第06話_Aパート_出発と到着の夕焼け
7/25細かい書き損じをたくさん見つけてしまい大幅改稿しました。
ストーリー展開に一切関係ないので読み返さなくて大丈夫ですが、ずっと読み心地よくなってるはずです。
ヒースロー空港。着陸は定刻、入国審査もスムーズに済んだ。福岡空港で夕陽を見て、こちらでも夕焼け。不思議な感覚だった。
ただ、荷物の扱いは予想と違っていた。スーツケースは預かり搬送、必要最小限の手荷物だけを持って出口へと誘導される。そこには、二台の黒いファミリー向けボックスカーと、笑顔で待つアン先生の姿があった。
「皆さん、ようこそロンドンへ。おかえりなさい、ではないのですね。ふふ、では――ようこそ、異なる日常へ」
にこやかなその口調に、エリナはなぜかほんのわずかな、緊張とは別の重みを感じ取った。
それはまるで「ここからは観察対象として過ごしてください」と言われたかのような感触だった。
車は2台。片方はアン先生が自ら運転し、もう一方には“ベネット氏”という柔和そうな男性スタッフが待機していた。
「お荷物は私が後ほどもう一往復してお届けします。それまで必要なものだけ手荷物にお持ち下さい」
春日先生が手短に必要事項を伝え、生徒たちは指示通りに散って乗り込んでいく。
一台はアン先生運転のボックスカーだ。学園から乗ってきたらしい。
「はー、助かった。こっちは先生が直々に運転かー、VIPじゃん」
鈴音が軽く笑いながら助手席に収まる。
後部には、綾、司、ユウト、そして見慣れぬ青年――カスパーが乗っていた。
「Hi!熊鷹ハイスクールの皆さんだね?お疲れさま。録音いい?個人情報は使わないからさ」
カスパーがポケットら伸びたマイクを軽く掲げるように示す。
「録音…え?いや、え?」
司が眉をしかめる。思わず窓に映り込んだAI、黒猫姿のクロネ相談しかけたが、通信帯域が限定的なせいか反応が薄い。
隣の綾はというと、肩にかけたバッグをぎゅっと引き寄せ、小さく唇を引き結んでいた。
「言語解析用の収音だよ。後で送れるし。いや、君たちの声ってめっちゃ綺麗だから――お話の記録もかねて収集したくなるっていうか、え、駄目?」
「まあ、別に駄目とは…」
ユウトがぼそり。「あとで振り返れるのは合理的っちゃ合理的っすね」
帰ってからレポートを仕上げるのに、録音があればAIというかマネージャーに任せて楽ができるのでは?と気づいたのだ。
司は小声で「…AIと喋ってるの見られたくないのに」とぼやいた。
とはいえ、短期留学の様子をある程度公開することで無料にする仕組みなのだある程度は仕方ない。
鈴音はもう、カスパーの横で「で、それって配信用に使える?うちらで編集していいってことだよね?リバーブもかかるの?ピッチ調整は?」と
ノリノリで質問を重ね始めていた。
正直、ほかのメンバーが英語でのやりとりにどうにか付いていくので精一杯な雰囲気を出す中で鈴音だけは前のめりに楽しんでいます!という気配があふれている。
もう一台のはベネット氏運転で、こちらも同様のファミリー向けボックスカー。
後部座席、エリナは窓の外を眺めていた。
ロンドン特有のどんよりとした空気と、幾層にも重なる道路のライン。
「ようこそ英国へ」と印字された案内板の下を、静かに走り抜ける。
日が沈むにつれ、町の遠景が闇に沈んでいき、異国情緒を楽しむ前にもう街中というくらいしかわからなくなってしまう。
隣の葵は、タブレットを膝に置き、黙って画面に目を落としながらも、時折エリナに視線を投げかけ、無言のやり取りが行われる。
彼女の画面には、今回の日程と英国式の教育プログラムに関する資料が並んでいた。
助手席では、春日先生とベネット氏が英国らしい天気談義をしている。
生徒たちは移動疲れだろう、くらいのおじさんなりの配慮だろうか。
「こちらではこういう曇り空が基本ですよ。むしろ晴れたら騒ぐくらいです」
「なるほど、私たちは晴れると外に出るタイプですね」
それはそれで、異国らしく、ほっとする会話だった。
その時、車内の窓――正確には、後部席側の右奥から天井にかけて曇りガラスとルーフが淡く発光した。
映像ではなく、投影でもない。英式AIの“演出窓”。ありていに言ってしまえばARだが、プライベートスペース的に車内に出現できないことをごまかすためとはいえ、
走行中の車両の外に人が浮かんでいる図は結構シュールだ。それを少しでも中和するためか、腰掛のできるバーが車両から生えているような演出になっている。
《皆さん、こんにちは。私はミア・フォックス。留学プログラムの進行をお手伝いしています、今日は座席が足りなかったのでオンラインでお邪魔しますね》
淡い声と共に、立体感を欠いた彼女の顔と名前、グレース校のロゴが表示された。背景は教室か応接室だろうか?
まるで薄い膜のように、ガラスの向こうに“現地の挨拶”が現れたかのようだった。
とはいえ、やはり空中に浮いているのでフェアリー感がある。
本来なら自動車のスピードでは強烈な風を受けてなびくはずの髪や衣服が一切乱れないのも、テクノロジーよりはファンタジー寄りだ。
エリナは驚きはしなかった。
けれど、**その「わざわざ感」**に、何かひっかかるような違和感を覚えていた。
《一台目の車両にはアン先生とカスパーが、そちらには私が、それぞれ“同行”しています。着いたばかりで気になることもあると思います。なんでも聞いてくださいね。
私と、私がわからなくてもAIがわかることであれば、なんでも答えますからね》
葵がふっと笑った。
「……こういう“普通の人”がいると、なんか安心しますね」
声は小さかったが、夕日が沈んで夜景に落ち着いた窓では浮かんだミアの顔は微かに微笑んで頷いたように見えた。
エリナとしては普通って何?という強烈な違和感が思考を横切ったが、場を取り繕おうとしてのちょっとしたレトリックと感性の歩み寄りということにし曖昧にうなずいてごまかすことにした。
別天地を乗り切ることに対する、見過ごすことのできないざわつきが、静かに広がったのを感じた。




