n話 回想録1
あの子が居ない世界を嘆いた。
それはどうしようもない空想だったから、心のどこかで、存在するわけがない、と決めつけて居たからかもしれない。
とても浅はかだ。
キミを引き上げた今だからこそ思うのだけれど、これまでの僕は、そんな狭い視野に閉じこもり、一度だってキミを探そうとはしなかった。
あるいは、僕は一度、あの子の前から逃げ出したから、後ろめたさがあったのかもしれない。
何かに取り憑かれたように、空想と共に消え去ってしまうことばかりを考えて……でもそれが、キミと出逢うきっかけになったのだから、運命、だったのだと思った。
でも、キミは、逃げ出した僕のことなんて嫌いかもしれない。
散々酷いことを囁いたから、一緒にいたくないのかも。
少しだけ悩んで、すぐに思いやることは辞めた。
全部全部僕の我儘。
だって、キミに嫌われていたとしても、身を引くなんて選択は、この時、僕の中には存在しないのだから、考えるだけ無意味だ。
だから僕の勝手を貫いて、一番安心できる場所にキミを閉じ込めた。
ほんの少しだけ期待していた。
なぜならキミは、あの宿で、僕の視線に気づいていたから、僕と同じように、あるいは警戒心かもしれないけれど、それでも僕を、意識してくれていたのではないか、なんて。
もしかしたら、同じ空想を共有してくれているだなんて、幻想を抱いたりもした。
連れ帰ったキミは、初対面であることを強調したから、そこでようやく、僕の妄想に全くの他人を付き合わせてしまったのだと自覚した。
でも、もう止められない。
高まる感情はどれも本物で、僕はもう、キミなしじゃいられない。
だから「一目惚れ」で間違いないんだ。
僕はどうしようもなく、キミが好きなんだ。
どうして名前を知っていたのか、なんて些細なことで、初めは僕の空想だからと思っていたけど、赤の他人だとしても、大したことはない。
両親は有名人だし、それに加えてこの特異な体の色は、一時期メディアに露出したことがある。たまたまそれを知っていただけ、だろう。
ああ、でも、そんな偶然ってあるのだろうか?
単なる偶然だとしても、僕たちの縁をより強固にする材料としか感じられない!
僕たちは、出逢うべくして出会った。そんな確信が持てる。
浮かれる僕に冷や水をかけるみたいに、キミは僕を受け入れようとしない。それどころか、まだ死にたいと叫ぶから、内臓が縮むみたいに苦しくなった。
僕はキミを大事にしたいのに、キミ自身がキミを蔑ろにしている。
キミがキミを大事に出来ないのなら、キミがキミを傷つけないようにしなければ。
気がつけば強引に、ベッドに押し倒していて、縫い留める位置を決めるみたいに、体を撫でていた。
いっそ、この腕を、脚を、切り取ってしまえば……だめだ、それでも舌を噛むかも。口枷をつけて、点滴で栄養を与えれば……生命維持だけはできる……。
実行するつもりで撫で回していたはずなのに、触れるたび伝わる温度、手触り、キミの反応の全てを感じるほどに、空想でなく、キミがここに実在するのだと感じられて、徐々に気持ちが穏やかになった。
「このままベッドにはりつけて、舌を噛まないように口も塞いで……食事は点滴を用意しようかな……可哀想だけど、自由にしたら勝手に死んじゃいそうだから仕方ないよね……」
なんとなしに、先ほどまで考えていたことを吐露する。
「そういう極端な対策を講じるのは良くないと思うんだけど!」
「先に極端なことを叫んだのは蜜柑ちゃんでしょ?」
死にたがりなわりに、本気で嫌がるんだね。
でも、生存に対しての意欲が丸切りないわけじゃないんだとわかって、少しだけ安心。
「いやいや、でもね、普通こういう時って、話を聞いたり、メンタルケアとか段階を踏んでいくものでしょ?」
「大丈夫だよ、僕が蜜柑ちゃんのお世話をしたいだけだから、遠慮しないで」
これは本心。
キミのお世話ならなんだってできる。むしろ今は、それしかしたくないくらい。
撫でていた指先が、素肌に触れる。
華奢で小さい体。
体脂肪は少なくて、鎖骨もくっきりとしている。
すべすべな肌は触り心地が良く、もっと触れたいという欲が湧き出た。
同時に、既成事実を作ってしまえばいいんじゃないか? と過ぎる。
「待ってくれ、会話が成立してないよ!? それから、そろそろ体触るのやめて!」
「嫌?」
「っ……だからその、触るのやめ……こういうの、慣れてないから、ほんとに……や、やだ、怖い」
脳裏に、夢の光景が浮かんだ。
怯える姿が、あまりにもそっくりで、また僕は、キミを壊してしまうんだろうか?
非道になりきれないのは、優しさじゃなく弱さゆえだ。
泣かせてしまうことが怖くなって、手を引いた。
「僕のそばにいてくれるなら、酷いことはしないよ」
「それって脅しだよね」
「僕なりの愛情表現」
格好つけて馬鹿みたいだ。
胸中で自嘲した。
「嫌って言ったら襲うんでしょ? 本当に酷い話だね」
「返事を聞かせて?」
「……わかった、わかったから。きみの言うとおりにするから、ちょっと離れて」
「駄目。僕の言うとおりにするって言うなら、僕との距離に慣れてくれなきゃ」
今手放したら、今度はキミの方から消えてしまうような気がした。
自分は逃げ出したくせに、キミの方からいなくなるのは許せないだなんて、キミのいうとおり、酷い話……。
「僕のこと、嫌いになった?」
キミはあの子じゃないと理屈でわかっていたつもりだったのに、思考と感情はぐちゃぐちゃになって、何が現実で、何が空想だったのか曖昧になっていくから、思わず、幼い日に置き去りにされた言葉が漏れでた。
「安心しなよ、きみのことは大嫌いだからさ」
不思議な返しに、笑みが溢れた。
元より嫌われているのだからしょうがない。そんなふうに思わせる言葉は、遠回しに、僕の言動を「気にしてないよ」と流してくれたように感じられた。
*
小森蜜柑ちゃん。
それが、僕がこれから大事にする子の名前。
肌は日焼けをしていない健康的な白さで、日本人らしい黒い目と髪。髪型は耳が見えない程度のショートで、後ろの一束だけ尻尾のように長い。エクステかと思ったけど地毛。本人こだわりの髪型だから、切ろうとしたら怒られた。
身長差、三〇センチ以上ありそう。一五五センチくらい? 体重はやや軽め。脂肪は少ないけど筋肉もさほどついてない。ガリガリというほどではないけどスレンダーでより小さく感じる。バストサイズも、一瞬男の子と見紛う控えめさ。触ると少し柔らかいからすぐ女の子だとわかる。僕としては体がピッタリ密着できるから胸が小さくて嬉しい。本人は地味に気にしていて可愛い。月経は不順気味。念の為食事にピルを混ぜておこう。
好きな色は黒。好きな服装はシンプルで動きやすいもの。でも本当は、フェミニンで可愛くて綺麗な衣装に憧れてる。好きな本は流行りのライトノベル。好きな音楽は聞いたこともない名前のインディーズバンド。好きな番組は世界猫百景とニュース。インドア派。遊びはデジタルゲームが主。食の好みは無くて出されたものはなんでも黙って食べる。でも実は肉は鶏肉が好き。魚は子持ちししゃも。骨の少ない食べやすいものが好き。パンより米食派で米に合う付け合わせが好物、ちょっと渋い。
暇になると歌を歌ったりストレッチをしている。歌はよくわからない言葉だったり、知らない曲。テレビは部屋にないはずなのに、最新のCMソングを歌ってたりするのが不思議。わざと下手に歌ってるけど、音程は正確、リズム感もあって時折こぼすバラードの鼻歌は上手。ストレッチはびっくりするくらい体が柔らかくて……いろんな体位ができそう……なんて……。
家族構成、母、兄、弟。父は離婚後アルコール依存から体を悪くして入院中、疎遠。しかし父方の従兄弟とは程々に仲が良かったらしい……この男、妙に気に入らないな。もう二度と会わせるつもりはないけど。
学歴、成績は非常に優秀、しかし就学態度は良くない。無断欠席が多く友人も居ない。現在高等教育は通信制。これは後で退学の手続きをしないとね。……アルバイト、個人経営の飲食店のホールスタッフ。評判は悪くないあたり、人付き合いができないわけではないらしい。昨年末の区切りで退職。その頃から自殺を計画していたのかな? 貯金は旅費に使った様子。
理解したくて調べて、観察して、知っていくほどに、わからなくなる。
どうして死のうとしてたのか、キミの気持ちがわからない。
ありふれて普通なようで、どこか歪。
何がきっかけかわからないから、やはり、監視しておく必要がある。
似合う首輪を用意して取り付けて、安堵と不安のジレンマ。
これで勝手にいなくならない安心感。
これで勝手に首を吊らないか恐怖心。
蜜柑ちゃんは、僕なんかよりもずっと優しい。
なりふり構わず死にたいなら、方法はいくらでもあるのに、僕が傷つきそうな手段は取ろうとしない。
鎖を巻きつけてベッドから吊り下げれば首を吊れる。
洗面台に水を張って顔を沈めれば溺死できる。
いない間に舌を噛んで失血死だってできる。
それをしないキミの甘さに付け込んで、僕の想いはキミに受け入れられたのだと、勝手に思い上がる。
だって蜜柑ちゃんは、嫌なことは嫌だというし、したいことはおねだりするから、何も言わないということは、そう、解釈しても良いだろう?
しかし、僕の昂りとは裏腹に、日に日にキミは退屈そうな様子を増していく。
僕ばかりが嬉しくて、不公平だったかもしれない。
僕にとっては、日当たりの悪いこの部屋は慣れた光景だったけれど、蜜柑ちゃんは違うかも。
最近大人しい、というよりも、覇気がなくなってきているし、少しだけ、外に連れ出してあげてもいいかもしれない……そうしたら、キミは喜んでくれるだろうか?
ふと、蜜柑ちゃんの心からの笑顔を見たいと思った。
きっかけはそれくらい些細で、キミのことだけを考えて、キミのためだけに、庭でのお茶会を計画した。
僕はそれでいいのかって?
問われて初めて内省する。
良いわけがない。
まだ不安もあるんだ。
キミがどこかに消えてしまわないか。
好き勝手にキミの言動を解釈して安心しようとしているだけで、キミは一度も僕の気持ちに返事をくれないから……。
もっと激しく暴れてきっぱり拒絶してくれたなら、僕も我儘を通せたのに。
好かれているかもって、期待したら、嫌われたくないって、怖くなる。
キミが僕を好きになってくれたなら。
ううん、キミが僕を決して嫌いにならないって、離れていかないって、信じることができたなら……本当は、したいこと、行ってみたい場所、いっぱいあるんだ。普通の恋人みたいに買い物に出かけたり、旅行に行ったり、映画や演劇を観たり。
楽しいことに触れれば、キミは可愛く笑ってくれるんじゃないかって、ありふれたことを思う。
けれど今の僕たちでは、庭に散歩へ出る程度しか許せない。
狭量な自らへの憤りから、強く、蜜柑ちゃんを抱きしめた。あるいは、少しでも近くに感じて、安心したかってのかもしれない。
このまま、蜜柑ちゃんの失言を理由に、僕が決めて良いのであれば、外になんて出してあげないのに。
でも、もしそうなったら、蜜柑ちゃんは退屈だろうな。
腕の中で感じる、キミの存在。
実在していることだけをただ感じて、少しずつ、気持ちを落ち着かせていく。
蜜柑ちゃんは息を呑んで、ピリピリとしたような警戒心をあらわにしていると感じ取れるけど、決して体は震えていない。
僕はキミをここに閉じ込めている悪党なのに、キミは僕に怯えたことはなかった。
「……今回は特別に、蜜柑ちゃんに決めさせてあげるんだから、ちゃんと考えて答えてね。僕がどう言う気持ちで、こんな提案してるのかも含めて、しっかりと。わかった?」
「庭、出たい。縁樹くんとお茶がしたい」
こんな状況でも、言いたいことははっきり言える蜜柑ちゃんは、肝が据わっている。
そこが蜜柑ちゃんの魅力。
……だけど同時に、記憶の中のあの子との違い。
あの子だったら、こんなふうに押し込めたら、泣いてしまうんじゃないだろうか?
嫌がって泣き出すから、僕も我慢ができなくて、乱暴に、壊し尽くして……ああ、こんなの、ありもしない妄想だ。
のそりと起き上がった蜜柑ちゃんは、恐る恐る目を合わせてきた。
その様子は少し可愛い。
加虐趣味はなかったけれど、蜜柑ちゃんは妙に打たれ強いから、ちょっと意地悪をしたくなってしまう。これはよくない傾向だな。
「そう。じゃあ、明日の昼過ぎに迎えに来るよ」
自分でも驚くほどに、淡白な声が出る。
不機嫌だと思われたらどうしようかと思ったけれど、蜜柑ちゃんは特に気にした風でなく、短く「わかった」と答えた。
*
お茶会の成否は、成功だろうか。
過ぎてから思えば、無意識にスキンシップが増していたと反省した。外に出る以上、常に僕を意識していてほしいと、ちょっかいを出し過ぎてしまった。
とはいえ、口移しまでするつもりは本当になかった。
ただ、そう、キミが喜んでくれることを期待してたのに、大した成果が目に見えなくて、苛立ちから態度が悪くなって……それでも心折れずに自分でなんとかしようとする蜜柑ちゃんは、賢く愛らしくとても美しい。
賢しらに反して、行儀が悪い犬食いは野生的で、小さな口を大きく開けて、チラリと見える歯で菓子に齧り付き、わずかに見える舌先、うまく噛みきれず口の端から滲む唾液、動作一つ一つを食い入るように見ていた。
前屈みの上体を維持し続ける筋力がないのか、ガクリと一瞬崩れて、デコレーションのクリームが顔中に張り付くも、すぐ起き上がり、まるで一人で食べれたことを自慢するみたいにこちらを見てくる。
何もかもが愛おしい。
顔のクリームを拭いとることさえ勿体なく、それごとキミを味わいたいと思えば、もう止められない。
顔中を舐め尽くしたら、今度はあの小さな口内を探りたいと思って、その建前にカップケーキを口にした。
欲情した頭は、「蜜柑ちゃんが美味しい」なんて馬鹿げた言葉を紡いだけれど、それを理由にもっとキスをしたかったのは否定しない。
とはいえ、流石に中止を宣言されると思ったお茶会を継続する蜜柑ちゃんは、やっぱり強かだ。
あまりにも可愛いから、言葉を遮ってまで早く口付けをしたくて、お茶を含んだ。
結果的には良かった。
一度キスをしてしまったから、ハードルは下がったし、何より蜜柑ちゃんは、僕の口付けを拒まなかったから……それだけで十分、お茶会は成功と言える。
*
蜜柑ちゃんは退屈凌ぎみたいに暴れることがある。
……暴れる、という表現は語弊があった。
訂正、蜜柑ちゃんは退屈凌ぎみたいに悪巧みをする。
ここへ連れてきたばかりの頃は、状況把握のためか大人しかった。
首輪がつく頃には順応して、我が物顔で過ごしていた。ただ、僕を執拗に無視して部屋の本やボードゲームに向かうものだから、流石に頭に来て娯楽の類を一掃してしまったけれど……ちょっと大人気なかったと反省している。
一番最初の悪巧みは、髭剃り用の剃刀を洗面所から持ち出して手首を割と深く切ったこと。
病んだふりでもしてくれたらまだ騙されたと思うのに、蜜柑ちゃんは意気揚々と剃刀で脅しながら「治療したくばこの部屋から解放しろ」と要求した。無論、腕を捻り上げて鎮圧し、剃刀を没収して室内の救急箱から速やかに止血した。
他にも、トイレの扉を利用して鎖を挟み込んで破壊しようと画策し、結果的にトイレの扉の方が削れてしまった事件もあれば、鎖同士をぶつけて衝撃で破壊を目論んだ結果自分の指を挟んで随分と腫れてしまった事件、鎖を遠心力で壊そうと振り回したところ自分の顔に激突させて鼻血が止まらなくなった事件などなど……。
窓の木の板を剥がそうとして手の皮が剥けて地面を転がっていることもあったな。
お茶会を終えてから、蜜柑ちゃんはずっと大人しくしていたから、そろそろ何か仕掛けてくる気がした。
思った通り、とはいえ、今まで僕に直接危害を加えることがなかったから、お風呂のタイミングで顔に泡を塗られるとは思いもしていなかった。
取り乱す思考は、視界不良のままでも蜜柑ちゃんを追いかけようと足掻いたけれど、目の痛みとうまく風呂の戸を開けられない現状に、徐々に思考が落ち着いてきた。あるいは、逃げられた絶望感から、焦燥のみが失せてしまったのかもしれない。
却って冷静になった頭で、顔の泡を落とした。
浴室を出て、タオルだけを纏い状況を確認する。
僕の着替えを奪って出て行ったらしい。部屋を見れば鍵が差しっぱなし、開けっぱなしの扉。
蜜柑ちゃんは馬鹿だ。
それとも、追いかけてほしい裏返しかな?
鍵を持ち出して僕を閉じ込めれば、簡単に逃げ仰せただろうに。
私物を置いている隣室を確認する。
漁られた形跡はないので携帯はある。
電子機器類を持ち出されていたらと少し焦ったけれど、そこまでの余裕はなかったのだろう。
携帯だけを拾い、家のセキュリティ画面を開きながら着替えを取り出す。
「蜜柑ちゃん、何か探してるのかな?」
部屋ごとのドアの開閉記録は、蜜柑ちゃんの道標だ。通りがかりの部屋を一個ずつ開けては閉めている。
順当に考えれば、外へ出る窓だろうか?
このまま進めば階段の先にキッチンがある。
ぞくりと、嫌な想像をした。
二階から脱出しようとして、飛び降りて大怪我をしないだろうか?
むしろ、飛び降りることこそ目的になりかねない。
キッチンには当たり前だが包丁だってある。
シワなど気にせず乱暴に服を着れば、玄関口へ駆け出した。
飛び降りであれば、下から受け止めるし、キッチンへ向かったのであれば回り込んで勝手口から確認すれば良い。
靴の踵を踏み勢いよく玄関から飛び出せば、勝手口へ向かいながら携帯の画面を確認する。
キッチンを経由した痕跡が表示され、一旦、飛び降りの危機はないことに安心する。だが、まだ脅威は去っていない。
周辺に潜んでいることを見越して、鎌をかけるように声を上げる。返事はない。
恐ろしさで足が鈍る。
勝手口を開けて、蜜柑ちゃんが倒れていたらどうしよう。包丁がなくなっていて、別のどこかで血を流していたらどうしよう。
急がなければと逸る気持ちと、悪い想像の板挟みになって、ゆっくりと中を確認した。
キッチンに人影はない。
包丁の数もちゃんとある。
安堵で心が軽くなった。
蜜柑ちゃんが聞いてるか聞いてないかなんてもうどうでもよくて、ただ独り言を垂れ流しながら、物陰を一つ一つ確認して回った。
「蜜柑ちゃん、見つけた」
「うわーーー!」
お化けでも見たみたいな驚きに、そんなに驚かなくてもいいのに、と思う。
一歩近づいて蜜柑ちゃんを見下ろせば、僕の服を着ていて、とても可愛かった。そういう趣向もありだな。後でパジャマの代わりにもう一度着てもらおうかな。
それにしても、蜜柑ちゃんは死にたがりで、自分を大切にできないくせに、こういう時になりふり構わず死のうとしないところが、本当に不思議だ。
蜜柑ちゃんに引き止められて、二人で見上げた星空。
か細い煌めきで飾られた夜の空は、キミに相応しい色に思えた。
番外編nの追想シリーズが始まりました。
縁樹くん編回想録は全部で3話です。と言うわけで次回はこれに引き続きn話「回想録2」です。
七志乃縁樹視点、蛇足かなとも思ったのですが、彼の思考回路はちょっと癖があったので、あの時のあのシーンのあのセリフ、どんな意図があったのかなど、おさらいしながら、読んでもらえたらいいかなと思います。
ちなみにnの追想のnは不特定多数を示す記号なので、別の方の独白も登場したりします。ナンバリングも同様に、不確定などこかのタイミングで発生するシーンとして、n話としています。
そんなところで、まだしばらく続きますので、よかったらもうちょっとお付き合いいただけたら嬉しいです。