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5.ネパール

 千尋は眞砂が去って行った方向をじっと見つめながら。

「ああやって。昔世話した奴らがまた元に戻ってないか、俺たちの行きそうな所、見廻ってンの。眞砂さんは元ヤクザ。でも大怪我してから組を抜けて、保護司になったんだ。ボランティアだし、金になんてならないのに。──おせっかいな元ヤクザだ」

 そう言って、こちらに振り返った千尋の目は熱を帯びているように見えた。

 何故、そんな目をするのか理由は分からない。けれど、俺の知らない千尋はまだたくさんいるはずで。その内の一つだろう。

 俺は真砂の言葉を受けて、

「昔の話し。千尋が知って欲しいなら聞くよ? …でも、もう終わった事だし、話したくなければいいよ」

 すると千尋は俺の右手を取ってギュッと握ると。

「拓人には知って欲しい。俺んちで話そ。ここから近い。律には朝まで預かるって言う」

「え? って、何? 泊まり決定?」

「うん。これからネパールに出発!」

「ネパール?」

 わけが分からない。勿論、マジなネパールでないのは分かっているけど。

 その後、そこから徒歩で十五分ほど行った先、古いアパート前へ到着した。

 歩きながら、千尋は兄律に俺の宿泊を告げる。端末の向こうから、ええぇ! と、驚きの声が漏れ聞こえて来たが、何かブツブツ言ったあと、オーケーが出たらしく。

「いいって。代われってさ」

「うん?」

 千尋が端末を差し出して来た。端末を受け取ると、律は開口一番。

『おまえ、さ。千尋の事…好きか?』

「…うん? 嫌いだったら一緒にいないけど…」

 先ほどにも真砂に同じことを問われて、同じことを返した。揃っていったいなんなのか。

『ふうん…。じゃあいっか。ま、軽率に行動しないでよーく、考えろよ?』

「うん?」

 何を言いたいのか良くわからないが、そう答えておいた。本当の事だ。眞砂といい律といい、何か隠したものいいが気になる。

 律との通話はそれで切れた。


 何を知っても千尋の過去は気にしないつもりだけど。


 端末を千尋に返す。

 到着した千尋の部屋は一階だ。階段を挟んで二つ並んだうちの外側。

 中に入ると直に小さなキッチンがありその向かいにバスルーム、奥に部屋が二つ。一つは洋室でもう一つは和室。洋室はリビングにしているらしかった。和室は寝室なのだろう。

 ここでネパールと言った意味がようやく分かった。まず入って直ぐの玄関先に、色取りどりの旗のようなものが、天井から吊り下げられはためいていたのだ。

 青、白、赤、緑、黃。一枚、一枚、数えて行く。後で調べるとタルチョと言い、有り難いお経が描かれた布らしい。魔除けと祈りの旗、とあった。それらが出迎える。

 キッチンには特に装飾は無いが、やたらと調味料の瓶が目立つ。香辛料のスパイシーな香りが自然の芳香剤となっていた。ネパール料理に関係するのだろうか。取り敢えず、異国の薫りはする。

 奥のフローリングの部屋はソファとテレビ、中央に小さなテーブルが置かれていた。

 テーブルは古い木製で、かなり年季が入っている。その上に小さな木製の象の人形が置かれていた。顔は象だけれど身体は人。どこかで見た事があると思って調べたら、ガネーシャと言うらしい。

 テレビが置かれた台も木製でこちらも年季が入っていて、同じく象の人形が置かれていた。ソファには見たことのない文字の入った布がかけられている。

 カーテンも同じくアジアを感じさせる布がかけられていた。部屋の隅にはアレカヤシが鎮座している。電灯は柔らかい色を放つ裸電球だった。

「うーん。確かにアジア、っぽくはある…」

「ネパール!」

 千尋が言い直す。

「うん、ネパールだった。確かにネパール…」


 なのだろう。多分。


 ネパール自体、詳しく知らない俺は思い込む事で納得する。けれど、千尋がこんな趣味だったとは意外だった。

「ネパール、好きなの?」

「前に住んでた住人が置いてった奴。けど、落ち着くからそのまんま。俺が装飾したのは──」

 千尋は着ていたグレーのパーカーを脱ぐとTシャツ一枚になった。白地の裾に龍の絵が入っている。どうやら龍が好きらしい。

「それとそれ」

 指さしたのは二箇所。

「それとそれ?」

 千尋が先に指さしたのは小さなフェルトで出来たキーホルダー。ストラップ部分がピンで止められ壁にかかっている。

 丸い白い顔に線で描いた様な目鼻口。手なのか足なのか、その顔から四本触手が生えている。

 全体的にはタコかイカに似ていた。身体部分は綺麗な白とブルーのグラデーション。

 表情は笑っているのか、怒っているのか分からない。でも、和む顔つきだ。


 これ──ネパール?? …分からない。


 ただ、もう一方、後に指さした壁には雪を被った険しい岩山の写真が一枚飾られていた。これは完璧にネパール方面だろう。

「それ、親父が撮った奴」

「へぇ…。写真家なんだ。凄いね」

 こんな険しい山を撮ると言う事はかなり本格的な登山になるはず──。そこへ千尋が付け加える。

「だった、だけど」

「…だった?」

 俺は驚いて聞き返す。千尋は写真を見ながら頷くと。

「その撮った山に登って、下山中滑落して遭難。遺体も見つからなくってさ。もう五年? になる。そん時のお土産がそれ」

 さっきの正体不明のキーホルダーを顎で指した。

 俺は先ほどと違う趣きで写真とキーホルダーを眺める。写真に写るのは、三角の頂上を持つ堂々とした山容だ。多分、間近で見ると迫力満点だろう。

「何ていう名前なの?」

「マカルーって言う山」

「マカルー…」

 ばかみたいに繰り返す。

 聞いた事はなかった。知っているのはエベレストくらいだ。それも、現地ではサガルマータ、チョモランマと言うらしい。

 それを知って、へぇと思った事があるくらい。その程度の知識だ。

 先ほどまで愉快な表情に見えたキーホルダーも寂しげに目に映った。

 千尋のお父さんが最後に買ったお土産。単なるお土産になるはずが、一転、最後のプレゼントになるとは思いもしなかっただろう。

 これを選んでいた時の、千尋の父親の顔が浮かぶようだった。きっと、嫌がる千尋の顔を思い浮かべ、くすりと笑いながら購入したに違いない。

 千尋はテーブル前のソファに座る様に促す。

「そこ、座って。麦茶飲む?」

「うん…」

 五年も経てば慰めももういらないだろう。

 なんと言っていいのか分からず、ただ言われた通りソファにちょこんと座り、再び横の壁に飾られた写真に目を向ける。


 千尋のお父さん。どんな人だったんだろう。


 周囲を眺めても、それらしい人物の写真は置かれていなかった。

 千尋は二人分の麦茶をコップに入れて持ってきた。ペットボトルでなく、パックでちゃんと淹れているらしい。香ばしい薫りがそこからする。一口飲んでから。

「千尋、寂しくは…ない?」

 ネパール一色に染められたままの部屋。父の残したキーホルダーと写真。部屋には多分に父親の影を感じるのだけれど。

「どうだろ。今の生活が当たり前だから、寂しいって思ったことはない」

 麦茶に口をつけながら、まっすぐ前を向いたままそう答えた。その表情からは何も読み取る事は出来ない。

 寂しそうと言えばそう見えるし、気にしていないと言えばそう見えるし。けれど、ふとその表情を崩し視線を落とすと。

「でも、今はちょっと寂しいって思うかも…」

「どうして?」

 すると、千尋は不意にこちらに視線を向けて、それをまたすぐ手元のコップに戻す。

「…理由は分かってる」

「そうなの?」

「今までは一人が普通だったから。けど、気になる奴が出来て、そうすると、そいつと離れている時間は寂しいなって、思う」

「気になる奴…。いるんだ」

「いる」

 千尋はコップを両手に包み込みながら間髪入れず返す。


 そうか。やっぱり、千尋はそういう相手がいるのか。


 すうっと体温が下がっていくのが分かった。

 予想はしていた事なのに、改めて事実を突きつけられショックを受ける自分がいる。


 どんな人間なのだろう? 


 俺と会っていない時間は、その相手と過ごしているのだろうし、会っていなくとも、きっと頭の隅のどこかで思っていたはず。


 きっとかわいい子だろうな。


 千尋は一途なタイプだと思う。付き合っているのかは分からないけれど、もしそうだとしたら、きっと俺にするように、積極的な行動を取っているはず。


 キスもハグも。


 もしかしたら、もっと先にも進んでるはずで。


 当たり前だ──。


 そう思うと、胸がキュッと傷んだ。

 俺と会うのは週末だけで。結局、俺はその相手に会えない間の、悪く言えば時間つぶし、つなぎなのかもしれない。

 それでも楽しく過ごせているのだから、良しとしなければならないのだが。冴えない男子高校生なんかにかまってくれているのだ。ありがたいと思うべきだろう。

 千尋はコップの麦茶を飲み干すと、コトリと音を立てテーブルに置いた。縁から落ちた水滴が木製テーブルに濃い茶色の痕をつける。

 俺は急に千尋と距離ができたようで、その存在を遠くに感じた。


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