21.千尋の回顧 −2−
無事に警察から解放され、すぐに眞砂らと会った。本当は、誰にも会わずに帰るつもりだったのに。
署を出た所で、拓人がこちらに駆けてきた。
遠目でそれを確認して、すぐ視線を逸らす。
これから千尋が伝えることを考えれば、まともに顔を見ることさえできなかったのだ。
俺の言葉に拓人が固まった。その顔から表情が消える。
それはそうだろう。別れると宣言したのだから。
そうして、俺は飛び出すようにそこを後にした。
「千尋!」
拓人の呼ぶ声を背に、路地を走る。
そのまま歩道を駆け、人通りの少ない海沿いの道に出た。
背後からはまだ拓人が追ってくる。中学時代ではあるけれど陸上競技をしていたのだ。ついてくる力はあるようで。
背後を一度ちらと見やったきり走った。
止まるつもりはなく。
止まれば、拓人をまた取り戻したくなってしまう。それではここまでした意味がない。
拓人はもっと別の、俺とは違うまともな人間と生きるべきだ。
きちんと前を向いた拓人なら、これからきっといい奴が見つかる。それは男女構わず。拓人を放っては置かないだろう。
俺はまた一人になればいい。
一人になれば誰も傷つけないで済むのだから。
ジーンズのポケットにしまっていた端末が着信を知らせた。この着信音は律だ。
無視するわけにいかず、そこへ立ち止まって出る。
開口一番、
『拓人をふったら絶交だ!』
そう怒鳴るような声で告げられ、一方的に切られる。
千尋はため息を漏らした。
律は先輩ながら面倒見がよく、どんな事態になっても千尋を見放さなかった。相手を思いやれる優しい人間で。今まで怒鳴られたことなど一度としてなかったのに。
「…って、だって…。俺じゃあ…」
端末を握りしめ、その場に立ち尽くす。
拓人を不幸にする。きっと、面倒に巻き込んでしまう。
守るためには離れると言う選択肢しかなくて。
『うん。…好きだ』
初めて拓人に告白した夜。
見下ろした拓人が、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして口にした言葉。
こんな自分に付き合ってくれていたのだ。嫌いなはずはない。けれど、自分の好きと拓人の好きは違うかもしれない。
迷いはしたけれど、告白せずにはいられなかった。初めて見つけたのだ。同じ時間を共有できる人間を。
『それ。体力つけたら…俺も行きたいっていったら駄目?』
俺ひとりきりの夢だったそれを、はじめて語った。すると、拓人はそう口にして。
オーケーを出せば嬉しそうに弾けるような笑みを浮かべてみせた。
俺は──。
今後、あんな風に付き合ってくれる人間は現れないだろう。それに、千尋自身もあれ以上、自分をさらけ出せる相手はいないと思った。
馬鹿な自分でいられたのは、相手が拓人だったからだ。どんな自分でも受け入れてくれた拓人だったから。
これからも、この先も。
拓人以上に思える存在を、見つけることなどできるはずもない。拓人はこの世でひとりきり。替えなどないのだ。
好きだ。とても、好きだ──。
思いが溢れてくる。そんな拓人を手放せるはずもない。
何をやっているんだ。──俺は。
自分を思ってずっと待っていた拓人を、ただ説明もなしに振った。
自分から迫って、せっかく心を開いてくれた拓人を、突き放したのだ。
今、どんな思いでいるのか。
こんな自分を受け入れてくれたのに。
いても立ってもいられず、急いで駆け戻る。
すぐに追ってきた拓人と会えると思ったのだが、戻っても一向にその姿が見えない。
訝しく思うと、少し先に黒い塊を見つけた。それは歩道に横たわっている。
まさか──。
駆け寄ると、犬の散歩中だったらしい夫婦が、向こうからやはり異変を感じて向かってくるところだった。
夫婦より先にその傍らにしゃがみこみ声をかける。やはり拓人だった。
仰向けに倒れ目を閉じている。呼吸は──ほとんどなかった。
「拓人!」
けれど、呼び声に反応はなく。
すぐに救急車を呼び、指示通り近くにあった自販機からAEDを取り出し処置にかかる。手首の脈は感じられない。
だめだ。いっちゃだめだ!
必死に処置を施していれば、救急車が到着し、拓人を引き取る。心音は回復した様だった。そのまま拓人に付き添う。
頼む。どうか、連れて行かないでくれ。
俺は──拓人に酷い事を言った。謝りたいんだ。間違っていたって、言いたいんだ。
悲しい思いを抱えさせたまま、いかせる事など出来ない。
これは、千尋にとっていい教訓となった。
時間に限りはある。生きているうちに出来ることは限られていて。
いつ終わるかは分からない。
だから、やりたいと思う事を、やるべきだと。いろいろ余計な事を考えずに。
俺は、拓人といたい。
それだけだった。
病院で目覚めた拓人を見た時、漸く呼吸ができた気がした。
もし、このまま拓人を失くしていたら、千尋は一生立ち直れなかっただろうと思う。
迷いなく思いを口にして。
交わしたキスを、千尋は一生、忘れないと思った。




