第一章 検死役の娘 第五話
*
.....困ったものだ。
詠真は歩きながら、ほんの一瞬だけ背後の気配を振り返った。
そこにいるのは、娘の紗詠。
小さな背中。細い腕。まだ子どもの体躯。
それなのに、さっき向けられた眼差しは、すでに”覚悟を決めた者”のそれだった。
いつからだろう。
この子が自分の背中を追うだけでなく、自分の足で歩こうとし始めたのは。
(子どものままでいてくれればよかったのに)
そんな身勝手な願いが胸に浮かぶ。
だが、同時に理解してしまう。
この子は、止めても止まらない。
真実を見たいと願う者は、たとえ閉じられた扉の前に立たされても、鍵を探し、壁を壊し、いずれ中に入ってくる。
それを、詠真は誰よりも知っていた。
この国では、「知らない」ということが唯一の救いになる。
だが、「知ってしまった者」は戻れない。
真実を知るほど人は孤独になり、やがて_____消される。
(.....お前は、俺よりも早く、大人になろうとしている)
胸の奥で何かがひび割れた。
誇らしい。だが怖い。
父親としては、誇りよりも恐怖が勝ってしまう。
遠ざければよかったのか。甘やかせばよかったのか。
それとも、最初からこの道を見せるべきではなかったのか。
答えは出ない。
検死役としては、死因には必ず答えがあるのに、親としての問いには決して正解が見つからない。
_____それでも。
彼女の言葉は嘘ではなかった。
憧れでも、気まぐれでもない。
覚悟だった。
「死体に嘘をつかせたくない」
その言葉を言える人間が、この国にどれだけいるだろう。
(.....あの人に、よく似ている)
ふと、遠い記憶が胸をよぎる。
柔らかな声で、誰にでも優しかった人。
真実を知りながら、黙っていられなかった人。
そして_____その優しさが、命取りになった人。
詠真は、拳を握りしめた。
爪が手のひらに食い込むほど強く。
「.....せめて、お前だけは」
そう口に出しかけて、飲み込む。
父親の願いなど、真実の前では無力だ。
それでも願わずにはいられない。
娘には、長く生きてほしい。真実を知りながら、それでも生き延びてほしい。
だが、この国でそれは、奇跡に近い。
詠真は視線を前に戻した。
検死室の扉が見える。
そこは、真実が眠る場所であり、同時に人が消えていく入り口でもある。
今日、彼はその扉を、娘のために開ける。
(.....許されるだろうか)
誰に向けた問いかも分からないまま、詠真は無言で歩き続けた。




