当代無双の弓の名手を娶ったのじゃが、新妻が毎晩わしの寝首をかこうとしてきて困る。
源氏で随一の弓の腕の持ち主と言えば那須与一殿、……であるが、この儂、浅利与一義遠もまた弓の腕には強く自信あり、源氏の三与一の一人として名を知られる猛者であると自負している。
そんな儂は、このたび五十歳にして、若い女を嫁にすることになった。
それがこんな、修羅の日々を引き寄せるとは……
***
殺気を感じ、儂は真っ暗闇の寝台のうえから跳ねのいた。
「――――板額!! おのれ!!」
儂の一喝と重なるように、大太刀が空を切る音。
続いてザクリと床に刺さった音がした。
これはわざとであろう。刺さったと見せ、まだ抜かれぬと儂を一瞬油断させ、恐らくは……
きぃん―――
儂が振るった刃が、“もう一本”の太刀を受け止めた。
「……残念、今宵も仕留めそこないましたか」
何も見えぬ闇の中で、ため息交じりの、女の声。
ふざけるなと言いたいが、その口調にはすでに殺意は失われた様子だった。
「くりかえすが儂は、おぬしに伽(性行為)を強いる気はない。
もはや源氏の世は覆らぬ。
おとなしく日々暮らす気にはならんのか」
「伽などどうでも良いです。
むしろ手を出してくだされば、その最中に御首掻っ切ってさしあげますのに」
「越後いちの美女の誘いか、男冥利に尽きるわ。ふん」
その越後いちの美女は、儂よりもはるかに長身で、両手で一本ずつ大太刀を軽々振るう腕力の持ち主である。
暗闇に目が慣れる。
うっすらと、妻・板額の美しい顔が見える。
世が世であれば、このような老いぼれの妻になどならなかったであろう。
平家方の豪族である城氏の姫。
三十路に至るはずだという話も聞くが、見た目は若々しく、どう見ても二十歳そこそこである。
彼女の甥である城資盛は鎌倉のご公儀(幕府)に反乱を企て、要害である鳥坂城にこもり戦った。
その戦の中で、百発百中の弓の腕を存分に発揮し、“中たるの者死なずと云うこと莫し(当たった者は必ず死んだ)”と言われ、大いに我々を苦しめたのが、この美女、板額である。
武運つきて捕らわれた板額は公方(将軍)様の前に連れてこられた。
恥ずかしながら、この儂は、板額の堂々たる態度に心奪われた。
公儀方には、この女を殺したい人間が山のようにいる。
死罪ではなく流刑となったとしても、途中で必ず命を狙われるであろう。
このような素晴らしい武芸者、殺すにはあまりに惜しいと考えた儂は、夢中で公方様に申し上げた。
『何とぞ、この女を儂の妻に。
武勇に秀でた男子をもうけ、忠義を尽くさせたく存じます』
その場で皆の笑いものになった儂ではあるが、無事、板額をもらいうけることに成功し、甲斐の国に連れて帰った。
……のじゃが、ただいま、このありさまである。
「旦那様は、一族の仇の一人ゆえ、夫となろうが関係ございませぬ。
どうぞ、いつ切られても良いように、その皴首よく洗っていてくださいませ」
「むむ。皴首などと言われる歳ではないぞ?
まぁ、今宵はもう終わりとあらば、良かろう」
寝台から大太刀が抜かれ、鞘に収まる気配。
儂はため息をつき、寝台に横たわると、夜具として体にかけておった着物を、うっすら見える板額のほうに突き出した。
「身体を冷やしてはならぬ。よく眠れ」
「……」
着物は二枚重なっており、板額は一枚を羽織ると、一枚をこちらによこした。
(…………)
渡された着物を、儂はふと、握りしめていた。
少し変わってはいるが、心根は悪くない女だ。武芸の腕も衰えぬ。
この老いぼれの妻になど、もったいない女性ではないか。
(――――身の振り方を、早いところ考えねばならんなぁ)
それまでに儂が討たれるのが早いかもしれぬがな。美しい姫に討たれ、人生を終えるのもまた一興か。
そう思いながら、儂は着物をかぶり、目を閉じた。
***
(そういうところが、やめられないのですよ)
フフッ、と私は含み笑いし、隣の夫の顔を暗闇の中で見つめた。
板額御前は当代無双の姫君なり、などと、故郷ではもちあげられていたが、私は、自分の武芸の腕がいずれ無駄になるであろうことは、ずっと察していた。
あの鳥坂城で、寄せてくる兵を男女問わずに射殺し続けていたのは、あの時、一人でも多く殺すことだけが生きている証のように感じられたからだ。
ふとした油断で、太腿を射抜かれ、捕まった。
射抜かれた矢傷でしばらく寝込んだが、身体は丈夫だったのか間もなく傷は癒え、公方義家の前に引き出された。
まぁ、これで私は首を打たれ、このくだらない人生も終わらせられるのでしょう。
そう思った時に、私を妻としてもらいうけたいと言った男がでてきた。
その男の目を見て察した。
私に、武人としての敬意を払っている男の目だと。
その眼に好感を持ち(おそらく途中で、いくらでも逃げられるようにわざと隙を作っていたにもかかわらず)甲斐までついてきたのだ。
そんな私の夫は素晴らしいことに、毎夜毎夜、自分を殺そうとする妻に見事対処してのける。
一度たりとも私は、手加減などしたことはない。全身全霊殺す気だ。それなのに。
深夜にかわされる命のやりとり。
夫婦の営み(やったことはないが)などよりも、はるかに高揚する。
(――――しかし、この人を殺してしまったら、私の人生は大層つまらないものになるでしょうね)
すうすうと寝息を立て始めた夫の背に、私はそっと口づけた。
私が殺さなくとも、きっと、この人の方が早く老いて死ぬ。
あるいは老いにつかまり、私の刃を受けきれなくなって死ぬ。
出会うのが遅かった、と思う。
あとどれぐらいの長さ、この人のそばにいられるのだろうか。
『何とぞ、この女を儂の妻に。
武勇に秀でた男子をもうけ、忠義を尽くさせたく存じます』
「……そのうち、誘ってみましょうか」
殺すための罠と疑いはするだろうが、案外のってくるかもしれない。
それで案外こどもができるかもしれない。
これが夫婦のあるべき愛なのかはわからないが、この男のこどもならば、きっと私は愛せる。
夜目の効く自慢の目で、夫の寝顔を再び見つめた後、私は彼に背を向けて、寝入った。
【了】