個人情報
「監視ってつまんねーよな」
高層マンションの部屋に戻ってきたぼくにカズがつまらなそうにつぶやく。
「なにかあったかい」
「なんもねーから退屈してんだよ。お前に送った通り、昼前に外出してフリーズドライ買ってきて、それ以外は部屋に引きこもってやがる」
ぼくは窓から向かいのマンションに目を向けた。
昨夜見た景色と変わらず、道澤の窓にはプライバシーフィルムがかかっていて室内は見えない。レーザー盗視機のアプリケーションを展開して3Dホログラムを確認してみるが、室内にいる人型に不自然な動きはない。
外出中にも何度か見ていた範囲でもおかしな点はなかったし、カズからも外出したくらいの報告しかなかった。
「カズ殿は度々、さぼっていたであります」
「っせーよ。てめえは機械だから疲れもしねえし、眠くもなんねえだろ」
「そのための自分でありますから」
「ああ、そうだ。だから、おれ以上に頑張りやがれ」
「構わないでありますが、言い方がむかつきます」
実際、ヘレンは寝る必要がないので二十四時間、道澤の監視をしてもらっている。人間ではどれだけ訓練しても眠くなるし、睡眠をしないでいると徐々に集中力も落ちてきてしまう。カズの言い方は乱暴だけど、真っ当な意見だ。
「ぼくは感謝してるし、助かっていると思っているよ」
「どういたしまして。カズ殿もミィルを見習ってください」
「どうせこいつも本心から言ってねえぞ」
「きみと一緒にしないでくれ。ぼくはリップサービスでお礼を言ったりしない」
ぼくは3Dホログラムを視界外によけて、ソファーに腰を下ろした。今日は外藤博士と会う以外にも数人の情報屋の元へ足を運んだから少し歩き疲れた。
とりあえず、ぼくは今日得た情報をカズとヘレンに伝えた。
一番大きな情報としては道澤に子供がいたということだろう。カズも第壱がそんなことを見落とすわけがねえ、と舌打ちしたとした。
けれど、外藤博士は道澤がそう言っていたと証言している。
酒の席でそれも昔の話だから、詳細は違っているかもしれないということは忘れないでおこう。
「道澤の奥さんの名前っつーのは緒方詩菜だったか。明日はそいつのとこに行くのか」
「いや、もう少し子供の件について情報が欲しい。手札を揃えてから行った方が良さそうかな。離婚の原因ってことだから、材料なしに奥さんから直接訊くのは難しいだろうし」
「ババアにその情報は送ったのか」
「うん。道澤と緒方の子供は今どこにいるのか。通っていた産婦人科がどこなのか。可能であれば、調べてくださいって室長にはお願いしておいた。あとはぼくなりに色々と調べまわってみるよ」
カズはおっけーと頷く。
「けどよ、監視すんなら若い女がいいよな。なにが悲しくて五十歳の男の私生活を覗かなきゃならん」
「役割変わってあげようか」
「一度決めたことを撤回するほどじゃねえよ」
「それならこう考えればいい。可愛い女の子と部屋の中で二人っきりだ」
「そこのぽんこつは人間じゃねえんだから女も男もないだろ。仮に人間だとしても、おれは毛が生え始めてすらいない女に興味はねえ」
「自分もだらしない中年男と一緒はいやであります」
ヘレンがムッとした表情を浮かべる。
ぼくがいない間、二人はどういったことを話しているのだろう。無言で監視をしているのか。想像すると、ずいぶんと重苦しい雰囲気のような気がする。
「道澤に子供がいたとしても、兵器開発機構に入る前に離婚してるっつーなら子供は二十代くらいになるな。大学生か社会人くらいだ。少なくても、道澤のところには来てねえし、同居はしてねえな」
「一人暮らしか、母親のところか、どっちかっていうことだろうね」
レーザー盗視機が映し出してくれている室内のホログラムを覗いてみるが、大人一人だけで道澤の姿以外は見当たらない。室内の家具にも、読み取れる情報の範囲内には二人分あるようには見えない。
「外出中、道澤の様子はどうだった」
「普通だ。特に目に付くような行動はなかったぜ」
「尾行を警戒している感じは……」
「ねえよ。仮にそうだったとしても相手はトーシロだ。バレやしねえよ。ポンコツと一緒に出てるわけじゃねえしな」
「そうかい。……ん。警戒していないのか」
どことなく違和感を覚えた。原因を考えてみたけれど、すぐには特定できない。
ぼくは口元に手を当てて、その根底を探ってみる。海の底に沈んでいくように、自分の思考を深みに落としていく。
道澤の人物像を思い起こし、ぼくが彼自身になったと想像する。
道澤が1DKの部屋からフリーズドライを買うために、マンションの玄関を出たときとスーパーマーケットの道中。棚に並べられた食品に目をやりながら、目的のものをカゴに入れてレジに向かう最中。それからスーパーのビニール袋を片手にマンションへ帰るとき。
道澤は何を見て、何を考えるだろうか。
「――そうだ。普通は尾行を警戒するはずだ」
「言われてみりゃあ、確かにな」
「ええと……どういうことでありますか」
ヘレンは首を傾げる。ポニーテールが揺れる。
「道澤は第壱から最終通告が伝えられているんだ。亡命しようとすると、国防軍としてもそれなりの対応を取らせてもらうぞっていう脅しをね。道澤もそこまで察しが悪いわけではないだろうから意味は分かったと思う。監視されているのもひょっとしたら分かっているかもしれない。
一般人が軍からそういった警告を言われたら普通は怖くなる。亡命する意志が残っていれば尾行を警戒するだろうし、もうその気はなくても自分がそういう行動を取っていると相手に思われるんじゃないかって怯える。どちらにせよ尾行されていないかって気にはかけるさ」
「カズ殿曰く、無警戒だったということは……」
「わざと警戒していないように振舞っているだけさ。そうすることでぼくらに『私は亡命する気はありませんよ』ってアピールしたいのかもしれない」
「そんなことするってことはまだ亡命する意志が残っているっつーことだがな」
ぼくは暗視装置の方で道澤の部屋を覗いてみる。白い人間の姿がプライバシーフィルムの奥にいる人間の輪郭を映し出す。物陰に隠れていたりだとか、玄関扉に仕掛けられたセンサやレーザー盗視機を気にかけていたりしている様子はない。
あれらは敢えて無警戒を装っての行動なのだろうか。
道澤の人物像を読む限り、整理整頓にうるさく、時間はしっかりと守っていたとあった。高い学力を誇り、大学教授を務めているくらいの知能は持っている。ぼくらの推測が間違っている可能性は捨てきれないが、そういった人物であるなら少しは知恵が回るのではないか。
「面倒なことになりそうだ」
ふと外藤博士から聞いた、道澤が色々な人に尋ねていたという質問を思い出した。
――人間の生命がいつ始まるか?
暗視装置で眺める風景は子宮の胎児を見るために使う超音波検査にどことなく似ている。技術的にはあちらもレーザーを使っているから原理は同じだ。
道澤はぼくらがこうして覗いていることを知っているのか。ニーチェの深淵ではないけど、道澤はぼくらのことを同じように監視しているのだろうか。
――胎児はどうだ。
お医者さんがレーザー超音波計測で胎児が映し出されたモニターを指差して、ほら可愛いお子さんですよ、と言って、妊婦さんと旦那さんが喜んでいるときは。
元気いっぱい動いていますよ、とお医者さんも嬉しそうに語り、妊婦は妊娠の経過について話す医者の言葉に耳を傾けて、モニターに映る胎児を見ているとき、実は胎児もまたぼくたちを見ているのではないだろうか。
――馬鹿げた話だ。
自分の中に思い浮かんだことを取っ払う。
ぼくに子供はいないし、女性を妊娠させたこともない。レーザー超音波計測で映し出された胎児だって画像で見たことがあるくらいだ。そんなもしかしたらを考えるなんて不毛でしかない。
ぼくは胎児が夢を見るのか、どうして踊っているかも分からないのだから。
◇ ◇ ◇
ゴミというのは個人情報の宝物庫だ。
毎日どんなものを食べていたり飲んでいたりするのか。衣類を見ればおおよその身長や体重、それから体型と年齢を推測できる。郵便物の伝票を見れば、どういったものを注文しているか、なんかも分かる。
電子化が進んでも紙媒体を使う業者や自治体もいるわけで、ほとんどの人は面倒だからとシュレッダーにかけたりはしない。子供がいれば、学校からもらう紙媒体のテキストも多いわけだ。
新東京アイランドのゴミ出し日だということを思い出したぼくは朝の五時から道澤の奥さん――緒方詩菜のマンション専用ゴミ置き場近くに待機した。出勤するサラリーマンや制服に身を包んだ学生の姿を車内から眺めていると目標が両手にゴミを抱えて出てきた。
緒方は指認証機器でスチール製の扉を開き、中へとゴミ袋を投げ込む。
ぼくはそれを黙って眺めていた。
スチール扉が閉まって緒方は勤めている食品会社に向かって歩き始めた。きびきびとした動きで、はたから見たら仕事のできる人間に見える。
二十分ほど待っていると、ゴミ袋を持った別の住人がゴミ置き場へと向かった。ぼくは車内に用意していたゴミ袋と一緒にその人の背中を追う。
ちょうど住人が指認証機の前に立った辺りで、ぼくは追いついた。
こんにちは、と爽やかに挨拶をして怪しまれないようにする。どうせ隣に誰が住んでいるかも分からない時代だ。ぼくがマンションの住人ではないと気付くはずがない。
四十歳くらいのおばさんが礼儀正しく挨拶を返してくれる。
それから、おばさんは指認証機器に人差し指を置いた。
スチール扉が開くと、中からムンとした空気が流れ出ておばさんは鼻を抑えた。中へ入っていくおばさんについて行って、ぼくも同じようなポーズでゴミ捨て場に足を踏み入れる。
生ごみの異臭がぼくたちを出迎えてくれる。おばさんは数秒でも早くこの臭さから逃れるためか最小限の動作でゴミ袋を置いた。ぼくに一礼して、そそくさとゴミ捨て場から出て行く。
おばさんはぼくもすぐに出てくると思ったのだろう。スチール扉は閉めないでいてくれた。ぼくはその好意を台無しにするかの如く、中に残ったまま扉を閉めた。
目的のものはすぐに見つかった。
――緒方詩菜が捨てたゴミ袋だ。
手持ちのゴミを置いて、代わりに緒方のゴミ袋を拾う。
中身の見えないブラックカラーのポリ袋だったら、もう少し時間がかかっただろうけど、幸いにも透明だったので特定は簡単だ。なにせ朝からマンションの玄関を見張っていて、緒方が持っていた袋はばっちりと見ていた。
ゴミ置き場からゴミ袋を持って出てくるという怪しさたっぷりの行動を誰にも見られることなく、車に戻る。臭いが移ったら最悪なので事前に用意していた袋で二重に縛って、道澤を監視しているマンションの部屋へと戻った。
それが今朝のぼくの行動だ。
「リゾチーム、ラクトフェリン、ヒスタチン、免疫グロブリン、重炭酸塩、カリウム、ナトリウム、無機リン酸――」
ゴミ袋から出てきた割り箸をヘレンはお菓子のようにぼりぼりと噛み砕いて食べている。≪食分析≫で唾液を分析すれば、部屋に住んでいるのが緒方一人か、もう一人別の人間がいるのか分かると思ったからだ。
「ないな……」
ぼくが期待していた道澤と緒方の子供に繋がるようなものはなかった。
ゴミ袋の中はコンビニの弁当箱ばかりで、他はお菓子の袋やティッシュに広告のチラシとかで役に立たない。
「ちっ、リビングでやるんじゃねーよ。くせえんだよ」
「仕方ないじゃないか。風呂場とキッチンは狭いし、あとは寝室くらいだけど、布団に臭いが移るのはいやなんだろ?」
「おれが寝るところだからな」
「じゃあ、我慢してくれ。ぼくは臭いの染みついたソファーで寝るんだからさ」
マスクと手袋をして三十分ほどで役に立ちそうなものと、そうでないものに振り分けた。それから封筒を開いて中身を確認したりしたけど、分かったことと言えば五十代の女性が一人暮らししているということだけだった。
「ミィル、割り箸についていた唾液を分析したでありますが、どれも同じ解析結果で二人住んでいると思えないです。五十代の女性だと思われるものしかなく、二十代の人間の解析結果はありませんでした」
「やっぱり奥さんは一人暮らしなのかな。そうすると子供はもう家を出ているってことか」
「東京都以外に住んでいるかもしれないですし、探すのは難しそうでありますな」
一度、出したごみをまたゴミ袋へと戻す作業を始める。
それにしても緒方は自炊をしないようだ。コンビニの弁当箱しか見当たらない。働いているし、帰宅して作るのは面倒なのだろう。
「おい、ぽんこつ。それ食べてみろよ」
ヘレンがゴミ袋に詰めようとしたものを見て、カズが冷やかした。ヘレンはそれが何なのか分かっていないのか、持ち上げてじっと眺めている。
「ヘレン、それは分析しなくていい」
「ああん。ほら、あれだ。道澤の子供を探してるんだろ。そいつに喰わせて遺伝情報を分析すれば、手がかりがみつかるかもしんねえ。それにべったりくっついてるからな」
「もっともらしい理屈を並べないでくれ。遺伝情報が分かっても、どうやって探したらいいんだ。それにぼくらが調査しているのは道澤の亡命の動機であって、その子供の行方じゃない」
「へいへい、分かってますよ」
カズが軽く返事をする。
ヘレンに持っているものを捨てるように指示した。
「これはなんでありますか」
「今度、教えてあげるよ」
「むっ……分かったであります」
ヘレンは腑に落ちないようだったが、持ち主であるぼくの指示に従ってくれた。赤いシミのついた生理用ナプキンをゴミ袋へと入れる。
「しかしまあ、五十歳にもなってまだ続いてんのか。そろそろ閉経だろ」
「個人差があるからね」
それにしてもいやな仕事だ。
女性のゴミを漁るような任務は勘弁してもらいたい。
「あーあ。道澤がマスでも掻き始めたら最悪だな。そうなったら、おれはこの任務降りる」
「わがまま言うな。それに道澤はもう五十歳だし性欲もないんじゃないのか」
「んなわけあるか。ソープでもヘルスでもセクサロイド店でも覗いてみろ。良い年齢したおっさんが女か人形を抱くために待合室で座って待ってんぞ」
行ったことがないので知らないが、風俗街をそれなりの年齢の男性が歩いているし、カズが言うのも間違っていないのだろう。
と、室長からメッセージが送られてきた。仮想ウィンドウを開くと、小さなイルカが手紙を咥えて尻尾を振る。タッチして開くと件名には「道澤の件について」とあった。
随分と早く、しかも調べてくれていたのか。
文面には調査結果とその結論に達した理由、それから個人的な推測が書かれていた。
「カズ、どうにも奇妙なことになってきた」
「どうかしたのか。ババアはなんつーふうに書いてんだ」
「――道澤と緒方の間に子供はいないってさ」