エピローグ
待機任務中、ぼくはヘレンの破棄を阻止すべく暗躍した。
無人兵器削減条約は一般市民には周知されていなかったので、初めて知ったという人も多かった。少女兵器という名前すら初めて知った人も大多数を占めていた。
ネオ・スカイツリーの占領事件を受けて、ヘレンへの世論は二分していた。
予定通りヘレンは破棄すべきだという意見と、国を救った英雄を殺してはならないという意見だ。
とあるテレビ局でヘレンのことを悲劇の少女だと特番を組まれていたのには思わず笑いそうになった。敵兵に撃たせないために少女の姿を模したというのに、自国内で彼女を兵器ではなく少女として扱っていたからだ。
――パスティの意志は遺志として残っていた。
世界各国はどうかというとテロに同情的な意見が多かった。少女兵器を破壊せんと無人兵器削減条約を進めたアメリカも、元々はきみたちの組織だったんだろと突っ込みたくなるロシアもテロ活動を非難する意見とお悔み申し上げるみたいなことを言っていた。
ぼくはヘレンを破棄させてはならないという人々の意見を強めたさせた。
大戦中にモスクワで、戦争で無意味に死ぬ兵士のこと、食べ物が少ないこと、仕事がないこと、経済が落ち込んでいること、そういったことは全て政府のせいだと説いて回り人々を焚きつけたぼくには難しいことではなかった。
マスコミ、政治家、教授、情報屋、あらとあらゆるコネクションを通じて、ヘレンは世界大戦で勝利に導き、ネオ・スカイツリーの占領でもまた日本を救った英雄だと広まっていくように働きかけた。
マスコミを妄信的に信じる人にはテレビで語りかける意見は絶大だし、マスコミを敵とするネット社会では「マスゴミが隠していた真実」と言って論理的に主張するのが効果的だ。サクラを雇って、ヘレンを破棄させないのは人道的にも国防軍の戦力的にも当然であるとも書かせた。結局、人々は声が大きい人や多数の意見に流されやすい傾向がある。長い物には巻かれろ、だ。
いつしか日本国民全員の意見がヘレンを破棄させてはならない、という主張が大半を占めていた。学生や労働組合は国会前をデモ活動し、書店には少女兵器について肯定的な意見が書かれた書籍が特集コーナーに置かれ始めた。戦場で少女兵器に命を救われたという元兵士の何名かがトーク番組にも並んだ。
アーヴィングは国とは国民だと言っていた。民主主義である日本は国民によって国が成り立っていると。
その通りなのかもしれない。
国民の意見は政府のお偉方や国防軍の上層部の重い腰を持ち上げた。
無人兵器削減条約の内容についての再審議を各国に申し出たのだ。政府や国防軍にとっても少女兵器という唯一無二、日本独自の圧倒的な戦闘力、その少女兵器が減らされるのは良しとは思っていなかっただろうから、闇夜の提灯になったのかもしれない。
先の戦争で戦勝国となった日本の意見は大きな支障もなく通っていった。ロシアは文句を言えば、前政権とは関係ないと貫かれてもロシア連邦保安庁の残党のことを持ち出せたし、アメリカもテロに対しては同情的な意見を出してしまったせいで、安易に反対するのも難しかったようだ。
最終的にはヘレンの代わりに、多足分隊システムを十機、無人爆撃機を二十機、その他十五機ほどの無人兵器を破棄することに落ち着いた。
「――ミィル、ありがとうございます」
この知らせを室長からの電子手紙で知ったのは部屋で二千ピースのジグソーパズルを組み立てていた時だった。半分ほど完成していたネオ・スカイツリーの夜景を置いて、リビングで膝を抱えて充電しているヘレンに教えるとお礼を言われた。
「ぼくは世間の意見を少し傾けただけさ。パスティがネオ・スカイツリーを占領して演技をしてくれなかったら、そんな世論さえ出てこなかったよ。だから、感謝するならパスティにしてあげて」
「そうでありますね……パスティに……。ですが、ミィル。自分が英雄だと奉られる毎に、パスティはテロに加担した国賊だと罵られるのが悲しいであります……」
パスティへの世間の認識は自分が生きたいがためにロシア連邦保安庁に加わり、テロを引き起こした最悪の兵器だとされている。ネオ・スカイツリーを占領したことで実害も出たし、人だって死んでいる。彼女が声明をあげたことも理由としては大きいだろう。
自らを悪とすることで、ヘレンを正義の味方にしたてあげようとした結果だ。好きな友達を助けたかったという小さな願いだったことを多くの人は知らない。
「アーヴィングが加來大佐の信頼を取り戻そうとしたように、自分もパスティがただ自己保身のためにテロを起こしたなんて思って欲しくないであります」
「そうすると、きみの評価も変わってしまうだろうね。自作自演でテロを起こしたなんて言われるかもしれないよ」
「分かっているであります。理解しているであります。ただ自分は友達のことを悪く言われるのが悲しいのであります……」
「仕方ないことだよ。それに、パスティは世間の評判なんて気にしてないさ」
「そうでありますなあ……きっとパスティは他人からどう思われようと気にしないような性格でした」
「……ただヘレンは違ったんだろうね。きみにだけには勘違いされたくなかった。だから、本当のことを伝えたのかもしれない」
「……かもしれないであります」
お通夜のようにしんみりとした空気になってしまった。
ヘレンはますます俯いてふさぎ込んでしまう。
声をかけようかと手をのばしかけたところでヘレンはよーし、と雄叫びをあげながら立ち上がった。危うく、彼女と頭にぶつかりそうになった。
「切り替えるであります。うじうじ落ち込んでいても何も始まらないであります」
「ああ、その通りだ。元気の良いきみの方が可愛いよ」
「かわ……可愛いでありますか。もう、ミィルはお世辞が上手であります」
ポニーテールを片手で弄りながら、照れたようにぼくの胸を叩いた。
痛い痛い。全く手加減してないぞ。人間の女の子ならぽかぽかと愛らしいかもしれないが、鉄の手で叩かれると金属バッドで殴られているようなものだ。ヘレンに貫かれた肩の傷もずきずきと痛む。
「ヘレン、ストップ。叩くの辞めて」
言われた通り叩くの辞めたかと思うと、今度は背伸びしてぐっと顔を近づけてきた。
「さて、任務達成のお祝いに美味しい物を食べるであります。まだ外を出歩いてはいけないでありますし、出前にしましょう。ピザでありますか。お寿司でありますか。中華も歓迎であります。あっ、ワインは赤でお願いするであります――ッ」
「わ、分かったから。きみの好きなものを頼もう」
まあ、真昼間から酒飲みなんて堕落したことも、たまには良いのかもしれない。
「だけど、ごめんね。今から出かけないといけないんだ」
「どこに行くでありますか」
「室長のところ。呼び出しをくらった」
ヘレンが破棄予定から外されたという記された電子手紙の最後には早急に第肆保全室に来るようにと書かれていた。
「ミィルがしたことがばれたでありますか……」
不安そうにヘレンが問いかける。
「気付かれないようにしたつもりなんだけど、可能性はあるね」
「怒られるでありますか……」
「ぼくとしては少し民意を傾けさせたつもりだから、怒られるほどのものでもないと思いたいんだけど……それを決めるのは室長だからね」
最悪はチベット送りか。あそこは第三次世界大戦後はチベット亡命政府と、前政権の党員たちが作り上げた武装組織、元々住んでいた人達から作られた民兵組織の三者が絶え間なく戦闘を繰り返している。
混沌とした戦場は収拾がつかなくなり、もはや辞め時を失ってしまっていた。
たしか国防軍の人間が亡命政府側に復興支援と称して軍事指導を行っている。最近、爆撃に巻き込まれて殉職した軍人がいるというのを風の噂で聞いた。
「ミィルが怒られるのであれば、自分も行くであります」
「ありがとう。でも、大丈夫だから安心して。ぼくが帰ってくるまでに何を頼むか決めておいてよ。任務達成祝いは夜からにしよう」
「分かったであります……」
部屋着からYシャツとズボンに着替えてにネクタイを締めた。ナポレオンコートを羽織りヘレンに出かけてくるねと声を掛けた。
「あっ、ミィル。聞きたいことがあったであります」
「なんだい」
「ニュースを見ていたら加來大佐のことが報道されていたであります。『かが』の元乗組員たちが『かが』が沈んだのは加來大佐のせいではないと。どうやら学者やネットでも加來大佐のことを再評価され始めているでありますが……これはミィルがやったことでありますか?」
「――さあ、どうだろうね」
曖昧な言い方をして微笑み、ぼくは玄関の扉を開いた。
◇ ◇ ◇
「来たな。部屋を変えるぞ」
第肆情報保全室に入り、室長の前に立ったぼくへの最初の台詞がそれだった。
現在の時刻は十五時二十八分。他の諜報員は出払っているので姿は見えないが、事務員は慌ただしく働いている。他人に聞かれたくない話というわけか。
ますます胃が重くなる。
ヘレンのために動き回っていたのがバレたのか、それとも加來大佐の方だろうか。どちらにしても、ぼくは他の人や勢力の背中を押した程度なので、懲罰とかはないと思いたい。
それで咎められても構わない。自分の行為に後悔なんてない。
会議室のネームプレートが掲げられている部屋の指認証に室長が指を当てる。カチッと音がして、室長とぼくは部屋に入った。
会議室は細長いテーブルを十数人ほどの椅子が囲んである普通の部屋だ。
室長が先に腰掛ける。
ぼくは対面になる位置に立った。
「緊張しているのか。リラックスしていいぞ」
「ありがとうございます」
席に着く。
まるで電気椅子だ。いつ死刑執行という室長の言葉が飛び出してくるのか。
「ネオ・スカイツリー占領後に『テロ特別対策法』が制定されたのは知っているな」
「ええ、はい」
意図していなかった話題を出されたので、いささか困惑する。
ネオ・スカイツリーでパスティとロシア連邦保安庁が占領したこと、それから国防軍が警察に変わって事件を解決したことを受けて制定された法律だ。
簡潔に言うと、国内のテロリスト、及びそれらに準じる計画、行為への対応を国防軍独自で行えるというものだ。戦時中に似たような法律はあったが、戦後に解除されたのが元に戻ったといえる。
警察の顔に泥を塗るような法律だが、彼らはネオ・スカイツリーの占領への対応を国防軍に投げたので文句は言えなかった。
「今後、お前は公安に戻らず、第肆情報保全隊で活動をしてもらう。基本的な行動は公安にいたときと変わらん。技術は盗んできたのだろう?」
「ええ」
「そして、お前の相棒として第拾機体をつけてやる」
「ヘレンですか」
「他に何がいる。お前は随分とあの兵器に執心らしいからな」
ああ、やっぱりバレている。
気まずそうに半笑いすると、
「ああ、それについては構わん。国としても《人型局地戦闘兵器》が減らなくなったのは歓迎すべきことだ」
「……ありがとうございます」
「本題に入るぞ」
ぼくは無意識に姿勢を正す。
ヘレンを助けようと世論を誘導したことでなければなんだ。加來大佐のこととも思えない。
「お前に第拾機体を当てつけるのには一つ理由がある。お前がしたことの責任だ」
「……………………」
「ああ、先ほど言った通り、行為については咎めはせん。だが、メリットがあればデメリットもある。当然の話だ。お前にはデメリットを教えておこうということだ」
「デメリット……ですか」
メリットは兵器としての戦力が残せるということだろう。しかし、デメリットというと思い当たらない。ぼくの知る範囲では国際関係にも悪影響は与えていないはずだ。
「なぜ、第壱機体パスティ、第碌機体アーヴィング、第拾機体ヘレンが破棄予定に選ばれたか気にしたことはあるか」
「……少しだけですが。ただ私は他の少女兵器について情報を持っていないので正直なところ分かりません」
「素直で宜しい。国防軍とて会議室であみだくじをしたわけではない。選ばれたのには理由がある」
「それがデメリット、ですか」
「ああ、そうだ」
デメリット。破棄をした方が良かった理由。
ヘレンを破棄予定から外れるよう働きかけたことを咎められないということを鑑みると。一応はそのデメリットがメリットを上回っているということだが。
「第碌機体の話をしてやろう。かの兵器は加來少将の死の真実を知っていた――ああ、聞いていた、か。加來少将については我々が意図しないところで、政治家とマスコミが情報操作をしていてな。彼に残された家族がいないことも考慮して、政治家とマスコミに対立することを是とはしなかった」
「口封じというわけですか」
「いや、選ぶ理由があったというだけだ。無人兵器削減条約がなければ、破棄しようとは思わん。
結果として、国防軍と関わりのないところで加來少将の社会的地位が回復に向かっていることは我々にも好ましい事態だ。マスコミと政府に対立しなくて済んだのだからな。そう仕向けた輩にはお礼を言っておく必要があるな」
どういたしまして、と心の中で答えておく。
「それではヘレンも消去法ですか」
「――いや、アレは最初に決められた。消去法ではなく、明確に。むしろ破棄する理由を与えられたことを幸運だと言うやつもいた」
はぐらかした言い方をせずにハッキリと言えばいいものを。
ぼくに考えろと無言の圧をかけてくる。
「ヘレンについて私が思った率直な意見を言ってもいいでしょうか」
「許可しよう」
「ヘレンは性能的には全ての少女兵器を上回ります。パスティ戦でもそれを目にしました。ただ、アーヴィングの《電子操作》やパスティの《超絶音感》に比べると、ヘレンの《食分析》ははるかに劣ります」
無人兵器が多数投入された第三次世界大戦において、電子機器を意のままに操れるパスティの技能は脅威的なものだっただろう。音を探知するアーヴィングも同様だ。
だが、ヘレンの技能は戦争において何の有用性はない。戦地で食レポをしたところで何になる。
「使えない技能を持っていたから破棄に選ばれたのかと考えていましたが……そうではないみたいですね」
「ふむ。ミィル、戦争は情報戦だ。戦闘前にどれほど情報を準備出来たかに戦果は大いに左右される。銃を持つ前にまずはペンを握るのだ」
「仰る通りですが……」
だからこその情報保全隊であり、ぼくという諜報員であるわけだ。そんなことを今さら、言われなくても理解している。
――いや、待て。
情報か。
「室長、ヘレンの技能は《食分析》に間違いありませんか」
「無論だ。第拾機体は体内に取り入れたものを分析出来る」
あまり材料は揃っていないが仮説は立てた。無人兵器削減条約にとってつけて処分しようとしたのも分からなくもない。
人造人間にとって本来は必要のない飲食をヘレンが好きなように設定したのもこのためか。胸くそ悪い話だ。
「ヘレンの《食分析》の本当の技能は記憶の分析ですね」
食べたもの――豚骨ラーメンの成分を分析していたりするのは飽くまで副産物の代物に過ぎないというわけだ。
「その通りだ。では、記憶の分析をするために何を食べていると想像する……」
「分かりきったことでしょう。人の記憶は脳の海馬と大脳皮質に保管されています。ヘレンは敵兵の脳を食べて、敵の情報を得ていた」
恐ろしい技能だ。
戦場では敵の情報は喉から手が出るほど得難いものだ。
敵の人数や潜伏先、使用武器、作戦行動、今後の展開、これらを手に入れようと戦場を支配したと言ってもいい。
脳を食べて記憶を分析する。故に《食分析》。
「ですが、ヘレンはそういったことを知らないように思えるのですが……」
性格的にも隠し事は向いていない。技能を偽っていたのなら、ぼくは気付けたはずだ。
「戦後、第拾機体の記録には改竄が施された。自身の技能を記憶の分析ではなく、ただ食べた物の成分が分かるとな。戦中で脳を喰らったことも書き換えられた」
「なるほど。彼女は覚えていないのですね」
本人が隠していることに自覚がない以上はさすがのぼくも気付きようがない。
「死体の脳を喰らうなど、明らかにジュネーブ条約に違反している。人道的にもな。此度の戦争では戦勝国となったため、執拗な追及はさせないが、この機にリスクを排除しておこうとした」
「それがデメリットというわけですか」
「ああ。戦争が終わってから今までそのような批判は出てきていないが、出てこないとは言い切れない」
太平洋戦争後から数十年経って、湧き出てきた問題も存在したことを考えると、ヘレンについても同様のことが言える。
「第拾機体は大きな戦力であると同時に、我々が抱える爆弾だ。知らなかったとはいえ、お前は爆弾を解体せずに、手元に残すことを選んだ。その責を担ってもらおう」
「それがぼくとヘレンを組ませる理由ですね」
パスティとアーヴィングの破壊任務が終わったら、ヘレンは破棄されて二度と会うこともないと思っていた。破棄予定から外されるどころか、またパートナーを組まされるとは。
どうやら末永い付き合いになりそうだ。
「早速だが明後日から任務を与える。朝一で第拾機体と共に私のところへ来るように」
「了解しました」
「話は終わりだ」
これから生きていく中でぼくは何かにまた迷うことがあるだろう。悩み、苦しみ、辛く思うかもしれない。人間は社会に縛られ、ただ働くだけの道具ではないかと、また考えるかもしれない。
――きっとそれでいいのだと思う。
何も感じず、何も悩まない人間なんて本当にただの道具でしかない。
その度に答えを求めていけばいい。答えを得ていけばいい。自分が正解だと思う答えを手に入れられればそれで十分だ。
そうやって、自分の心の中にあるジグソーパズルを埋めていこうと思う。まだまだ穴だらけだったあのジグソーパズルを完成に近づけよう。
「ヘレンは出前を何にしたかな」
任務達成祝いだけでなく、相棒再結成祝いという意味合いにもなった。
今は夜に控えた祝賀会を楽しみにしよう。
第一章完結です。
ご評価、ブクマ、レビュー等々を頂けたら嬉しいです。