第六六話 逃走中
「ぜぇ……ぜぇ……リ、リエルどこに行ったんだ……家か? というか」
息を切らすウィル。彼は前方を走っていた少女を見失っていた。
『学習棟』を出て、さらに学院の敷地からも飛び出して、数十分は経っていた。
現在、青年は商業地区の西に沿ってある大通りで北に向かって走っている。目的地は人工島の北西にある住宅街――つまり自宅だ。
「にしても、な、なんでこんなに増えてんだよ!」
後方を見やる。
クルーナとフィルエットが追ってきてるはずだったが二人の姿は見えなくて――、
「我らクルーナ親衛隊! お前にクルーナ様を任せるわけにはいかない! いくぞ 皆!」
「「おおおおおおお!」」
クルーナのファンたちが追ってきてたり、
「ベルリック様を返して!」
「そうよ! 私らはあの方を拝むために学院に通ってるのよ! それをよくも不登校にしてくれて!」
「今日一日来てないだけじゃないか! なんでこんな目に」
ベルリックのファンも追いかけてきた。
走れば走るほど、後方の集団は膨れ上がっていく。
集団の中には、
「なんだが良くわからないけど追いかけるぜ!」
悪ノリした友人――ゼルがいた。
(ゼルのやつ何がしたいんだ。確かこの大通りにラナックの家があったはずだけど助けを求めても素直に助けてくれるやつじゃないからな)
走りながら打開策を講じていると、前方の道路で屯しているコボルト族の会話が聞こえてきた。
コボルトたちは長く伸びたフロントフォークに加えて頭上にハンドルが位置するバイクに乗っていた。
「アニキなんですかいあれ?」
「人間がえらい追いかけられてるな」
「賞金首ですかね?」
「きっとそうだ! お前らいくぞ!」
コボルトたちはウィル目掛けてバイクを走らせ始めた。
「ひえええええええ! 勘弁してえええ! 何が賞金首だよ!」
ウィルは絶叫しながらコボルトたちの横を猛スピードで通った。
「兄ちゃん! 足速いな! 獣人の血でも混ざってるのかい!」
「はぁ……はぁ!」
青年の左斜め後ろにいるコボルトが声をかける。
(確かに僕がこんなに足速いわけが……というかこんなに長く走れるわけないはず、いやもうここは逃げることだけ考えよう。さすがにバイク相手じゃ追いつかれる、なら!)
ウィルは覚悟を決める。
「うおおおおおおおおおおおお!」
一瞬、緑色に発光する体。
体の内部に魔力を行き渡らせて神経の伝達速度を上げたうえに両足に魔力を溜めて脚力を向上させたのだ。
「はぁぁぁ⁉ なんだこいつ⁉」
「さすが賞金首なだけあるな!」
コボルトを泡を食ったように叫ぶ。
見るからに線が細い青年がバイクと並走しているからだ。
大通りの道路は中央分離帯が無い、片側二車線となっており、人通りが多いため法定速度は40キロメートルとなっている。つまり、今のウィルは時速40キロ以上で移動している。
いよいよ、人間を辞めてきたなと思った青年だったが、
(まずい、意識が朦朧としていきた……体がこの速度に耐えきれない! 酸素の供給が足りないんだ)
視界が霞み、限界が近づいてきた。
「そもそもなんだよこの状況」
そんな彼に追い打ちをかけるように、一機のヘリコプターが飛んできた。
ヘリコプターの側面には天秤の模様――ルーデリカ家が所有する機体であることを示す印があった。
「そこまでだ! お嬢様にした非道な行ない! 加えて法定速度違反! 故に現行犯で捕まえる」
ヘリコプターからフィルエットが拡声器を使って警告していた。
「そこまでする⁉ だいたい法定速度は法律上、人間対象にしてないよね。それはもうイチャモンだよ!」
もはや島を挙げての大騒動である。
(もう駄目だ)
ウィルが歩道に膝をつけたそのとき、
『ウィルくんっ!』
『リエル!』
脳内にリエルの声が響く。
『どこにいる?』
『前だよ、ちょっと待ってて』
ウィルは顔上げて前方を見ると、歩道橋の真ん中の手すり上に仁王立ちしているリエルがいた。ウィルからすれば、普段は陽気で愛らしい少女ではあるが、精霊という種族なだけあった静かに立ち尽くしている彼女は儚げな印象だった。あらゆる生命体と一線を画す存在ということを再認識したのだ。
リエルは翡翠色の髪を靡かせながら右手のひらを前に掲げる。
小さく手元が緑色に光ったかと思えば、ウィルの視界が一気に煙に覆われる。
「なんだこれは‼」
「何も見えないぞ」
「一旦、機体を安全区域に避難させろ! このままでは建物とぶつかるぞ!」
ウィルを追いかけていた人たちも視界を遮られ右往左往しており、ヘリコプターが撤退し始めた。
「うわっ」
いつの間にかウィルの体には蔦が巻きついていた。
「ひっ、ひええええ! 飛んでる!」
彼の体は宙に浮くと、リエルがいる歩道橋まで飛んでいき、
「ぐぶあはっ!」
そのまま歩道橋の道に背中を叩きつけられた。
「ウィル君大丈夫?」
「今、一番ダメージを受けた気がする」
リエルは背中を擦っているウィルの顔を覗き込む。
「あぅ……ごめん」
申し訳なさそうなリエル。
「でも、僕を助けようとしたんだよね」
「うんっ、大変そうだなと思ったから」
「でも……この煙、害とかないよね」
町中にリエルが放出した煙が広がっていた。
「害は無いよっ、でも消えるのに時間がかかるかな?」
「どれくらい?」
「一週間ぐらい」
「地味に長いよ」
「後で消すから大丈夫だもん、それより帰ろウィル君」
「うん」
ウィルはリエルに着いていきながら、走ってきた道を振り返る。
「どこだ! 賞金首!」
「まだ煙は晴れないのか! あんな卑猥青年を野放しにするのは親衛隊の名折れだ!」
「ウィル! 捕まってなかったら、また学院で会おうぜ」
煙の向こうから様々な怒号が聞こえる。喧噪の中には聞き馴染みのある声もあった。
「はははっ……」
おかしな状況についつい乾いた笑い声が出てしまった模様。




