作戦会議
パスティの3Dホログラムが消えた夜空を呆然と見つめる。
後に残るのは地上の光が星の瞬きを打ち消した東京の空。漆黒の闇が広がっている黒の世界だ。
無人兵器削減条約。脱走した少女兵器二機の破壊。拡張チップ。ネオ・スカイツリー。ロシア連邦保安庁。パスティ。《電子操作》。《有用性の証明》。
あらゆる単語が頭の中を駆け巡る。
状況が一変してしまった。
ぼくに与えられた命令はアーヴィングとパスティの破壊。他国に自国の兵器が脱走したと知られたくないためにぼくとカズ、それからヘレンの少人数での行動だった。
それがこうも大々的に流されてしまっては隠すことすら不可能だ。
「ミィル、どうするでありますか」
「大将を病院に送って……いや、他に同じ症状が出た人がいるだろうから、病院も手が回っていないかもしれない。知り合いに闇医者がいるから、そっちで見てもらおう」
大将はヘレンが気絶させてから地面に横になったままだけど、脈も呼吸も正常で命に別状はなさそうだ。ただし、冬空の下で放置しておけば、別の意味で危険だ。
その時、室長から着信があった。
拡張チップによって、眼前に浮かんだ受話器アイコンをタッチする。
「状況は理解しているな」
画面が映るや否や、室長は冷たく言い放つ。
「はい。パスティがロシア連邦保安庁と手を組んで、ネオ・スカイツリーを占拠しています。パスティはネオ・スカイツリー内にある拡張チップのサーバーを通して、装着者をいつでも殺せる状態です」
「よろしい。今すぐに第拾機体と共に国防軍第肆情報保全室まで来い。状況の整理と、これからについて考えねばなるまい」
「分かりました」
以上だ、と室長は通話を切った。
常に冷静沈着な室長は少女兵器たちよりも機械っぽく思える。ぼくを孤児院から引き取ってから今まで笑っているところを見たことがない。
「誰からでありますか」
「室長。国防庁に来いって」
寄り道して大将を闇医者のところに届けるくらいの時間は許されるだろう。
その間に、ぼくも考えを整理しておきたい。パスティの動機。その一ピースが手元にやってきたのだから。
◇ ◇ ◇
闇医者に辿り着く前に大将はタクシーの中で目を覚ました。
後部座席で横になっていた大将は軽い呻き声をあげながら体を起こした。まだ意識がはっきりとしないようで、頭を押さえながら左右を見渡している。
「ここは……あっしは……」
「気がついたかい」
ぼくは無人タクシーの運転席から後ろを向いて話しかけた。ヘレンも助手席から後部座席を心配そうに覗き込む。
「どこか体が痛んだりしないかな」
「後ろ首辺りが少し……」
ヘレンが申し訳なさそうに顔をそらした。
気絶させるために殴ったのはヘレンだ。けれど、そうしなければ、銃弾に足を撃ち抜かれていたのだから許してあげて欲しい。
「……気を失ったときに地面に打ったみたいだね」
そう誤魔化しておいて、ことのあらましを話し始めた。全てを聞き終えるころには大将の体調も良くなってきたようで、軽い相槌を打つようになっていた。
「ご迷惑をおかけしたでありやす」
「借りってことで。次の情報料をまけてね」
「……分かりやした。ところで、この車はどちらへ」
「ぼくの知り合いの医者のところ。普通の病院だと混んでそうだからね」
「そうでやしたか……感謝はしやすが、これ以上は西洋のあんちゃんに迷惑はかけられません。ここいらで下ろして頂きやす」
無人タクシーが緩やかに減速していき、道路の脇に停車した。大将が停車ボタンを押したようだ。
指認証機器に大将は人差し指を乗せた。大将の個人情報はパスティとロシア連邦保安庁が乗っ取ったネオ・スカイツリーを経由して、紐付された彼の銀行口座へとアクセスする。走行距離に応じた料金がタクシー会社の口座へと振り込まれて、無人タクシーの扉が開いた。
「大丈夫かい」
「体調は良くなったでありやす。それに屋台も置きっぱなしには出来やせん」
「……分かった。くれぐれも気を付けてね。身体のこともそうだけど、いつまた拡張チップを弄られるか分からない」
「気遣い感謝致しやす。西洋のあんちゃんも落ち着いたら、またあっしの屋台に来てくだせえ。その時は豚骨ラーメンをタダで出してあげやしょう」
大将はタクシーから降りてニッと笑う。
ぼくがああいう強い臭いが嫌いなのを知ってのことだ。
「考えとくよ」
「大将殿、自分は替え玉も無料でお願いするであります!」
勿論でさ、と大将はヘレンに答えて暗がりの路地を歩いて行った。しっかりとした足取りをしていたし、心配することはないだろう。
無人タクシーの目的地を国防庁に設定すると、後部座席のドアが閉じて再び走り出した。
◇ ◇ ◇
国防庁の庁舎F棟の最上階。その一番奥の部屋へと足を踏み入れる。
室内には事務員たちが忙しなくキーボードを叩いたり、どこかに電話をかけていたりしている。仮想ウィンドウ上で行われていることなので、ぼくにはパントマイムや独り言を喋っているようにしか見えない。
「ミィル・バラノフスカヤ、ただいま到着しました」
「ヘレンも参りましたであります」
先に到着していたカズの隣にぼくとヘレンは立つ。
やや猫背の姿勢で室長は真っ直ぐにぼくとヘレンに視線を向けた。ただ見られているだけなのに蛇に睨まれたような威圧感だ。未だに慣れない。
「全員揃ったな。まずは時系列に沿って状況の確認といこう。少女兵器第壱機体――通称、パスティは五日前に新東京アイランド警察署の監視室へと侵入。恐らく、この時に全ての街頭カメラをクラッキングして島内に潜伏するロシア連邦保安庁の位置を特定。接触し手を組んだ。そして、今夜。ロシア連邦保安庁と共にネオ・スカイツリーを占領した。ネオ・スカイツリーには拡張チップのサーバー機がある。通常であれば第三者が操作したところで装着者に影響を及ぼすことはない。だが、第壱機体の技能である《電子操作》では、それを可能とし現時点では千百五十七人の装着者に何らかの悪影響を及ぼした。パスティの声明では他国への亡命を邪魔しないこと、現金五百億円を要求している。詳しい要求事項は警察が対応している」
「それで、おれたちはどうすりゃいいんだ。このままパスティの破壊任務つったって、立てこもりは警察の仕事じゃねえか」
カズの言う通り日本でテロが発生した場合は国防軍ではなく警察の仕事だ。陸では警察の特殊強襲部隊、洋上では海上保安庁の特殊警備隊が出てくることが多い。ネオ・スカイツリーの現場も警察が指揮をしていると生中継で報道されていた。
それに警察が国防軍の介入を良しとしないだろう。
軍隊と警察の不仲はよくある話で日本も例に漏れない。第二次世界大戦前ではゴーストップ事件という軍と警察の対立に昭和天皇が特命を出すまでに至っている。
第三次世界大戦後も戦中に国防軍が国内の治安維持活動を行ったことに警察は縄張りを荒らされたと反発していた。
戦後でぼくが公安に送られたのは表向きには諜報活動の技術提供、本当の目的は警察組織の実態を国防軍が把握したかったからだ。
「今回、警察は軍への対応を要請した。人質はネオ・スカイツリーに取り残された者たちだけでなく、拡張チップを埋め込んだ全ての一般人がだからだ。下手に出て評価を下げるより軍に任せることで責任を回避しようとしたのだろう」
「では、特殊部隊が制圧に向かうのでしょうか」
「いや、派手に動くとテロリストを刺激する。人質たる東京都民を虐殺されては元も子もない。静かに素早く、ことを為さなければなるまい。そこで少人数での潜入を行うことが決定した。潜入するのはミィルとカズの二名。それと第拾機体が一体だ」
「ぼくたちが……ですか」
「ああ。テロリスト共は第壱機体を引きこんでいる。対抗策のために同じ少女兵器である第拾機体を持ち出す。彼女とこれまで行動を共にし、公安で彼らを追っていたミィル、お前が一番適任だと言うわけだ。納得したか」
前の担当官たちはどうなのかと訊こうとしたけど、記録装置の再生を見た限りだと第三次世界大戦時の担当官はパスティの問いかけに反応すらしていなかった。最低限の命令を伝えるのみ。少人数で連携を取らなければならないこの状況では危険すぎる。
「問題ありません」
カズとヘレンも同じように答える。
「よろしい。任務を確認しよう。優先すべきは拡張チップの問題だ。これを解決せねば、東京都民は常に喉仏にナイフを突きつけられているのと同義だ。これに対しては二つ解決策がある。一つは拡張チップのサーバー機を破壊すること。送信する機器がなければ拡張チップへ悪影響を与えることは出来ない。もう一つは第壱機体の破壊。サーバーを通して拡張チップに影響を与えられるのは『電子操作』だけだ。元凶を破壊すれば、奴らは何もすることは出来ない。
次にネオ・スカイツリーの現状について説明する。設計を担当した立花建設から設計図を入手した。これを元に説明をする」
室長は共有モードで仮想ウィンドウを広げた。ぼくらの前にホログラフィックの3D設計図が広がる。
一階にはフロア三百五十まで通じるエレベーターが四台。
フロア三百五十は展望台までの中間地点でカフェとお土産コーナーがある。この階の上を目指すエレベーターは三つでこれを利用して展望台へと通じるフロア五百五十まで昇ることが出来る。回廊を歩いて上って行くと展望台が見えてくる。展望台はドーナツ状の廊下で太鼓橋をモチーフとした廊下に3Dの桜が舞っている。
室長が開いた3D設計図を見てみると、それ以外にも従業員専用の通路や部屋がいくつもあるのが分かった。
拡張チップのサーバー機は展望台の内側だ。従業員用の通路に面している。
「ロシア連邦保安庁は最上階に人質を集めている。人質の数は二十名ほど。それ以外の客は下に降ろされた。解放された客の情報によるとテロリストは十数名ほどで銃器を持っていたそうだ」
「テロリストの数が少ない気がします。公安にいたときに彼らを追っていましたが、メンバーはもう少し多かったと思います」
「ふむ、そうか。であれば、銃器の扱いに長けた実働部隊と考えるべきか。逃走用にタワー外に何人か潜伏もしているだろう。それから首謀者らしき人物はアナスタシアと呼ばれていたそうだが、ミィル、名前に覚えはあるか」
「アナスタシア……ロシア連邦保安庁のリーダーとされる人物です。判明しているのは名前だけで、経歴も顔も分かっていません。女性名なので女性だと推測は出来ますが……」
「大物が釣れたようだな」
「そうすると、右腕とされるイワンも傍にいるはずです。彼の素性は判明しています。元ロシア陸軍第六独立自動車化狙撃旅団の団長です」
「なんだ。元ロシア連邦保安庁ってわけじゃねえのか」
「まあ、彼らはロシア連邦保安庁を名乗っているだけで、実際は正式な組織じゃない寄せ集めのテロリストだからね。戦中、日本に潜んでいたロシア連邦保安庁のメンバーが中心となって集まったのは確かだけど、本国に戻れなくなった軍人も混ざってる」
ふうん、とカズは興味深そうに頷いた。
「あちらも下っ端ではない精鋭を、それから装備を揃えていると考えるべきでしょう」
「ああ、その通りだ。報道ヘリが展望台に近づいたところスティンガーのようなものを向けられたそうだからな」
スティンガーとは携帯式の対空ミサイルだ。民間の報道ヘリなんて避けも出来ずに木端微塵に砕け散ってしまう。もっともスティンガーはアメリカ製なので、実際はイグラというロシア製の対空ミサイルの方だろう。
「展望台周辺に人質が集められていたという報告から最上階にはテロリストが数名いると推測される。だが、それ以外の連中がどこにいるかは全く不明だ。現地での行動は注意せよ。それから地上からフロア三百五十へ向かうエレベーターの電源ケーブルは全て切断されている」
「はあ。じゃあ、非常階段を馬鹿真面目に上って行けってことか。展望台が五百六十メートルだろ。休みなしで一気に上ってもかなりの時間がかかるぞ」
カズが思わず声を上げる。
「安心しろ。他にも方法はある」
室長はネオ・スカイツリーの中央にある長い棒のような部分を指差す。
「これは心柱と呼ばれるもので地震による揺れを打ち消す役割を果たしている。心柱には非常階段とは別に従業員専用エレベーターが二基ある。一つは一般用エレベーターと同じく電源ケーブルが切られているが、一基は動くようになっている」
ロシア連邦保安庁が脱出用にわざと残したというわけか。とはいえ、このエレベーターを使うのもリスクがある。下から昇ってくるのは敵しかいないのだから、エレベーターが動けば銃を構えて待っているだろう。密室であるエレベーターに逃げ場はない。ハチの巣にされる。
「次に拡張チップのサーバールームについてだ。これは展望台と同じ階の内側にある」
「サーバー機は壊してもいいのですか」
「構わん。上層部の許可はとってある。電源を落とすだけでは、再起動させられる恐れがある。完全に破壊すれば、第壱機体は装着者へ干渉出来ない」
「分かりました。――もしくはパスティの破壊、ですね。」
「ああ。だが、サーバー機を壊したとしてもパスティの破壊は続行しろ。東京都民の命の危険がなくなったからといって、奴らに少女兵器を渡すわけにはいくまい。これまでの脱走した少女兵器の破壊という命令に変更はない。それからテロリストであるロシア連邦保安庁の排除。こちらは可能であればで構わない」
ネオ・スカイツリーに取り残された人質について室長は触れなかった。つまりは犠牲もやむなしというわけだ。死んでもいい人間たちだと言っているわけではない。彼らの命の数と東京都民の命の数を天秤に乗せた時に残念ながら、彼らの命の方に傾かなかったということでしかない。