3話 黒猫は鈴を欲しがらない
七志乃縁樹……彼は鏡の向こうでもこちらでも、大層な金持ちで、いわゆる、御曹司とやらだった。
何が言いたいかと言えば、つまり、私のような何処にでもいる平凡な少女を一人誘拐して囲っていても、適当な理由をつけて正当化してしまえるし、最悪もみ消すこともできると言うこと。
数日彼と過ごせば、これが数奇な出会いに浮かされた戯れではなく、本気も本気なのだと言うことくらいよくわかるし、御家の力をフル活用されたならば、最早私になす術はない。
なぜこちら側の縁樹くんに執着されているのかは皆目検討がつかないけれど、鏡面体の私たちは結ばれる運命なのだから、こちら側でも何かしらの因縁があってもおかしくないのかもしれない。
ジャラリ。
私は音の発生源を疎ましく見つめてぼやく。
「もうちょっと緩くつけてくれてもいいのに……キツくて苦しいし、鎖も重い」
縁樹くんにも仕事はある。
常に部屋で私を見張るわけにもいかないから、特注で鎖付きの首輪を用意して、私に装着させたのだ。
鍵がなければ外せない上に長さの調整もできない。もちろん鍵は縁樹くんが保管している。
鎖の長さは、部屋の中であれば自由に歩き回れる程度。備え付けのトイレにも入れるが、鎖のせいで用を足してる間扉を閉められないのは最悪だ。ちなみに縁樹くんがいる時は堂々と見張られている。最低だ。
外に繋がる扉にはあと一歩届かないので、おとなしく部屋で待つことしかできない。
娯楽の類も一切ない……否、本当はあったけれど、私が興味を示すたび、嫉妬に駆られた縁樹くんが処分していったのだ。故に、ただ床を転がる様を、部屋に仕込まれた無数のカメラで、縁樹くんは観察していることだろう。
まあ、これでもマシになった方だ。
最初の数日は首輪なんてなかったから、四六時中縁樹くんがピッタリくっつき動きにくかったし、縁樹くんがどうしようもなく外に出なければいけない時は、全身縛られてベッドに拘束されていったくらいだ。床で無様に溶けることができるだけありがたい。
食事を持って戻ってきた縁樹くんは、テーブルに皿を並べたら、ソファーに腰掛け「おいで」と私を呼んだ。
ちょっと離れた場所に座ろうとしても、掠め取った鎖を引っ張って真横に座らせるか、日によって膝に座らせてくる。
引っ張られるのは苦しいので、諦めて隣に座るようになった。
カトラリーは一人分だけで、魂胆が見え見えだ。彼の言った、私のお世話をしたいという話は本心らしい。
昨日、反抗心から手づかみでパスタを食べたら、ソファーに押し倒されて汚れた手を丁寧に舐め上げられてしまったので、もう大人しく縁樹くんのしたいようにさせる。手づかみは綺麗じゃないし、色んな意味で深く反省している。
都合よく調教されている気がしなくもないが、彼が強引に押し付けてくるのだから仕方ない。
とは言え、されるがままをよしとするわけでもないので、今日は隙を見てパンを強奪した。パンなら手掴みでも許される……と思いたい。
縁樹くんから凝視されているが、無視して別の話を振った。
「縁樹くんってどんな仕事してるの?」
それは単に、パンの強奪から意識を逸らすために適当に振った話題だ。
ぴくりと縁樹くんの指は反応して、パンを奪い返そうとしていた手を下ろした。
沈黙したまま、彼が言葉を選んでいることがわかるので、黙って返事を待つ。と言う体でさりげなく自らの手で食事を進めていく。完璧な作戦だ。
「蜜柑ちゃん、やっぱり僕がいなくて寂しい?」
「違う違う。一人は慣れてるし、寂しいとかはないよ。ただこう、縁樹くんって働いてるイメージないから、どう言う労働してるのかなーって」
「なんだ、寂しくないんだ。僕は片時も離れたくないのに」
「感性の違いじゃん、拗ねないでよ。ほら、パンあげるからさ」
半分にパンをちぎって差し出すと、縁樹くんは受け取らずに、私の手を包み込んで引き寄せた。
強引に私の手からそのままパンを齧ると、少し機嫌が良くなっているのが伝わってくる。結構ちょろいのかもしれない。
「蜜柑ちゃんは僕がどんな仕事してたら嬉しい?」
「……知らん」
「考えてみてよ」
「縁樹くんがどんな仕事してても私には関係ないんだから、嬉しいとかないよ」
「じゃあ、夫に求める業種は?」
「それなら漁師かな」
即答する私に、じっとりとした呆れの視線が刺さる。
「大型船で一年のほとんど家を開けてるような男が理想とか?」
「よくわかったね。気楽でいいもん。南極観測隊員とかもいいかも」
縁樹くんが明らかに不機嫌になったので軽口を止める。
何も縁樹くんにそうなって欲しいと言っているわけじゃないのに、気難しい。
「縁樹くんなら、料理人とかいいんじゃない?」
「どうして?」
「いつもご飯美味しいし」
「え?」
「うん? え?」
「あの、二つ聞きたいんだけど」
「どうぞ」
「一つは……それって、料理人として南極観測に行けっていう遠回しなお願い?」
「違う!! 夫に求める業種の話はもう忘れていいから!」
「そう? よかった。……それで、二つめ。どうして僕が料理を作ってると思ったの? そんな話したかな?」
「あ」
なんとなく当たり前のように、縁樹くんが作っていると思い込んでいたけれど、違ったのだろうか?
いや、だって、この縁樹くんだよ?
娯楽に嫉妬して処分していった彼が、私の口に入るものを果たして他人に用意させるのか……?
あ、やばい、恥ずかしくなってきた。違ったらどうしよう。
「えっと、もしかして、思い違いだった? なんとなく、縁樹くんが作ってるのかなって思ってたけど……」
「間違ってない。僕が作ってるよ」
「ええ?? じゃあ何が問題なんだぁ?」
「僕が作ったって言ったら、警戒して食べてくれないかと思って、あえて黙ってたから、その、びっくりして……わかってて、食べてくれてたんだね……」
そりゃあ、生きてればお腹は減るからね。と思ったが声には出さずにとどめた。
正直、元々自殺志願者なのだ、毒を盛られて死んでも構わない。苦しいのは少し覚悟したいところだけど……。
それで言えば、私を生かしたい縁樹くんが、私を害する毒を盛ることはないはずだ……自白剤とかヤバい薬物とか入ってたらどうしようと思ったりもしたのは確かだけどね。……入ってないよな?
「流石に、パンとかは手間がかかるし、食材から作るのは難しいから、出来合いの物もあるけどね……本当は全部僕が用意してあげたいけど、キミのそばに居る時間を減らしたくないから」
美味しいものが食べれる上に一人の時間が増えるなら私は嬉しいのだけれど、こんなことを言ったら縁樹くんは拗ねるどころか怒り出しそうなので言わない。沈黙は金なりだ。
「どうしよう、気づいてくれてて嬉しい……」
恍惚としている縁樹くんを置いておいて、さっさと一人で食事を済ませる。
そこでふと思い立ったので、もう一押ししておこう。
「せっかくの手作りだしさ、自分のペースで味わいたいから、食器分けてもらえるとありがたいな。食べさせてくれる気持ちは、十分ありがたいけどね! 嫌とかじゃなくてね!」
念を押しすぎてわざとらしかったかもしれない。
しかし縁樹くんは、チラリと食べ終わった皿と私を順番に見て、無言のままに微笑した。
どっちかわからない答えに眉を寄せていると、抱き寄せられて二人してソファーに倒れ込む。
私が縁樹くんの上に乗る形だけれど、背に回された縁樹くんの腕は力強くて、抜け出せそうになかった。
「僕の仕事、親の手伝いで書類仕事がほとんどなんだ。たまに会食もあるけど、あんまり好きじゃない。蜜柑ちゃんの想像通り、それほど働いてるとは言えないね」
「ふーん」
「聞いてきたのに興味なさげだね」
「うん、興味ない」
「蜜柑ちゃんって気まぐれな猫みたい」
「ちょ、っ、そんな風に触んないでよ、変態」
猫にするみたいに顎を撫でられる。
背中に回されたままの手は、滑り下され腰の少し下辺りをトントンと刺激してくる。
羞恥から顔を背ければ、顔の輪郭をなぞるように撫で上げられ、耳をさするように弄られた。
煽られているような気持ちになって、手で両耳をガードすれば、顔を撫でていた縁樹くんの手は引いてゆき、首元に落とされる。
大きく目立つ無骨な首輪を指でなぞりながら「鈴もつける?」と言い出したので「耳障りだから嫌!」と噛みついてやった。相変わらずトントンと腰を刺激されていて憎々しい。
「蜜柑ちゃん、明日のお昼は暇だよね?」
「それをここに監禁してるきみが聞くか?」
「明日から、僕も休みなんだ」
「ああ、そう」
一日中一緒だ。今からすでにげんなりする。表には出さないけど。
「だから、お昼にお茶しにいこう」
「行くって……?」
「庭でさ。たまには出たいでしょ?」
「え?」
耳を疑った。
縁樹くんが外出を前向きに考えていただなんて。
てっきり、この部屋から二度と出さないつもりなんだと思っていた。
幻聴かとも思い「本当に?」と重ねて問い返した。
体を起こそうと、勢いよく両手をついたら、まるで私が縁樹くんを押し倒したみたいになってしまって、少し気恥ずかしい。
縁樹くんはそれが嬉しいのか、とろんと私を見上げていた。
「勿論、蜜柑ちゃんが出たくないならそれでもいいよ。でも、ここは窓もないし、ずっとこもってたら気持ちも憂鬱になっちゃうんじゃないかなって思ってね」
「縁樹くんはそれでいいの?」
この問いは失敗だったとすぐに気づく。
首輪の鎖を手いじりしていた彼は、それを握り強く引いた。
いきなり強い力で引っ張られたから、突き出した腕が崩れ、縁樹くんの胸の上へ上体が落ちた。
ぎゅっと強い力で抱かれて、首の後ろに回された腕は、まるで私の頭を押さえつけるようで、縁樹くんの顔が見えなくなる。
冷え切った声だけが耳に届いた。
「僕の気持ちを優先させたなら、こんな提案するわけないってわかるでしょう?」
このまま、「僕が決めていいなら、やめようか」などと言い出しそうな気がして、どうにか弁解の言葉を探し続ける。
必然に、沈黙で二人の間は凍りつき、縁樹くんのものなのか、私のものなのかわからない脈の音だけが嫌にうるさく感じられた。
「……今回は特別に、蜜柑ちゃんに決めさせてあげるんだから、ちゃんと考えて答えてね。僕がどう言う気持ちで、こんな提案してるのかも含めて、しっかりと。わかった?」
「庭、出たい。縁樹くんとお茶がしたい」
時間を費やすほど、縁樹くんの威圧が増す気がして、早口で告げた。
腕の力が弱まって、のそのそと体を起こせば、縁樹くんは面白くなさそうに、あっさりと返す。
「そう。じゃあ、明日の昼過ぎに迎えに来るよ」
「わかった」
次回、第4話「 魔王様と黒猫姫のお茶会」です。
来週水曜日更新です。
庭へお散歩イチャイチャ回、お楽しみに。