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灰色世界(2023リメイクver)  作者: 兎角Arle
本編
8/18

6話 ある少年の空想

「……なんだっけ」


 目が覚めると体のあちこちが痛む。

 鏡を割って、気絶したのは覚えているのに、どうしてそんなことをしたのか、肝心なところは抜け落ちてしまっていた。


 自分に都合の悪いことはすぐに忘れてしまうのは、私の悪い所だと思う。

 だから、抱き続けていられる限り、私は私の罪を手放したくないのだろうか。

 ああ、いけない、考えすぎて、気持ちが悪くなってきた。


 体が熱い。

 熱があると自覚できるほどに、体調が悪い。

 これは、怪我をしたから熱が出てるのか、それとも、もともと熱があったから、あんな馬鹿な真似をしたのか……駄目だ、やっぱり、苦しさで吐きそう。


 目眩、頭痛、吐き気。

 ぐるぐると自責の言葉が浮かんでは振り払い、振り払うたび嘔吐感が込み上げてくる。


「うげえ……最悪」


 可愛さのかけらもない泣き言を漏らして、痛みに耐えながら体を丸めた。

 腕に窮屈感があると思えば、ぎっちり包帯を巻かれているし、手も絆創膏だらけだと気づく。

 実に甲斐甲斐しいものだ。

 お腹の辺りがぎゅうっと苦しくなった。


「……しんどい」

「まだ寝てていいよ」


 指先で軽く頭を撫でられる。

 縁樹くんが隣にいたらしいことに、今更気づいた。

 彼がどんな表情をしているのか、見るのが怖くてぎゅっと目を瞑った。

 声は硬くて、何を思っているのか私にはわからないけれど、今は下手に心配されたくなかったから、却ってありがたく思う。


「熱、まだ下がってないから、ゆっくり休んで」

「ん」

「良くなるまでそばに居るから」

「や」

「嫌なの?」


 良くなっても、そばにいてほしい。

 本音は涙で滲んで紡げなかった。


「……優しくしないで」

「……してないよ」


 嘘つき。

 私に触れる手が、労るように優しいくせに。


 悪態をつく元気もなくて、眠ったふりをした。

 何度か、意識を確認するみたいに、縁樹くんに名前を呼ばれたけれど、全部無視してやる。

 返事をするだけの気力も残されてないのだ。


「優しくない。全部、僕の勝手だ」


 絞り出すような声は、私の意識がないと思って呟かれたのだろうか。

 首輪に触れられて、かちゃりと音が鳴ると、首元が軽くなる。首輪を外されたのだ。


 首輪の痕でも残っているのか、そっと撫でられる。

 くすぐったさで声が漏れたが、熱でうなされた呻き声だと思ったのか、起きていることは気づかれなかった。


「キミはきっとあの子じゃないのに、僕の願望を押し付けてごめんね、蜜柑ちゃん」


 息を呑んだ。

 今、何を言われたんだろう?

 嫌だ。その意味を考えたくない。


 これはきっと、高熱に浮かされた、悪い夢に違いない。

 ……そうでなければ、あまりにも虚しいじゃないか。


 ……でも。

 ……ああ、でも、本当はわかっていた。


 初対面のはずの彼が、どうして私に固執したのか、一番簡単な答えは、私が彼に抱いたものと同じだ。


 別の誰かを重ねて見てる。


 私たちはなんて滑稽でお似合いなんだろう。

 手に入れたいものが他にあるのに、模造品で代用して、紛い物の愛で慰めあっていたなんて!


 けれど、私も彼と似たようなものだったから、今更彼を責める気にはなれなかった。


「ねえ、その子の話、聞かせてよ」

「……起きてたの?」


 ゆっくりと目を開けて、縁樹くんの姿を探す。

 バツが悪そうに、顔を歪めていた。

 知られたくないなら黙ってればよかっただろうに。

 可笑しくって思わず目を細める。涙で湿った視界が、ぐにゃりと歪んだ。


「名前呼んだのに、無視してたなんて酷いね」

「しんどいし、寝ようと思ったし」

「でも起きてるじゃない」

「ねえ、縁樹くんに興味がわいたからさあ、聞かせてよ、話、眠るまででいいから」

「……今まで僕に興味がなかったの?」

「いたた。頭痛が」


 喋りすぎて本当に頭痛がしてきたのだけれど、縁樹くんは私がはぐらかしたと思ったのか、呆れてクスリと笑みをこぼした。


「楽しい話じゃないよ」

「もう既に不愉快だからいいよ」


 話を催促すれば、縁樹くんは起き上がり、ベッドの端に腰掛けた。

 手を伸ばして、私の額を撫ぜる。

 彼の表情が私には見えなくて、少しだけ悔しく思った。


*


 七志乃縁樹の幼少期は、この暗い部屋と、果てしない空想だけで世界が構築されていた。


 生まれつき特異な色を持っていたから、母が過保護を通り越して過干渉であった。

 陽の光に弱いと知れば、部屋の窓全てに木の板を貼って真っ暗にして、外に出てはいけないよ、と何度も言い聞かせてきたものだ。


 父は母の教育方針に度々苦言を呈し、良く口論をしていた。

 二人の話し合いに決着がつくまで、この部屋の中だけが、自由を許された場所で、ここには当時、読みきれないほどの本があったから、自然と空想が広がった。


 グリム童話を読んで、魔法の鏡の話を母に話したら、すぐあの大きな姿見を手配してきたのは、強烈な思い出だ。

 母の驚異的な行動力はもちろん、あの頃は今より純粋だったから、魔法が本当に存在するのだと、好奇心をくすぐられて特別な出来事として焼きついている。


 魔法の鏡がこの部屋に置かれた晩から、同じ夢を見るようになった。

 たかが夢、されど毎日同じ夢を見たから、当時の数少ない出来事の中で、記憶は鮮明に残り続けている。


 女の子がずっと独りで泣いている夢。

 最初はただ黙って見ていた。

 自分には関係がなかったから、どうして泣いてるのかも関心がなかった。


 それでも毎晩、それが一ヶ月も続けば、泣き声がうるさくて、煩わしく思って、泣き止ませようと、意地悪を言った。


「そんなに悲しいなら、嫌なもの全部壊したらいいじゃないか」


 それが出来ないから泣いているだろうことは、容易に想像できたのに、酷い慰めだ。

 でも、所詮夢で、この女の子がどうなろうと、どうでも良かった。

 ただ、泣き止んでくれればそれで……。


 本当は全然そんなことを思っていないのに、慰めた。

 本当は全然そんなことを考えていないのに、促した。

 身勝手にうそぶき、騙した。


 本当は全然そんなことを想っていないのに、「好きだ」と言った。


「だからこれ以上、キミの泣いてる所を見たくないよ」


 女の子はそれでぱったり泣き止んでくれて、嘘の好意を受け止めて、微笑んだ。


 なんとなく、彼女はこれが嘘だとわかっていて、それでも、ただ受けた偽りの言葉へ精一杯の優しさを返してくれたんだと、そう、感じた。

 なんて、綺麗なんだろう。

 まるで何もかもをがえんずる天使みたいだ。

 自分の行いが途端に浅ましく思えて、でも、彼女の優しさにもっと触れたくなって、その方法を知ってしまっていたから、何度も、表面だけの愛を囁いた。


 それでは根本的な解決にならないと知りながら。

 それでも、求めずにはいられなくて。


 ……そうして、身勝手な愛を注いで、無責任な肯定を繰り返した果てに、彼女は壊れてしまった。


「怖い、助けて……私、こんなこと考えちゃいけないのに……」


 嫌なら壊せばいい。

 恐ろしい悪魔の囁きだ。

 何度も似たような言葉を繰り返したから、彼女は、自分が誰かを害する想像をして、怯え始めていた。


「傷つけたくないのに平気で傷つける……こんなことなら、私が一人で死んだ方がきっと、みんな幸せだよね……?」


 無責任な肯定の言葉を求めて、彼女は縋った。

 手を伸ばして、彼女は救いを求めていた。


 僕は恐ろしくなって、背を向けて逃げ出した。


 啜り泣くような微かな声が、どこまで走っても耳につく。

 泣いてる、あの子が泣いてる。

 僕のせいで泣いている。


 彼女を、壊したかったわけじゃない。

 今だけでも、泣き止んでくれたらいいと。

 いつの頃からか、ただ、あの不器用な笑顔を見せてほしいと。

 キミを想っていただけだった。


「こんなのただの夢だ……馬鹿げてる。ああ、父さんの言うとおり、外に出れないから、僕はとうとう、おかしくなったのかも……」


 言い聞かせるように呟いて、「大丈夫」だと、うつろに繰り返した。


「明日の夢でも会えるさ……どうしても気掛かりなら、その時に、これまでのこと謝って、一緒に解決策を考えて……これからは誠実に向き合えばいい……」


 それ以来、彼女の夢を観ることは無くなった。


 それからずっと、彼女のことを引きずって生きてきた。

 過干渉だった母は、精神疾患があると診断がでて施設に隔離され、父の方針でまともに外での生活が始まっても、しこりは残り続けていて、日常のふとした瞬間に、あの手を握り返していたならば、と後悔がよぎる。

 それを自覚して、自分はとうの昔にイカれていたのだと、ようやく気づいた。


 実在しない空想に本気で恋をして、愛したいと渇望し、募る想いは一つの道を示した。


「キミのいない世界で生きている意味なんてない……」


 海の藻屑になって、跡形もなく消え去ることができたなら、あの子と同じ空想になれるだろうか?

 それがどれほど難しいことか、冷静に考えればすぐにわかることで、けれど、取り憑かれたように、その選択しか思い浮かばなかった。


 誰にも告げず家を抜け出して、独りで二月の海を訪れて、断崖絶壁に足を運ぶ。


「走馬灯……なんて言えば、綺麗には聞こえるね」


 掠れた声は、捻くれた響きだったけれど、あの子の声とそっくりだった。

 反射的に目を向けた先、夢の中にしかいないはずのキミが、そこにいた。


 ついに幻覚まで見えるようになったのか、と疑いながら、ただ、キミを見ていた。

 何事か呟いていたキミは、立ち上がり、はっきりとした声で告げ、飛び降りた。


「だからもう、さようなら」


 弾けるように、キミの後を追った。

 幻覚でも構わない。

 どうせ死ににきたのだから、これでいいんだ。

 でも、どうか、僕を一緒に連れて行って。


 夢見るような水中で、キミの手を掴んだ。

 手に触れた感触は、実在を感じさせて、幻ではなかった歓びと共に、このまま、二度と手放したくないと言う不安が押し寄せた。


 この世界にキミがいてくれるなら、僕はキミと共に生きて行きたい。

 今度こそ、大切にするから。

 今度こそ、助けるから。

 今度こそ、責任を取るから。


 キミを心から愛することを、許してほしい。


*


「本当はわかってる……現実的じゃないもの。夢の中から、キミがやって来たなんてありえない……」

「……わかってるなら、なんで私を捨ててくれないの?」


 縁樹くんの語った女の子はきっと、鏡の向こう側の私、くろちゃんのことで、私とあの子は、姿こそそっくりだけれど、中身はまるで別物だ。

 きっと、差異を見つけるほどに、落胆し、失望し、傷ついて来たはずなのに、どうして今なお手放さないのか、私にはその理由がわからなかった。


「それでもキミを愛したいと想ったから」


 あまりに小さな声は夢現に響いた。

 そう、言って欲しいと言う私の願望が、そんな幻聴を孕んだのか、本当に彼が囁いたのかは、曖昧でわからない。

 眠気が限界だった。


「おやすみ、蜜柑ちゃん」


 意識の落ちそうな私に気づいて、彼は甘く微笑んだ。

蜜柑ちゃんが前世を引き摺るなら、縁樹くんは空想に囚われていると言ったところでしょうか。

何はともあれ、折り返し地点を超えて、物語は終盤に差し掛かってまいりました。次回7話「もしも世界の終わりが訪れたら……。」来週もまた動きがあるのでよろしくお願いします。


pixivFANBOXにて全話先行公開しています。

https://kekkan-otobako.fanbox.cc/posts/6331419

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