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フレムドゥング・ギア -少女兵器-  作者: 梯子のぼり
第1.5章遺伝子操作編
33/75

亡命阻止任務

 任務は道澤富雄の監視だ。

 室長から告げられた名前にぼくは覚えがなかった。カズもそいつは誰だよ、と室長に尋ねている。


「第拾機体、お前は知っているだろ」


 カズの問いには答えずに、室長はぼくの隣に立っているヘレンに目を向ける。

 ヘレンが知っている人物となると、大戦中の元所有者か、独立行政法人「国防軍兵器開発機構」の人間だろうか。

 ぼく、カズ、室長の視線を集めながら、ヘレンは唸りながら思い出そうとしている。記録装置の中を検索しているのだろうか。

 そういえばいつだったか、記録装置の検索というのはどういった感覚なのか訊いたことがある。人間でいう「思い出す」という行為だが、人造人間レプリカントであるヘレンは莫大な過去の記録から探すという操作になる。

 過去の出来事を表面化するという結果は同じだが、そこに至る過程がぼくら人間と違う。そもそもぼくの記憶は脳に保存され、ヘレンは記録装置に保存されるのだから、情報が眠る場所すら違う。

 ぼくの質問にヘレンはうまく説明できない、と答えた。

 そして、「人間はどうやって記憶を引き出しているのでありますか」と逆に質問された。

 ぼくは説明しようとして言葉に詰まった。

 思い出す、という行為を今までの人生で何度もくりかえしてきたのに、そのプロセスを言葉にして伝えようとするのが困難だということに気づいたからだ。

 理屈としては、大脳皮質に貯蔵された情報を海馬経由で思い起こす、というのを聞いたことがある。けど、ヘレンはそういうことを聞いているわけではないだろうし、ぼくも思い出すという行為をするときに大脳皮質や海馬のことを考えているわけではない。

 三十五年の付き合いになる自分の体なのに案外知らないことばかりだと苦笑して、うまく説明できないよ、とヘレンと同じ答えを返した。


「兵器開発機構の人物だと記録しているであります。あと、遺伝子の研究をしているという風に書き込まれています」


 そういったことを思い出していると、ヘレンは室長に答えた。


「よろしい。訂正すると、現在は元兵器開発機構ということになる。第拾機体の言うとおり、同機関で遺伝子ジーン――それもヒト胚などの生殖細胞改変の研究を行っていた。戦後、退職した道澤は大学教授へと復帰したが、今年に辞めている」

「へー、じゃあ任務はそのニート野郎の再就職先を探してやるってとこだな」


 室長はカズの茶化しに顔色一つ変えず、


「いや、再就職先は自分で見つけたようだ。それが今回、お前たちに任務を与える原因になったことだ」

「あ……どういうことだ……」


 カズが狐につままれたような表情を浮かべた。他人から見たら、ぼくも同じくらいまぬけな顔をしていると言われただろう。


 ――少し真面目に考えてみる。


 ぼくらに任務が回ってくるということは正攻法で解決できないややこしいものが多い。それは第肆情報保全隊が表向きには存在しない組織になっていることが大きな理由だ。

 道澤富雄が兵器開発機構に勤めていた経歴があることも気にかけよう。

 この二つを合わせて、再就職先が問題となっていることから推測できることといえば、


「道澤は亡命しようとしている」


 ぼくがそう言うと、カズは納得したように頷き、ヘレンは驚いた表情をぼくに向けた。


「ミィルの言うとおりだ。道澤はアメリカへ亡命しようとしていたと報告があった。時系列にそって説明する。

 軍の人間もそうだが、兵器開発機構のような軍に関係する組織の人間も退職したら基本的に監視をつける。全員を対象にすることは不可能ゆえに、それなりの役職を持って機密を知っていた人物だ。道澤もその対象に含まれていた。

 兵器開発機構を退職して、道澤は東京農研大学の教授に復帰した。第壱情報保全隊がしばらく監視をしていたが、動きがなかったため監視レベルを六から一へ落としていた。だが、急に大学教授を辞めたため監視レベルを五まで引き上げたところ、アメリカ大使館へと入っていく道澤の姿を捉えた」

「大使館……。亡命認定証は外務省に届いたのですか」

 道澤が亡命を希望し、それをアメリカ政府が受けいれて、かつ公式の書類にサインがされたとなると厄介だ。アメリカは国際法インターナショナルロウに基づき、道澤を堂々と保護することができる。それでも、日本はあらゆる国内法ドメスティックロウを言い訳に道澤を拘束できるのだが、亡命認定証が出されていたら、アメリカと対立しなければならない。アメリカは亡命の受諾をしたので道澤の安全を確保しようとするし、日本は機密情報を持っている道澤に亡命させないように働きかけるからだ。戦争、とまではいかなくても争いごとになるのは確実だ。


「今のところ、外務省に亡命認定証は届いていない。というより、本気で亡命する気があるのなら、日本国内で手続きはせん。先に飛行機でアメリカに飛ぶ」

「アメリカに行かれたら、ぼくたちにはどうしようもありませんからね」

「恐らく、道澤もアメリカにつくか、日本につくか悩んでいるのだろう。アメリカ大使館では亡命後の条件交渉か、もしくは勧誘が行われていると思われる。

 事態が発覚後、第壱情報保全隊が道澤に最終通告をした。次に亡命の事前準備と思われる言動を行えば、軍としても武力行使をもって阻止せざるをえない、と」

「んで、その仕事がおれらに回ってきたっつーわけか」

 

 通達だけして、あとはよろしくと回されてきたのが面白くないのか、カズは不満そうに口にする。


「我々にしかできん仕事だ。それだけ評価されていると思え」

「はいはい、りょーかい。で、おれたちは何すりゃいいんだ」

「お前たちの任務は二つある。一つは亡命の動機を探ること。もし道澤を説得して亡命する気をなくさせれば、それに越したことはない。二つ目は亡命を開始したときに拘束、不可能な場合は暗殺だ」


 ――暗殺。


 第壱情報保全隊から、ぼくたち第肆情報保全隊に仕事が回ってきたのはそういう理由だ。公式には存在しない第肆情報保全隊にはこういった後ろめたい仕事が回ってくる。第壱情報保全隊は開戦前には国防軍のホームページにも載っていたくらいおおやけの組織で、世間の評判も考えると暗殺なんて超法規的措置をとらせたくはないのだ。


「第壱情報保全隊から道澤の情報をまとめたレポートが送られてきた。読み終えたら、私に返せ」


 室長はデスクの上に置いていた十数枚ほどの紙の束をぼくとカズに手渡した。受け取って、ざっと読んでみると道澤の経歴や住所、家族構成や交友関係が記されていた。どこの小学校に通って、どこの大学を卒業して、奥さんとはどういったところで出会ったのか。そういったプライベートなことが赤裸々に記されている。

 特に情報が多いのは兵器開発機構を退職してからの二年間だ。監視がついていたのがこの期間だからだろう。よく使うスーパーマーケットのことまで書いてある。

 この人物像プロファイルは機密保持のため、室外に持ち出せないが、今回は覚えるのに苦労するほどの量ではない。


「方法や判断はお前たちに一任する。軍で手配が必要なものがあれば申請しろ。以上だ。よろしく頼んだぞ」

 


◇ ◇ ◇



 道澤の住んでいる高層マンションは中央区の北区寄りに位置している。十一年前、兵器開発機構に入ったのを機に引っ越してきて以来、ずっと同じ部屋だ。

 室長から指令を受け取った次の日。人通りが少なくなった夜の時間帯にぼくとカズ、ヘレンは近場の海底駐車場に車を停めて、その真向いの高層マンションを訪れた。

 マンションの入り口に設置されている長方形の箱型無人受付機に話しかけて二五二五室を呼び出すように指示する。箱型の顔部分はモニターになっており、しばらくすると黒の背景にSOUND ONLYという白い文字が映った。

 誰だ、と低い声が問いかけてくる。


「国防軍第肆情報保全隊のミィル・バラノフスカヤと九条カズです」


 僅かに間を置いて、無人受付機のモニターがID登録開始という文字に変わった。人差し指を置くように音声ガイドが流れる。指認証機器は側面に付属されていた。


「まずはあなたのIDを登録しておきましょう。それでロビーやエレベーターの認証が使えるようになります。九条さんのID登録はあとでやっておいてください」


 促されるままに指認証機器に人差し指をのせた。接触部分が青く発光すると、箱型無人受付機からID登録を終えた旨の音声ガイドが流れた。

 低い声の主は部屋にあがってくるように言って通話を切った。モニターは案内ガイドの表示に戻る。


「さて、行こうか」


 もう一度、指認証機器に人差し指を乗せると入口の強化ガラス製ドアが開いた。

 無人受付機がおかえりなさいませ、と言ってくれたけど、残念ながらぼくらがこのマンションを訪れるのは初めてのことだ。

 無人受付機にとって、今のぼくは二五二五室の居住人ということになっているのだから、その言葉は間違っていないのかもしれない。ただの受付機に難しい判断ができるほどのAIを積ませる必要はないと開発会社は判断していたようだ。


「ただいまであります」


 ぼくとカズが無視してロビーに足を踏み入れたのと対称的に、ヘレンは無人受付機へ律儀に返事をした。

 エレベーターの認証機器に指を当てると自動で二十五階へと昇り始める。


「今から会うのは第壱情報保全隊の方でありますよね」

「うん、そうだよ。引継ぎとか諸々をしないといけないから」

「ミィルとカズ殿は会ったことがある方ですか」

「第壱の人とは何度か会ったことはあるけど、今から会う人とは初めてだよ」

「おれも初めてだ」

「何か気になることでもあるのかい」

「い、いえ、初対面の人は緊張するのであります……」


 ヘレンは恥ずかしそうに俯く。


「てめえが話すことなんて何もねえだろ。黙って突っ立ってりゃあいいんだよ」

「そうでありますが、話しかけられたらどうしようかと……」

「普通に対応すればいいんじゃないかな。今みたいにさ」

「頑張るであります……」


 ちょうどそのタイミングでエレベーターが二十五階に辿り着いた。目的の二五二五室前でインターホンを鳴らすと、ソフトモヒカンの二十代後半くらいの男性が現れた。声の印象とは違って外見は随分と若いように見える。服装はぼくらと同じで私服だ。

 どうぞお入りください、と招かれるままに部屋の中へ足を踏み入れる。道澤の監視目的で借りた部屋なのだろう。リビングには椅子とテーブル、監視用の機材しか見当たらない。


「一人なのですか」

「ツーマンセルで見張っていたのですが、先輩は先に引き上げてしまいました。ぼくがここにいるのは第肆のあなた方への引継ぎのためですよ」

「それはご苦労様です。感謝します」


 ぼくとカズは自己紹介――といっても偽名なのだが――をした。この低い声の若い男は第壱情報保全隊の志村中尉と名乗った。

 ヘレンはカズに言われた通り黙ったままだ。はたから見ると睨みつけるような、威圧感を与えるような雰囲気を身に纏っているように見える。志村中尉はヘレンにちらちらと視線を送っていたが、触れない方がいいと判断したのだろう。話しかけることはなかった。


「最終通告後、道澤に大きな動きはありません。アメリカ大使館にも足を運んでいませんし、出かけたときに特定の誰かと接触した様子はありませんでした」

「室内に監視カメラや盗聴器は仕掛けましたか」

「いえ、道澤の住むマンションは防犯性が高く、我々でも忍び込むことは容易ではありませんでした。ロビーへの扉は普通の静脈認証ですが、各部屋のドアはそれに加えて個人情報マイ・ナンバー認証を採用しています」

個人情報マイ・ナンバーは総務省管轄でしたよね」

「ええ。ただ管理や運用の一部は民間企業に委託しています。誰の情報をどのような区分で、どこの会社に委託しているかは総務省しか知りません。ですので、調べるのにも必要以上に時間がかかるでしょうし、最終的に情報改竄クラッキングでしかロックは解除できないのです」

「総務省管轄の個人情報マイ・ナンバーへの情報改竄クラッキング。国防軍から総務省への敵対行為となってしまいますね」


 通常のマンションに設置されている静脈認証は管理会社の端末によってメンテナンスされている。セキュリティ性は会社によってまちまちだけど、それなりに仕組みと技術を持っていれば運営会社にばれないように改竄することは可能だ。

 一方、個人情報マイ・ナンバー認証は総務省管轄のデータベースによって管理されている。指認証機器に人差し指を置くと、拡張チップから総務省のデータベースへと本人かどうかの照会が行われるのだ。セキュリティの突破方法としては、ぼくを道澤富雄と総務省の照合システムに勘違いさせること。もしくは部屋の住人がぼくだと認識するように総務省のデータを書き換えることだ。

 どちらにしても総務省への情報改竄クラッキングが必要になってくる。高いセキュリティ性を誇ることや、情報改竄クラッキングにばれたときのリスクを考えると現実的ではない。


「ということは、部屋の中で誰かと情報のやり取りをしている可能性はあるのですね」

「はい。それは否定できません。ですが、道澤の部屋の玄関扉にはセンサを仕掛けたので、その部分を誰かが通ると通知が来るようになっています。あとでアプリケーションを送っておきます」


 廊下に通じる扉は一つで、外に出るときや中に入るときは必然的にセンサが反応するようになっているとのことだ。道澤の部屋は二十五階にあるのでベランダから飛び降りるということはありえないだろう。

 窓の外に目をやった。

 ぼくたちのいる部屋のちょうど真向いに道澤の部屋がある。窓ガラスにはプライバシーフィルムが貼られているのか、外の景色が鏡のように映っていて室内は覗けない。

 志村中尉はその他の細かい引継ぎをしたあとに質問があるか尋ねてきた。

 カズはないと答えた。念のため、ヘレンに視線を向ける。特に気になることもなかったのだろう。無言のまま首を横に振った。


「ぼくから一つだけ良いでしょうか。志村中尉は道澤が亡命をしようとしている動機について、どう想像していますか」

「そうですね。我々第壱の見解もそうなのですが、お金のためだと思っています。日本は生殖細胞の改変実験は禁止していますが、アメリカでは部分的に許可されています。自分の持つ技術を最大限に活かせますし、給料も良いのであればアメリカに亡命したいと思うのでしょう」

「分かりました。ありがとうございます」

「任務の成功祈っています」


 志村中尉はそう言い残して部屋を出て行った。

 お金が亡命の動機、というのは納得できる話だ。

 日本という国にこだわりがなければ、給料や労働環境が良い国に移り住もうと思うのは自然なことだ。実際、世界各国では外国に移住して働いている労働者もいるし、毎日入国審査を受けて外国へと出勤している人もいる。

 かつては日本の労働環境と給料の低さに嫌気がさした技術者たちが中国へ逃げ出すこともあった。

 お金のため。

 十分すぎるほどの理由だ。サラリーマンだって公営カジノで一兆円勝てば、すぐに退職届を書くという人も多いはずだ。明日から無給で働いてくれ、と言われて続けていこうと思う労働者もいないだろう。

 世界はお金で動いているのだから当然の理由だ。戦争だって銃弾や爆弾を飛ばしあうより先に経済制裁や輸出入制限なんかのお金の話から入っていく。

 だけど、その例に道澤も当てはめていいのだろうか。

 なんとなく。根拠は全くないけど、どうもそうではないような気がした。

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