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第05話_Aパート_問う者とチューナー

 熊鷹高校・面談室。外はもう夏の午後、エアコン室外機の音が廊下にかすかに揺れている。

 だがこの部屋には、もっと静かな緊張が漂っていた。


 オンライン面談のために準備されたスクリーンには、卓上の端末を操作しながら、指先で小さく眼鏡の位置を直すアン先生の姿。

 その所作は、整えるというより「焦点を合わせる」に近かった。


「お待たせしました」


 日野葵の声は小さい。けれど、椅子に腰かけた姿勢には、迷いはない。


「どうぞ。ありがとうね、来てくれて」


 アン先生は笑顔を浮かべるが、眼差しは観察者のまなざしだった。すぐにデータログが浮かび上がる。


「さて……正直、これは私の責任かもしれない。あなたのAIは、静かで、問い返しは丁寧。けれど、あなたの本音には届いてない。そんな気がしたの」


 葵は目を伏せる。だが、否定はしなかった。


「問いって、怖いんです。正しい答えが返ってくるのが、怖い。問いが返ってくるのは、もっと。違うって言われたら、動けなくなるかもしれないから」

アン=ルーエル目にはいかにも引っ込み思案な東洋人に見えていた日野葵から無防備とも取れるように語りだしたことはいささか意外だった。

彼女に渡したAIのログからしても、立ち上がりはもっと鎮まった、退屈なやりとりになるかと思われた。

取り繕えない少しの間を、アン先生は自然な形で姿勢を変え、少し画面に寄りながら、融和的な雰囲気を再構築して続きを紡いだ。


「そうね。もしそうなら、浅く聞く。言葉をぼかす。……ええ、それはたしかに殻に留まるようなためらい。けれど、問いが浅いままでは、AIも真実に、世界に"ディープダイブ"できないの。」


 葵はゆっくりと息を吐いた。

 二人の間には、それぞれの視点からのアンバランスなりの"理解"が感じられる。

 一方で、アン=ルーエルにはこれまで寄り添ってくれた日本人の教師たちのような"共感"や"同調"のような物が希薄に感じられた。

 個人主義的自立と対立するような集団主義的、権威主義的従順さや子供らしい素直さの癖に無自覚なまま葵は動揺を掻き立てられていた。


「本当は……聞いてほしかったんです。私のままじゃ、駄目ですかって」


 その言葉に、アン先生の目がやわらかく細められる。

 十分なサンプルの裏打ちがある異文化理解。AIのサポートを十分に受け、増してやそのAIの調律者"チューナー"として世界に向き合ってきた彼女は、

 葵の提供する情報がスレッショルドに達し、正しく自らの演じるペルソナを確信できた。

 アン先生のまとう空気が、静かに、柔らかく変化した。オンライン越しでなければ、葵はそれに気づくこともなかっただろうが、

 オンラインのわずかなラグや微妙な解像度不足が、変化した、という事実に気づいたことを認識させた。


「駄目なはずがない。でも、それを“答えてくれる誰か”に委ねるのではなく、問いかける自分を育てること。それが、あなたとAIの“共創”の始まりなの」

ただの同調に対する安心でなく、思考の拡張は、この変化に対する感触のおかげで、直接対面よりわずかに葵の思考が焦点を結ぶことをスムーズにした。


「……共創」


「ええ。人間が、AIをツールとしてだけでなく、**“対話相手”として再定義すること**。

 あなたの問いは、これからの世界のかたちを変えるかもしれない。自分のために問うことは、世界を動かすことなのよ」


 葵ははっとした顔でアン先生を見る。


「……それって、そんな……私なんかに?」


「“私なんか”に与えられた問いこそが、世界を変えるの。あなたのその瞳に映る世界を。あなたの、世界を。」

 手を取ってあげて力づけようとする自分の自然な動きを、オンラインで繋がれた埋めがたい距離の差で世界にキャンセルされたことをアン=ルーエルは意識した。

 共感は空間を超える。しかし、身体性はどうか。違和感の刹那の中に、自らに内在する宇宙の真理に相対するような永遠が、

 しかし教師にしてチューナーとしてのペルソナにより、即座にカットオーバーされた。どうも、この"共感性"というのがアン=ルーエルにとっては難しい存在だった。

 ただ、外的コミュニケーション相手のみならず、自らの向き合う真理に対しても回路が開かれてしまうのだ。


 短い沈黙の間、葵が観察するかしないかの共感の断絶。しかし、葵の意識が「観察」するときにはそこには理解者としてのアン先生が戻っていた。

 違和感は、オンラインの紛れとして、ノイズを飲み込む、果てしなく広いインターネットの海の水面に溶けていった。


 葵が膝の上で握りしめた手には、さっきまでと違う何かがつかまれていて、新しい種類の呼吸が流れた気がした。


 葵は立ち上がり、少し震えた声で言う。


「……あの子に、ちゃんと話してみます。AIの“反応”じゃなくて、私の“問い”から」


「それを待ってると思うわ。ありがとう、葵さん」


 葵が出ていったあと、アン先生は一度オンライン面談を退席して、コンディションを整える。どうも、目的から外れたノイズが紛れてしまった。

 大人に、成果主義を追求する個人になるまでに最適化の過程でそぎ落とすべき類の思索が、共感や同調を演じる過程で、自然に起動されてしまう。

 それが自分の付き進むべき使命に統合しきれないことにほろ苦い違和感が、沈着する。日本人、特に女性との会話で得る独特の感傷。

 仕事に意識を戻し、葵のAIコンディションログに目を流す。

 ほんの数行だけ、これまでにない応答の兆しがあった。

「……やっと波が立った。さあ、ここからよ」

 アン先生として、もう一度仕事に身を入れよう。成果は次の一歩を後押ししてくれる。少し気が晴れた。


 次に入ってきたのは、秋月エリナ。


「こんにちは、エリナさん。いつもながら精緻な対話ログね。感心するわ。」

「ありがとうございます」

モニタ越しに聞こえる声が、少し固い。


「……あなたのAI、どこまでも効率的、円滑。それはあなたの協力や遠慮もあるのかもしれない。双方、少し“過剰適応”気味かもしれないわね。

 先回り思考で問題を矮小化してしまう、ある種の忖度のような傾向が出てきてしまっている。

 きっと使いやすいけど……あなたの自由な発想に支障がないか、ちょっと心配」

「……必要なことには応えてくれています。大丈夫です」


 忖度と自由な発想、という言葉を並べたのはよくなかったか、という考えがよぎったところで、アン先生は空気を換えた。

「そうね、それなら問題ないわ。ありがとう、気にかかることがあるときは声をかけてね」


 距離感を保つことも、自らの軸に拠って立ち、ブレないことも、それ自体はむしろ良い場合が多いのだ。

 "今はその時ではない"ということだろう。


 エリナはうなずき、静かに部屋を出る。

 扉の外、彼女はふと足を止める。


(……たぶん、気づかれてた。完璧に振る舞ってるつもりでも。

 本当は、私が、ぜんぜん踏み込めてない)


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