フレムドゥング・ギア
手首を結束バンドで拘束され、目を布で覆われた。
ぼくの世界は暗闇に覆われる。
どこへ向かっているのだろうか。
車の乗り換えも二回行われた。目隠しをされたぼくは今乗っている車種すら分からない。これでカズたちがぼくを追ってくるのは不可能に近くなった。
なぜ殺されないのか。なぜ拉致するのか。
ぼくの疑問にギルドンは答えなかった。まさかぼくを疑似少女兵器に仕立て上げようとしているわけではあるまい。
一時間くらいは経ったと思う。
降りろと命令された。また車を乗り換えるのかと思っていると、やたらと歩かされる。誰かが扉を開ける音がした。地面の感触がアスファルトからコンクリートへ変わる。風が止む。外から室内へ入ったようだ。
階段を降り、また歩かされる。
むせるような錆びた鉄の臭いが鼻孔をくすぐった。
血の臭いだ。
他に排水溝に長い間詰まった生ごみみたいな、酷く嘔吐感を催すような臭いを感じた。
更に歩かされて、ナニかの臭いも遠のいていく。
最終的にぼくはどこかの部屋に入ったところで、椅子らしきものに座らされて目隠しが取られた。光が目を覆い、眩しくて目をつむる。明るさに目が慣れるまで数秒かかった。
目を開くと、どこかの一室だった。天井の鉄骨や壁のセメントが剥き出しで、どれも塗装がされていなかった。唯一の出入り口である部分には扉がない。
造りかけという印象を受ける。窓はなく、明かりは天井につるされた電球だけだ。
結束バンドで結ばれた手は自由に動かせないけど、身体や足を使って反撃に出るのも選択肢としては存在する。とはいえ、相手方も警戒はしているだろうし、不意をつかれたとはいえギルドンには近接格闘で負かされたばかりだ。現状も不確定なことが多いし、賭けに出る気にはなれなかった。
「さて、みーくん。なぜお前さんをここへ連れてきたか。それを説明するには、なぜロシア連邦保安庁は疑似少女兵器を造ったのかを説明しなければならない。物事には順序があるもんでねえ」
ぼくの目の前にはギルドンとM249軽機関銃を片手で持つ府馬ヒミコが立っていた。蘇我フヒトはどこかへ行ったのか、姿が見当たらない。
「教えてくれるとは親切ですね。ついでに錆びた鉄パイプ椅子の代わりに、帝国ホテルのスイートルームからソファーを持ってきてくれると嬉しい」
「地面に座りたきゃあ、止めはしないよ。寝心地は帝国ホテルの駐車場と同じくらいだと思うぜ」
ギルドンが手を二回叩く。
室内に反響する音が止むと、扉のない入口から車椅子にのった女性が現れた。いや、車椅子というにはあまりにも機械的な付属品が多い。複数のモニターと物理キーボードがくっついている。
ブロンドの長い髪に青い瞳。小柄な身体に合っていない大きめのブラウンのノースリーブワンピースにカーディガンを羽織っている。
「初めまして。ボクの名前はパトリシア・フォーサイス。キミはミィルだよね。アナちゃんから話は聞いているよ」
「パトリシア……確かラブホテルでギルドンがドローンを呼ぶときに言っていた名前だ」
「さすがは諜報員。記憶力が良い。あのドローンはボクが遠隔操作していた。だから、モニター越しではキミの姿は見ている。そういった意味で言うとボクは改めて初めまして、という言い方になるね」
キーボードを操作して、パトリシアはぼくの目の前に車椅子を移動させる。
「ボクは足が動かないし、戦闘員でもない。ひ弱な女だ。襲わないでくれよ」
「なぜロシア連邦保安庁は革命派に未成年娼婦を拉致させた。疑似少女兵器を造って何をしようとしている」
パトリシアの言葉を無視して本題を尋ねる。
「まず、革命派の連中にやらせたのはボクたちが表立って行動したくなかったのが理由だ、とアナちゃんが話していた。革命派と荒木ユウ――今はホン・ギルドンと名乗っていたね。彼と繋がりがあるのは予想外だったみたいだ」
「疑似少女兵器はなんのためだ」
「未成年娼婦を拉致した見返りとしてロシア連邦保安庁が革命派に提供した。まあ、だけど、革命派も長くは持つまい。主要なメンバーたちは警察に逮捕されて壊滅状態。残る幹部は蘇我フヒトだけ。ギルドンと府馬ヒミコの助けがなければ、丹沢山荘で終わっていたとボクは見ている。ロシア連邦保安庁には関係ないことだが」
「じゃあ、きみたちロシア連邦保安庁はなんのために……」
「順を追って話してあげよう。ボクたちは兵器開発機構の襲撃で少女兵器の設計図を手に入れた。なぜ、そんなことをしたのか。パスティだ。アナちゃんはあの少女兵器と話して普通の無人兵器と違うと感じ取っていた。ボクも同じ感想を持った。人型であることや少女の姿を模していることじゃない。ポニーテールの少女兵器と一緒にいるキミなら分かるだろ」
「少女兵器には意志がある」
パトリシアは頷き、
「その通りだ。聡いね」
「でも、それは証明のしようがない。意志は漠然とした言葉で、定義できるものじゃない。魂も、自己も、精神だって。少女兵器に意志があると思い込んでいるのはただのAIとしての処理を人間が勘違いしている可能性が大きい」
「物質一元論的な考え方をするんだね。それだと人間にも魂や意志はなく、全ては脳の処理と肉体の電気信号の反応だということになる。キミはこの世界が、人間が、物理的な反応でしかないと言いたいのかな」
「違う。ボクは一元論者でも決定論者でもない。そういうことじゃなくて、少女兵器に意志が――魂があるというのなら証拠がいる」
「だからこそ、アナちゃんはネオ・スカイツリーの占領と併行して兵器開発機構の襲撃を企てた。狙いは少女兵器の設計図だ。そこには、ちゃんと書いてあった」
パトリシアはキーボードを叩き、複数のモニターを眺めた。
「人間より先にロボットが真理に辿り着いていたとは面白い。そう思わないか」
ぼくはその先の言葉を待つ。
「少女兵器に搭載されたあれはぼくの仮説を裏付けた」
「あれとは何のことだ……」
「――フレムドゥング・ギア。物理が及ばない世界。そこへと繋ぐ歯車だ」
◇ ◇ ◇
ぼくはパトリシアが言った単語を繰り返す。
フレムドゥング・ギア。
少女兵器が意志を持つ証拠。設計図に記されてあったもの。
「AIは計算可能なプロセスしか実行できない。エンジニアが記述したコード内に収まるものだ。計算不可能なプロセスを実行することはあり得ない。逆に言えば、AIが計算不可能な行動をするのであれば、そこには意志があり魂がある。プログラムされていない行動、というのであれば、他に根拠があるはずだからね」
「それが意志であり、フレムドゥング・ギアだと……」
「いや、少し違う。いいか。フレムドゥング・ギアは魂の発生装置で魂そのものじゃない。情報を処理するAIと反応を起こし、魂を生じさせる。魂の、意志の、自己の判断はAIにはできないんだ」
「いまいち理解できない。それなら人間はどうなる。仮に人間にも魂が存在するなら、ぼくたちもフレムドゥング・ギアとやらが備わっていることになる」
人類が医療技術を発達させる中で多くの解剖が行われてきた。身体の中に詰まっているものはなんだろうと、臓器を引っ張り出して、机の上に並べて、その器官が何をするものかを調べ上げた。そこにフレムドゥング・ギアなどというものは存在しない。
「それが未成年娼婦を拉致した理由だ。疑似少女兵器は副産物にすぎない。ボクらの目的は少女兵器の魂ではなく、人間の魂の解明だからね。確かに人間にはフレムドゥング・ギアなるものはない。だけど、同じ機能を有する器官は存在する」
パトリシアは自分の頭を指さす。
「脳か」
「そう。人間にも意志があると仮定した場合、少女兵器のフレムドゥング・ギアと同じ機能を有する器官が存在するはず。魂を生み出す器官だよ。それが脳だった。では、脳のどの部分がどのように作用しているのか。その詳細な情報を集めるために人間の脳が必要だった。身体や手足などの余計な部分を除き、脳だけにして、魂が生じる過程を観測する。人類がこれまで成しえなかった魂の理論を完成させる。これがロシア連邦保安庁の目的だ」
「人間の魂がどういったものかは分かったのか」
「ああ。ボクの仮説とフレムドゥング・ギアの理論を合わせれば、時間はかからなかった。脳の微小管を構成するチューブリンだ。チューブリンに量子力学的な重ねあわせの状態が出現し、エネルギーがある閾値に達した時に波動関数の収縮が発生して、意志へと繋げられる。反応が続くことで魂は連続性を獲得する。では、波動関数の収縮が起こる条件だが生科学的エネルギーが――」
「パトリシアくん。専門的なことを言われてもみーくんには分からないだろうさ。おれもその話を聞くのは三度目だけど、全く分かんねえ」
ギルドンはパトリシアの話を遮る。ぼくも専門用語が多く、何を話しているのか理解できていなかった。
パトリシアは不満そうに量子脳理論くらい知っておいて欲しいとぼやいた。
「頭がよくないきみたちにも分かりやすく言うよ。自発的に何かをしたいと思うこと、もしくは外界からの刺激に反応するときに魂が生じる。その瞬間以外、人間は魂が存在しない状態となっている」
「魂があったりなかったりするとでも言うのか」
「そう言っている。魂は存在したり、存在しなかったり、その状態を繰り返しているんだ。当人であるボクたちは何度も経験している」
「ぼくはそんな風に感じたことはない」
「気づいていないだけだ。外界からの刺激のパターンで考えてみてくれ。とある映画を見て、刺激を受ける。閾値に達して波動関数の収縮が起き、魂が、自己が生じる。だから面白いという感情が芽生える。刺激にもならないものでは感情すら芽生えないのは閾値に達していないのだよ。
他の事例をあげよう。映画館に行くまでの過程を想像してほしい。キミを映画通だとしよう。毎週末、キミは映画館に足を運んでいる。その日、事前情報もないが、週末に映画館へ足を運ぶことにした。いつもと同じ最寄り駅に乗り、いつもと同じ駅で降りる。変わらない景色の中、迷うことなく歩いていく。そして、何事もなく映画館に着く。さあ、この道中に外界からの刺激はあるか」
「ない……だろうね」
「そう。閾値に達していないから魂は生じない。だから、何も感じていない。魂はずっとあるわけじゃないんだ。初めてのことでも、何度も繰り返していたら魂は生じなくなっていく。刺激にならないからね。面白い映画も百回見たら、刺激がなくなり面白くないという感情すら抱かない。魂の発生していない状態だ」
「初めて自転車に乗るときには意識しながらペダルをこいでハンドルを握りしめているのに、慣れてくるとなにも意識しないで動かすようになるみたいなことかな」
「その認識で間違っていない。そして、残念ながら現代の人間――大人は魂を生じさせていない。日常が同じことの繰り返しだからね。変わらない通勤経路で所属する組織へ向かい、代り映えのしない仕事を繰り返し、家に帰る。同じ時間にご飯を食べ、同じ時間帯に寝る。でも、アナちゃんはそういうことをする人間が悪いわけではないと言った」
「社会の構造という枠が人間をそうさせている。社会の枠に収まらなかった歯車は――社会に有用性を証明できない人間は、社会から捨てられてしまうから。と、アナスタシアは言ったんだろ」
パトリシアはその通りだと驚いた表情を浮かべた。
「もう一つ、魂が生じるパターンがある。自発的に何かをしたいと思うことだ。強い願いは外界からの刺激と同じく脳で波動関数の収縮を起こし、魂を生じさせる。だけどこれも、社会が、法律が、文化が、常識が、宗教が、人間が創り出した目に見えない枠によって押さえつけられた。そして、したいことがなくなり、ただ生きているだけの存在になる。その状態では魂は生じない。そんな人間は心のないロボットと同じだ。社会は魂を沈黙させたんだ」
「パトリシア、きみはそんな社会を憎んでアナスタシアと一緒に……」
「いや、ボク自身の探求心のためだ。今言ったのはアナちゃんの言葉を借りただけだよ。ボクはむしろ、人間が自分たちの創り出した社会で、自分たちの魂を発生させなくなったことは種の進化だと思っている」
「誰も彼もが自分勝手にしたことをして生きていたら社会が成り立たないからね」
「そういうことだ。食料の安定供給も、医療を施すことも不可能になるし、頭の弱い各国の代表が戦争を始めてしまう。人間は増えず繁栄しない。魂なんてない方が人間という種族にとっては都合が良いんだ」
魂を無くしていくことは人間の進化だというパトリシアの考えはアナスタシアも理解しているだろう。もしかしたら二人で話したかもしれない。
それでもアナスタシアはそんな社会は間違っていると、人間が人間らしく生きる世界を望んだ。ネオ・スカイツリーで枠を壊してみせるとぼくへ宣言した。義務感でも、使命でもなく、そうしたいと思ったから。
ぼくは社会を壊さないことを選んだ。そんな社会の中でも自分を殺さずに生きていけると、アーヴィングやパスティを見て思ったから。今もその気持ちに変わりはない。世界に絶望するにはまだ早すぎる。
「一つ訊きたい。脳の反応が魂を生み出しているのだとしたら、それは電気信号でしかないはずだ。人間の脳は人によって大きく違いはしない。魂が発生しても、それは同じ反応……みんな同じ形をした魂しか発生しない。映画で言うと、みんな同じ感想になり、人それぞれの意志や感情はないことになる」
「今のキミが言ったことは物理学の話だ。物理学は決まったことが起きる。木から外れたリンゴが下に落ちるのは確定している。それこそ、全ての力学的情報を得て処理する知能を得たら未来すら見通せる。物理学だけの世界であれば、この理論は正しい」
けれど、とパトリシアは紡ぐ。
「世界には量子力学というものがある。量子力学はランダム性を持つ現象だ。同じことをやっても同じ結果が得られるとは限らない。魂の発生も量子力学によりランダム性を持っている」
「だから、同じ情報を受け取っても人は千差万別な感じ方をする、ということか」
「そう。これが今まで自己や個性だと思われてきた正体なんだ」
という魂の理論を完成させるのが、ロシア連邦保安庁の今回の目的だ。そう言ってパトリシアは締めくくる。どことなく誇らしげな表情をしていた。
「そのために拉致した未成年娼婦を元に魂の発生がどういった過程で生じるのか調べ上げた。一部の子を疑似少女兵器にしてね。魂がどういったものであり、どうすれば生じるのかを判明したら世界は大きく変わる。だいたいはもう分かったよ。今は最終段階といったところだ」
「だったら、ぼくをここに拘束する理由はなんだ。どうして、連れてきた」
「そのことはギルドンに訊いてくれ。ボクはやることが山積みだから失礼するよ」
パトリシアはキーボードを操作して車椅子を反転させた。車輪が静かに回転して、部屋の出口へと向かっていく。その間もしきりにキーボードを叩き、モニターを眺めている。
毛量の多い後ろ髪を見つめながら思う。
あの語り口と小さな九龍城砦と化した車椅子の機械群から想像するに、ロシア連邦保安庁の技術系を担当しているのだろう。つまり、あいつが連れてこられた少女の頭皮を裂いて、頭蓋骨をぱっくりと開けて、脳を弄りわしていたことになる。
抜けた表情をしているくせに、とんでもないことをする女だ。