第5話
俺は、フィルノート魔術剣術学園に入学した。
中央首都ユグドラシルの郊外にそびえ立つこの学園は、名門貴族や実力者たちが集う選ばれし者の学び舎。
魔術を極める者、剣を極める者、そしてその両方を手にする者——
学園は魔術学部・剣術学部・魔剣士学部・魔法薬学部・その他多数の学部が存在しており、それぞれの道を志す者たちを育成している。
俺は迷わず魔剣士学部を選んだ。
かつて剣技と魔術を極め、力をひたすら求めてきた俺にとって、それ以外の選択肢はありえない。
……とはいえ、俺が本当に求めているのは"学び"ではない。
この学園での日々はただの通過点——俺が一度失った"力"を取り戻すための過程に過ぎない。
「遊び人」という烙印を押された俺が、この学園にいること自体、滑稽だろう。
もしこの事実が露見すれば、笑いものにされ、嘲笑と侮蔑の的になるのは目に見えている。
……だが、それがどうした?
俺はただ黙って嘲笑を受け入れるような腑抜けじゃない。
ここで力を取り戻し、俺を踏みにじった"運命"を呪い、俺を見下す"連中"を見返す。
そして、俺の"無価値さ"を証明しようとするこの世界を、俺の手で塗り潰すのだ。
「フフ……さぁ、始めようじゃないか!」
荘厳な学園の門をくぐりながら、俺はわずかに笑みを浮かべた。
この学園が俺に何をもたらすのかは分からない。
だが、ここで終わるつもりなどない——"遊び人"という正体を隠し通し、俺はエリートを演じる道化となる。
そして最終的には、真のエリートとして返り咲くのだ!
……そう決意を固めていた時期がありました——
「どえぇぇ!?お前の職業『遊び人』なのかよッ!?ひゃははははー!遊び人がこのエリート学園に何しに来たんだ!」
開始二時間で正体がバレた。
……あー、終わったわ。
数時間前の俺はあんなに格好つけて、「自分の正体を隠し通す」などと豪語していたというのに。
一瞬でバレるとは、ダサすぎる。
あーもうどうでもいい。
そもそも「俺」とか一人称にするキャラじゃないし、なんか痛々しいからやめよう。
俺…じゃなくて、僕はオールバックだった髪をおろし、普段通りの髪型に戻した。
はー憂鬱だわー。
そう考えながら、耳障りな笑い声をあげる同学年の生徒を横目に、僕はため息を吐いた。
——どうしてこんなことになったのかというと。
「やぁ!私の名前はノエルナだ!これからよろしくな!」
オリエンテーションが始まり、隣の席に座ったノエルナが明るい声で自己紹介してきた。
黙っていれば美人だろう整った顔立ちに、高い鼻梁。
けれど僕の正体がバレた理由の全ては、こいつにある。
この女と関わった時点で、僕の平穏な学園生活は終わっていたのかもしれない。
「あー……うん、よろしく」
なるべく目を合わせないように、適当に返事をする。
だが、それに満足しなかったのか、ノエルナはさらに話しかけてきた。
「ねぇ、君って魔剣士学部の生徒だよね?私は魔術学部なんだー」
……最悪なことに、僕とノエルナは同じホームルーム教室だった。
そして、更に最悪なことに、座席が隣同士だった。
「なんで手袋なんかしてるの?」
「……別になんでもない。ただのファッション」
遊び人の固有スキルによって、僕が素手で触ったものは何でも暴れだしてしまうため、手袋をつけているのだが、そんなこと初対面のノンデリ野郎に言うわけがない。
僕のそっけない反応などお構いなしに、ノエルナは話を続ける。
無神経な女だ。
「ふーん?君…そんなに強そうには見えないけど?」
「いや強いけど」
別に嘘は言ってない。
数か月前の僕は結構強かったのだから。
「本当かな~?じゃあ学生証見せてよ!」
「……は?」
そう言った瞬間——
ノエルナは突然、僕の制服の内ポケットに手を突っ込み、器用にも学生証を取りやがった。
「ちょっ、俺の学生証……」
心臓が一瞬で凍りつく。
あれには僕のステータスだけでなく、最も隠したかった"職業"が書かれている。
あれを見られたら、学園生活は終わる——いや、むしろ人生が終わる。
慌てて取り返そうとしたが、もう手遅れだった。
「おっとー。どうしたの?見られたくないことでも書いてあるのかなー?」
クソッ!
遊び人になって以来、弱体化した反射神経では、現役の魔術師である彼女に敵うはずがない。
僕の手は空を切り、ノエルナの視線は"適正職業"の欄へと注がれた。
「え……?あ、『遊び人』?」
困惑している彼女の一瞬の隙を逃さず、僕は彼女を拘束する。
現状の僕が出せる最速のスピードに無駄のない動き…
今思い返してみると、その時の僕の動きは結構速かった。
彼女がこれ以上クラス内で失言するのを防ぐため、僕は彼女の口を手でふさぎ、校舎裏へと引きずりだす。
魔術師であるこいつには反射神経で負けたが、流石に筋力は男である僕のほうが上だ。
ノエルナの細い首に腕を回して引きずるだけで、簡単に誘拐…じゃなくて、運輸することができた。
さて…。こいつをどうしてやろうか…。
当然のこと、誘拐経験の無い僕はノエルナの処遇をどうするか迷ってしまう。
このまま解放すると、僕の正体を大声でバラしかねないし、かといって存在を抹消するのはさすがにまずい。
考えに考えた末、僕は彼女を脅すことにした。
困惑している彼女を人目のない校舎まで連れて行き…僕は彼女の耳元に、大量の放送禁止用語をブツブツと呟いてみる。
「磔呪文で拘束するぞ」とか、「眉毛そるぞ」とか、「坊主にするぞ」とか、思い返せば結構酷いことを言ってた。
実際ノエルナ泣いちゃったし、かなり怯えさせてしまったけど、僕の心に『罪悪感』という三文字は不思議と湧いてこなかった。
まぁ、あの時の僕は結構必死だったのだ。
遊び人という正体を拡散されたら、好奇な目で見られるだけでなく、嘲笑の的になっていたことだろう。
「うぐ……絶対言わない!絶対言わないから!坊主にするのはやめてください!」
本気で怯えている彼女をみるのはちょっと心が痛んだが、これも必要ない犠牲だったのだ。
僕がそんなことを考えていると、何者かの声が聞こえてきた。
この時、僕ら以外にも校舎裏に人がいたらしい。
校舎裏に呼び出すといえば、イジメとか恐喝とか色々あるけど、まさか本当に女子生徒がカツアゲされているとは思いもよらなかった。
僕は涙目になっているノエルナを引きずりながら、声が聞こえる範囲まで近づく。
程よい茂みがあったので隠れて聞き耳を立てていると、声がハッキリと聞こえてきた。
「おい。お前は1年生だよなぁ?ちょうどいい。兄ちゃんにちょっと金貸してくれねえか?」
あれは多分上級生だったのだろう。
体つきからして剣術学部の生徒のようだ。
男の巨漢で隠れてよく見えないが、カツアゲされそうになっているのは女子か?
怯えているおびえている声からして…女子なのは間違いない。
僕がそんな事を考えていると……。
「なぁエリネル。助けなくていいのか?」
いつの間にかケロッとしているノエルナが、僕に耳打ちしてきた。
「は?助けるわけないだろ。見ての通り俺は『遊び人』だぞ。なんで最弱職の俺がわざわざ危険な目に遭わなきゃいけないんだよ」
「ふん。意気地なしだなぁ」
「なんとでも言え。こう見えて俺は鋼のメンタルの持ち主なんだ。兄弟に暗殺されそうになっても平常心でいられる男だぞ。何人たりとも俺の心を動かすことはできないのさ」
僕が堂々と胸を張ったその時…。
チャリーン…。
ん?いまなんて?
聴覚が優れている僕は音のした方向へと視線を向ける。
そこにあったものは、黄金色に輝く金の硬貨だった。
「おいおい。この俺を金で釣ろうっていうのか?アハハハハハッ!愚の骨頂だなぁ」
「だったら金額を追加してやるよ。それと君の生徒証を返してあげる」
ノエルナが札束をばらまき始めたところで、僕はカツアゲされている女子生徒の元へと駆け出した。
僕の名前はエリネル=ルーンハイト。金額次第では何でもする正義の拝金主義者。
「おい、お前。何してるんだ?」
カツアゲしている上級生に向かって、僕は声をかけた。
「あ? 俺はこいつと話してんだよ。ケガしたくなきゃ引っ込んでろ」
巨漢の男は虫を払うような仕草で僕を追い返そうとする。しかし、正義の拝金主義者である僕が、易々と引き下がるわけにはいかなかった。
「普段の俺なら放っておいただろうが、今の俺には譲れないものがあるんだ。悪いが、そこを退いてもらおうじゃないか」
そう言うと、僕は目の前にド派手な魔方陣を展開した。もちろん、魔術を使うことはできないが、魔方陣を展開するくらいはできる。要するに、これは完全なるハッタリだ。
「ハッ! なんの魔術なのかは知らねぇが、新1年のお前に一ついいことを教えてやろう。この学校ではなぁ、生徒同士での殺し合いは禁止されているんだよぉ!」
うーむ。僕の魔方陣を見ても引き下がらないようだ。いや、実際は少しビビっているみたいだな…。学園のルールに守られているから余裕ぶってるだけか。
どうしようかと悩んでいると、カツアゲされていた狐獣人の女子生徒が、僕の展開した魔方陣を見て興奮し始めた。
「そ、その魔方陣は! 最速の雷魔術である『収束荷電粒子砲』!? 当たったら分子レベルにまで分解される最高難易度の魔術!?」
「そ、そうだ! 痕跡すら残さないこの魔術の前では、証拠隠滅など造作もないのさ!!」
狐獣人の魔術知識を利用して、僕にできる最大限の脅しを上級生に向かってやってみた。しかし、相手は少し逡巡の表情を浮かべただけで、逃げることはなかった。
「ふ、フン。お前には人を殺す度胸なんてあるのか? 打てるもんなら打ってみろよ!」
あと一押しで逃げそうなのに、変な意地を張っているのか、なかなか動こうとしない。さすがに面倒だ。
そこで僕は、「アハハッ! 自分の選択を地獄で後悔するんだなぁぁ!」とサイコパスっぽくつぶやきながら、魔方陣を高速回転させ、派手にライトアップしてみた。
すると目の前の上級生は徐々に冷や汗を流しまじめる。
僕のサイコパスっぽい演技と、派手にライトアップしている魔方陣が功を成したのか、僕の発言はかなり現実味を帯びているようだ。
「こ、今回だけはこれくらいで勘弁してやるよ!!!」
いかにもモブらしいセリフを吐いた後、巨漢の上級生はそそくさと去っていった。
あとに残された狐獣人の女子生徒は、僕のことを羨望のまなざしで見つめると…。
「た、助けてくれてありがとうございます! 私…ルフォっていいます! あ、あの…魔術学部一年生です!」
恥ずかしがり屋なのか、大きな二つの狐耳が茹で過ぎた葉物野菜のようにしおれている。顔は童顔だった。
「私も魔術学部一年生なんだ! これからよろしくね!」
今まで茂みに隠れていたノエルナが突然現れたことに、ルフォは驚いたようだ。
「ひぃっ」
何とも情けない声を上げたのち、彼女は僕の背後に隠れた。
「なぁエリネルって魔術使えるのか?だって君は『遊s..」
ノエルナが皆までいう前に、僕は彼女の口を塞ぐ。
彼女がこれ以上余計なことを言う前に、さっさと本題に入ることにした。
「おい、ノエルナ。俺の学生証返せよ」
「ああ。そうだね。ごめんごめん、返すの忘れていたよ」
彼女のノンデリ発言に、若干殺意が沸いた僕だったが、これ以上感情が昂ると、コイツらの前でタップダンスを踊る羽目になる。
落ち着いて…平常心で行こうじゃないか。
そう思っていたのだが…。
ノエルナが制服のポケットに手を入れた次の瞬間、突然固まった。
「ど、どうしたんだ?」
嫌な予感がした。
気のせいであってほしい。
切にそう願ったのだが…。
「ああああああ!? ご、ごめん! 学生証、教室に落としちゃったかも!!」
「何やってんだお前ェぇぇぇぇぇえ!?!?!」
というわけで、今に至る。
僕の学園生活は、ノエルナというノンデリ女のせいで台無しになったのだった。