第一〇話 一〇年前の記憶
人工島の北西にある住宅街。その住宅街のさらに、北西にある空き地ではプレハブ式の仮設住宅がずらりと並んでいた。ここは一〇年前、戦争が起きた際に疎開した住民のために用意された場所でもある。
ウィルは数ある仮設住宅の一戸に入る。
「ただいま」
彼に応答する者はいない、ウィルの他には誰も住んでないのだから。
エントランスから三メートル程度の廊下が伸びており、道中にはユニットバスに繋がる扉と電磁調理器が設置されていた。廊下の奥に進むと六畳一間の部屋がある。ウィルが普段過ごしている部屋だ。
(合格発表まで後一ヶ月か。変に期待しているけど淡い希望は捨てよう)
部屋には小さいテーブル、本が山積みの勉強机、ベッド、壁に設置されている薄型テレビがある。必要最小限のものは揃っているといったところだ。
彼はポケットから携帯電話を取り出しメールを確認する。アルバイト先からシフト表が送られていた。
「…………」
ウィルは目が点になる。
画面に映っていたシフト表を見るに三〇連勤だ。合格発表の日まで働くことが決定した。おめでとう。
(エナちゃんを除けば従業員は僕しかいないし、そりゃこうなるか)
しかしウィルはあまり杞憂ではなかった。
(お客さん滅多に来ないし。一日三食の賄いもあるし。給料のことは……思い出さないでおこう)
時給が人工島を運営している市が定める最低賃金を下回っているという記憶に蓋をした。
青年は何の気なしにリモコンでテレビを点ける。
『花見客で賑わっています! 何をしてるのかを聞いてみましょう!』
画面には女性リポーターが中年男性の花見客に質問していた場面が映った。
『お父さんは何をしてるのですか?』
『お前に会いにきた。結婚しよう』
あまりの急展開にウィルはチャンネルを変えた。
『魔科学分野である魔道工学や魔導理学の発展は著しいですね』
『それと比べて精霊工学は随分と活気がなくなりましたね。やはり一〇年前の大戦で悪用されたのが原因でしょうか』
ニュース番組をやっており、二人のコメンテーターが話し合っている。
『新三大名家のヨルゼル家が革命軍と軍事利用するとは当時は思わなかったですね……ほんと』
『大体、人の力で精霊とかいう千年前に存在したかもしれない不確かな生き物の力を再現しようとするのが良くない』
『本当は精霊なんていなかった、なんて言いますもんね』
『ははは、全くだ』
笑っているコメンテーターに冷ややかな視線を送るウィル。彼は「精霊はいるさ」と言ってテレビを消す。
青年は浴室に入ったあと、家着に着替えると今までの勉強疲れのせいで強烈に眠たくなっていた。そして、夢を見る――いや、夢と言うよりは昔の思い出だった。
――一〇年前。
都会の外れにある大木の下に本を持った六歳のウィルがいた。今と違い、眼鏡をかけていない。
「あれーいないなー」
キョロキョロと辺りを見渡す。
「うぃーる君っ!」
「わっ!」
現れたのは翡翠色の髪と眼を持った同い年ぐらいの女の子。生命感がなく、着ている白色のワンピースも相俟って存在そのものが儚く感じ取れる。特徴を上げるとすればセミロングの毛先が少し跳ねているところだ。
「えっと、誰ですか?」
「酷いっ。うぃる君のこと待ってたのに、このこの!」
ぽこぽこと叩かれるウィル。しかし本当に身に覚えがない。彼がここで待ち合わせてたのはそもそも人の形をしていない。
「君もしかして緑の光……」
「ふふん。そーだよ」
女の子は胸を張って言う。
彼の言う緑の光とは言葉そのまんまである。物心が付いたときから他の人には見えない緑色の光の玉が漂っているのが見えていた。そのことを同年代の子に言うと君悪がられたため遊んでもらえなくなっている。また、両親に言っても笑い飛ばされるだけだった。
「人間になれたの?」
ウィルが聞くと。
「うーんとね。多分、うぃる君のおかげ! まだ小ちゃい光だったときにたくさんここで昔のことが書いてある本を読んでくれたでしょ。賢くなれたの!」
「小さい子がぬいぐるみに話しかけるのと一緒で話し相手がいないから一方的に話しかけてただけだよ」
「それでも楽しかったからいいの。ってか、うぃる君も小さい子でしょうに!」
「まぁ……そうだけど。君は一体何者なの? 本当にいるの?」
「いるよ! この前、精霊のお話してたでしょ。多分、それになれたの! なんでかは分からないけど」
「精霊! そっか! 意識を持った魔力が成長するといろんな形になるって書いてたあったような……え、でも」
興奮気味に本を捲るも言葉に詰まる。子供でも知っている、この世にはもう魔力が存在しないと。
「もう、世界には魔力がないはずなのに」
「多分ね。ちがうの。この世界には、まなってやつよりずっと、ずっと、ずーっと小さいのがあるの。感じ取れるから絶対そう! でね、でね。それをうぃる君が成長させてくれたから人になれたの!」
「そうなんだ! これ多分、僕達しか気付いてないよ!」
テンションが上がるウィル。それにつられて嬉しくなる女の子。
でもそれが最初で最後の会話だった。次の日、大戦の勃発によってウィルは疎開する必要があったからだ。