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検死役の娘は、死体に嘘をつかせない。  作者: 雨音 穹
第一章 検死役の娘

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第一章 検死役の娘 第十三話



朝の検死室は、昼よりも静かだった。

窓の外では市が開かれ、売り子の声が遠くに聞こえる。

だが、石造りの地下室には、外界の熱も音も届かない。






「次の案件だ」






父さんが帳簿を開いた。






「身元不明の若い男。河岸で発見。溺死と判断されて搬送された」

「溺死かあ」






斑が手袋を嵌めながら言う。






「この国で一番便利な死因だな」

「便利?」

「事故扱いにしやすいって意味だ」






私は布で覆われた遺体を見つめた。

胸が、少しだけ強く打った。

これで、二件目。

布がめくられる。






若い男の顔は青白く、唇は紫色を帯びている。

髪は水で濡れたまま固まり、泥が耳の後ろに残っていた。






「典型的な溺死所見だな」

「でも、妙に綺麗だな」






斑が覗き込む。






「河で引き上げたにしては傷が少ない」

「流れが緩い場所だったらしい」






父さんは喉を切開し、気道を確認した後、胸部を開いて肺の状態を調べた。

水の混入、泡沫。確かに溺死の兆候は揃っている。






「ほぼ間違いないだろう」






父さんはそう言ったが、私は遺体の手に目を留めた。






「.....父さん」

「なんだ」






男の指先が、強く曲がっている。

爪の間に、細い繊維が絡まっていた。






「この糸、河岸のもの?」

「.....いや。河の藻ではないな」






斑が視微鏡で覗き込む。






「織物だな。絹.....いや、燈華布か?」

「市で売ってるやつ?」

「高級品だな。庶民はあんまり持ってない」






父さんは男の衣服を調べる。

粗末な布。擦り切れた草鞋。

高級布を持つ身分ではない。






「.....おかしい」

「また詩人みたいな感想だな」






斑が笑う。






「溺死なのに、抵抗の痕が少ない」

「河に落ちたら抵抗しない奴もいる」

「でも、爪に繊維が絡むほど掴んでいる。掴んだ”何か”があった」






父さんは男の手首を持ち上げる。

そこに、赤い線状の痕が残っていた。






「縄痕か?」

「溺死前に縛られた可能性」






斑が眉を顰める。






「つまり、河に投げ込まれた?」

「可能性はある」






父さんは淡々と答えながらも、目が少し鋭くなっていた。

私は男の耳の後ろを見つめた。

そこに、小さな刺し傷があった。






「.....これ」

「虫に刺されたんだろ」

「違う。針」






父さんがライトを当てる。

確かに鋭利な針痕のようだった。






「毒?」

「溺死だから毒検査は不要とされる」

「でも、するよね」

「.....ああ」






斑が軽く笑う。






「お前、もう完全に検死役の思考してるな」






父さんの表情が、わずかに複雑になる。






「溺死に見せかける理由は?」

「殺人を事故に見せるのは定番だ」

「でも、縛って、毒を打って、河に落とす.....手間が多い」






私は言葉を選びながら言った。






「まるで、”溺死”という形に合わせたみたい」

「形に合わせた?」

「.....溺死という”カテゴリ”に入れるために、死を加工したみたい」






斑が小さく息を吐く。






「嫌な言い方するな」






父さんは、遺体の顔を見つめたまま動かなかった。






「.....この国では、死因はカテゴリだ」

「え?」

「分類され、記録され、統計になる」






言葉の意味は、まだ私には完全には理解できなかった。

だが、胸の奥に小さな棘が刺さった。






「溺死は、扱いやすい」

「.....」

「だから溺死にした」






私は、男の顔を見た。

恐怖の表情はない。

だが、どこか諦めたような静けさがあった。

あの女性と、同じ。






「.....溺死じゃない」

「可能性は低い」

「でも、嘘だ」






父さんはしばらく黙り込んだ。

斑が言う。






「どうしますか。記録は」

「.....溺死で通る案件だ」






父さんの声は、わずかに硬かった。






「でも」

「でも、なんだ」

「私は、溺死って書きたくない」






沈黙が落ちる。

斑は苦笑した。






「もう反抗期か?」

「違う。死に、嘘をつかせたくない」






父さんは、私を見た。






「.....検死役は、真実を知る仕事だ」

「じゃあ書こう」

「.....」






父さんは筆を握ったまま、止まった。

その瞬間、私は確信した。






この国では、真実を書くこと自体が、すでに”選択”なのだと。



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