



 ──2人は走る。リオンが立ち止まるたびに、ステラがはげます。



「ああ! しまった!」


「ど、どうしたの? お姉さま。大きな声を出して」


「ファシール様をほったらかしにしちゃった……」


「あ~あ、やっちゃったわね。お姉さま」


「えらそうに言わないで! リオン、1人で帰って。私はファシール様のところへ行くから」


 そう言い残し、ステラはまたダッシュする。ステラが見えなくなってから、リオンは舌を出し、ゆっくりと歩き出した。


 

 ◇  ◇  ◇



 ──ファシール邸



「はあ、はあ……。あの~、ファシール様はいらっしゃいますの?」


 肩で息をするステラだが、つとめて平静を装い、執事にたずねた。


「これは、ステラ様。若は庭におりますよ。ご案内いたしましょうか?」


「お、お願いしますわ……」


 執事に案内されて庭に行くと、すぐにファシールが歩いているのが目に入った。どうやら、向こうもステラに気づいたようだ。


「ステラ! ステラじゃないか!」


 いつになく声を張り上げる。こんな彼は見たことがない。


(まずい……ほったらかしたこと、怒ってる? なんて言い訳したらいいの……)


 考えているうちに、ファシールがどんどん近づいてくる。


「あ、あの、ファシール様。すみません、実は……」


「もういい、ステラ。何も言うな」


(……う、やばい。言い訳は無用なの?)


「僕はもう知っているんだ」


(え? え? まさか、薬のこと!? どうして?)


「ようやく本当の君がわかったよ」


(やっぱり、ばれてる? どうしよ……これって、婚約破棄になっちゃうの?)


「全部、見ていたからね。ステラ」


「ぜ、全部……?」


「ああ、僕は見ていた。君が川でおぼれている子供を助けるのをね」


「……え?」


「君が走り去ったあと、僕は君を追ったんだ。農夫に聞いて、君を探したら、子供を引っ張り上げているところだった」


 ファシールが声をかけようとしたとたんに、またステラが走り出したのだった。


「あ……そうでしたわね。忘れていましたわ」


 本心だった。他のことに気を取られすぎていたのだった。


「忘れた? 子供を助けた上に、それをちっとも誇らないのか。ステラ、君ってやつは……僕の見込んだ通りだ」


 ファシールはステラの手を取った。


「ますます君のことが好きになったよ。婚約といわず、すぐにでも僕と結婚してくれ」


 いきなりの求婚、急展開に、ステラは戸惑った。頭の中を整理していた。


(ま、まさかこんなことになるなんて……でも)


「ステラ……!」


「……はい。よろこんで」


(……結果オーライってやつですわ)




 ──こうして、ステラはファシールと結婚した。結婚式には、ステラの猛特訓でスリムになった妹のリオンも列席していた。


 2人は幸せに暮らし、ステラは2度とリバウンドすることはなかった。


 もう、ステラには、楽をしたいという気持ちはなくなっていたからだ。



(おわり)


お読みいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
楽しかったです!(╹◡╹) "楽して痩せたい"という願望から転がっていく事態が楽しいです。 ステラの走る勢いが凄くなっていくのを想像して、又笑えました! 姉妹でいろいろありましたが、最後は大団円(*^…
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