表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
検死役の娘は、死体に嘘をつかせない。  作者: 雨音 穹
第一章 検死役の娘

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/25

第一章 検死役の娘 第十九話 



翌朝、検死室は静かだった。

戸は開いているが、遺体台には白布がない。

帳簿も閉じられたまま、机の上に置かれている。






検死の依頼は来ていない。

珍しいことではない。

だがなぜか、今日は空気が落ち着かなかった。






昨日の夜。

河原で見た光景が、頭から離れない。

水の中に沈められた糸。

回収する斑。

そして、あの沈黙。






私は朝から、何度も筆を持ち上げては置いていた。

書くことがないのではない。

書きたいことが、定まらない。

その時だった。






階段を降りてくる足音がする。

軽い足取り。

聞き慣れた音だった。

扉の前で止まり、ひょいと顔が覗く。






「仕事はないのか」






斑だった。

いつもと同じ調子。

まるで、昨日の夜など存在しないかのような顔。






「.....今日は来てないみたい」

「それは平和な日だな」






そう言って、斑は部屋に入ってきた。

壁にもたれ、腕を組む。






「お前、顔が悪い」

「顔?」

「寝てないだろ」






図星だった。

誰のせいだと思っている。

私は答えない。

斑は少しだけ笑った。






「考えすぎだ」

「.....何を?」

「全部」






軽い言い方。

だが、逃げ場のない言葉だった。

私は息を吸う。

そして、決めた。






「聞いてもいい?」

「内容による」

「.....昨日、河にいたよね」






沈黙。

ほんの一瞬だけ、斑の目が止まる。

だが次の瞬間には、もういつもの表情だった。






「散歩だ」

「夜中に?」

「夜の方が静かだ」






答えになっていない。

私は続ける。






「糸を拾ってた」

「全部見てたのか」






怒りも驚きもない。

ただ確認するような声。






「.....うん」






少しの沈黙。

斑は視線を天井に向けた。






「じゃあ、聞くな」

「どうして」

「答えないから」






はっきりと言った。

私は唇を噛む。






「関係あるの?」

「何と」

「.....あの溺死」






今度は、斑が私を見る。

少しだけ。

ほんのわずか、真面目な目。






「お前はどう思う」

「質問で返さないで」

「答えを持ってるような顔をしているからな」






私は視線を落とした。






「.....わからない」

「正解だ」






斑はあっさり言う。






「この国で”わかる”と思ったら負けだ」






その言葉は、冗談ではなかった。






「どういう意味?」






斑は机の上の帳簿を指で叩く。






「検死役ってのはな」






乾いた音が鳴る。






「死の理由を探す仕事じゃない」






聞いた言葉。

父さんと同じことを言っている。






「理由を”整える”仕事だ」






私は静かに言った。






「父さんも同じことを言った」

「だろうな」






斑は苦笑する。






「この国は理由が多すぎると困るんだ」

「.....」

「事故、病、天命」






指を三つ折る。






「この三つで回れば、世界は静かだ」






私はゆっくり言う。






「でも、本当は違う」

「当たり前だ」






斑は即答した。






「本当の死因はそんなに綺麗じゃない」






少し沈黙が落ちる。

私は小さく言った。






「教団って知ってる?」






斑の眉が、わずかに動く。

ほんの一瞬。






「どこの教団だ」

「禁忌の宗教」






その言葉を口にした瞬間、検死室の空気がわずかに重くなったような気がした。

斑は視線を外す。

そして、短く笑った。






「よくそんな言葉知ってるな」

「母さんの本」

「.....ああ」






斑は小さく息を吐いた。






「余計なもの読んでる」

「あるの?」

「ある」






否定しなかった。

私は驚いた。






「でもな」






斑は続ける。






「この国で怖いのは宗教じゃない」

「.....国家?」

「まあ、気づいたか」






その声は軽かった。

だが、言葉は重い。






「宗教は信じる奴がいないと動かない」






斑は壁から離れ、窓の方を見る。






「国家は、信じなくても動く」






私は黙る。






「中央は全部見てる」






静かな声だった。






「検死も」






「記録も」






「死体も」






そして、少し間を置いて言った。






「人間も」






昨日の使者の顔が浮かぶ。

あの視線。






「紗詠」






斑が言った。






「深入りするな」

「.....」

「お前はまだ外側だ」

「でも」

「外にいられるうちは外にいろ」






その言葉は、忠告だった。

私はゆっくりと顔を上げる。






「斑」

「なんだ」

「あなたは、どっち側?」






少し沈黙。

斑は笑った。






「さあな」

「はぐらかさないで」

「答えると、どっちかになる」






それだけ言う。






「俺は、どっちにもなりたくない」






それが本音なのか、嘘なのか、わからない。

でも、一つだけわかった。

斑は何かを知っている。

そして、言わない。

私は深く息を吸った。






「.....わかった」

「何が」

「調べる」






斑の眉が上がる。






「教団も」






「国家も」






私は続ける。






「全部」

「危ないぞ」

「知ってる」






私は斑を見る。






「でも」






言葉が少しだけ震える。






「あなたが関係ないって、証明したい」






斑は黙った。

そして、少しだけ笑う。

優しい笑いでも、冷たい笑いでもない。

どこか困ったような笑いだった。






「変な理由だな」

「そう?」

「普通は疑うために調べる」






私は首を振る。






「私は違う」

「どう違う」

「安心したい」






正直な言葉だった。

斑はしばらく何も言わなかった。

やがて、小さく肩をすくめる。






「好きにしろ」






それだけだった。

だが、その声には止める意思はなかった。






その瞬間、理解した。

私はもう戻れない。






ただの見習いには。






ただの娘には。






ただの傍観者には。






検死室の光が、白い机を照らしている。

その光の下で、私は初めて決めた。






真実を探す。






死体のためではない。

国家のためでもない。

斑のためでもない。






_____私自身のために。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ