この戦いを終わらせるために
第19章
王は空に舞い上がっていた。
その体を包む熱いオーラとともに、振るうたびに炎の魔法が放たれ、ミルティ軍の兵士たちを守るように敵陣へと降り注ぐ。
空はまるで血に染まった夕焼けのように赤く、やがて敵軍はじりじりと退いていった。
「A隊、退け!」
「C隊、退け!」
「B隊、退け!」
必死な声が戦場に響く。
場面はヒフンの方へ移る。
ヒフンの両親と三人のミルティ兵士が敵に人質として捕らえられていた。
「急げ、王国へ戻るぞ!」
敵の一人が人質を引きずりながら叫ぶ。
「待て! 人質を放せ!」
ヒフンの声は怒りで震えていた。
「はぁ? 寝言は寝て言え!」
敵は冷たく嘲笑する。
ヒフンは構えた。恐怖と決意のあいだで両手がわずかに震えている。
「もう一歩でも動いてみろ、容赦しないぞ!」
敵は剣の切っ先を人質の首元に押し当てて脅した。
「ヒフン、落ち着け」
レイの声は柔らかくも、芯のある響きで彼に届く。
(どうすればいい…)
ヒフンの胸は揺れ、目は敵を空ろに見つめたまま。
「退け!」
敵が再び怒鳴る。
「待ってくれ!」
ヒフンの声が割れる。
敵は聞く耳を持たず、人質を引き連れたまま背を向ける。
「止まれ!!」
ヒフンは叫び、目に悔しさの熱が宿る。
追おうとした足を、レイとミシルが押さえた。
生き残った敵兵たちは退却し、戦場には砂煙と傷跡だけが残された。
王はフェズとダリウスの横に降り立つ。
「どうだ?」
息を切らしながら王が問う。
「奴らは退きました」
ダリウスが緊張の面持ちで答える。
「被害は?」
「我が軍の損害は多くありませんが…残念ながら、完全に押さえ込むことはできず、民間人にも犠牲が出ました」
「くそっ…」
王の顔が硬くなる。
「敵兵を五人捕らえましたが、すぐに自決しました」
ダリウスの声は怒りを抑えていた。
「なにっ!」
王の声が一段高くなる。
フェズとダリウスはうつむいた。
「こちらの人質は何人だ?」
「五人、敵に捕らえられました」
「五人か…」
王は眉間にしわを寄せ、戦場を見透かすような目をする。
「許せん…よくも…」
その時、レイとミシルが王の元へ駆けてきた。
レイは気を失ったヒフンを抱えている。
「王様…!」
レイが荒い息で呼ぶ。
王は動揺し、すぐに駆け寄る。
「どうした!」
フェズとダリウスもヒフンの様子を見る。
「気絶だけか?」
「それだけじゃありません…」
レイの声は低い。
「何だ?」フェズが問う。
「両親が敵に捕らえられて、ショックを受けているんです…」
「なにっ!」
王の胸に罪悪感が広がる。
しばし沈黙したあと、王は言った。
「まずは彼を王都の医療院へ連れて行こう。フェズ」
「はい」
「軍の管理を頼む。負傷者は王都へ運び手当てを」
「承知しました」
「それと、戦死した兵には立派な墓を用意してやれ」
「はい…」
「ここは私が運ぼう」
王が申し出る。
「お、お願いします…」
レイがうなずく。
王はヒフンを肩に抱え上げた。
「行くぞ」
「はい」
ミシルは心配そうに彼らを見送る。
王、レイ、ヒフン、ダリウス、ミシルは王都の医療院へ向かい、フェズは他の将軍たちと軍の後処理にあたった。
医療院に着くと、王はヒフンをベッドに寝かせた。
しばらくして、王とミシルは病室でヒフンを見守り、レイとダリウスは外で待機していた。
「君、レイというのか?」
ダリウスが口を開く。
「え、はい、何でしょう?」
レイは戸惑いながら見る。
ダリウスは何度か言葉を詰まらせた。
「どう言えばいいか…」
「何かあったんですか?」
レイが問い返す。
「実は…」
「実は?」
レイは不安げに身を寄せる。
「司令官ウェイ・タ、君の父上が…」
ダリウスは奥歯を噛みしめる。
「戦死された…」
レイの世界が一瞬止まった。
「え…」
その声はかすれ、震えていた。
「嘘だ…」
レイは虚ろな目で呟く。
「司令官ウェイ・タは、敵の大規模な攻撃から五十人の兵士を守るため、最後まで戦い抜かれた…」
ダリウスの声も揺れていた。
レイは言葉を失い、ただ立ち尽くす。
ダリウスはその姿を見て胸を痛める。
「本当に…すまない。私には救えなかった…」
レイの脳裏に幼い日の記憶が浮かぶ。
剣の稽古を終え、父と縁側に座っていた日のことだ。
「お父さん、夢ってなに?」
幼いレイが尋ねる。
「いつかお前が父より背が高く、強く、大人になって、父の前に立つ姿が見たい。それが父の夢だ」
そう言って父は息子の頭を撫でた。
現在に戻る。
ミシルはヒフンの傍らで目覚めを待つ。
王は窓の外を見つめ、レイは病室の前のベンチで俯いていた。
「父さん…母さん…」
寝言のようにヒフンがつぶやく。
ミシルの胸が締めつけられる。
そこへ、ダリウスが四つの弁当箱を持って戻ってきた。
「食事を持ってきた」
彼は弁当箱を掲げる。
「ありがとう」
王が受け取り、ヒフンのベッド脇の机に置く。
三人はヒフンを見つめ、不安を募らせた。
「王様…」
ダリウスが低く呼ぶ。
「何だ」
「私…レイに父の死を伝えてしまいましたが、間違いだったのでしょうか…」
ミシルは息をのむ。
「そうか…彼の父は戦死したのか…」
王の顔には罪悪感、怒り、憂いが入り混じっていた。
「なぜこんな戦いが…人の命を奪ってまで欲を満たすために…」
王は己を責めるように呟く。
「これは私のせいだ…」
「え?」
ダリウスが目を上げる。
「子どもたちの代表戦を開催する約束などしなければ、こんな戦争にはならなかったかもしれない…」
「それは王様のせいではありません。負けを認められなかった彼らが攻めてきたのです」
ダリウスが諭す。
「そうです」
ミシルも静かに頷く。
「だが、もしあの試合がなければ彼らは敗北を感じなかった…」
王はなおも自分を責める。
「でも…」
「それは王様のせいじゃない」
静かだが、はっきりとした声が響いた。
王、ミシル、ダリウスが驚いて振り返る。
ヒフンが目を開け、ゆっくりと起き上がっていた。
「ヒフン、目が覚めたのか?」
ミシルが声をかける。
「ああ」
「気分はどうだ?」
ダリウスが尋ねる。
「まだ、両親が捕らえられていることを受け入れられないけど…」
ヒフンの声はかすれていた。
「レイはどこに?」
「外にいる」
ミシルが答える。
その時、レイがふらりと入ってきた。
「レイ、どうした?」
ヒフンが問いかける。
ミシルが小声でヒフンに囁く。
「レイのお父さん、戦死したの…」
ヒフンは息をのむ。
「目が覚めたのか、ヒフン…」
レイの声は弱々しい。
「あ、ああ。君は大丈夫か?」
「母を失い、今度は父も…心が空っぽになった。生きる意味も、目標も、父の最後の夢すら叶えられなかった…」
レイの瞳から涙があふれ、嗚咽が漏れる。
ダリウスが彼の肩に手を置き、そっと部屋の外へ連れ出した。
王は深い罪悪感に包まれる。
ヒフンは王を見て口を開く。
「王様…」
「な、何だ?」
「自分を責め続けないでください。王様がそのまま沈んでいたら、ハカオ王国には勝てません…」
ヒフンの声は少しずつ強さを帯びた。
王は黙って考え、やがて頷く。
「ああ…」
「王都に戻って、兵たちを導き、士気を高め、戦略を練ってください」
王は微笑んだ。
「わかっている。本来そうするべきだったな。行ってくる。君も落ち込んだままではだめだぞ」
「もちろん」
ヒフンも笑みを返す。
王は弁当を一つ手に取り、部屋を後にした。
「ヒフン、大丈夫?」
ミシルが尋ねる。
「大丈夫さ。両親はまだ生きていると信じている。それよりレイが心配だ…」
「ええ…」
ミシルは静かに頷いた。
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