脅迫
椅子を蹴り飛ばすように立ち上がり、デガード銃を取り出そうとコートの中に手を伸ばす。ヘレンも同じく修理したばかりの右腕を電光刀の柄を握ろうと腰へと腕を伸ばす。
――が、二人とも武器を手に取ることは出来なかった。
アーヴィングの電光銃が既にぼくらに向けられている。右手の方でぼくを、左手の方でヘレンを。トリガーには指がかかっている。
武器を取り出そうものなら、ぼくとヘレンのからだにはドーナツみたいな穴が開けられてしまうだろう。
「当方は戦いに来たわけではありません」
「なら、その物騒なものを下げてもらえないかな」
視線だけ動かして、ぼくはパスティを探す。まさか一人で来たわけでもないだろう。
「パスティはいません。港での戦闘後、我々は互いの目的のために別れました」
ぼくの疑問に気づいたのかアーヴィングは言った。
その言葉を鵜呑みにしてはいけないのは理解しているが、遠距離メインのアーヴィングがこうしてぼくたちの前に姿を現すよりも、接近戦メインのパスティが出てきた方が理にかなっている。
どういうことだ。
と、ここでカズから着信があった。
拡張チップによってぼくの視界にだけ着信画面が浮かんでいる。
「電話が来ているんだけど、とってもいいかな」
「許可。ただし怪しい動きをしたら撃ちます」
コートの中に突っ込んだ右手とは反対の手で仮想ウィンドウの着信ボタンを触れる。
〈おい、ミィル。今いいか〉
「ああ、大丈夫。きみの話を聞くぐらいの余裕はあるよ」
ちらりとアーヴィングを見る。電光銃は正確にぼくを捉えている。重さは三キロほどだっただろうか。ハンドガンサイズなのにやたら重量があったなと初めてカタログスペックを見た時に思ったことを覚えている。数秒ならともかく、あんなふうに腕を伸ばして、それぞれ片手ずつでぴたりと静止させ続けるのは人間にもなかなか難しい。
〈パスティとアーヴィングだがな。奴らはどうやら別れて行動してる。理由は分からんが。第一の目的とやらが終わって第二の目的に動き始めたのかもな〉
「なるほど……。ちなみにぼくからも言いたいことがある」
〈なんだ〉
ぼくだけが見える仮想ウィンドウを他人にも見える共有モードに切り替える。中空に浮かぶ青枠のウィンドウをアーヴィングへと回転させた。
「一人はぼくの目の前にいるんだ」
「挨拶。こんばんは、狙撃手。観測手なしであそこまで正確なのは大したものです」
カズが絶句している。
ウィンドウをぼくとヘレン、アーヴィングが見える位置へと移動させた。
〈状況が分からん。説明しろ〉
「晩ご飯を屋台で食べたらアーヴィングがやって来た。ちょうどその時にきみから電話がかかってきた。以上」
事実だけを述べる。
カズが眉間に皺をよせる。
「ぼくも目標が自分から来てくれるとは思ってなかったよ。戦いに来たわけじゃないなら説明してもらおうじゃないか」
殺すことが目的ではないのは確かだ。
それなら昨日のうちに殺してればいいし、こうやって目の前に現れずに狙撃すればいい。
「説明。当方は諜報員、あなたに用がありました。第拾機体が修理のために兵器開発機構に行くことは分かっていたので待ち伏せしていました」
「尾行されてたのか……」
気を張って警戒していたわけではないが、全くそんな気配はなかった。
「否定。当方は耳が良いので。一度、人物を捕捉すれば、どこからでも追跡は可能です」
《超絶音感》。雑多な音が入り混じる戦場で無音潜航する潜水艦の音を探ろうとするくらいだ。街中とはいえ、ぼくの足音を聞き分けて追っていくことは可能ということか。
「継続。当方はある人物を探しています。諜報員、あなたにはそれに協力して欲しいのです。先方の得意分野のはずです」
「相手は誰なんだい」
「回答。戦時中は国防軍海軍三等海曹。名前は手崎ユウマです」
知らない名前だ。階級的にもだいぶ下になる。
「時宜。狙撃手、十分以内に手崎ユウマがいる場所を調べてください。当方を満足させられる情報がなければ、諜報員と第拾機体を撃ちます」
〈……ちっ、分かった〉
カズが舌打ちをしながら電話を切った。
十分以内にアーヴィングが頷けるほどの情報を持ってこなければ、ぼくらは死ぬ。
――逆に言えば、それまでぼくらは絶対に殺されない。
人質は生きていてこそ意味がある。死体は交換材料なんかにならない。
「その人との関係性は……」
「拒否。答える義務はありません」
「じゃあ、ぼくたちも教えないまでだ」
「警告。ではあなたに用はありません」
アーヴィングの電光銃が僅かに動く。用がないというのは自分にとって存在価値がないということだ。生きている意味さえも。
けれど、これはこけ《おどしブラフ》だ。今のところは。
「ヘレンは知ってるかい」
「いえ、知らない名前であります」
情報屋である大将なら分かるだろうか。三等海曹は下から数えて四番目の階級だ。そんな人物の情報なんて持っていないかもしれない。
どちらにせよ大将は我関せずで、ぼくらの方を見ていない。
面倒なことには首を突っ込まない。これも長く生きるすべの一つだ。
「それが脱走した理由なのかい」
「沈黙。答える義務はありません」
「パスティはどこにいる」
「沈黙。答える義務はありません」
「どうして港でぼくたちを殺さなかった」
「沈黙。答える義務はありません」
「……《有用性の証明》ってなんだい」
「回答。『日本に有用性を証明する』というプログラム。我々、少女兵器のAIの根幹にあるもの」
「どうして、ここに来た」
「回答。諜報員、あなたに尋ねるのが合理的なので」
首筋に冷たい汗が流れる。冬風が吹き、体温をそっと盗んでいく。
静寂が周囲を支配する。まるで嵐の前の静けさ。開戦の火蓋が切って落とされる直前だ。
九分ほど、ぼくらはその状態が続いた。人気のない裏路地だからこそ他の人が通ることもなかった。
――カズからの着信だ。
アーヴィングに確認して仮想ウィンドウを共有モードで開く。
「忠告。当方は《超絶音感》によって人間が発した言葉が嘘か判別出来ます」
嘘発見器みたいなものか。あれは判別方法がいくつか存在するが、その中に声紋の測定がある。声帯には基本周波数が存在し、緊張や焦り、怒りや驚きで変化する。それで嘘かどうかを判定するのだ。
もちろん、ぼくとカズはそれらが最低限の範囲内に収まるように訓練されているが、人間である以上はどうしようもない部分がある。最新機器を用いられれば、誤魔化しが効かない。
〈手崎は毎週土曜日――明日だな。新東京アイランドの風俗街にある『マルガレータ』ってナイトクラブに出入りしている〉
「質問。手崎ユウマの住んでいるところは分かりますか?」
〈国防軍を辞めて、宿舎を出て行ってから後の引っ越し先まではこんな短い時間じゃ分からん。東京都内ってことは想像出来るがな〉
「了承。良いでしょう。上出来です」
アーヴィングは電光銃を構えたまま、高架の近くまで移動する。
「どうしてぼくらを殺さないんだい」
カズから情報を聞き出したのなら、人質であるぼくらの価値はない。後々のことを考えると、殺した方がいいに決まっている。少なくても、ぼくならそうしている。
「当方は近接戦に長けた第拾機体に対しては不利です。戦闘は避けたほうが無難だと判断しました」
「なら、きみがここを離れた瞬間、追いかけさせてもらおうかな」
「返答。不可能です。あなたの走行速度が時速八十キロ以上なければ」
アーヴィングがジャンプする。高架の柱を蹴って、さらに上へと昇っていく。一回転して線路の上まで跳ね上がると、ちょうどそのタイミングで電車がやってきた。
その身を屋根に預けて、アーヴィングは時速八十キロの速度でぼくらから離れていく。
「ほとんど音がしない自動走行電車の走行音も聞こえていたのか」
すでに黒いケープが夜空に紛れて姿が見えない。次の駅は道祖駅だけど、先回り出来るか分からないし、途中で電車から飛び降りるかもしれない。追跡を警戒するなら、間違いなくそうするだろう。
「カズ、手崎ユウマについて他に分かったことは?」
〈十分じゃ大した情報はねえよ。ただおもしれえことは分かったぜ。手崎ユウマて男は第三次世界大戦でいずも型航空母艦『かが』に乗ってたそうだぜ〉
「かがって確か……」
「そうだ、ミィル、てめえの記憶は間違っちゃねえよ」
第三次世界大戦。日本の開幕戦となった壇ノ浦海陸戦。
――その時にアーヴィングが乗っていた軍艦だ。