【下】女王陛下の再婚
常にエリザベスの傍にいて優しい言葉をくれるクラーク。
紳士的対応に終始し、エリザベスの娘に対しても敬意を払ってくれている。
周囲の者の評判も悪くない。
卒無く振る舞っているようだ。
だが、みなは知らない。
クラークは人間を食う怪物。
といっても女王エリザベス自身も本人から聞いたとはいえ、いまいちピンと来なかった。
日頃のクラークの様子を見る限り、15年前一度見た巨大な怪物と同じ存在とはとても信じられない。
ここに来て以来、クラークは人間と同じ食事を取り、公式行事に参列し、滞在費用としては多額の寄付金を出している。
怪物というにはあまりに常識的過ぎないだろうか。
「クラーク、おまえ本当に怪物なのか?」
実は怪物などというのは冗談なのではないかと思ってしまうのも無理はなかった。
「怪物かどうかは人間の主観です。
僕は単なる海の生き物です」
「しかし人間を食うのだろう」
「以前は食べてましたけど、長いこと食べていません。
ああ、でもそうか…」
クラークはエリザベスをじっと見つめる。
「15年間、人間を見るたびにあなたのことを思い出してしまって、とても食べる気にはなれなかったんです。
もう僕は人間を食べれないかも……。
好き嫌いはなかったはずなんですけどね」
困ったようにそう呟いた彼のことを、エリザベスは既に怪物とは思えなくなっていた。
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クラークの滞在を許してから1年が経過した。
エリザベスにとってこの一年は楽しいものだった。
「クラーク、おまえはいつ国に帰るつもりなんだ」
女王エリザベスはふと、そんな言葉を漏らした。
「え? なんでそんな話に?
それに時々仕事で帰ってるじゃないですか」
確かにときどき彼はエリザベスに告げた上で国に帰ることがあった。
もしも彼がそのまま姿を消してしまったら、エリザベスからは彼を探すことは出来ないだろう。
そんな考えがよぎる。しかし
「1年の間、私はおまえの求婚を受け入れなかった。
おまえもそろそろ諦めて帰るのではないかと思っていたんだ」
さすがにこうも求婚を受け入れなければ、いい加減諦めて帰っても不思議ではない。
「陛下、まさか僕に帰れと言うつもりじゃありませんよね?
確かにしばらく僕を置いて欲しいとは言いました。
その間に婚姻に前向きになって下さると思っていましたが…。
やはり僕ではダメなのですか?」
むしろ逆だった。
「いや、私はおまえに去って欲しくないな…。
しかしここまで求婚を受け入れないでいればそろそろ呆れて帰ってもおかしくないと思ったんだ」
「本当ですか?
ということは少しは好意を持って下さったんですね?
嬉しいな…」
クラークに惹かれていないと言えば嘘になる。
しかしそれはあくまでも目前の若く優しい男。
今はまだ幻を見ているに過ぎない。
その幻が破られることが怖いとすら内心感じていた。
そんなエリザベスの迷いに気づく様子もなく、クラークは嬉しそうに笑みをこぼす。
「ちなみに人間にとっては1年ってそんなに長い時間ですか?
僕にとっては一瞬なんですけど」
「そうなのか」
「ええ。大体1年くらいで諦めるようなら15年なんてどうして思い続けられるんです」
「そういうものか…」
ほんの僅かな時間顔を合わせたに過ぎない相手を15年想い続けるなどということも信じ難い。
ただ、1年の間にクラークのもたらす海洋関係における国の利益は確かに十分目に見えるほどのものだった。
偶然では説明出来ない。
それを考慮する限り政略結婚として申し分はないことであるし、婚姻を受け入れることも考えないこともなかった。
しかし具体的に考えるとなると…。
「クラークは婚姻に何を求めている?
共にいることだろうか?」
「それもありますけど…。
その、もっと深いことをしたいと思っています」
「深いこと?」
「ええと…。身体の交わりと言いますか」
「…それ、やはり想定内のことなのか」
「だって、愛する人と繋がりたいと思うのって自然なことですよね?」
…退位後であればエリザベスはそれなりに年齢もいっているはずだ。
先を聞くのが怖いところだったが
「それは…人間同士のアレと同じものなのかな…?」
「ち、違うと思います。
その、貴女は経験したことのないことだと思うので精一杯優しくしたいと思うんですが僕も不慣れなもので…」
「ぐ、具体的に言うと…」
「今はそんなイメージ先行にしない方が良いかと思うんですよ。
僕はやっぱり人間じゃないので下手にイメージして怖がらせたくないし…。
でも絶対に貴女を傷つけないですし、それに多分ですけど気持ちよくなって頂けると思うんです」
そう言われても…。
人間じゃない相手との交わりとか…。
しかもその本体って多分アレだよな…。
「やめて! 想像しないで下さいって。
大体おかしいですよ。それって最終段階の話でしょ?
僕たちまだ何もしてないんですよ。
貴女が許して下さるなら貴女に触れるところから進みたいのです」
言われてみればその通りで、そこまで先走って考えることもない。はず。
「触れるだけなら許す」
触られるとどんなものか、ちょっとだけ試してみたい気がした。
「では」
そう言って彼はエリザベスの顔に触れた。
手の感触が優しいが、これは彼の本当の姿ではないはずだ。
触れていた手を離すと、そのまま彼は頬に軽く口づけをした。
これもまた、特に違和感はない。
怪物に味見をされているという感じではないな。
むしろ彼の愛情が伝わってくるかのようだった。
彼の指がエリザベスの唇に触れる。
そこにも口づけをして良いかという意味だろう。
エリザベスは黙って頷いた。
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クラークと触れ合うことは嫌いではない。
むしろ心地よかった。
クラークが去ることを考えてしまうと言いようのない寂しさが募る。
ならば彼を失わないためには彼を受け入れることを考えた方が良いと思ったのも確かだった。
幸い私は既に一度の結婚で女王としての義務はほぼ果たしたと言える。
一度目ほどは周囲もうるさくはないだろう。
というか…。
私としたことがかなり本気で再婚を考えつつあるのだな。
もう今年には50を迎えると言うのに。
だが、今のあの姿はやはり彼の正体ではない。
正体は巨大な海の怪物。
あのクラークとではどうにもイメージが合わない。
やはり正体のままの彼を見なければ。
もしも本気で再婚をするのであれば、それは避けて通れない。
エリザベスは記憶の中の恐ろしい怪物の姿と、あのクラークとが同じものだと確認することを内心恐れていた。
それでもエリザベスは覚悟を決めた。
「クラークの本当の姿を見せてくれないか」
「ええと…。
女王陛下が望むのであれば勿論断る理由はないのですが…怖いです」
「いや、ここで怖がるべきは私の方なんだが」
今まで『正体を見せろ』と言えなかったのはひとえに怖かったから。
クラークが怪物であるとはどこかで信じたくなかった。
けれど、こうして既にクラークと言う存在を知っているからだろうか。
姿が変わっても彼ならば怖くないかも知れない。
そんな考えに至るようになった。
「僕の正体をお見せすると、嫌われてしまいそうで…」
彼が怪物であることを知ることが怖かったが、彼もまたエリザベスに己の正体を恐れられることを怖いと思っていた。
そのことは一層彼を愛しく感じさせる。
「私は、クラークのこと好きだよ」
「え!? 本当ですか?」
「だから再婚も考えている。
だが、だからこそちゃんとおまえの正体と向き合いたい…」
と言っているのに、クラークは明後日の方向を向いて拳を握りしめている。
「聞いているか?」
「あ!すみません。
さっきの言葉をかみしめてました。
言いましたよね?『クラークのことが好きだよ』って!
僕今、世界で一番幸せなんです」
「そ、そうか。
うん。好きだ。
おまえがいなくなったら寂しいと思ってしまったんだよ。
ずっと傍にいて欲しいと思ったんだ」
「嬉しい…嬉しいです…。
あの、僕の正体なんですけど…、一緒に海まで来ていただけますか?
陸の上ではちょっと戻りづらいんで…」
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その日、国務を終えた深夜。
私はクラークの導きに従い港に向かった。
誰からも見咎められることはなかった。
彼にはどうも不思議な力があるようで、ときどきそれを実感する。
「ええと、海に入るのか?」
「初めて会ったとき海の中にお招きしましたよね。
あんな感じです。心配することはないかと」
「そうか…」
クラークの手を取ったまま、私は海の中に飛び込んだ。
万が一私に何かあったとしても娘ももう十分大人だ。
国のことは任せられるだろう…。
そして彼の言う通り、海に飛び込んだ後も私の身体は水を感じなかった。
勿論呼吸も出来る。
しかし深夜の海だ。
暗い…。何も見えない。
「明かりをつけますね」
クラークがそう言うと周囲が明るくなった。
彼の姿が見える。
「発光能力のある海の生き物達を集めたんですよ。
僕の住処にまで移動します」
以前見たあの場所だった。
そのときは太陽の光が水中に乱反射してキラキラしていたが。
今は限られた光で見える範囲だった。
それでもあの場所であることは分かる。
深夜の海底に漂う点在する明かり。
これもまた幻想的で美しい。
「じゃあ僕の正体をお見せしますね。
確かに見た目はあなたたち人間とはだいぶ違うと思いますけど、でも僕は僕です。
あなたに危害は加えませんから」
そう言うと、触れていた手の感触が変わった。
先ほどまで彼の手を取っていたはずが、私の手に触れているのは、あの…弾力のある感触の触手…。
目の前の彼は、巨大な黒いシルエットにしか見えない。
その中心に光る二つの瞳。
昔、船を襲ったあの怪物だった。
一瞬、意識が遠のくかと思ったが…
『女王陛下? 大丈夫ですか』
彼の声が聞こえて我に返ることが出来た。
「あ、いや大丈夫だ。
少し驚いただけ…」
『触っても良いですか?』
私は息をのむ。
「試してみる…。
嫌がったらすぐに離してくれるか?」
『約束します。
貴女を絶対に傷つけたりしません』
その触手の先が何本も私の身体に触れた。
巨大な触手も先の方は細いのだな、などと私は妙に冷静に考えていた。
触手が、私の身体に静かに触れる。
なんだろうこの感触は…。
触手には粘液がまとわりついているのか、それが身体に触れると柔らかく撫でられているようで、気持ちが…いいな…。
「あ…」
複数の触手が私の身体に優しく触れる。
といっても決して私のその…デリケートな場所には触れようとはしない。
クラークらしい触り方だな。
ここに来てためらいがちなんだから。
『怖くないですか?
気持ち悪くありませんか?
そろそろやめましょうか?』
「気持ちいいな…。
離れないでおくれ」
彼に全身を包まれてみたい。
『そ、そんなこと言わないで下さい。
僕、ガマンできなくなってしまいます』
「我慢しないでいい…。
私を愛して」
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目を覚ますと自室のベッドにいた。
よく覚えていない。昨晩のこと…。
クラークに触れられているうちに、その、なんというか…ええと…。
溺れてしまったというか。
気持ち良すぎて意識を失ってしまったか…。
「目が覚めましたか女王陛下、その、大丈夫?」
ベッドから少し離れた場所に彼が立っていた。
いつもの見慣れた人間の姿だった。
「クラークが私をここまで運んだのか?」
「そうです。すみません僕、夢中になってしまって…。
まさかあそこまでやってしまうなんて…。
僕の家に招待してリラックスした状態で僕の正体を見てもらうだけのつもりだったんですけど…」
「いいんだ。おいで」
クラークを傍に寄せると、私から彼に口づけをした。
彼の舌は、彼の粘液の味がした。
「結婚、しようか」
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その後、エリザベスは生前退位により娘に王位を譲り、ほどなくクラークの国に渡った。
予定よりもかなり早い退位であったと言える。
クラークの国は海底にあったが、エリザベスのために『人間の生活環境』がしっかり整えられていた。
クラークはエリザベスを祖国から切り離しはしなかった。
戻りたいときにはいつでも帰れるようにしてくれた。
だからエリザベスは娘が呼んでくれるときはいつでも娘に会い、国政についてアドバイスを行うことが出来た。
退位した先代があまり国政の上で出しゃばるのは良くないと考え、助言はあくまでも娘が助けを求めるときだけにしていたが。
娘シルビアの結婚相手も無事に決まり、エリザベスはクラークと共にその挙式に参列した。
「お母さま」
花嫁姿の娘はとても美しい。
エリザベスの自慢の娘。
国家を挙げた祝い事に国は大いに盛り上がった。
「シルビア、キレイですよ」
「お母さまも…」
エリザベスも娘の結婚式に参列するために、年齢を理由に美しさを疎かにしてはならないと思い、張り切って支度をした。
ただ、それにしても…。
「お母さま、若返っておりませんか?」
「…そうですか?
頑張ってお化粧をした甲斐がありました」
もう既に年齢は50を超えているのに、肌は張りを取り戻し、昔、クラークに出会った頃のエリザベスに戻ったようだ。
いや、単に若返っているという感じではない。
まだ若返り続けている可能性すらあったが、若さゆえの未熟さのようなものはない。
むしろその美しさには年齢を超えた深みすらある。
クラークは、結婚したら『長寿は保証する』と言っていた。
クラークと交わるたびに彼の体液をエリザベスは身体に取り込み、吸収しているようだった。
そしてそのたびに何かが変わっていく。
その変化が外観に現れつつあった。
「クラーク、私は若返っているような気がするんだが」
「え?そうですか?
僕、あんまり人間の年齢って外見で区別つかなくて…。すみません。
でもエリザベスはずっとずっと美しいですよ。
何も変わってないと思います」
エリザベスの夫は、全く参考にならない意見を言うのだった。
おわり
次話、ちょっとエッチな後日談が1本入ってます。
だって…触手なのにそういうシーンないのは酷いんだもん…。
ブクマや★評価や感想、ほんとに励みになります。
よろしければゼヒ…