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13.隣り

 落ち着かないまま時間だけが過ぎていく。

 処遇が決定するまで留置所にいる千尋に、せめて何か元気づけられるものをと、用意した一枚の写真を弁護士に託すため、警察署に待機する彼の元を訪れていた。

 待合室で会った真砂の友人の弁護士は笠間といい、モカブラウンにカラーリングした髪が襟足にかかる、一見するとかなり軟派な男に見えた。真砂の言うには外見と違ってかなりやり手の弁護士だと言う。

 待合室の長椅子に隣り合って座ると、持ってきた写真を手渡した。

「これだけでいいの? ほかには?」

 笠間は渡されたポストカードほどの紙片を、ひっくり返しては裏表を見るのを繰り返す。

 確かに想像する弁護士像とは違って、かなり軟派に見える。動くたび、ふわりと微かに品のいい香水の香りがした。

「それだけで、いいです…」

 それはマカル―の写真。

 千尋に何か渡せるものはと問われ、急いでネットで検索し見つけた画像だった。それを写真にプリントアウトし、裏に手書きでメッセージを書き込んだ。

 咄嗟に思いついたのはそれくらいで。他に渡せるものは思い浮かばなかった。

「これ、険しい山だね? ヒマラヤ山脈の山かな?」

「マカル―って言うんだって、千尋が教えてくれました…」


 そこに行くんだって、俺に教えてくれた。それに──約束した。


 裏に書いたメッセージは、『一緒に』それだけだった。

 色々書いて、見知らぬ人間に読まれ、あれこれ詮索されるのは避けたい。だから俺と千尋だけが分かるメッセージを書いたのだ。

 今回の件で何があっても一緒に行くと心に決めた。

 千尋が何もしていないことを俺は知っている。誰が何と言おうと、どんな結果になろうとも。

「ふぅん…。もっと熱烈な手紙でも書いてくるかと思ったけれど──。いいね、こういうの。シンプルで。彼と君だけに伝わるメッセージ、か。で、…君、千尋君と付き合ってるって?」

「っ?!」

 予期せぬ問いに思わず肩が跳ね上がる。頬と言わず首まで赤くした俺に、笠間は写真から目を離すと笑みを浮かべながら、

「真砂がね。多分そうだろうって。千尋君はなにも言っていなかったようだけれど。数日前に電話で話した時、拓人くんの話題でかなり盛り上がったって。…主に千尋くんがね」

「……っ」

 一体どんな話しをしたのか。

 電話口ではしゃぐ千尋の様子が目に浮かぶようだった。

「別にいいんじゃないの? 人を好きになるのは皆同じだしね。たまたま相手が同性だってことで。ま、俺の責任は重大だけどね」

 悪戯っぽく笑んだ笠間は俺の肩に片手を置くと。

「大丈夫。千尋君の素行は問題ない。嫌疑が晴れてすぐ釈放されるよう頑張ってみるよ。上手く行けば警官への暴行罪のみで、微罪処分で済むかもしれない。時間はないから急がないとだけれど。ここだけの話し警察の友人がいるんだが、千尋くんが直に捕まったのには裏の事情があるらしくてね。話してくれたよ」

「事情…?」

「詳しくは話せないんだけど、色々あるみたいで…。兎に角、今は色々考えずに、ね?」

「はい…。ありがとうございます」

 立ち上がって深々と頭を下げれば、笠間が何故か感心する。

「いやー君。反応が本当にかわいいね? 確かにこれは真砂が言うはずだ…」

「何をですか?」

 何だろうと不安な面持ちで聞き返せば。

「ああいや。こっちの話…」

 コホンと空咳をして見せた後、また連絡するよと言い残し、端末に電話が入った笠間との面会はそこで終わった。 


 俺ができることは、待つことくらい。

 今日も入れて長くても三日の内に処遇が決定するらしい。

 軽微なものであれば、翌日にも解放されるのだとか。今日は三日目。翌日の解放はなかった。

 俺はいてもたってもいられず、外に出た。

 母奏子や兄律は俺を心配して仕事を休もうと言ってくれたけれど、それは断った。

 皆には皆の日常がある。俺の事ばかりでそれを邪魔することはしたくない。それに、ひとりでも平気だ。


 俺には千尋がいる。


 例え離れていても、千尋を思えば寂しくなかった。

 出かけると言うと、出勤前の律が声をかけて来る。

「大丈夫か?」

「大丈夫。ちょっと気晴らしに散歩してくる」

「明日は一緒にいるからさ」

「ん。ありがとう」

 明日の午後に弁護士の笠間から、結果の連絡が来ることになっている。

 律も気になって仕事にならないから休みを取ると言っていたのだ。


 俺は律に見送られ家を出ると、一番最初、千尋が連れてきてくれた場所に向かった。ホームセンターの植物販売所だ。

 平日のそこは人影もまばらで。特に奥に位置するそこはひと気がなかった。

 前と同じように重いドアを押し開け、庭木や鉢植えの草花、木々が生い茂る中へ入る。

 天井が所々空いたそこはガラス張りで、外が見えた。

 いつか来た白のベンチに腰掛け、その空を見上げる。

 葉を茂らせたヤシの木の間から青空が見えた。ハイビスカスやブーゲンビリアが赤やピンク、白の花弁を揺らしている。姿は見えないのに聞こえてくる鳥の鳴き声。

 ここは、南国だと宣言した千尋。

 本当にそう思えたから不思議だ。言われる通り目を閉じれば、遠浅のエメラルドグリーンの海が見えたくらい。

 けれど今はその威力が半減していた。

 一生懸命、あの時と同じ景色を見ようとするのに、上手く行かない。

 それは隣に千尋がいないからだと気がついた。

「千尋…」

 椅子の上に膝を抱えて座る。


 ここに、隣に千尋がいない。


 俺の景色に彩を与えてくれるのは千尋だけだ。千尋がいなければ、また世界は色を失ってしまう。

「会いたいよ…。…千尋…」


 どうか、千尋が早く戻って来ますように。傷つくことがありませんように。

 千尋の目に映る景色が、永遠に彩をもって見えていますように──。


 俺はただ、祈ることしか出来なかった。

 

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