第09話_Cパート_次の一歩
火星時間、21時半。
オクタント15内、補給エリア横の作業室。ミロとレヴ、カレイ、マヌの4人が、点検を終えた装備を囲んで簡素な夕食をとっていた。
照明は必要最低限。話す声も控えめで、食事の手が止まるたびに機材の冷却音が耳に残った。
「……一応、外部監査ノードでは“異常なし”で通ったみたいだよ」
マヌが吐き捨てるように応えた。
「機械の目からすれば、通信が通ってりゃそれでいいってわけか」
「いや、だからこそ僕らが感じた違和感は大事なんだ」
レヴが、糧食バーを噛みながら答える。
「入口の人影も、あの“落書き”も──もしかすると全部、後から足された“整合性”かもしれない。
でも、誰かが“見た”と感じたことに、意味があると思う」
ミロは少しだけ表情を崩して、飲みかけの保温ポットに目をやった。
「君、一か月前はお客様シートで学生気分だったとはとても思えないよ」
「同じハーミットに乗ったからこそ、無視できないんです。それが僕らの火星全部を巻き込むなら、なおさら」
「それもそうか」
ミロは唇の端を上げて、背もたれに身を預けた。
「DTN-DAOの票読みじゃ、調査団派遣は賛否が拮抗してる。けど、その裏でLISAもALVもCERもスワルジャも、“誰が行くか”で揉めてる。
──派遣する価値があるってことだよ」
カレイが糧食バーの包みをくしゃりと握りしめながら言った。
「それ、行ったやつが次に責任問われる構図だろ? そこで“異常なし”って断定すりゃ株価は戻る。
でも、後から何か出てきたら、潰されるのはそいつだ」
ミロはそれに答えず、しばらく無言で天井を見つめていた。
「でもさ」
しばらくして、彼はぽつりと言った。
「もし、俺たちが行かなかったら? もしこのまま、“何も起きてない”ってことにして……
でも、補給便が来なかったら? 通信回復が間に合わなかったら?
みんながそれぞれ“自分だけ生き残るために”って動き出したら──火星は、奪い合いで共倒れになるよ」
「殺し合いは起きないって、あなたが言ったじゃないか」
「衣食が満たされ、制度が均衡を保つうちは、ね。けど、供給が途切れたら? 火星の大義なんて、真空の中に吹っ飛ぶ」
レヴは、カップを置いた。
「僕も、行きたいです」
三人の視線がレヴに向く。
「誰かの顔を思い出したとき、心配だと思ったら動ける人間でありたい。
“変だな”って思ったことを、自分で確かめる人間でありたい。
火星って、そうやって“考えたことに責任を持つ人たち”が生きてる場所ですよね」
沈黙が落ちる。数秒後、ミロが小さく息を吐いた。
「言うねえ、レヴ君。
じゃあ次の出発、君も正式にクルーとして数えなきゃだ」
「いえ、最初からそのつもりでした。僕も火星の民です」
「──ったく。こんな若造に本気で言いくるめられるとは……」
カレイが苦笑する。マヌも軽く肩をすくめた。
その場には、決議も指令もなかった。
ただ、火星のどこかで生きている誰かの声を、聞き逃さないために──
“自分で見に行く”旅が、再び始まろうとしていた。




