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マイクロプラスチックのせいで人がゾンビに!?~発症率0%の私のアラートは鳴らない~  作者: イニシ原


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006話 ~ 唐梨美奈子と、知り合いになった

「ねえ、結月子ちゃん。お母さん、またテレビに出てたね」


 背後からの声に、私は碧いリボンを整える手を止めた。

 入学式のやり直しから、さらに一週間。

 あの日、教室を支配していた「いつ何が起きるかわからない」というピリついた緊張感は、驚くほど速やかに霧散していた。


 人は、異常な状況にも一週間あれば慣れてしまうらしい。少なくとも、この教室では。

 クラスメイトたちは、休み時間になると当然のようにスマホの数値を競い合い、何事もなかったかのように談笑している。


 振り返ると、そこには唐梨からなし美奈子が立っていた。

 中学校が同じだった彼女は、当時、私を「何を考えているかわからない変わり者」として、率先して遠巻きにしていたはずだ。


「……ああ、美奈子ちゃん。見てたんだ」


「そりゃあ見るよ。今、結月子ちゃんのお母さんを知らない人なんていないでしょ? 復興のシンボルっていうか、あの事件のあと、あんなに毅然とインタビューに答えてる姿、みんな格好いいって言ってるよ」


 美奈子の言葉には、純粋な好奇心と、計算高い歩み寄りが混じっていた。

 彼女が私に声をかけてきた理由は、明白だった。

 あの日以来、私のお母さんは「悲劇を乗り越えた美しき保護者」として、メディアの注目の的になっていたからだ。


「……私は、ただ普通の生活に戻っただけだと思うけど」


「そんなことないって。ねえ、それよりさ。結月子ちゃんの数値、見せてよ。お母さんがあんなに落ち着いてるんだから、結月子ちゃんも凄くいい数値(Zas)出してるんでしょ?」


 美奈子が自分のスマホを差し出してきた。

 画面には「0.341」という、この教室の平均的な、そして『健康』とされる数値が躍っている。


(……見せても、いいんだ。そのための、これなんだから)


 私は一瞬の迷いを飲み込み、ポケットから天色のスマホを取り出した。

 指先で画面を点灯させ、美奈子の目の前に差し出す。


 画面には――

 お父さんが用意してくれた偽りの安らぎが表示されていた。


「……はい。これだよ」


 画面に表示されているのは「0.258 Zas」。


「……わっ、0.2台なんだ! すごい、私より全然いい(低い)じゃない。やっぱりお母さんがあれだけ落ち着いてるだけあるね。いいなあ、これなら当分は安心でしょ?」


 美奈子は画面を食い入るように見つめ、羨ましそうに声を弾ませた。

 彼女の「0.341」に比べて、私の数値は「発症から遠い」ことを示している。この世界では、数値が低ければ低いほど、生存の切符を強く握っていると見なされるのだ。


「……お母さんが、いつも『普通が一番』って言ってるからかな」


 私は、自分でも驚くほど滑らかに嘘を重ねた。

 本当の数値「0.0022」がバレたら、美奈子は羨むどころか、言葉を失うだろう。お父さんが言った「生物の極致」――それは、この教室の誰よりも「死」から遠ざかってしまった、異質な存在の証なのだから。


「いいなあ。私もそれくらい安定してたら、お母さんに小言言われなくて済むのに。昨日なんてニュース見て『あんたの数値、また上がったんじゃないの?』ってうるさくてさ」


 美奈子は、自分の「0.3台」という数値に少しだけ不安を滲ませながら、スマホをポケットにしまった。あの日、私の隣で震えていた彼女は、幸いにもどこも怪我をせずに済んだらしい。だからこそ、彼女にとってあの惨劇は、もう「過去の怖いニュース」の一つに過ぎないようだった。


「……じゃあ、また後でね」


 美奈子は自分の席に戻ろうとして、ふと足を止めた。

 振り返った彼女の顔には、さっきまでの打算的な明るさとは違う、少しだけ決まりの悪そうな色が混じっていた。


「……あ、そういえばさ。中学のときは、なんかごめん。……結月子ちゃんのこと、変な子だって決めつけて、みんなで避けてたりして」


 唐突な謝罪だった。

 一週間前なら、そんな言葉が出るはずもなかった。けれど今、彼女の瞳には、数値という不安定な基準に振り回される者同士の、縋るような連帯感が浮かんでいる。


「……ううん。気にしてないよ」


 私がそう答えると、美奈子は少しだけホッとしたように笑って、今度こそ自分の席に戻っていった。


(……気にしてない、なんて。嘘だけど……)


 私は、美奈子の背中をぼんやりと見送った。

 彼女はまだ、中学からの付き合いだからマシな方だ。

 小学生の頃から「変わり者」だと指をさされ続けてきた私にとって、教室に友達なんていないのが普通だった。


 あの日々、向けられてきた冷たい視線や、聞こえないふりをして通り過ぎた陰口。

 それらが、たった一週間の混乱と、手元のスマホに表示された「0.258」という数値一つで、まるで最初から無かったかのように――上書きされていく。


(……どう付き合えばいいのか、なんて、今さら言われても分からない)


 歩み寄ってくる彼女たちと、どう距離を詰めればいいのか、どんな顔をして笑えばいいのか。

 その正解を、私は一度も教わったことがない。

 だから、今はただ、教わったばかりの「社交辞令」という仮面を被って、波風を立てないようにやり過ごすしかない。


 この高校から新しく出会った人たちは、私の過去なんて全く知らない。

 せいぜい、テレビ番組で「復興のシンボル」として映るお母さんの隣で、所在なさげに立っていた私を見かけたことがある程度だろう。そんな「教室だけの有名人」扱いにどう対応すべきか、お母さんにコツでも聞いておけばよかったかな、なんて場違いな後悔が頭をよぎる。


(……でも、いいか。どうせみんな、このスマホの数値が見たいだけ。私自身に興味があるわけじゃないんだから)


 そう自分に言い聞かせると、胸の奥のざわつきが少しだけ凪いだ。

 群がっていたクラスメイトたちが、予鈴の音と共に潮が引くように自分の席へと戻っていく。


 ガタガタと椅子を引く音、教科書を広げる乾いた音。

 そんな、あの日以前と何ら変わらないはずの音が重なり合ううちに、授業が普通に始まっていた。


 窓から差し込む春の日差しは、驚くほど穏やかで。

 黒板を叩くチョークの音だけが、嘘みたいに平和なリズムを刻んでいた。

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