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1.出会う

「おい! 拓人(たくと)

 日も傾く頃、部屋のドアが無遠慮に開けられる。

「何だよ。(りつ)…」

 俺は潜り込んでいたベッドの掛け布団の下からのそりと顔を出した。

 声をかけて来たのは兄の律だ。この時間にいると言うことは、今日の仕事は休みらしい。

「何だじゃねぇよ。今日、これから友達くるから。夕飯は台所に置いてあるから適当に食っとけよ」

「母さんは?」

「夜勤。明日の朝だろ。帰ってくんの」

「う…ん。了解」

 俺が再び布団に潜り込んで惰眠を貪ろうとすれば、

「朝までゲームしてんなよ? 眠れなくなるぞ」

「…ってる」

 俺の返答に律は小さくため息をつくと部屋を出ていった。

 俺、篠宮(しのみや)拓人(たくと)、高二は、現在、引きこもっている。

 来年は受験を控えた高校三年生と言うのに、だ。クラスメートは受験を迎える年に戦々恐々としている事だろう。

 別段、誰かにいじめられたとか、人と接するのが怖いとか、授業について行かれなくなったとか。そう言うのではなく、ただずっと同じ事の繰り返しに疑問を持ってしまって。一旦、小休止をしている所だ。

 家族は病院の看護師として働く母、奏子(かなこ)五十云才と、飲食店で働く兄、律二十一才と、俺との三人家族。父は俺がまだ物心つかない頃、病気で亡くなっている。

 季節は五月。俺の高校生活は後一年と十一月ヶ月ある。

 俺が卒業するまでの学費は貯めてあると母奏子が言った。母としてはせっかくだから、高校生活を満喫して卒業して欲しいらしいのだが、いかんせん、あの空虚な日々を送るのが億劫になっていて。

 俺の見る景色は、唐突にグレーアウトしてしまった。

 何を贅沢言っているんだ、学費はただじゃない。親の──まして片親の──事を思えば、不登校になどなっている場合ではないだろう? そんな声が聞こえて来そうだけど。

 それは分かっている。分かっているけれど、流されるまま、適当に日々をやり過ごす事が出来なくなってしまって。


 皆、凄いな。


 嫌味ではなくそう思う。何の疑問もなく、素直に楽しんでいる、その姿が羨ましい。

 いや。彼らだって、きっと全てを理解して生きているわけじゃない。そんなものなのだと思っているからだろう。

 引かれた道を素直に受け入れて。

 俺はいつになったら、こんなものなのだと割り切って前へ進めるのだろう?

「あれ? 律の部屋、ここだったっけ?」

 唐突にドアが開いた。


 ったく。揃いも揃ってノックもしないなんて。


 流石、律の友達。

「兄貴の部屋は隣。ドアにカモメのシール貼ってある…」

 俺は顔も見せず、布団の中から答えた。

「カモメ…」

 そこで声が途切れ、あ、ホントだ、と聞こえてきた。一旦外に出てドアを確認したらしい。

 幼い頃、母奏子が互いの部屋を間違えないようにと、勝手にシールを貼ったのだ。それは俺たちよりむしろ、母が間違えない為に貼ったに他ならない。

 因みに俺の部屋のドアにはミナミハンドウイルカのシールが貼られている。

「律の弟?」

「ん」

 戸口の辺りから声が聞こえて来た。そうだと答えると、何故か声の主は部屋に侵入してきて、あろうことか俺の眠るベッドサイドに腰掛けた。重みで軋む。

 久しぶりの他人の気配。俺は一体何事かと顔を覗かせた。

「あ、頭出てきた」

 見れば白に近い金髪の、チャラいヤンキー少年がいた。こちらをじっと見つめて来る。

 目付きは鋭く、きっと睨まれれば相当迫力がありそうだが、今は笑っているため、目尻も下がっていて、元々糸目なのが更に細くなって怖くない。左右の耳にはピアスが数個。唇の左端にもついている。

 けれど、いかつい見た目の割に、何処か馴染みのある顔に思えた。やはり糸目のせいだろうか。

「それって…、痛くないの?」

 ピアスを見るたび疑問に思っていた。特に唇のは。耳と違って良く動かすし、食べる時にも邪魔になりそうだ。だいたい、口の中はどうなっているのだろう。

「時間経ったら別に。慣れれば平気。時々物が引っかかると痛いけど。弟くんも開けてみる?」

「俺が?」

 金髪男子はニコニコして頷いた。冗談で言っているのだろう。黒髪地味目男子にピアスは違和感しかない。

 どうやって追い払おうかと算段していると、隣の部屋にいたはずの律がドアの向こうから顔を覗かせた。

「おい、千尋(ちひろ)。それはおもちゃじゃないからじゃれないように。あと、うちはピアス禁止」

「なにそれ?」

 千尋と呼ばれた少年が聞き返す前に俺が声をあげた。どうやら会話の内容を律に聞かれていたらしい。

「前に『ピアスってどう?』って母さんに聞いたら、『五体満足に産んだ身体に傷なんかつけるな!』って超激怒。俺が高校の時だけど」

 初耳だ。

「ま、成人後ならいいんじゃないの。耳に開けようが鼻に開けようが。あの時はまだ未成年だったしな。親の保護下にある。って、ほら、千尋。俺の部屋こっち。ゲームすんだろ?」

「ううん。もうちょっとここにいる。他の奴らとやっててよ」

 ったく、しょうがないな、と小さく律は漏らしたが。

「わかった。けど、そいつ繊細だから。割れ物注意。大事に取り扱えよ?」


 誰が繊細だ。 俺はガラスじゃないっての!


 憤慨して睨みつけるが、

「了解。壊したりしないって。さっさとあっち行けよ」

 千尋はそう言って手をパッパと振って身振りでも律を追い返す。律はムムッと眉間にシワを寄せ気難しい顔を見せたあと。

「拓人、なんかあったら呼べよ?」

「なんかって…何だよ?」

 律はあからさまに千尋を睨みつけながら。

「兎に角、危機を感じたらだ。千尋も俺の弟っての忘れんなよ?」

 それだけ言い残し、部屋を出ていった。


 なんだよ、危機って。


 俺は布団から半身を起こすと、腰掛ける千尋に目を向けた。

「千尋…って、言うの?」

 俺が名前を呼ぶと、おっと片眉を上げてみせ。

「そう。(たちばな)千尋(ちひろ)。十八歳。千尋でいいよ。俺も拓人って呼んでいい?」

「…いいよ。一コ上なんだ。けど、ここにいていいの? 兄貴達と遊んでんでしょ?」

 すると千尋はニッと笑んで。

「ここがいい。拓人と話してたい」

「俺と話すって…。何を?」

 すると千尋はずいと身を乗り出し、俺の鼻先に人差し指を突きつけ。

「色々。てか、拓人。俺ともっと楽しいこと、しよ?」 

 小首を傾げてニコリと笑う。というか糸目のせいでずっと笑んでいる様に見えていたが、更にその目尻が下がった事で笑んでいるのが知れた。

 笑うと、和む。

 ただのヤンキー男子では無いらしい。

「…楽しい事って?」

 おずおずと尋ねれば、千尋は更ににじり寄ってきて、俺の両肩に手を置いた。

「まずはキス、とか…」


 は?


 澄ました顔でとんでもない事を口にする。

 聴き間違いかと、キョトンとなるかならないうちに、フワリと甘い砂糖菓子の様な香りと共に、唇に柔らかくそれでも確かな弾力を持った温もりが押し当てられた。


 キスだ。


 紛うことなき。


 律が言ってた危機ってこれか? てか。これって危機なのか? …なのか。だよな。


 目前にある千尋の顔に思わず目をつむる。千尋の一方の手が頭の後ろを支える様に滑り込んで来た。

 がっつく様なキスではなく。柔らかく、何度も感触を楽しむ様に触れて来る。

「っ…」


 なんだよ。これ。


 突然のキス。しかも相手は兄貴の友人で同性だ。

 けれど、驚いてはいるのだが、ちっとも嫌じゃない。例えるなら、某アニメーションの女子ネズミにでもキスされている感じだ。

 確かにこれは楽しい。それに──。


 なんか、ムズムズする。


 色々。男子なら分かるはず。千尋は知ってか知らずか、キスを続けながら優しく頬や首筋を撫でそれを煽る。ゾクゾクとしたものが背筋を走り抜けて行く。


 ヤバ。これは危機。


 この行為に身体が反応し初めているのだ。この金髪ヤンキー男子に。

「ふ…。拓人、カワイイ」

 キスを終えると、額を擦り合わせた後、間近で見下ろしてくる。細い目の向こうにキラリと黒目が光って見えた。

「…楽しい事って、こういう事?」

 すると、千尋は考える様にしながら。

「うん。勿論、これもその一部。でもこれだけじゃない。もっと拓人と一緒に楽しい事をしたいんだ」

「なんで、俺と…?」

 それは疑問に思うだろう。今さっき、会ったばかり。初対面の俺に、そこまで思う理由が分からない。


 ひと目を惹く容姿ってわけでもないし。


 俺は見た目だってごく普通。家に籠もっているけれど、ベランダで日光浴がてらイスを持ち出して本を読んでいる。なので結構普通に焼けていた。

 髪は今はボサボサしているが、少しだけ長めの黒髪、くせありのストレート。

 特に目立つこともない、こっそり兄弟に芸能事務所主催のコンテストに写真を送られてしまうような容姿ではなく。ごくありきたりの高校生だ。

 千尋はしかし、平然とした様子で。

「拓人を気に入ったから。ってのが理由」

「でも…」

「理由なんていいでしょ? それより大事なのはこれから。俺と楽しい事、追求する?」


 楽しいこと。


「それって、キス…以外には?」

 千尋は俺の肩に手を置いたまま、うーんと唸って。

「嫌じゃなければ、キスのちょっと先? とか。ピアス、開けたりとか──」

 指先が耳朶に触れる。ジリと熱が上がった。

「美味しいと思うものをいっぱい食べたりとか、行きたいと思う場所に行ったりとか。拓人はどこに行きたい?」

「どこって…」

 俺は千尋の向こうに見える板壁をううんっと睨んだあと。

「ありきたり、だけど。海…とか、島? 田舎の、なにもない…。でも、南国の花が咲いてて甘い香りがするような…」

 すると、千尋がにんまり笑った。

「じゃ、行こう」

 俺は柄になく目をぱちくりして、千尋を見つめた。そうは言っても、直ぐに南国へ行けるはずもない。

 それでも連れて行くと息巻く千尋と次の土曜日、家の玄関前で待ち合わせすることになった。

 家の玄関で待ち合わせて行く南国。


 一体、どこだ?


 俺は首を傾げるばかりだ。

「絶対。約束」 

 そう言って、千尋は右手の小指を差し出してくる。

「うん…」

 俺はおずおずと小指をそこへ絡めると、千尋がグイと力強く絡めて来た。

 子どもの頃にやったくらいの、指切りげんまんを終えた所で、

「千尋。いい加減にしろっ」

 律がいきなりドアを開けて怒鳴り込んできた。

「痛いって、律─!」

 部屋を訪れた兄律に、調子に乗るなと叱られながら、まるで母猫に咥えられた仔猫のように首根っこを捕まれ、しょっ引かれて行った。


 へんな奴。


 いや。年上にそれはないか。

 変わった人物だ。俺なんかに絡んで何が楽しいのだろう。


 気に入ったって言ったけど。


 絡まれるきっかけも理由も思い当たらない。分からない事尽くしだ。

 けれど一つ言えるのは、言い寄られてもキスされても、嫌ではなかったと言うこと。

 初対面の人間にそんな事をされたり言われたりすれば、嫌悪感や不信感以外湧かないだろう。

 普通なら突き飛ばす。見ず知らずの人間に突然キスされるなんて有り得ない。潔癖な人間だったら叫ぶだろう。


 俺、おかしいのかな?


 キスは初めてだった。あんな風にされたのも。一体、キスなんて何処が楽しいのだろうと思っていたのに、気持ちいいと思えたのだ。

 

 初対面なのに。


 ヘンだ。俺はこんなに軽い奴だったのか。

 もっと突っぱねたり、顔を真っ赤にして怒り出したっていいのに。すんなり受け入れ、きちんと興奮していた。

 ヘンだ、ヘンだと頭の中で連呼しながらもふと思う。


 千尋、怖くなかった。


 開いているのかいないのか分からない糸目。ずっと笑顔に見えるその表情。俺と同じくらいの身長。──因みに俺は百七十センチあるかないか──小柄なせいで威圧感がない。

 そこへ持ってきて色白で。金髪なのはちょっと引く要素だけれど、肌の色が白いから良く似合っていた。

 

 唇。ピンク色してたし。


 きっと、日に当たっても赤くなって終わるタイプだ。


 唇も柔らかかった。


 触れられた唇に手をやって、残された記憶を感じ取る。


 キスは──慣れてた。


 先程の行為を思い起こして、体温が上昇する。


 これって、なんかヤバいかも。


 久しぶりの他人との触れ合いは、かなり強烈な印象を残して行った。

 当分この動揺は治まりそうになかった。

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