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灰色世界(2023リメイクver)  作者: 兎角Arle
本編
2/18

1話 飛び込んだ先はまだ冷たい

 目が覚めると、いつのまにか“今の私”になっていた。


 ここが本来収まるべき配役だったのか、それとも、尊い幸福の国を犯した大罪を贖うために押し込められたのか、その真意は神のみぞ知るところだろうか。


 往々にして、幸福の裏側には不幸がある。

 天秤のようなもので、一方が高い時、もう一方は低くなる。これが、神様が作った世界の仕組み。

 鏡を隔てた向こう側、あの幸福の国が、一片の翳りもなく幸福であるために、鏡のこちら側は、どこまでも冷たく、不幸にできている。


 なぜそんなことがわかるのか? と問われれば、なんとなく。けれど、そう言わざるを得ないほどに、この世界はあの幸福の国と酷似していて、しかし仕様もないほどに不幸せな国だった。


 自らの罪を理解していても、痛いものは痛いし、苦しい時は苦しい。

 弱い私が、不幸の国で生まれながらに疎まれる日々に耐えられるはずもない。

 だから自然と、次を求めた。


 過去の回想に区切りをつけて自嘲する。


「走馬灯……なんて言えば、綺麗には聞こえるね」


 私がいるのは、断崖絶壁。

 下には海が広がっている。

 青い、青い、前回とは逆の色。


「ああ、そうだ、言い忘れてた。はっぴーばーすでい、私、それと……くろちゃん」


 他愛のない独り言。

 今日は二月十四日。

 私と、あの幸福を約束された子の誕生日。


 私は今から、この灰色な世界で二度目の自殺をするのだ。

 これが歪めた世界への精算となるかはわからないけれど、少なくとも、私の気は済むことに間違いない。


「ごめんね、やっぱり私は耐えられないよ。キミの世界は優しいのだろうけど、鏡を隔てたこちら側は……冷たくて、どこまでも灰色の世界だ」


 上着を脱いで、荷物を置いて、立ち上がる。

 さすがは二月。まだシャツ一枚では寒い。

 けれど、今から下に飛び込むのだから、そんなことは最早どうでも良いことだ。


「だからもう、さようなら」


 目を閉じることもせず、私は冷たい海へ飛び込んだ。


 ……やばい……思ったより、冷たい。


 沈んでからそう思った。

 普通ならもっと違うことを考えるのかもしれない。

 思ったより苦しいだとか、やっぱり死にたくないとか。

 でも、本当に思ったより冷たくて……死んじゃいそうだ……。

 死ににきたから良いんだけどさ。


 波は穏やかで、気を抜いたら体が浮き上がり水底に至れそうにない。

 溺死よりは凍死の方が可能性が高いかもしれないなと、思考が過る。

 ああ、嫌だな。痕跡も残さず、海の藻屑と消えたいのに……。

 それがどれだけ難しいかわかっていても、願わずにはいられなかった。


 仰向けになろう。

 天を見上げていた方が、幾らか気が紛れそうだ。


 その時だった。


 私に続くように、それは飛び込んできた。

 私を探すように、それは伸ばされた。

 私を救うように、それは私を引き上げた。


(この手は……)


 そこで私の意識は途絶えた。


*


「あ、目が覚めた?」


 気がつけば、青年の腕に抱かれていた。


 白い肌と髪や端正な顔立ちは、“前の私”がよく知る彼にそっくりで、唯一違う点と言えば、空のように青かった瞳が、真っ赤に染まっているところだろうか。


 私は今度こそ本物の走馬灯でも見ているのだろうか?

 いや、だけど、私の記憶にある彼は年下で、こんなに大きくなかった。

 ひょっとして、夢を見ているのかもしれない。夢ならすぐに覚めて欲しい。とても気まずい。


 否定される現実を願って、私は記憶の中の彼の名で呼んでみた。


「えんじゅ、くん? 七志乃、縁樹くん?」

「……僕のこと知ってるんだ?」

「え……どうして?」


 思わず疑問がこぼれたけれど、すぐに思い至る。

 彼は“鏡のこちら側”の縁樹くんに間違いない。


 縁樹くんは私の疑問をどう受け取ったのか、そもそもが聞いていなかったのかもしれない。

 どこか、弾むような声色で「それにしても」と。


「びっくりしたよ、いきなり海に飛び込むんだもん。あ、体調の方は大丈夫? どこか怪我とかしてない?」


 問われて気づく。すこぶる寒い。

 まだここは屋外、浜辺で、水分を含んだままに外気にさらされているから、震えでろくに立ち上がれない。

 おおよそ自業自得なので、敢えて伝えずに「だい、じょうぶ……」と歯をカチカチと鳴らしながら答えた。


「そ、それより!」

「?」

「どうして、助けた?」


 私は死ぬところだったのに。


 そう言おうとした言葉に被せて、彼は悦を含んだ笑みを浮かべて告げた。


「助けたいっていう、僕のエゴだよ」


 ぞくりとして、息が止まる。

 抱かれている腕の力が強くなり、体が先ほどより密着すれば、上気した熱っぽい吐息が冷えた肌を掠めた。


「キミが飛び込むところ、見てたよ。ずっとあの崖の上で、なんだか、この世に別れを告げてるみたいに見えて……声を掛けようか迷ってたんだけど、本当に飛び込んじゃったから、慌てて僕も後を追ったんだよ」


 詰められて、えも言われぬ恐ろしさから逃げ出したかったけれど、私を抱く腕の力は強く、震える体では振り払えそうにない。


 この人、私の知っている縁樹くんとは全く違う!


 胸中の叫びに、しかしどこか冷静な思考は、それはそうだとツッコミを加える。

 私だってあの可愛い子の鏡面対なのに、全くの別人なのだ。縁樹くんだってあちらとこちらで違って当然だ。


「キミ、自殺しようとしていたんでしょう? ごめんね、キミの気持ちを尊重するなら、助けない方がよかったんだろうけど、僕は、キミに死んでほしくないんだ」

「……なんできみが、初対面の私にそんなことを思うのさ? 変だよ、おかしいよ……私に、優しくしないで……」

「変でもおかしくてもいいよ」


 抱きしめられれば、彼の顔が肩に埋まり、体がピッタリとくっつく。

 二人の間には水気を含んだ衣服だけが挟まり、その薄い布越しに、わずかに残された体温が伝染して、このまま融けあってしまうんじゃないかとさえ感じられる。

 首筋や耳元に息がかかり、緊張から心臓が脈打つのを自覚して、今更、まだ生きていることをぼんやりと実感した。


「けどね」と、低い声が耳腔に注がれる。


「これは優しさなんかじゃないんだ。全部僕の勝手な都合で、僕のためにしたことだから、キミが気負うことはない」


 甘い囁きは毒蜜のようで、もっと嘯いてほしいと思う反面、もうやめてくれと叫びたくなる。


 言葉に困って黙っている様を、縁樹くんはどう受け止めたのか。

 ただ彼は、当たり障りのない話題へ切り替えるだけだった。


「このままじゃ寒いよね。移動しようか。ちょうど、僕が泊まってる宿がこの近くにあるから、まずはそこへ連れて行くね」

「置いていっていいのに……」


 呟いた声に、私を抱く手の力が増す。

 少し痛いような気もしたけれど、冷えすぎて感覚が鈍くなっているから、それが正しい加減なのかわからない。

 縁樹くんは私を抱いたままに立ち上がり、自分もまた凍え始めているのだろう、よろけながらも歩き出した。

 あまりごね続けて、彼も一緒に凍死なんてことになるのは申し訳ないので、私は諦めて身体を預けた。


「そういえば、まだキミの名前を教えてもらってなかった。聞いても良い?」

「小森、蜜柑」

「蜜柑ちゃん、か。……僕のこと知ってたみたいだけど、改めまして、僕は七志乃縁樹。よろしくね」


 なぜ知っていたのか? と問われることを身構えたものの、その言葉がついぞ降り注ぐことはなかった。

 却ってそれが居心地悪く、こちらから「気にならないの?」と聞こうと思った矢先に、宿に着いてしまう。


 びしょ濡れの二人を見て、宿の人たちが真っ青になって、医者を呼んだり、あれこれと暖を取る支度が始まり、それどころではなくなってしまった。

 縁樹くんは「海沿いの手摺りが壊れて女の子が海に転落した」などと平気で嘘を宣って、私の自殺未遂を有耶無耶にしてしまう。

 怖かっただろう、と労りや慰めの言葉をかけられて、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 他人に迷惑をかけずに死ぬことは実に難しいと実感しながら、次はもっと上手くやろうと画策する。

 とりあえず今は、流れに任せてやり過ごして、解放されたら別の場所で入水しよう。


 けれど、私の思惑を察知しているみたいに、じっと、赤い目が私を見張り続けている。

 着替えの時こそ、別室だったが、それ以外は、気がつけばどこからか、彼の視線を感じた。

 私が視線に気づくたび、彼は赤い目を微かに細め、蕩けたように微笑する。


 そんな不器用なアプローチは、記憶の中の幼い彼……鏡の向こう側の縁樹くんを想起させて、いじらしい。

 だから、ほんの少しだけ、欲が湧いた。


(もう一度、もう少しだけ、縁樹くんのそばで過ごしたいな……)


 どのみち、私たちはただ居合わせただけの赤の他人で、この宿を出れば二度と会うことはないのだから、ほんの少しだけ、欲張ってもいいでしょう?


 ……私のその選択で、二月の海より冷たい場所へ飛び込むことになるとは、この時の私には知る由もなかった。

メイン二人の出会いですね。

更新曜日に悩んだ末、水辺に関連する話なので水曜日更新に決めました。

次話も来週更新予定です。

そんな次回第二話「「安心しなよ、きみのことは大嫌いだからさ」」は、ハイスピード監禁生活突入編です。

よろしくお願いします。

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