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第07話_Aパート_語らぬ国の語り部たち

細かい脱字に気づいて修正しました。内容は変更ありません@2025/08/18

 石畳の街路を抜け、グレースカレッジの校有車が控えたのは、ロンドンでも特に規模の大きい歴史あるモスクだった。

 灰青色のドームとミナレットは、周囲の煉瓦造りの街並みに溶け込むようで、なおかつ静かに浮かび上がっていた。

 ちなみにミナレットは1日5回の礼拝が義務づけられたムスリムに対し、その礼拝時間を呼びかける「アザーン」を行なうための場所で、ドームの周りの尖塔。

 と、ガイドブックにも書いてあった。


「この建物、観光客のためじゃなくて、地元の信徒の寄進で拡張されたんだって」

 ミアが解説する声が車内に届く。熊鷹チームのうち希望者数名が、事前登録により同行していた。


「信仰のための建築……ううん、文化のためかな」

 鈴音が、窓の外を眺めながら呟く。表情は読み取れないが、いつもの明るさとは違う。


 モスク内部は静謐だった。観光目的の来訪が許された時間帯とはいえ、訪れる者は皆、抑制のある動きと声を保っていた。


 靴を脱ぎ、スカーフを借りて被った鈴音は、慣れない礼儀作法に戸惑いながらも、どうにか丁寧に歩いていた。


 同じ列にいたアイシャは、普段と変わらない仕草で進んでいた。制服に合わせた濃紺のヒジャブは整えられ、彼女の歩みに一点の迷いもなかった。


「ねえ、アイシャ」

 展示ブースにある神や預言者、聖句などカリグラフィーが刻まれた前で、鈴音が声をかけた。

「こういうところに来ると、なんか落ち着く?」


 アイシャは短くうなずくと、淡く微笑んだ。

「ええ。礼拝の時間じゃなくても、静かに語らう場所だと思っています」


「そういうの、羨ましいかも」

 鈴音は声を落とし、展示の説明文を指でなぞった。

「日本じゃ、宗教って口にしづらいじゃん。なんとなく“信じてる人=変な人”って扱いがあるし。…私、ずっと距離の取り方が分かんないまま」

 行先に困った鈴音の瞳は近くに立ち尽くす司を写し取ったが、司の目はカリグラフィーに焦点を結び、真剣に何かを読み取っている。

 いつものAIか、というこの場面では下世話にも思える推定が頭を過ったが、彼は珍しく澄んだ眼をしていていて、なぜかよくわからないまま、鈴音は自分というノイズを恥じ入ってしまった。


 アイシャは視線を鈴音から外さないまま、少しだけ姿勢を正した。

「それでも、私たちは“信じる自由”の国にいます。

 私は、その自由を手に入れるために“家”をひとつ失いました。だからこそ、ここを歩けているのだと思います」


「……亡命したってこと?」


 アイシャは小さく、けれどはっきりとうなずいた。

「正確には、母が。私が子どもの頃でした。政治ではなく、教育の自由を求めて。

 でも――自由のために戦うことと、自由のために従うこと、どちらが強いかは、未だにわかりません」


 鈴音はそれを聞いて、ひとつ息を吐いた。

「なるほどね。……あんた、言葉が重いよ」


「軽さも必要です。鈴音さんが歩いてきた道のりは、私とは別の強さを持っています」


 その返しに、鈴音は顔を上げて照れ隠しのように笑った。

「ずるいなー、そう言われると褒めあげて逃げられないじゃん」

 アイシャは言葉を返さなかったが、額にかかるヒジャブを整える指使いは、いつもより少し優し気に感じられた。


 しばらくして、他の学生と合流した二人は、入口近くのロビーで待機していた。

 目の前を、小さな子供を連れた女性が通り過ぎる。彼女の後ろ姿に、アイシャはほんの少しだけ目を細めた。


「母は、今もヒジャブを外しません。…英国にいるのに、です」

 その言葉に、鈴音は「あんたは?」と返す。


 アイシャは微笑み、わずかに首を傾けた。

「私は……外せば、自由な学園に溶け込んだと思われると同時に、“伝統”に敬意が足りないとも思われるでしょう?

 でも、着けていれば、祖国の祖母が泣かずに済む。なら、それでいいんです」


 鈴音は、目を伏せたまま頷いた。

「そういうの、ほんとはめちゃくちゃ重いんだけど。……でも、なんか、ホンモノだね」


 帰りの車中、他の熊鷹生徒たちは話題を切らしながらも、少し緊張を残していた。

 アイシャは窓の外を見つめ、鈴音はAI端末に向かって音声メモを吹き込んでいた。


「信じるって、形式とか、服装とかじゃない。

 でも、形式や服装がないと、他人に信じてることって、わかってもらえないのかもな」


 彼女はそう呟き、AIがそれを“今日のノート”に保存した。

 鈴音なりの自分との向き合い方なのか、AIの反応はいつでもONというわけではない。その時自分の手に握りたいものは、渡さないというエゴの形があった。


 木漏れ日の差すサロンには、モスクの厳かな空気がまだほのかに余韻を残していた。

 円卓を囲む形で配置された椅子に、日本と英国の留学生たちが交互に座っている。

 アイシャが中心にいるわけではない。あくまで“主題”に沿って自然に、語られるべき話が始まっていた。

 とはいえ男女フラットに卓を囲むわけにもいかず、無理やりレイアウトや装飾で分け隔てるという儀礼は果たされている。


 司は、少しうつむき気味にノートを開いたまま座っていた。

 彼が話す気配を感じた者は、今のところ誰もいない。


「では、始めましょう」

 エヴァン・フィッシャーが、自然に議長の役を引き受けた。

 彼は政治哲学とAI倫理の複合領域で既に論文を投稿しており、校内でも一目置かれている生徒だった。


「本日のディスカッションテーマは“宗教と個人の関係性”です。

 ここ英国においては、これは“日常生活の枠組み”というより、“構造に対する態度”として語られる話題ですが……」

 エヴァンは意識的に、目線を日本側に向けた。


「――ですが、日本の皆さんにとって、“宗教”はどういうものでしょうか?」


 少しの沈黙が落ちた。

 誰もが、“無難な回答”を探している顔だった。

 沈黙を破ったのは、意外にも鈴音だった。


「んー、たぶん……“何かを信じる”っていうより、“信じないことを選ぶ自由がある”って感じかな?」


「それは“自由”ではなく“距離”の問題では?」と、エヴァンが即応する。

「君たちは神社で初詣し、お寺で葬式をし、キリスト教式で結婚式を挙げる。だが、それを“宗教的”とは呼ばない」


「うん、それ全部イベントって感じだし」

 鈴音は軽く頷いた。「正直、何かを“信じた”経験って、ないかも」


 そこに、静かに一条司が口を開いた。

 その声はやや低く、けれど明瞭だった。


「それは――“信じる対象がない”というより、“信じるという形式が身の内にあるからこそ、形式を持ち出さない”だけだと思います」


 全員の視線が、一度に司へと集まった。


「どういうことだ?」エヴァンが真顔で尋ねる。


 司はゆっくりとページをめくりながら話し始めた。

 その話し方は、どこか解説書の朗読のようだったが、内容は痛いほど実感を帯びていた。


「日本人は、宗教を“語るもの”として持たない代わりに、空間や時間の中に“身を置くもの”として持っていると思います。

 たとえば、“ご飯の前に手を合わせる”“年末にお寺の鐘を聞く”――これらは誰かに“しなさい”と言われたわけではないけれど、空気のように受け継がれていく。“私”という意識よりも、“場”に調和する意識のほうが強い国なんです」


「それは信仰と言えるのか?」と思わずリアムが訊いた。

 アイシャも、その目に疑問が浮かんでいる。


 司は頷いた。「信仰の形が“他者への問いかけ”ではなく、“自分を正す構造”に近いのだと思います。

 だから日本人は、“自分がどうあるか”を気にするけど、“何を信じているか”を語るのが苦手になるんです」


 エヴァンがやや前のめりになってきた。

「だが、それは政治的にも倫理的にも危うい。判断軸があいまいで、個々人の立場や主張が可視化されにくい。

 たとえば国家や法を超えた倫理を問う場面で、それでは機能不全を起こすのではないか?」

 司は少しだけ口角を上げた。

「それは事実です。だから、日本は“語らぬ道徳”に頼りすぎる国でもある。

 でも……それが、戦後150年で築いてきた“話さなくても察する”文化でもあるんです」


「つまり……宗教を、信条ではなく“気配”として扱っている?」

 セオが不意にそう言った。

 その一言に、司は目を見開いてから、小さく頷いた。


「はい。たぶん、“神”というより、”神様”だとか“神々”という言い方に近いのかもしれません」


 その言い回しに、英国側の何人かが息を漏らして笑った。

 柔らかな衝突――というより、文化の“掘削”だった。衝撃を緩和するクッションのような笑いだ。


 エヴァンは深く椅子に座りなおすと、あくまで真面目な口調で言った。

「君は、あれか。“語らぬ構文”を持つ国の、仮構の語り部というわけだな」


 司は照れたように目を逸らした。「そんなに深く考えてませんけど……」


 その時、司の端末の中で黒猫型AIクロネが尻尾をふわりと揺らした。

 司に字幕を提供する裏で各者の反応ログを整理していたようだが、耳をピクリと立て、静かに画面から顔を出している。

 それに気づいた鈴音が、思わず肩を震わせた。


「……ずるいなー、その猫。かわいいし。これも援護射撃?」


 会話が一区切りしたとき、日本側の何人か――葵、綾、鈴音がそれぞれ意外そうに司を見ていた。


「え、一条くんって……こんなこと言える人だったんだ」

 葵がぽつりと漏らした。

 それに対して、綾は腕を組み、やや伏し目がちに「うーん……やりよるかも」と呟いた。

 鈴音はかすかにうなりつつ、腕を組んで「ちょっとズルいくらいの刺さり方したね」と付け加えた。

 一方、エリナはやや虚無寄りだ。口元が「そっか」と音もなく応じていたが文化背景なりのニュートラルなポジションなのかもしれない。


 その様子を、サロンの奥からセオとエドワード王子が静かに見守っていた。


 セオは口元にわずかに笑みを浮かべながら呟く。

「“語らない人々”が、最も深いところで語ってくれるとは……やはり、留学の形を整えるだけの意味がありますね」


 王子は笑みを深め、静かに頷いた。


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