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8.朝

 次の日。

 千尋が用意してくれた目玉焼きを乗っけたトーストと、レタスときゅうり、トマトの簡単サラダで朝食をすませると、仕事場に行くついでに、千尋が家まで送ってくれた。

 とは言っても千尋は免許は持っていても車は持っていない。

 今のところ、生活に必要性がないのと、お金を貯めたいのとで、持つ予定はないのだと言う。もっぱら運転するのは、職場の軽トラだけらしい。

 その為、家までは電車と徒歩で送ってくれた。いつもは自転車で職場に通勤しているらしい。

 道中、他愛もない話をしながら歩く。

 千尋の金色の髪が朝日を受けてキラキラ輝いて見えた。

 昨日の告白の後だ。一緒にいられるのが嬉しくもあり照れくささもあり。

 そうこうしているうちに、家の玄関前に到着する。ここで千尋とお別れだ。

 俺は名残惜しく思いながら千尋を振り返ると。

「じゃあ…、また」

「来週はヒマラヤトレッキング!」

 語尾に音符が付く。まるで子どもの様で思わず笑ってしまった。

「分かったって」

「拓人…」 

 呼ばれて顔を上げれば。

 顎に手が触れ軽く持ち上げられると、チュッとキスが唇の端に落ちる。

「?!」

「拓人、好きだ」

 間近で見下ろして来る千尋は、いつもと違って大人の男を感じさせた。たったひとつ、上なだけなのに。

「ん。…俺も…」

 蚊の鳴くような声で返せば、千尋は嬉しそうに笑んで名残惜し気に振り返りつつ、仕事場へ向かう為、来た道を戻って行った。

 千尋の背を角の向こうに消えて見えなくなるまで見送る。千尋といると、胸が高鳴ってしまうのを止められない。

 やはり千尋が好きなのだと改めて思った。


 千尋の背を見送ったあと、玄関ドアを開けた所で、丁度起きてきたらしい兄律と鉢あわせる。

「おはよう」

「お、おはよう…」

 あった視線がすぐに気まず気味に反らされた。あからさますぎる態度に、俺は少しムッとして、履いていたスニーカーを脱ぎながら。

「…んだよそれ。なんでそんななの?」

「いやだって。…お前、さ。千尋とは…どうなったかな? って」

 どう、とはどう言う事なのか。友達の家に泊まるくらい、普通の事だろうと思ったのだが。

 聞き辛そうに話す姿は、何時もの律らしくない。それで思いだした。そう。律は知っていたのだ。

 俺は肩で息をつくと。

「千尋に…告白された」

 びくりと律の肩が揺れた。それからゴクリと喉を鳴らし恐る恐る尋ねて来る。

「…で?」

 どうせ誤魔化した所でいつかばれるのだ。なら、今言ってしまった方がいいだろう。それに、好きと言う気持ちに偽りはない。

「俺も好きだって言った」

 俺の返答に律は一瞬、息を飲んでから。

「っ、はぁ~、良かった~!」

 そこへしゃがみ込み大袈裟なほど脱力して見せる。そんなに? と思うが。

「なんでその反応?」

 俺はそんな律を置いて二階の部屋へと向かう。律もその後を慌てて追ってきた。

「だってお前、無理かと思ってたからさ。友達ならいいだろうけど、そこまで千尋の事思えるのかって。はぁ~、良かった。これであいつも報われる…」

「報われるって…。だいたい、律、千尋のこと知ってたんだ? 色々…」

 過去の出来事も、同性もいける、と言う事も。

 部屋に戻ると、持っていったディパックから端末だけ取り出し、後は机の上に放ってベッドに座る。律も部屋に上がりこむと、机の端に腰掛けた。

「ああ…。まあ、付き合いは長いからな。あいつ、中学から一緒だったから…。あいつが絶賛荒れ中に」

「中学?」

「そ。学年は二コ下だったけど、たまたま同じ図書委員にあいつもなってさ。それがきっかけで仲良くなったんだ。けど、あいつあんまり学校、来てなかったからなぁ。お前も同じ中学だったけど、あいつその頃にはまったく行ってなかったしな」

「ふーん…」

 一緒の中学だったとは。

 確かに千尋らしき生徒を見かけた記憶はない。かなりヤンチャだったなら、目にもついただろうけれど、すれ違った記憶もない。

 登校していなかったのであればそれもそうだろうが、同じ中学という繋がりがあったのには驚いた。


 千尋、ひと言も言わなかったけど。


 事件の事もある。余り掘り下げられたくない、過去だったのかも知れない。

「中学ん時、一度家に遊びに来た事もあったんだけど…。お前は会ってないだろうなぁ。何も覚えていないだろ?」

「うん。何も覚えてない。多分、会ってないと思う…」

 当時を思い返しても、記憶の何処にも千尋の存在は残っていなかった。

「あいつが中一で俺が三年で…。お前、小六だったしなぁ」

「あの頃、水泳教室とかソロバン教室とか通ってたから、あんまり放課後、家にいなかったし…」

 書道教室にも通っていた気がする。水泳以外は近所の公民館でのんびりとやるタイプのものだった。

 律は頭を掻きつつ言葉を続ける。

「なんであいつが両方いけるって知ったかって言うとな、警察沙汰のあとあいつが好きな奴、出来たって言ったから何気に誰だって聞き返したんだ。…そしたら、男だって言ってさ。好きになったら性別は気にならないって。言う通り、当時付き合ってたのは女の子だったしな。気になる男の方は、好きと憧れとごっちゃになって、現実的じゃなかったらしい」

「現実的じゃない…」

 そんな事があったのかと、感心する一方、どこか胸の奥がざわつく。いったいどんな相手を好きだったのだろう。

「そんなんで、俺は千尋の事、知ってたんだ。千尋、お前に興味持った様だったから一応、釘刺しといたんだけど、どうも本気だったみたいだな…。でも、千尋が好きになるタイプだとは思わなかったけどなぁ…」

「それって、どうして?」

 すると律はバツの悪そうな顔をして。

「偶然、見たんだ。千尋が好きだった男。アイツに言うなよ? 相手が誰かは言いたくなかったみたいだし…」

「誰か聞いたって、俺、分かんないよ」

 素性や名前を聞いても、当時の千尋の交友関係など知る由もないのだから、ピンとも来ないだろう。

 けれど律は意外な人物を口にした。でも、思い返せばそれは意外ではなかったかもしれない。

「保護司の人だよ。名前…何だったかな。珍しい苗字。色々あった時世話になった人でさ。俺も会ったことあるけど、いい人だよ。頼れる大人って感じの。で、千尋がその人に告白してるの偶然、聞いちゃったんだ。話の感じだと一方的に千尋が好きだったみたいだけどな」

「それ…」


 昨日、会った人だろうか。


「なんだ? やっぱ知ってンのか?」

「…身長高くて日に焼けてて、身体つきもガッシリした感じの。目付きが鋭くて、パッと見、カタギじゃない風の──」

「ああ、そんなだ。会ったのか?」

「うん…。昨日、偶然街で会った。眞砂さんって呼んでた」

 その時の千尋がじっとその背中を見送っていた時の眼差しを思い起こす。

「ああ、それそれ。眞砂さん! 俺、連絡先も知っててさ。顔も覚えてんのに、苗字忘れちゃうんだよな。──てか、そっか…。会ったのか。…ま、昔の話だ。今は違うだろ? な」

 俺の微妙な顔色を見て、気にするなとばかりにポンポンと座る俺の頭を叩くと。

「あいつ、色々あったけど、その後はびっくりするくらい真面目になったんだ。それまでは結構、交友関係も乱れてたけどな。今はいい奴だ。思うと一直線だから。けど、扱いに困ったら言えよ? 対処は心得てる」

「扱いって…。まだ、昨日の今日だもん。そんな進展ないよ」

「なんだよ。デート毎週してるくせによく言う。まあ、兄ちゃんはお前が活発になって良かった良かったって、とこだな。千尋さまさまだ。母さんも喜んでるし」

「ってことは、母さんも昔から知ってたってこと?」

「ん。千尋が大変な時も知ってる。けど、別に色々言わなかったな。そこは俺を信用してくれてたってことで。反抗期で口はきかなかったけどさ。ちゃんと連れて来ればお茶もお菓子も用意してくれてた。千尋のことも他の奴らと変わらない態度で接してたし」

「へぇ…」

「俺、結構、部屋に友だち呼んでただろ?」

「うん…。そういえば、今思えば結構、やんちゃな感じの奴らばっかだった気が…」

「中学生のやんちゃなんて知れたもんだけどな。アイツ、高校は夜間になって別になったから、会う回数は減ったけど。俺が就職したら、また会うようになってさ。しかし、拓人とかぁ~。縁て面白いなぁ」

 しみじみそう口にしたあと、ハッとして時計を見た。

「ヤバッ! 今日の仕込み担当だった! 母さん、まだ寝てるからそっとな」

 そう言い残し、急いで自室ヘ戻って行った。これから仕度をして、勤め先の店ヘ行くのだろう。

 律の勤め先は居酒屋ではあるが、平日はランチ営業もしていて、その仕込みが朝からあるのだ。

 俺はどっとベッドの上に寝転がる。

 白い合板の天井を見るともなしに見つめ、昨晩出会った真砂を思い出す。

 確かに大人の男だ。俺とは似ても似つかない。

「千尋、あの人のこと、好きだったのか…」

 自分へ告白したのだ。既に過去の話となっているのだろうけれど。

 眞砂を見つめていた千尋の眼差しの熱っぽさは、そこから来ていたのか。

 思いの行方に関係なく、誰だって一度は好きだった相手なら、そんな目で見つめるだろう。


 でも。


「聞かなきゃ良かった…」

 知ってしまえば気にもなる。

 眞砂は知っていて、あんな風に千尋を焚き付けたのだ。二人の間がどうなったのかは分からないけれど、少なくとも終わったこと──ではあるのだろう。


 別に、関係ない。


 千尋に抱きしめられた時の感触と、キスを思い出す。


 千尋は、今は俺を好きなんだ。


 言い聞かせるようにして、襲ってきた眠気に目を閉じた。


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