王の宣言
第14話
部屋に入ると、ヒフングは二歩前へ進み、深く頭を下げた。
「陛下がお呼びでしょうか?」と、慎重に問いかける。
ミルティ王はうなずき、「ああ。まずは座りなさい」と促した。
「は、はい…」少し緊張した声で答えると、ヒフングは前へ進み、王の正面にあるソファに腰を下ろした。
王はしばらく左手を見つめたあと、口を開いた。
「その手の傷はどうだ?」
ヒフングは小さく息を吸う。
「軽い麻痺が残っています。治療を続ければ治るそうですが……三年ほどかかると」
王は低くため息をついた。
「右手だけで生きるのは大変だろう」
ヒフングはかすかに笑みを浮かべる。
「もう慣れてきましたから、大丈夫です」
王は咳払いし、立ち上がった。部屋の隅にある大きな棚へ歩み寄り、扉を開け、数枚の紙を取り出す。それをヒフングの前の机に置き、再び腰を下ろした。
ヒフングは紙を見て首をかしげる。
「紙? 書類? 文書? ……まあ、全部紙には変わりないけど」心の中でつぶやく。
「これが何かわかるか?」と王が尋ねた。
ヒフングは顔を近づけ、目を凝らす。
「えっと……紙です?」
王は自分の額を軽く叩いた。
「……そうだな。では一枚取って、読んでみろ」
「は、はい……」ヒフングは一枚を手に取り、ゆっくり読み上げた。
「データ記録……ステファヌス・ヘリー!?」思わず声を上げる。
王はじっと彼を見据える。
「やはりな」
王の傍らに立っていたフェッズも目を見開いた。
ヒフングの心臓は早鐘のように鳴り、混乱が押し寄せる。そのとき突然、扉が開き、ミシル、レイ、ヴリン、そして軍服を纏った厳しい顔立ちの男が姿を現した。
「扉の前で盗み聞きするくらいなら、最初から入ってくればいいだろう」
男は落ち着いた声で言った。
レイ、ミシル、ヴリンは互いに視線を交わし、気まずそうに笑った。
「へへ……」
彼らは中に入り、部屋の隅のソファに腰を下ろした。軍服の男は王の隣に進み出て座る。
「私はダリウス。この王国の防衛将軍だ」男は手を差し出した。
ヒフングは慌ててそれに応じた。
「ぼ、僕はヒフング。レフォルト学園の普通の生徒です」
「普通の生徒?」ダリウスは意味深に笑みを浮かべる。
「え?」ヒフングは戸惑った表情を見せる。
王が再び口を開いた。
「ステファヌス・ヘリー――彼はかつて十六層の世界に到達した者だ」
部屋の空気が一気に重くなる。誰も言葉を発せず、王の声だけが響いた。
「その名は数十年もの間、封印されてきた。理由は単純だ。もし人々が彼の存在を知れば、必ず子孫を探し出そうとするからだ。より高き世界への道をこじ開けるためにな」
王はヒフングを鋭く見つめ、続ける。
「王国の記録によれば、ステファヌス・ヘリーはミルティに生まれた。魔法とオーラを修め、ある日、家に侵入した盗賊を殺したことで“眼”の力を得た。だがそれは、魂を蝕む呪われた眼だった」
王の声は低く、重くなる。
「その眼を手に入れた彼は、この国で最強となった。だが……やがて制御を失い、暴走した。ステファヌス・ヘリーは第二代国王を殺し、この王国の半分を滅ぼした。そしてより高き世界へと旅立ち、姿を消したのだ」
レイもミシルもヴリンも、息を呑む。
「六十年前、再び彼はミルティに現れた。人々の前で“上の世界”について語った。神話とされてきたその世界を。だが、程なくして再び姿を消した」
ヒフングは唇を噛みしめる。
「……本で読んだことはある。でもここで話せば危険だ。フェッズもダリウスもいる。下手なことを言えば……黙っておいたほうがいい」
「それで?」ヒフングは王を見て問いかける。「それが僕と何の関係が?」
「お前はステファヌス・ヘリーの名を知っていた」
「しまった……」ヒフングはうつむき、胸の鼓動が早まる。
レイ、ミシル、ヴリンは不安そうに彼を見つめる。
「……ただ、本に載っていただけです。園芸の本に」しどろもどろに答えた。
王は心の中でつぶやいた。
「隠しているな」
だが表情には出さず、薄く笑った。
「そうか」
「陛下……それにしても、なぜその名を?」ヒフングが問う。
王は立ち上がった。
「フェッズとお前の師エルリックから聞いた。お前は橙の炎を使い、赤のオーラを持っていると」
「え、ええ……」
「記録によれば、ステファヌス・ヘリーのオーラも赤だった。そしてミルティの歴史で、赤のオーラを持ったのは彼だけだ。今まではな」
ヒフングの目が見開かれる。レイもヴリンもミシルも、思わず息をのんだ。
「さらに、橙の炎――それはステファヌス・ヘリーが“眼”を得る前に作り出した魔法だ」
王はフェッズを振り返る。
「彼はその魔法を、通常の五倍の氣を流して使ったと言ったな?」
フェッズはうなずく。
「だが、記録にはこうある。橙の炎は、通常の二十倍の氣を注ぎ込まなければならないと」
「な、何ですって!?」ヒフングは椅子から飛び上がりそうになる。
王は再び腰を下ろし、真剣な眼差しを向けた。
「だからこそ、お前を呼んだのだ。私はようやく気づいた。オーラの色ごとに特性や強み、弱点がある。私はお前の赤のオーラを研究したい」
ヒフングはようやく安堵の息をついた。
「それが目的だったんですね」
王はうなずいた。
「それと……お前の両親は王国の兵士だったな?」
「はい」
「兵士たちは帰還を禁じられた。ハカオ王国との衝突のため、最低でも一か月は国境に詰めねばならん。私自身も各国王の会議に出席する予定だ」
「……じゃあ、両親は一か月帰れないんですね」
「ああ」
「わかりました」
王はフェッズを見やり、言葉を続けた。
「彼には特別な魔法の訓練を受けさせたい。どう思う?」
ヒフングは慌てて首を横に振った。
「僕は……レフォルト学園で学びたいです」
王は小さく笑った。
「そうか。だがもし、さらなる修練を望むときが来れば、ここへ来るといい。フェッズを訪ねなさい。――今日はこれでよい。下がれ」
「ありがとうございます、陛下」ヒフングは深々と礼をし、立ち上がった。
レイ、ミシル、ヴリンも続いて部屋を出る。
廊下に出ると、レイが心配そうに尋ねた。
「ヒフング、その手は本当に大丈夫?」
「痛みはないよ。でも動かしすぎないようにしないと」
ヴリンがやわらかく笑う。
「もう夜ね。晩ご飯、母さんがおごってあげるわ」
「やったー!ありがとう!」レイもミシルもヒフングも、声を揃えてはしゃぐ。
「で、どこに行く?」とヴリンが問う。
レイが手を挙げた。
「美味しいラーメン屋、知ってるよ!」
「ラーメン?」ヒフングの目が輝く。「いいね!」
「僕も賛成!」とミシル。
「決まりね」ヴリンはくすくす笑った。「それじゃあ、行きましょう」
四人は連れ立って王城を後にし、夜の街の小さなラーメン屋へ向かった。
---