表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

泥溜の青い花

作者: とみか

あるとき、雲一つない空の下を、ひとり歩いていた。

地は歪み、足場の悪さが続いていた。雪は汚く土色に染まり、沢山の泥溜まりを形成していた。靴下が濡れ、グチュグチュとして気持ちが悪かった。道の脇には、荒廃した民家が何件か並んでいて、その不気味さから、知人は誰もこの道を通りたがらなかった。

しばらく歩くと、道の隅に一輪の青い花があるのを見つけた。その青はとても鮮やかな色をしていて、日差しがより、それを強調させていた。

私は、その青い花の儚さにデジャヴのようなものを感じ、不安を覚えた。少し躊躇したけれど、茎ごと抜き取り、道の中心に捨てた。

青い花はゆらりと落ち、輪郭をゆっくりと消し去るように、泥溜まりの中へと溶けていった。その姿に抵抗の意志はなく、ただ闇へと適用していくように感じられた。


 今は夏の只中だった。彼とセックスをしていたけれど、心は半分、あの風景の中にいた。

彼の身体は汗で濡れ、それが私の白い胸元にいくつも落ちていった。身体の汗は蒸発できず、熱を帯びて籠っていた。胸元の水滴が首の方へ、だらりと伝ってくるのを感じた。

エアコンの効きが悪く、部屋の中は暑くモンモンとしていた。枕元に投げ出された髪の毛がうねり、今の私は酷い容姿をしているだろうと思った。

彼が、ハナ…ハナ…と私の名前を呼ぶ。

私はそのたびに、あの青い花を連想した。

セックスによる気持ちの良さは、これといって感じられなかった。ただ、酷くつまらないことをしていると思っただけだった。


 外は少しだけ、雨が降っていた。セックスが終わった後も、身体中の熱は冷めることなく、汗が纏わりついて気持ちが悪かった。彼がペットボトルの水を差しだしてきたけれど、温度はぬるく、あまり有難さは感じなかった。冷蔵庫も何もなく、仕方がないことではあった。

ベッドの脇の時計を見ると、午前の一時だった。彼はすっかり眠気眼になっていたけれど、私は今日は眠ることはできないなと思った。

天井を眺め、タバコに火をつけ、吸う。煙がユラユラと立ち昇るのを見届けた。少しだけ亡き母のことを思い出した。暴力をふるう、ろくでもない母親だった。母は死ぬ間際、天国へ行けない恐怖に支配されていた。私に泣いて土下座し、必死に許しを乞うた、どこまでも下品な女だった。

彼は五分もせずに、眠りについていた。汗すらも拭かず裸で眠っており、夢の中で別の女の名前を呼んでいた。その姿に動揺も無ければ怒りも無く、特別感情が蠢くことはなかった。吸い殻を落とし、水を一口含んだ後、浴室へと向かった。


シャワーで身体を流し、浴槽に浸かった。浸かると、いつも気持ちが落ち着くように思えた。また、浴槽の中では何故か母のことを思い出すことも多かった。彼は昔、それはある種の胎内記憶ではないかと私に言った。動物の起源は海の中であるとも、言っていた。その時の私は何も感じなかったけれど、中学三年の頃、羊水と海水の塩分濃度は同じであることを知った。

浴槽の中の身体は、形を変え、ぼんやりと膨れていた。長い髪の毛が水面下に浮かんでいる。

今なら思う。これこそが、本来の人間の姿なのかもしれないと。

湯水の中に居ても、さっきまでの挿入の感覚は少し残っていた。三〇分ほど前、彼のペニスは私の膣の中で激しく暴れていた。男とは、陸に上がった魚だと思う。最期の生存をかけてピチピチと暴れ跳ねる様。だからどうってことは無い。そんなものだと思うだけ。

浴槽から出て、丸く黒い排水口の栓を抜いた。この水は下水管へと流れ、やがて河川へと放流していくのだと思った。


 浴室から出ると、さっきよりも熱さを感じた。動悸がし、身体は水分を欲していた。彼を見ると、暑さにうなされており、何度か寝返りを打っているようだった。シーツが汗でひどく濡れていた。

私は財布をもって、外を出た。外は変わらず、微かに雨が降っていた。ラブホテルを出て左へ曲がり、自動販売機に小銭を入れた。その場で缶ビールを飲む。血液が巡り、身体が回復していくのを感じたけれど、同時に夢を見ているような気分にもなった。若気の至りだと思いながら、アスファルトへ耳をつけ横たわった。心臓の鼓動を感じ、昇っているのか、沈んでいるのかわからない浮遊感を覚え、あの光景と重ねた。泥溜まりはある時蒸発し、雲の一部となった。かつて青かったあの花だけが、地上に残り干からび、やがて姿を消した。

雨が頬に当たった。私は口をパクパク開け、ただひたすらに雨の味を感じようとした。もう少し、降ればいいのになと思った。仕方がないから、小さく歌った。


うみはひろいな おおきいな 

つきがのぼるし ひがしずむ

うみは おおなみ あおい なみ

ゆれて どこまで つづくやら

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ