11.嵐の前
「はぁ~食べた」
店の外に出ると、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。
土曜日、街は賑わいを見せている。千尋の先導で、街の喧騒から少し離れた海沿いの公園を歩く事にした。
街頭に照らされたそこは、同じくそぞろ歩くものたちでそれなりに人出はあった。けれど、皆、静かに語り合うくらいでバカ騒ぎするような連中はいない。
潮風が頬を撫でて行った。湿気を含んだそれはひんやりとして心地いい。
「カレーお代わりしてたもんな。結構、気に入った?」
「うん! おいしかったし、色々おかずがあって面白かったし。また行きたい」
「じゃ、また行こう」
街灯がまばらになってきた所で、千尋が俺の肩を軽く掴んで引き止める。
「なに?」
「今日は…もう帰る?」
千尋は引き寄せた俺を見下ろしてくる。
その表情はどこか切なげだ。俺はクスッと笑って見上げると、
「そんな顔見て、帰れると思う?」
「拓人…」
「ハグして眠るだけなら。…いいよ」
「…!」
千尋は俺の肩を引き寄せそのまま抱きしめてくる。
今日は何度抱きしめられただろう。まるで、会えない間の分を全部そこで補っているかのようだった。
「ていうか、俺も──一緒にいたいし…」
声を小さくしてそういえば、額にキスが落ちてきた。
「ん。じゃ早く帰ろう」
「うん…」
その後、律にメールだけ打って、前と同じように千尋の家へと向かった。
街中は通るけれど、前の時とは違う道を行く。前は俺の家へ帰るための近道のため、あまり風紀の良くない道を通ったが、今日はその必要はない。千尋の家へ直行するのだから。
しかし、その道中、ふと先を歩いていた千尋の足が止まった。
それは、繁華街を少し外れた路地。ビルの裏道だ。民家はないため、住人はいないが、店に勤めるものたちが使うような道で。
足を止めた千尋の視線の先、人影が見えた。
「よう、仲いいじゃん」
壁際にたむろしていたうち、一人が立ち上がって声をかけてくる。
この男には見覚えがあった。銀髪でガタイのいい男。千尋の昔の仲間だ。
「ここで待ってれば来るだろうと思ってさ…」
気がつけば、俺の背後にも人の気配。これで来た道を戻る事は出来ない。千尋はクッと唇を噛み締めたあと。
「──行こう」
俺の腕をしっかりとつかみ、その脇を通り抜けようとすれば、男が千尋の肩を掴んだ。
「待てよ。話があるって言ってんだろ」
「こっちはない。大人しくしてるうちにその手、離せ」
「んだ? 大人しくしてやってんのはこっちだっての。勝手に抜けやがって。ひとりだけ戻ろうったってそうはいかねぇんだよ。お前は俺たちと同類。いくら普通の人間の振りしたって、メッキは剥がれんだよ…」
「お前にそんな事を言われる筋合いはない。俺が羨ましいだけだろ? だったら、素直に抜けて一切やめればいい。いつだってその気さえあればできるはずだ。真砂さんも言ってだろ?」
銀髪の男は苦笑を浮かべると。
「…昔っからくそ生意気だったけど、もっと酷くなったな。俺にそんな口聞くとはな? どっちが上か分からせてやろうか?」
「上も下もない。俺たちは同等だろ? 誰かを支配したつもりもないし、されたつもりもない。お前と話すことはもうない。今後一切、関わるな」
「それ、真砂さんにも言われたけどさ。そう簡単に、割り切れねぇだろ? お前だって汚ったねぇ泥かぶってんのに、一人だけ綺麗な顔しやがって。そういうの、虫唾が走るんだよ。気に食わねぇ」
「──やるのか?」
「…いや。俺だって次やったらマジな所に突っ込まれる。もう未成年じゃねぇし。そこまで馬鹿じゃねぇ」
そう言うと、着ていたジャケットのポケットから何か掴みだし、それを無理やり千尋のジーンズの後ろポケットに押し込んだ。
そうして、千尋の鼻先まで顔を近づけると。
「これ、やるよ。選別だ。ありがたく受け取れ。これで、二度とお前とは会わねぇよ」
そう吐き捨てると、千尋から離れ、まるで逃げるように仲間と共にそこを立ち去っていった。
一体何をポケットに突っ込んだのか。
千尋は眉間にしわを寄せつつ、ポケットに手を突っ込んで、ぴたりと動きを止めた。
「──拓人。喉か湧いた…。そこのコンビニでなんか買ってきて」
突然、そう口にした。
千尋が顎で指したのは、五、六メートル先にあるコンビニだ。唐突な言葉に俺は眉間にしわを寄せ怪訝な顔をする。
「なんで急に──」
「なんでもいいからっ。はやく!」
「もう…」
千尋が珍しくきつい口調でそう言い放つ。
そんな態度の千尋は初めてだった。自分に声を荒げるなど、今まで一度だってなかったのだから。
俺は渋々コンビニ向かいながら振り返った。
「それでなにが──」
飲みたいのかと、振り返った矢先、突然、人の背中に視界を遮られた。千尋がその陰になって見えない。
「お前、ポケットの中身を出せ!」
数人の体格のいい大人が千尋の退路を塞ぐように取り囲み、ポケットの中身を要求していた。
いったい、何が──?
「千尋!」
すぐに引き返そうと、前に立った男を押しのけようとすれば、
「なんだ、君も仲間か?」」
一人が振り返った。俺が口を開こうとするより先、千尋は鋭い口調で。
「違います! そいつは、今偶然そこで会っただけで──」
「なに言ってんだよ、千尋。一体、これ、なに?」
千尋が答えるより前に、近くにいた男が。
「警察だ。彼がポケットに入れているものを確認したいだけだよ。君は彼の友だちか? 話を聞きたいから、君も一緒に来てもらおうか」
私服のため一見して警察とは見えなかった。すぐに背後から別の警官が現れ、肩を掴まれる。こちらは制服を身に着けていた。
その様子に千尋が声を荒げる。
「そいつは関係ないって言ってるだろっ!」
「君はポケットの中身を出してもらおうか? 通報があったんだよ。ここで取引があるとね。君が関係ないなら、それを見せてくれ」
ほかの私服警官に催促され、千尋は仕方なくポケットに手を突っ込むと、中から何かを握り締め取り出し、彼らの目前で手のひらを開いて見せた。
広げて見せた手の中には、ビニールの袋に入れられた乾燥した葉のようなものが入っている。
それは先ほど、銀髪の男が突っ込んだもののはず。
「これは何か分かっているか?」
「…いいえ」
「嘘はつくな。大麻だろう? 署で話を聞く。君は未成年か? 免許証はないのか?」
「あります…」
千尋はジーパンのポケットから財布を取り出し、そこから免許証を取り出した。警察はそれで年齢を確認した後、別の警官にそれを渡すと。
「少し話を聞かせてもらおうか。署まで来てもらう」
「……っ」
千尋は俯き手を握り締める。
俺は何がなんだか分からなくなっていた。
だって、それは千尋がもっていたんじゃない。さっきの奴が──。
「それ! さっきの銀髪の奴が千尋に渡したんです! 無理やりポケットに突っ込んで! 千尋は何も関係ない──」
「それは署で聞かせてもらう。君も来なさい」
全身から汗が吹き出る。
千尋はすでに警官に囲まれるようにして、パトカーに乗せられようとしていた。
誰かに、知らせないと──。
このままでは千尋が連れていかれてしまう。けれど、連絡しようにも警官に肩を掴まれ、身動きが取れなくなっていた。
千尋はそれを見て声を荒げる。
「そいつは関係ないんだ! 偶然、会って飯食っただけで、これのことは何も知らないんだっ!」
千尋は俺が捕まるのを阻止しようと、警官の腕を払うようにして抵抗する。
「いいから落ち着け。暴れると不利になるぞ?」
「そいつは関係ない! 離せ!」
千尋は自分の二の腕を掴んでいた警官の手を振り払いこちらに駆け寄ると、俺を捕まえていた警官に体当たりした。
その拍子に警官がよろめいて地面に倒れこむ。それを見ていた別の警官が、
「お前! 公務執行妨害で逮捕するぞ!」
あとはもうぐちゃぐちゃだった。なおも警官に掴みかかろうとする千尋。
だめだ──!
「行け!」
「!」
千尋は必死に警官を足止めする。
なんで、どうして?
頭の中ではその言葉ばかり繰り返している。
そこで走り出すべきだったのかもしれない。けれど、俺は千尋を置いてはいけなかった。
「やめてくださいっ! 千尋は何も悪くないんです! 千尋も、やめて──」
俺はなおも警官に掴みかかろうとする千尋に背後から追いすがった。
「なにやってんだ! 行けよっ!」
「行かない! 千尋は悪くない! 何も、してない──!」
ぎゅっとその背中に抱きつくと、千尋が動きを止めた。そこで警察が千尋の腕を取り素早く手錠をかけてしまう。
「千尋!」
「君も来るんだ」
警官は千尋にすがろうとした俺を簡単に引き離すと、千尋とは別の車に乗せられた。