1+n話 【挿話】然る父の苦悩
我が子の遺書を思わず握りつぶした。
思えば縁樹は、妻によく似て繊細な子だった。
だからと言って、痛みを全て退け、部屋に閉じ込めるような妻の教育に関しては、今でも賛同はできない。
しかし、その後私が行った、外に連れ出し、様々な物に触れさせ、人との交流を促すような教育もまた、縁樹には向いていない……間違ったやり方だったのかも知れないと、今更思うのだ。
少なくとも、妻の過剰な庇護下にいた頃のあの子は、よく笑う子だった。
ただ少し、現実と幻想の境界が曖昧で、変わった空想話が多かったが、それも含めて、縁樹本来の個性が輝いていたように思う。
妻の異常なまでの過干渉は、心的な疾患であると診断され、妻と息子、両方が健やかであるために、二人を会わせない事を決めて、そのように手配した。
良くも悪くも、妻と息子はとても似ていたからこそ、関わり合ってはいけないのだと悟ったのだ。
外に出てからの縁樹は、みるみる大人しく、あまり笑わない子になっていった。
今にして思えば、まるで心を固く閉ざしたように思う。そうすることで、周りに馴染もうとしたのかも知れない。
賢い子だったから、とても物分かりも良かったし、あの頃は、子供の成長というのは早い物だと感心したなあ……。
私にとってとても都合の良い子供を、演じていただけだったのではないか、と今は思う。
なにせ、遺書を読んで初めて、それほどまでに空想の抑圧が彼にとって苦痛だったのだと、初めて知り及んだのだ。
私は息子のことを何一つわかっていなかったのだろう。
縁樹に将来の話を振った時、彼はさらりと「父さんの仕事を引き継ぐんでしょ?」と言った事を思い出した。
私は「なんて孝行息子だ」と感激したが、縁樹にしてみれば、将来のレールを敷かれた、狭い人生への嘆きだったのかも知れない。
もし、やり直せるのなら、そうではないのだと、きみはきみの望む道を進んで良いのだと、きちんと伝えてやりたい。
いいや、まだ間に合う。間に合わせなければいけない。
人手を総動員して、縁樹の捜索を始めた。
無論こんな事、妻が知ったら倒れてしまうだろうから、妻には決して知られないように。
本当は妻のために遺書も捨ててしまいたかったが、今更ながらに知った息子の本心を捨て去ることは、親としてどうしてもできなかった。
……結局のところ、あんな遺書まで用意したというのに、あの子は自分からあっさり連絡を入れてきた。
安心やら怒りやらで、何を言えば良いかわからず黙っていれば、縁樹いつになく弾んだ声で、近くに来ている人手と、自家用のヘリを貸して欲しいと言った。
「危険なことはしないと約束できるか?」
「しないよ。やりたいことが出来たんだもん」
どのような心境の変化があったのか。
最初から親の心配を煽るためにこんな事をしたとは思いたくはないが、一瞬疑う程度には縁樹の言葉は軽やかだった。
だが、続く言葉に、縁樹が思いとどまったわけを知る。
「大事にしたい子を見つけたんだ。あの子を幸せにしてあげたい。僕に出来る事ならなんでもしてあげたい。死んでなんていられないよ」
息子のこんなに明るい声は何年振りだろう?
私も大概、過保護だと知る。
これじゃあ、妻に合わせる顔がないな、と恥ずかしくなるが、我が子が健やかでいてくれるのならば、私はいくらでも手を尽くそう。
「縁樹の好きなようにしなさい。ただ、後でこちらに顔を出しに来るように。わかったか?」
「んー、まあそれもそうか。わかった。あ、昔僕が母さんと住んでた所ってまだあるよね。一旦そこに向かうから、父さんのところに顔出すの、少し後になるけど……」
「なら、私がそちらに向かう」
「…………父さん、忙しいだろうからわざわざ来なくて良いよ。僕から必ず顔を出すから、じゃあね」
明らかに不機嫌な調子で、一方的に切られてしまった。
親の心子知らずとはよく言うが、子の心もまた親にはわからない物だ。
あまり干渉しすぎても鬱陶しいだろうから、縁樹言葉を尊重して、私は縁樹の方から訪れるのを待つことにした。
……その後、縁樹を連れてきた部下からの報告で、少女を拉致したと聞いた時は耳を疑った。
なんだか頭痛がしてきた。
一連の騒動、絶対妻には言えないな。
息子が自殺しようとした挙句、未成年の少女を攫って囲い始めたなんて知ったら、倒れて寝込んでしまうに違いない。
正直、私だって倒れてしまいそうだ。
縁樹は悪びれもせず涼しげに「顔見せたから戻って良い? あの子が待ってるから」などと言う。
混乱する頭で、相手の子の気持ちは? だとか、相手のご家族への連絡は? など、いくつか言い募ったと思うが、問いが嵩むほど、縁樹はわかりやすく苛立ちを露わにした。
特に、「本人に直接意見を聞きたいから会わせなさい」と告げた時の反発振りには、手をつけられない程であった。
「僕の好きにして良いって言ったのは父さんでしょう?」
「……はあ。まさかこんなことをするとは思わなかったんだ。なあ、縁樹、相手がどんな子でも反対しないから、別の形でその子と交際するのではいけないのか?」
「できないよ。あの子、手放したら目を離した隙に死んじゃうから」
「なんだって?」
「僕より先に海に飛び込んだんだ。その後を追って、救いたいと思った。手を取った瞬間に、一緒に生きていきたいと感じた。だから岸に上がった。でも、そう思ったのは僕だけで、あの子は今でも死にたがってる。放り出したら、すぐに消えちゃう。そんなの、絶対に許せない……」
てっきり、飛び降りそうなところを親切な人に止めてもらえたのかと思い込んでいたが、どうやら縁樹に心境の変化をもたらしたのは、彼と同じように痛みを抱えた娘の姿だったらしい。
縁樹にはきっとその子の痛みがよくわかって、まるで自分の痛みであるように感じて、寄り添いたいと思ったのかも知れない。
自ら死を選ぶ繊細な子供達の心境など、私には到底理解できない。
けれど、ふと、過剰な庇護下にいた幼い頃の縁樹の笑顔を思い出す。
目の前の成長した青年は、かつて自分が息のできていた居場所を、その女の子にも与えてやりたいと、純粋に思っているだけなのだと、私は不思議とそう感じた。
「……わかった。その子のことはもうとやかく言わない。何か必要なものがあれば手配しよう。その代わり、その責任は自分で取りなさい。仕事も手を抜くことのないように。できなければすぐにでも対処させてもらうからな」
「初めからそのつもりだよ。責任だろうと、どんなに些細なことでも、あの子のことを他人に取られたくないもの」
これが最善だったとは思わない。
結局私も、妻同様に過保護な親バカなのだ。
我が子の嬉しそうな姿を見て、それを取り上げることなどできないのだから。
*
「じゃあ父さん、僕もう帰るから」
「嗚呼。……遠出につき合わせて悪かったな」
「本当だよ。はあ、早く顔が見たいな……」
ぶつぶつと文句を垂れながら、息子は車に乗り込んだ。
これが、縁樹との最後の会話になった。
縁樹の口からこぼれた願いは、終ぞ叶うことはなく。
捜索を続けた二週間は、生存を信じることしかできず。いたずらに縁樹が囲っている娘を訪ねたりしたら、縁樹が生きて帰ってきた時に嫌悪されてしまいそうな気がして、様子を見にいくと言う発想は思い浮かばなかった。
三週間経った頃には、妻も心労で不安定になっていて、諦める、と言う一つの区切りを取ることを決め、葬儀の準備に明け暮れた。
自分たちの喪失感に手一杯で、娘の心配はよそへと退けていたのだ。
喪中でも、仕事は待っていてはくれない。
縁樹に任せていた仕事を誰かに引き継がせねばならないし、書類の整理も必要だ。
仕事に向かうことで、失った悲しみを遠ざけていた最中、妻からの電話で、娘のことを思い出した。
縁樹が残していった一人の少女。
自分で責任を取ると言ったくせに、仕方のない息子だ。
こうなって仕舞えば、子の責任を取るのが、親の務めだろう。
しかし、こんな状況でも、私の記憶の中の息子は、矢張り私が例の娘と相見えることに文句を垂れるのだ。
それは、その子と会うことの後ろめたさから来る自分勝手な空想か、それとも、親として息子のことを少しは理解できていたのだと……思っても良いのだろうか?
縁樹くん父のお話でした。
私は自身の作品で、父親キャラを、愛情深くありながら割と不憫だったり報われなかったりする結末で描きがちだなとふと思ったのですが、自分の経験上父親にあまり好感が持てないことから来ているのかもしれません。
子に対し愛情深く斯くあって欲しいと思いながら、破滅して仕舞えば良いとひねくれた嫌悪感が滲んでいるような気がします。あるいは、破滅するほどの撓まない愛情を望んでいるのやも。
自分語りはさておいて、次回はもっと外側のお話へ。5+n話「【挿話】神様の告白」です。
来週も読んでもらえたら嬉しいです。




