第4話
「し、死ぬかと思った……」
王都行きの魔導列車に乗り込むなり、僕は座席に沈み込み、深いため息をついた。
――どうしよう……まだ心臓がバクバクしてる……。
全力疾走のせいで肺が焼けるように痛む。
額にはじっとりと汗が滲み、手足は鉛のように重い。
こんなに疲弊したのは、前世以来かもしれない。
この世界では、親の遺伝子のおかげで体力には恵まれていた。
どれだけ動いても息が上がることなんてなかったし、疲労で足がもつれることもなかった。
――それなのに、今の僕はどうだ?
『遊び人』に転職したせいでステータスは大幅ダウン。
結果、モヤシ並みの体力しかない。
……ヤバいなこれ、マジで。
前世の貧弱な体に逆戻りしたような感覚に、僕は再び深いため息をついた。
火事場の馬鹿力のおかげでなんとか逃げ切ることはできたが、今回は本当に運が良かった。
――というか、同乗者を囮にして逃げたのが最大の理由か。
今頃、ゴブリンの餌食になっているのかもしれないし、うまく切り抜けたのかもしれない。
まぁ、意図してなかったけど、僕がゴブリンの大半を引き連れてあげたのだから、状況的にはかなり楽になったはずだ。
つまり結果オーライというわけで、彼らが死んでいたとしても僕に非はない。
――多分、生きてるでしょ!!!
そう自分に言い聞かせ、僕は気持ちを切り替えることにした。
「まずは状況を整理しよう」
列車が王都に着くまでには時間がある。
普段の僕なら面倒くさがるところだけど、人生に行き詰まったときは、一度しっかり考えたほうがいいらしい。
僕は『遊び人』になって、父親に家を追放された。
でも放任主義の母親が大金と魔術剣術学園の入学許可証を渡してきて、そこに通えと言ってきた
ざっとこんなところか。
……母親の意図は読めないが、正直、学園で勉強するのも悪くない。
長年夢見てきたことなのだから、学園で勉学を励むことへの忌避感はないし、むしろ行きたい気持ちのほうが強い。
だけど、問題は、僕が弱体化しきっていることなんだよな。
少し走っただけで息が切れる。
魔術の発動すらままならない。
しかも適性職業は『遊び人』。
一体全体、何の冗談だ?
こんなふざけたスペックの奴が、魔術と剣術を極める学園に行ったら、いじめられる未来しか見えない……。
はぁ……。
何をするにしても、まずは自分がどれだけ弱くなったのか、ちゃんと確認しないといけないなぁ…。
現実を直視したくないけど……先に進むには必要なことだ。
そう判断した僕は、列車の個室で魔術の詠唱を始めるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
魔術の詠唱を終え、僕は静かに現状を整理する。
――分かったことは、ただひとつ。
僕は想定通りのポンコツになっていた。
瞬間移動をはじめとする上級魔術は、すべて使用不可。
ついでに中級魔術もダメ。
お前に何ができる?と聞かれたら、こう答えるしかない。
「ごめんね。使えるのは、初級の属性魔術だけなんだ。」
炎を放てるとはいえ、出てくるのは使い捨てライター並みのチンケな火。
水魔法に至っては、シャワーの水圧と大差なし。
……クソッ、こんなやつ、どこに需要があるんだ!?
唯一の救いは、十六年間磨き上げた剣技が体に染みついていること。
ステータスが下がったとはいえ、技型自体は忘れていない。
――だが、問題はそこじゃない。
体力ゼロ、運動神経ゼロ。
そんな有様で高度な剣技を扱えるわけがない。
要するに、ただの雑魚。
「ハハハハッ! こんなんで何ができるんだよ……僕の十六年間は、一体何だったんだ……?」
喪失感が胸を突き刺し、虚無感がどっと押し寄せる。
心の奥で、何かをつなぎとめていた糸がぷつりと切れる感覚がした。
――もう、どうでもいい。
こんな僕が学園に行く意味なんてあるのか?
どうせ無能のレッテルを貼られ、笑いものになる未来が待っているだけだ。
そんな絶望に沈みかけた、そのとき。
脳の奥底で、奇妙な感覚が芽生えた。
まるで、何かが流れ込んでくるような――。
《遊び人固有スキル【多動遊戯】を獲得しました!》
……ん?
突然の出来事に、僕はひどく混乱した。
意味不明な文字列が、脳内にデカデカと表示される。
因みに、この世界では新しく魔術やスキルを習得した際、ゲームのようなナレーションが脳内で再生されることがある。
始めて脳内にナレーションが聞こえてきた際は、驚きのあまりひっくり返って尻もちをついた僕だが、この世界ではレベルアップの際にナレーションが脳内で再生されるのは当たり前のことなのだとか。
世界の次元が違えば当然、法則も地球のものとは異なってくる。現に魔術が存在する時点でこの世界に僕の知っている一般常識が通用しないことは確定しているのだ。
だから、目を見張るような事態に遭遇しても、そういうものなのだと解釈し、次第に驚かなくなっていった僕なのだが…。
問題は獲得したスキルの名前にある。
【多動遊戯】? 見るからにふざけてるよね?
混乱する僕をよそに、脳内の文字は次々と切り替わっていく――。
《遊び人固有スキル【強制舞踏】を獲得しました》
……。
《遊び人固有スキル【乱数魔術】を獲得しました》
……。
《遊び人固有スキル【芸達者】を獲得しました》
……。
延々と続く、不可解なスキル獲得の嵐。
その瞬間、僕はあることを思い出した。
職業に就いた際、その職業に応じた固有スキルがランダムに付与される。
例えば、剣王なら剣技の強化、魔術師なら詠唱短縮や魔力増強。
じゃあ、僕の職業『遊び人』は……?
【多動遊戯】、【強制舞踏】、【乱数魔術】……。
――名前からしてふざけてるよね?
なんだよ、【強制舞踏】って……そんなもん、いらねぇよ……。
怒りが込み上げた、その瞬間。
《感情の昂りを察知!遊び人固有スキル【強制舞踏】を発動します!》
――え?
脳内にデカデカと表示された直後、僕の体が勝手に動き出した!
「ちょっ、ええッ!?」
止まらない。いや、止まれない。
足が意思とは無関係に、滑稽なタップダンスを刻み始める。
……なるほど。このスキルは感情が昂ると勝手に発動するのか。
つまり、僕が怒った瞬間、強制的にタップダンスを踊らされる――そんなゴミスキルというわけですね……。
……バカバカしすぎて、泣きそうになってきた。
十六年間の努力の結果が、これ……?
ハハハ…実に面白い人生じゃないか。
そんな他人事のような思考に沈んでいると、不意にコンパートメント席のドアが開いた。
「車内販売はいかがですか? あっ……」
ワゴンを押した車内販売のおばさんと、ガッツリ目が合う。
……いや、合ったというより、僕の滑稽なタップダンスを見られたというほうが正しいのかもしれない。
「……」
数秒間の沈黙の後。
「コーヒーをください……」
この空気感に堪えられなくなった僕は、タップダンスを踊りながら、僕は極めて真剣な表情で注文をした。
「は、はい! 200ビルになります!」
意表を突かれた車内販売のおばさんは、なるべく僕とは目を合わせようとせずに、ポットからコーヒーを注ぎ始めた。
「どうぞ」
ポケットから200ビルを取り出し、おばさんからコーヒーを受け取ろうとした、そのとき――。
《遊び人固有スキル【多動遊戯】を発動します》
――ん?
瞬間、僕の手に触れたコーヒーの入った陶器の瓶が、激しく震え――。
「バァン!」
僕に向かって飛翔してきたかと思いきや、顔面に思い切り激突した。
陶器が粉々になり、熱湯が顔にかかる。
「熱ぁぁぁぁ!!?!?!?」
「ひ、ひぃ!?」
カオスすぎる状況に耐えられなくなった車内販売員は、逃げるようにしてこの場を後にした。
――正直言って正常な反応だと思う。
僕だって逃げ出したい気分なのだから……。
「はぁ……派手にぶちまけちゃったな……」
未だに止まらないタップダンスを踊りながら、床に散らばった陶器の破片を片付けようと手を伸ばす。
その瞬間――
《遊び人固有スキル【多動遊戯】を発動します》
――は?
意思を持ち始めたかのように、鋭利な陶器の破片が僕の顔面目掛けて飛んできた!
「うわッ!?」
ギリギリのところで回避したが、冷や汗が止まらない。
だが問題はそこではなかった。
的を外れた陶器の破片は、しばらく空中を漂うと――
ビリッ!!
コンパートメント席のカーテンをビリビリに引き裂いたではないか。
う、嘘でしょ!?いったいどうなってんだ!?
事態を理解できず、混乱しながらも、とりあえずカーテンを破片から引き離そうとする。
だが――
「ぐはッ!?」
僕がカーテンに触れた瞬間、それが意思を持ったかのようにうねり、僕の首に巻きついてきた!
……な、なるほど。
遊び人固有スキル【多動遊戯】……。
どうやらこれは、僕が触れたものを暴走させる能力らしい。
――なんというゴミスキルなんだ。
タップダンスを踊りながら、カーテンに絞め殺されそうになるなんて……。
笑える。いや、笑えない。
息が詰まり、視界がかすんでいく。
抵抗しようにも、勝手に踊る足は止まらない。
意識が遠のく中、僕は最後の力を振り絞って思った。
……せめて、普通のスキルが欲しかったなぁ…。
そして――
タップダンスを踊りながら、僕は無様に気絶したのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
目が覚めると、俺はコンパートメント席の床に転がっていた。
息は荒く、喉は焼けつくように痛い。
そういえば気絶している途中に、奇妙な、それでいて物凄く不快な夢を見た。
俺が街中で滑稽なタップダンスを踊り、道行く通行人に笑われる夢…。
やめたくてもやめられず、羞恥心で死にそうだった。
それもこれもすべて遊び人になったせいだ…。
「……ククッ、あは……ハハハハハ……」
――カーテンに首を絞められ、タップダンスを踊りながら気絶するなんてなぁ。
こみ上げるのは、怒りでも、悲しみでもなく――自分に対する笑いだ。
数時間前まで、俺はエリートだった。
将来を約束された、選ばれた人間だった。
だが今や、"ふざけたスキル達"のせいで、このザマだ。
「クク……ククク……ッ、アハハッ……!」
あまりにも滑稽だ。
自分のスキルに振り回され、踊り狂い、ついには自分で自分の首を絞める。
――俺は、この世で一番、道化に相応しい人間なのかもしれない。
そう考えると、俺は再び笑いが止まらなくなった。
「アハハハハハハハッ!! アハハハハハハハハハハハァァ!!!ゴホッ…」
喉が裂けるほどの狂笑が車内に響く。
涙が出るほど笑いながら、俺は確信した。
もう、"まとも"には戻れない。
「…どうでもいい」
遊び人? バカげたスキル? クソみてぇな人生?
知ったことか。
「俺を笑いたきゃ笑えよ。好きにしろ。だがな……」
声のトーンが冷たく沈む、
俺は前髪を全てかき上げると、オールバックにした。
過去の腑抜けた自分と区別をつけるための踏ん切りだったのかもしれない。
「――俺を踏みつけた奴は、全員地獄に引きずり込む」
誰が俺を見下そうと構わない。
ただ、その足を掴んで、奈落に沈めるだけだ。
俺は道化でも、ただのピエロじゃない。
このふざけたスキルを使い尽くし、"嘲笑う側"に回ってやる。
「さあ、ゲームを始めようか」
まずは学園だ。
一から魔術を学びなおし、力を取り戻す。
その先に何があるかは分からない。
けれど――
俺は、決して諦めない。
感情を捨て、ひたすらに力を追い求めることを誓った俺。
お人好しでぬるい『僕』という人格を捨てた俺は、完全に闇落ちした。