第一章 検死役の娘 第八話
斑が白衣の袖を捲りながら大きく欠伸をする。
「今日はここまでだな。肩凝ったわ」
「お前はほとんど見てただけだろう」
「立ってるだけでも疲れるんですよ。あの女、妙に整ってたし」
”あの女”_____三十代半ばの女性。
整った顔立ち。乱れのない髪。争った形跡のほとんどない身体。
死体というより、静かな人形のようだった。
私はカルテのコピーを抱えたまま、黙って歩く。
足音がやけに大きく響いた。
父さんがちらりとこちらを見る。
「どうだった。初めての本格的な検死は」
「.....思ってたより、静かだった」
「静か?」
「うん。死んでるのに、騒がしくなかった」
斑が小さく笑った。
「感想が詩人みたいだな」
「でも.....」
言葉が途中で止まる。
検死中ずっと感じていた、説明できない違和感。
胸の奥に引っ掛かり、喉の奥に残っている。
記録室に入ると、父さんは資料を机に置き、椅子に腰を下ろした。
「違和感、という顔をしている」
「.....わかるの?」
「親だからな」
私はコピー用紙を机に広げ、女性の頸部の写真を指でなぞる。
紫色の斑点が、不自然な曲線を描いていた。
「この痕」
「絞殺痕だろう」
「うん。でも、指の痕じゃない」
斑が背もたれにもたれながら言った。
「縄か布だろ。珍しくもない」
「でも、線じゃなかった。点が連なってる」
「.....点?」
父さんが身を乗り出し、写真を見直す。
皮下出血は、硬い何かで断続的に押し付けられたような形をしていた。
「鉤みたいな形だった」
「鉤?」
「釣り鉤とか、金属のフックみたいな」
斑が眉をひそめる。
「そんなもんで人の首を.....」
「無理じゃない。力点が集中するから、むしろ効率的」
自分でも驚くほど冷静に言葉が出た。
父さんの視線が、わずかに鋭くなる。
「それに、この人.....抵抗してない」
「爪の中に皮膚片はなかったな」
「でもそれだけじゃない。服も、髪も、部屋も。綺麗すぎる」
斑が小さく舌打ちする。
「整理整頓好きな被害者もいる」
「でも、この写真を見ても、”殺された”現場じゃないような気がする。まるで_____」
口にしたくない単語が浮かび、喉で止まる。
それでも、言葉は落ちた。
「.....差し出されたみたいだった」
父さんの指が、写真の端を押さえたまま止まる。
「自分で首を差し出した、みたいな.....」
斑は苦笑した。
「宗教じみたことを言うな。燈華国にそんな事件_____」
「あるよ」
思わず遮ってしまった。
自分でも驚き、視線を逸らす。
「昔の記録。母さんの本棚にあった」
「.....」
「人身供儀の文献。儀式的な絞殺。器具の図もあった」
父さんの表情が硬直する。
「.....母の部屋を勝手に漁ったのか」
「ごめん。でも、気になった」
沈黙が落ちる。
斑は軽口を叩こうとして、やめた。
「その器具、どんな形だった」
父さんが低く尋ねる。
私は記憶を掘り起こす。
古びた金属。曲がった先端。箱に丁寧に収められていた用途不明の器具。
「.....鉤みたいだった」
室内の空気が、ピンと張り詰める。
父さんはしばらく黙り込み、やがて椅子にもたれた。
「.....偶然だ」
「偶然?」
「形状が似ているだけだ」
だが、その声には確信よりも”願い”が混じっているような気がした。
私は何も言わない。
あの女性の静かな顔を思い出す。
恐怖でも苦痛でもなく、諦めでもない表情。
_____準備された死。
その言葉が脳裏に浮かび、消えなかった。
違和感も、消えなかった。
むしろ、輪郭を持ち始めていた。




